樵談治要
- 註: 以下のリストに掲載される漢字はJIS X 0208外の異体字であり、Unicode表のBMP(基本多言語面、0面)が正しく表示できない環境によっては正しく記されない可能性がある。尚U+FA30からU+FA60の文字は、JIS X 0213対応のフォント(IPAフォント等)による記述を行っている。
- 凡例
- 親字 → 異体字 (Unicode番号) ; 異体字の説明。
- 清 → 淸 (U+6DF8) ; 旁が「倩」の旁部分となる字形
- 暦 → 曆 (U+66C6) ; 「木」の部分が「禾」となる字形
- 増 → 增 (U+589E) ; 「曽」の部分が「曾」となる字形
- 緒 → 緖 (U+7DD6) ; 「者」の部分が「偖」の旁部分となる字形
- 産 → 產 (U+7522) ; 「偐」の旁から「彡」を除き「生」を足した字形
- 戸 → 戶 (U+6236) ; 1、2画目が「斤」の1、2画目となる字形
- 徳 → 德 (U+5FB7) ; 旁が「聽」の旁部分となる字形
- 内 → 內 (U+5167) ; 「人」の部分が「入」となる字形
- 倶 → 俱 (U+4FF1) ; 「具」の部分が「惧」の旁部分となる字形
- 絶 → 絕 (U+7D55) ; 7、8画目の部分が「刀」となる字形
- 縁 → 緣 (U+7DE3) ; 旁が「彖」となる字形
- 教 → 敎 (U+654E) ; 偏が「希」の「巾」を「子」とした部分となる字形
- 渇 → 渴 (U+6E34) ; 旁が「曷」となる字形
- 毎 → 每 (U+6BCF) ; 「毋」の部分が「母」となる字形
- 頼 → 賴 (U+8CF4) ; 8、9画目が「刀」となる字体
- 尚 → 尙 (U+5C19) ; 「敞」の偏部分となる字形
- 黒 → 黑 (U+9ED1) ; 「黔」の偏部分となる字形
- 強 → 强 (U+5F3A) ; 「厶」の部分が「口」となる字形
- 青 → 靑 (U+9751) ; 「倩」の旁部分となる字形
- 姫 → 姬 (U+59EC) ; 旁が「熙」のれっかと巳を除いた部分となる字形
- 郎 → 郞 (U+90DE) ; 偏が「良」となる字形
- 歴 → 歷 (U+6B77) ; 「木」の部分が「禾」となる字形
- 横 → 橫 (U+6A6B) ; 旁が「廣」のまだれを除いた部分となる字形
樵談治要
後成恩寺關白兼良公
一神をうやまふべき事。
我國は神國也。天つちひらけて後。天神七代地神五代あひつぎ給ひて。よろづのことわざをはじめ給へり。又君臣上下をの〳〵神の苗裔にあらずといふことなし。是によりて百官の次第をたつるには神祇官を第一とせり。又議定はじめ評定始といふことにも。先神社の修造。祭祀の興行をもはらさだめらる。これみな神をうやまふゆへ也。一年中のまつりは二月四日の祈年の祭より始まる。此祭は。あきつしまの中にあとをたれ給三千一百卅二座の神に御てぐらのつかひをたてらるゝ物也。其中に七百卅七座には神祇官よりこれを獻ぜらる。のこり二千三百九十五座には六十餘國の國のつかさをの〳〵うけたまはりて幣帛を奉る也。年中の災難をのぞき國土の豐饒をいのるによりて。祈年のまつりとは名付たる也。又此月に祈年穀の奉幣といふことあり。これは廿二社に別して幣使をたてられて。旱水風損のうれへなく。五穀不熟なからん事をいのり奉る祭なり。五穀は人民のいのちなり。たれの人か是をかろくせむや。廿二社のうち。石淸水吉田祇園北野の四社は延喜式の神名帳にのらざる社たるによりて。式外の神と申也。もとは其數さだまらざりしを
一佛法をたとぶべき事。
それ佛法王法二なく。內典外典又一致也。そのかみは一怫の法門たりといへども。大小權實の相違によりてそのながれ八宗にわかれ侍り。いはゆる八宗は。眞言。華嚴。天台。三論。法相。俱舍。成實。律宗これなり。但俱舍をば法相に付られ。成實をば三論に兼學するによりて六宗になれり。其後淨土と禪との二をくはふれば猶八宗と稱すべし。天竺の事は。程遠ければしりがたし。唐土には今の世にたえたる宗どもおほく侍るにや。八宗の血脉いとすぢのごとくつらなりて。かたのごとくも今にのこれるはわが日本國計也。末世の佛法は有力の檀那に付囑し給ふよし釋尊の遺勅あれば。大檀那たる人は。八宗いづれをも斷絕なきやうに外護の心をはこび給ふべし。其中いづれにても心よせの宗に別して歸依あらんことは。一は宿習により一は所緣にしたがふ事なれば。ともかくも其人の心にまかすべし。さりながら華嚴。天台。三論。法相等の宗は。法門無盡にして義理深奧なれば。たやすくまなぶべきにあらず。眞言は暗誦加行もしは灌頂など。其人にあらすんば相應すべからず。律宗は一日の八齋戒をたもち。天臺の圓頓戒などをうけん事はやすけれど。誠に二百五十戒などをたもたんこと是又有がたかるべし。然るに淨土と禪との二の宗は。とりより所のたやすきにや侍らん。當世の人の此二の門にこゝろざさざるはすくなかるべし。それも人によるべきこと也。天子の位にありては。まづ仁德の行をさきにし給て。朝儀のすたれたるをおこし給。大將軍の職に居して。武道をもはらにして。万民のうれへをすくはせ給はゞ。いかなる佛法修行にもまさるべきを。あるひは坐禪工夫にいとまなきと稱し。あるひは稱名安心にひまをえざるといひて。やゝもすれば向上のまんをおこし。又本願ぼこりをなす事は大なるあやまり也。昔梁の武帝は佛法にかたぶけるあまり。大同寺に行幸ありてみづから經を講じ給しかば。其世の群臣も君の心ざしをうけて。苦空無常の觀をなしゝかば。天より花ふりさま〴〵の奇瑞なども有しかど。文武の道をすて侍しゆへに。侯景といふ臣ひまをうかゞひ。兵をおこし都をかこみしかば。武帝はのがるゝはかりごとをうしなひ。つゐにやまひを感じて崩じ給へり。唐の大宗はかゝる前蹤をかゞみ給ひて。たとひ佛法をこのむとも。先國をしづめ民をやすんじてのこと也とて。もはら政道をさきとせられしかば。貞觀のまつりごとといひて。目出たきためしに申つたへ。唐の世は三百年にをよびて天下をたもち侍り。それ大悲の菩薩は衆生にかはりて苦をうけんとせいぐはんをおこし給へり。天下主領たる人。誠に不足もなき身において。政道をとりもちこれををこなはんことは。大にむづかしきことなれど。たれにゆづるべきことにもあらざれば。つとにおき夜半にいねて万民のうたへをきゝ。理非をけつし。其のぞみをかなふることは。地藏觀音の慈悲の誓願も。唐堯虞舜の仁德の政道も。さらに別に有べからず。是を佛法王法二なく。內典外典一致也といへり。唐の李舟が書にいはく。釋迦中國に生れなば敎を設ること周孔のごとくならん。同孔四方にむまれなば敎をまうくること釋迦の如くならん。天堂なくは則やんぬ。あらば則君子のぼらん。地獄なくは則やんぬ。あらば則小人入らんといへり。是は內典外典を和會して至極のことはりをのべたる物なるべし。又寺をつくり僧を供養する事も。無欲淸淨の心よりおこらず。民をなやまし人をむさぼらば。たゞ名聞利養の佛事にして無上菩提の善根とは成べからず。長者の万燈よりも貧女
一諸國の守護たる人廉直を先とすべき事。
諸國の國司は一任四ケ年に過ず。當時の守護職は昔の國司におなじといへども。子々孫々に傅て知行をいたすことは。春秋の時の十二諸侯。戰國の世の七雄にことならず。所詮賴朝の大將
一訴訟の奉行人其仁を選ばるべき事。
凡奉行人は天下の公事を執行ふ職たるによりて。政道の善惡もととして是によるべし。いかにも心正直にして私を不㆑存。黑白をわきまへ。文筆に達し。理非にまかせて贔負をいたさゞらんをよき奉行とは稱すべし。是によりてあやまりあらん奉行人をばながくめしつかはるべからざるよし貞永の式目にのせられ侍り。兩方の支證をとり合せ。究决せられて。理有方へ付られたるをもとの給人として。難澁をいたさんをば別て罪科に處せらるべし。いはんや奉行人として存知ながらとりあげ披露せんは大なる越度なるべし。もし又奉行人として贔負をいたし。かたてうちになされたる公事たらば。越訴を立て申さん事。其咎有べからず。其方の奉行たる人。傍輩にかたらはされ。媚をなして理をまげんは。かへす〴〵口惜かるべし。御法にも奉行をさしをきて別人に付て訴訟をいたす事をば停止せらるといへども。時にしたがひ事によるべし。いかにも內奏强緣をもてもなげき申べきことなるべし。又諸人の愁は緩怠に過たるはなし。むなしく廿ケ日を過ば庭中を出すべき制法ありといへども。理運の訴訟にいたりてはいかにも不日にこれを申さたすべし。いはんや一所懸命の地。人にさまたげられん輩においては。明日を期せざる存命也。いかでか慈悲の心をもてあはれみをたれざらんや。所詮親疎を論ぜず。理非にまかせてわたくしの賄賂にふけらず。公方の瑕瑾にならざる樣に正路
一近習者をえらばるべき事。
是は建武の十七ケ條の中にものせられ侍る題目也。其器用をえらばるべきこと尤然るべし。又黨類を結。たがひに毀譽をなす事。誠に鬪靜のもとゐ成べし。たとひ私のうらみをさしはさむといふとも。公庭において其色をあらはす事は未練のいたり成べし。さてその器用といふは事々によりて一具に定るべからず。孔子の門弟には四科をたて侍り。高祖の功臣には三傑の不同有がごとし。いかさま一には正直廉潔にして
一足がるといふ者長く停止せらるべき事。
昔より天下の亂るゝことは侍れど。足がるといふことは舊記などにもしるさゞる名目也。平家のかぶろといふ事をこそめづらしきためしに申侍れ。此たびはじめて出來れる足がるは超過したる惡黨也。其故は洛中洛外の諸社。諸寺。五山十刹。公家。門跡の滅亡はかれらが所行也。かたきのたて籠たらん所にをきては力なし。さもなき所々を打やぶり。或は火をかけて財賓を
一簾中より政務ををこなはるゝ事。
此日本國をば姬氏國といひ又倭王國と名付て。女のおさむべき國といへり。されば天照太神は始祖の陰神也。神功皇后は中興の女主たり。此皇后と申は八幡大菩薩の御母にて有しが。新羅百濟などをせめなびかして足原國をおこし給へり。目出かりし事ども也。又
一天下主領の人かならず威勢有べき事。
人の威勢は善惡にわたるべし。道理をしれる人にははぢおそれてまことに歸伏すること有。又無理非道の人にはとがめられじとて心ならずおぢはゞかる事有。三尺の利劒は箱の中を出ざれども人是をおそれ。いかづちのこゑは百里の外に聞えてきもをけすがごとし。又猛虎は深山に有時もゝのけだ物をののきふるふ。麒麟は角のうへにしゝ有によりていきほひあれども人をやぶらず。是を聖人は威ありてたけからずとの給へり。此ゆへに武の道は威勢有を其德とす。その威勢といふは。ちかきより遠に及ぼし少事によりて大事も成就す。近をいるがせにすれば。遠き人聞傳ておそるゝ心なし。少事を指をかれば。大儀はいよ〳〵成事かたし。法分のさだむるところ理に當てをこなはるゝことを施行せざるを違勅の人といひて一段の罪科あるなり。人の訴詔理にまかせてかへし付らるゝ所に。この間もち付たる人。難澁を出すことあり。誠不便なる事ならば。をつてかはりの地をあてをこなはるゝとも理をば理とつけらるべし。それに猶違亂を出す事あらば。所當の罪科なくては有べからず。上裁を背上は。先出仕をとゞめ。餘の所領もあらば沒收せらるべき歟。又向後かれが申事。たとひ理有事成とも聞入給ふべからざるか。かくのごとくの制法ををかれずは。上をあなづること更にたゆべからず。又一國の守護など所勘にしたがはざらんをばいかゞはせん。凡大將軍といふは。おほやけの御かためとしてしきみの外を制し給ふべきゆるされをかうぶれる軄として。成敗有ことを違背申さむは。別して罪科に處せらるべし。代々武將の其例をもて義兵をおこし。朝敵に准じてすみやかに退治のさたに及べき事。理のをす所左右にあたはず。しからずは。はかりごとをとばりの中にめぐらして。いかにも前非を悔。承諾申やうに。うらおもてより計略有べきか。是又仁の道に有べし。それ又しからずは。私なき心をもて冥の照鑒にまかせられば。上裁を用ず雅意にまかせん强敵は。かならず自滅すること有て。俄に威勢を付奉る事。是又前蹤なきにあらず。しばらく時節到來をまたるべき歟。これらの進退よりのきは。ひとへに大將軍の所存に有べし。とかく人の申に及ばざる所也。
樵夫も王道を談ずといふは。いやしき木こりも王者のまつりごとをば語心也。今八ケ條をしるせる事は。八幡大菩薩の加護によりて大八嶋の國を治給ふべき詮要たるによりて。樵談治要とは名付侍る物なるべし。
常德院殿自筆御奧書
右此一册。一條殿御作者也。可㆑祕々々。
文明十三年十二月六日
自㆓御方御所樣㆒被㆑下也。
文明十四年七月五日
義覺御判
以下他本所載 義尙
自㆓大樹㆒政道詮要可㆓書進㆒之由示給之間。暫雖㆑令㆓斟酌㆒。及㆓度々㆒有㆓御催促㆒。仍此一卷書‐㆓出之㆒。文明十二年七月廿八日進‐㆓覽之㆒。奏者伊勢二郞左衞門尉也。其後以㆓御使㆒示給云。被㆑進㆓
三關老人御判
此一册借㆓請政弘朝臣㆒仰㆓量綱㆒令㆑寫㆑之者也。
長享元年仲秋日
槐下桑門御判
右此一帖申‐㆓請 龍翔院御本㆒書‐㆓寫之㆒。於㆓辟落之誤㆒者。歷覽之髦人添‐㆓削之㆒矣。
延德三年五月九日
律師宏盛在判
右樵談治要以橫田茂語藏本書寫以讀耕齋藏及流布印本挍合畢