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樵談治要

提供:Wikisource
  • 註: 以下のリストに掲載される漢字JIS X 0208外の異体字であり、Unicode表のBMP(基本多言語面、0面)が正しく表示できない環境によっては正しく記されない可能性がある。尚U+FA30からU+FA60の文字は、JIS X 0213対応のフォント(IPAフォント等)による記述を行っている。
    • 凡例
      親字 → 異体字 (Unicode番号) ; 異体字の説明。
    • 清 → 淸 (U+6DF8) ; 旁が「倩」の旁部分となる字形
    • 暦 → 曆 (U+66C6) ; 「木」の部分が「禾」となる字形
    • 増 → 增 (U+589E) ; 「曽」の部分が「曾」となる字形
    • 緒 → 緖 (U+7DD6) ; 「者」の部分が「偖」の旁部分となる字形
    • 産 → 產 (U+7522) ; 「偐」の旁から「彡」を除き「生」を足した字形
    • 戸 → 戶 (U+6236) ; 1、2画目が「斤」の1、2画目となる字形
    • 徳 → 德 (U+5FB7) ; 旁が「聽」の旁部分となる字形
    • 内 → 內 (U+5167) ; 「人」の部分が「入」となる字形
    • 倶 → 俱 (U+4FF1) ; 「具」の部分が「惧」の旁部分となる字形
    • 絶 → 絕 (U+7D55) ; 7、8画目の部分が「刀」となる字形
    • 縁 → 緣 (U+7DE3) ; 旁が「彖」となる字形
    • 教 → 敎 (U+654E) ; 偏が「希」の「巾」を「子」とした部分となる字形
    • 渇 → 渴 (U+6E34) ; 旁が「曷」となる字形
    • 毎 → 每 (U+6BCF) ; 「毋」の部分が「母」となる字形
    • 頼 → 賴 (U+8CF4) ; 8、9画目が「刀」となる字体
    • 尚 → 尙 (U+5C19) ; 「敞」の偏部分となる字形
    • 黒 → 黑 (U+9ED1) ; 「黔」の偏部分となる字形
    • 強 → 强 (U+5F3A) ; 「厶」の部分が「口」となる字形
    • 青 → 靑 (U+9751) ; 「倩」の旁部分となる字形
    • 姫 → 姬 (U+59EC) ; 旁が「熙」のれっかと巳を除いた部分となる字形
    • 郎 → 郞 (U+90DE) ; 偏が「良」となる字形
    • 歴 → 歷 (U+6B77) ; 「木」の部分が「禾」となる字形
    • 横 → 橫 (U+6A6B) ; 旁が「廣」のまだれを除いた部分となる字形

樵談治要

後成恩寺關白兼良公


一神をうやまふべき事。

我國は神國也。天つちひらけて後。天神七代地神五代あひつぎ給ひて。よろづのことわざをはじめ給へり。又君臣上下をの神の苗裔にあらずといふことなし。是によりて百官の次第をたつるには神祇官を第一とせり。又議定はじめ評定始といふことにも。先神社の修造。祭祀の興行をもはらさだめらる。これみな神をうやまふゆへ也。一年中のまつりは二月四日の祈年の祭より始まる。此祭は。あきつしまの中にあとをたれ給三千一百卅二座の神に御てぐらのつかひをたてらるゝ物也。其中に七百卅七座には神祇官よりこれを獻ぜらる。のこり二千三百九十五座には六十餘國の國のつかさをのうけたまはりて幣帛を奉る也。年中の災難をのぞき國土の豐饒をいのるによりて。祈年のまつりとは名付たる也。又此月に祈年穀の奉幣といふことあり。これは廿二社に別して幣使をたてられて。旱水風損のうれへなく。五穀不熟なからん事をいのり奉る祭なり。五穀は人民のいのちなり。たれの人か是をかろくせむや。廿二社のうち。石淸水吉田祇園北野の四社は延喜式の神名帳にのらざる社たるによりて。式外の神と申也。もとは其數さだまらざりしを後朱雀院六十九代の御宇長曆三年八月に廿二社にさだめられて後は不增不减也。昔は太極殿に行幸有て。その使を發遣せられしかども。太極殿なきによりて。神祇官にてをこなはるゝなり。其後諸社の祭をの上卿弁など參向してとりをこなふ。その所々月日支干などは年中行事にみえたるべし。中にも六月十二月の月次の祭。九月十一日の例幣。十一月の新嘗會は。四度の幣といひて。伊勢太神宮へ王氏。卜部。中臣。忌部の四姓のつかひをたてられて。とりわき兼日の御神事など有て嚴重の祭也。代々の聖主はいづれも我御身のためとはおもひ給はず。万民のためにかくのごとき祭などをさだめさせ給へる也。神明も由緖なき祭をばうけたまはず。天子は百神の主也と申せば。日本國の神祇はみな一人につかさどり給ふ。次には天下主領の大將軍をまもり給べし。諸國の神社は又その國の國司守護地頭に屬し給へるによりて。祈年祭の二千餘座をば國司につけらるゝ也。又神は我子孫の祭をとりわきうけ給ふによりて。諸社の祭の使には神の御子孫をたづねもちひらるゝなり。石淸水の使には源家の人。春日の使には藤氏。北野へは菅氏をもちひらる。其人なき時は他姓をもさゝるゝ也。八所御靈と申はむかし謀叛をおこしてその心ざしをとげず。あるひは又何事にてもうらみをふくめる人の靈をまつられたる社なり。これらは和光垂迹の神明にてはましまさゞる也。もろこしに神といふはおほくは先祖の靈をまつりて神といふ。御靈などのごとき也。かくのごとき神のたゝりをなすことあらば。いかにもその子孫尋て。官位をもさづけ。祭のことをなさしむべきよし。橘の博覽が擬潛夫論といふものにかけり。鬼は歸する所あればすなはち癘をなさずといへり。もろこしの事なれど。鄭の國に良霄といふ物あり。つみせられて死にき。その靈疫癘となりて人民をそこなひしとき。子產といふ智惠の者ありて。良霄が子に官をさづけて祭のことをつかさどらしめしかば。それよりのちは人をころすことやみ侍り。又神の詫宣といふ事昔はつねに有けるにや。弘仁嵯峨年九月の官符に恠異の事は聖人語らず。妖言の罪は法制かろきにあらず。神宣はいちじるく其しるしあらはれたることにあらずは。國司言上すべからざるよしさだめられ侍り。是は御こかんなぎなどのするわざなるによて也。次に神社修理の事退轉有べからず。太神宮は諸國の役夫工米をもて廿一年にかならず造替遷宮の事あり。其外諸社の造營は。ねぎ神主等。小破の時修理をいたすべし。万一大風若は炎上など有て大營に及ばゝ。その由を注進せしめば。先例にまかせてさた有べし。弘仁三年の官符には有封の社の神戶の百姓をもて無封の社の修理をいたすべきよしみえたり。有封無封といふは。神領のあるとなきとをいふ也。近代は諸國の祭事衰微せるによりて。有封の社の造營猶もてなりがたかるべし。いはんや無封の神社においてをや。抑この十餘年は天下のみだれによりて。神社の荒廢たぐひなく。祭祀の陵遲法に過たり。國のまさにおこらんとする時は。神明くだりて其德をかゞむ。國のまさにほろびんとする時も。神又くだりて其惡をみるといへり。神いかり民そむかば。何をもてかよく久しからむともいへり。かるがゆへに國司守護などは別に私のいのりなどをしては益なきこと也。かぎり有國役などを嚴密に成敗して。昔より有つけたる神社の修理。祭祀の退轉せるを申をこなひ侍らば。君には奉公の忠となり。神には歸敬の誠をあらはすべし。おほやけわたくし淸淨の心ざしをさきとして。如在の祀をもはらにせば。陰陽不測の神明もいかでか黍稷かうばしきにあらざることはりをうけたまはざらんや。

一佛法をたとぶべき事。

それ佛法王法二なく。內典外典又一致也。そのかみは一怫の法門たりといへども。大小權實の相違によりてそのながれ八宗にわかれ侍り。いはゆる八宗は。眞言。華嚴。天台。三論。法相。俱舍。成實。律宗これなり。但俱舍をば法相に付られ。成實をば三論に兼學するによりて六宗になれり。其後淨土と禪との二をくはふれば猶八宗と稱すべし。天竺の事は。程遠ければしりがたし。唐土には今の世にたえたる宗どもおほく侍るにや。八宗の血脉いとすぢのごとくつらなりて。かたのごとくも今にのこれるはわが日本國計也。末世の佛法は有力の檀那に付囑し給ふよし釋尊の遺勅あれば。大檀那たる人は。八宗いづれをも斷絕なきやうに外護の心をはこび給ふべし。其中いづれにても心よせの宗に別して歸依あらんことは。一は宿習により一は所緣にしたがふ事なれば。ともかくも其人の心にまかすべし。さりながら華嚴。天台。三論。法相等の宗は。法門無盡にして義理深奧なれば。たやすくまなぶべきにあらず。眞言は暗誦加行もしは灌頂など。其人にあらすんば相應すべからず。律宗は一日の八齋戒をたもち。天臺の圓頓戒などをうけん事はやすけれど。誠に二百五十戒などをたもたんこと是又有がたかるべし。然るに淨土と禪との二の宗は。とりより所のたやすきにや侍らん。當世の人の此二の門にこゝろざさざるはすくなかるべし。それも人によるべきこと也。天子の位にありては。まづ仁德の行をさきにし給て。朝儀のすたれたるをおこし給。大將軍の職に居して。武道をもはらにして。万民のうれへをすくはせ給はゞ。いかなる佛法修行にもまさるべきを。あるひは坐禪工夫にいとまなきと稱し。あるひは稱名安心にひまをえざるといひて。やゝもすれば向上のまんをおこし。又本願ぼこりをなす事は大なるあやまり也。昔梁の武帝は佛法にかたぶけるあまり。大同寺に行幸ありてみづから經を講じ給しかば。其世の群臣も君の心ざしをうけて。苦空無常の觀をなしゝかば。天より花ふりさまの奇瑞なども有しかど。文武の道をすて侍しゆへに。侯景といふ臣ひまをうかゞひ。兵をおこし都をかこみしかば。武帝はのがるゝはかりごとをうしなひ。つゐにやまひを感じて崩じ給へり。唐の大宗はかゝる前蹤をかゞみ給ひて。たとひ佛法をこのむとも。先國をしづめ民をやすんじてのこと也とて。もはら政道をさきとせられしかば。貞觀のまつりごとといひて。目出たきためしに申つたへ。唐の世は三百年にをよびて天下をたもち侍り。それ大悲の菩薩は衆生にかはりて苦をうけんとせいぐはんをおこし給へり。天下主領たる人。誠に不足もなき身において。政道をとりもちこれををこなはんことは。大にむづかしきことなれど。たれにゆづるべきことにもあらざれば。つとにおき夜半にいねて万民のうたへをきゝ。理非をけつし。其のぞみをかなふることは。地藏觀音の慈悲の誓願も。唐堯虞舜の仁德の政道も。さらに別に有べからず。是を佛法王法二なく。內典外典一致也といへり。唐の李舟が書にいはく。釋迦中國に生れなば敎を設ること周孔のごとくならん。同孔四方にむまれなば敎をまうくること釋迦の如くならん。天堂なくは則やんぬ。あらば則君子のぼらん。地獄なくは則やんぬ。あらば則小人入らんといへり。是は內典外典を和會して至極のことはりをのべたる物なるべし。又寺をつくり僧を供養する事も。無欲淸淨の心よりおこらず。民をなやまし人をむさぼらば。たゞ名聞利養の佛事にして無上菩提の善根とは成べからず。長者の万燈よりも貧女がイ一燈はまされるといふたとへあり。聖武四十五代天皇の天平十三年に諸國に護國國分の二寺をたてられて。僧尼を安置し。金光明法花等の經をかき供養して。當國の百姓のため四時をとゝのへ。百穀の豐饒をいのり給へり。諸國の守護たらん人。かゝる所を再興せむは。昔の檀那の心にもかなひ。今のついえもさのみ有べからず。あたらしき寺をたてんよりは。古きを修造せむはその功德猶まされるよし像法决疑經にもとかれ侍るにや。さて出家のともがらもわが宗をひろめむと思ふ心ざしは有べけれど。無智愚癡の男女をすゝめ入て。はては徒黨をむすび。邪法ををこなひ。民業をさまたげ。濫妨をいたす事は。佛法の惡魔。王法の怨敵也。これらのともがらをばいかにもいましめらるべきこと。武道の專一也。一遍聖のやうなるたぐひは。一旦歸依渴仰すといへども。世のわづらひとはならず。それもいたるなることは佛法の正理にあらざるべし。昔の大師先德は求法のため風波の難をかへりみず。もろこし船のともづなをとき經論聖敎をわたしてもさらに是を私せず。ことく朝庭に奉れるを。御覽じイて則返し給はり。世にひろむべきよしの勅諚をうけて。わづかに得分とては。度者の二人三人を申うけしイばかり也。度者といふは今の世のやうに思ふさまに出家する事はかなはず。公方のゆるされをかうぶりて。髮をそり衣をそめしかば。我宗をも相承せしめ。又年よりて杖ともせむがため。これを申うけし也。每年人數をさだめ。ゆるされをかうぶりて。其寺につけをくをば年分度者と申也。出家をゆるさるるをもて。これを功德とも稱し。又朝恩とも思ひ侍る也。今の世にも大法會の時は度者の使とてたてらるゝは昔をわすれぬばかりにて。その實なき事なるべし。かゝるゆへに諸宗の今に繁昌せることは。ひとへに大師先德の陰德のいたす所なり。

一諸國の守護たる人廉直を先とすべき事。

諸國の國司は一任四ケ年に過ず。當時の守護職は昔の國司におなじといへども。子々孫々に傅て知行をいたすことは。春秋の時の十二諸侯。戰國の世の七雄にことならず。所詮賴朝の大將後白河院七十七代の勅諚として。六十六ケ國の惣追捕使に補せられしよりこのかた。守護職といふは武將の代官をうけたまはれる由にて。當代にいたるまでも其例ををはるゝうへは。はやくさだめをかれたる御法をまもり。かぎりある得分の外は。そのいろひをなさず。上には事君の節をつくし。下には撫民の仁をほどこして。廉直のほまれ當世に聞。隱德の行末代に及さば。冥慮にもかなひ。榮花を子孫につたふべきを。やゝもすれば無道をかまへ猛惡をさきとする事。かへすしあんなきにあらずや。貞永後堀河の式目には或は國司領家のそせうにより。或は地頭土民の愁鬱につきて。非法のいたり顯然ならば。所帶の職をあらためられ。穩便のともがらに補すべき也。又建武後醍醐の御法には守護職は上古の吏務也。國中の治否只此職による。尤器用に補せられば。撫民の義にかなふべきかと云々。此式條のごとくならば。時にしたがひ人をえらびて其職に補せらるべきよしみえたるにや。然るに當時の躰たらく。上裁にもかゝはらず。下知にもしたがはず。ほしいまゝに權威をもて他人の所帶を押領し。富に富をかさね。欲に欲をくはふる事は。さしあたりてことかけたるゆへにはあらず。只無用の事のしたきと人かずをおほくそへんとのため成べし。もとより富貴の家にいたづらに寶をたくはへて人にほどこさぬは思出もなき事なるべし。妻子珍寳及王位とて。死ぬる時は。わがめ子もたからも位をも。一として身にそへぬ事にこそ。佛もとき給ふなれ。されば猿樂田樂のかけものにし。傾城白拍子の纏頭にあたふることは。さらに非分の事にはあらざるべし。只世のそしりをうけ。人のうらみをおふは。無理非道の押領をなすゆへ也。又人數のほしきこともたれかはねがはしからぬ事にはあらざれど。正躰なき家人に所領を多くあてをこなへば。後々は過分になりて。いさゝかも氣にあはぬ事のあれば。主をもとりかへんとす。かゝる事はまのあたりに見をよぶ事ども也。又人をたづぬるよし聞つたへて。あなたこなたよりふしぎの物どもが。一旦の給恩をむさぼらんために名字をいだすといへども。一大事にのぞみ戰塲などにおもむく時は。我先にと落うせて。折角の川に立ものはこれまれ也。木曾義仲は藩東を立し時五万騎と聞えしかども。粟津の原にて討死する時は主從二騎になれるがごとし。かるがゆへに用にもたゝぬ猛勢はかへりてあだと成ためしあり。名と利との二はいづれも人のねがふ事なれど。利は一旦の利也。名は万代の名也。武士の一命をすつるも名をおもふがゆへなるに。無理非道の惡名をば何とも思はぬは。命よりもたからは猶おしき物にや侍らん。慈鎭和尙と申人のよろづの事は道理といふ二の文字にこもりて侍ると申給へるが。我領知を人にとられじとすると人の領知ををさへてとらんとするその道理はいづ方に有べきぞや。本より欲界の衆生なれば。欲なき人は有べからず。又まよひの凡夫なれば。理に迷はぬ事は有まじけれど。これぶんざいの道理はさすがにたれもしり侍べきを。あやまりをあらためむとおもひよれる事のなきこそ。つゐには我人の不運にては侍るなれ。昔晉の代に周處といふ人のありしが。力つよくしてなす事の人のためによきこと一もなかりしが。有時人にいふやう。今年は年もゆたかなれば。たれもたのしみこそすらめととひければ。三害といふものいまだのぞかざればたのしむ人有べからずとこたふ。周處その三がいは何々ぞといひければ。一には南山にひたいの白き虎のありて人をくらふと。二には長橋といふはしの下に。みづちといふものの出て。人をそこなふと。三にはなんぢがふるまひをいふとこたへければ。周處此よしを聞て。すなはちつるぎをぬきもちて南山へ入て虎をほろぼし。長橋の下におりくだりてみづちをころし。をのれは俄にがくもんをして。引替善人になれるためしあれば。きのふまではあやまれる事も。一念ひるがへせば。無量の罪たちまちにほろぶることなるべし。

一訴訟の奉行人其仁を選ばるべき事。

凡奉行人は天下の公事を執行ふ職たるによりて。政道の善惡もととして是によるべし。いかにも心正直にして私を不存。黑白をわきまへ。文筆に達し。理非にまかせて贔負をいたさゞらんをよき奉行とは稱すべし。是によりてあやまりあらん奉行人をばながくめしつかはるべからざるよし貞永の式目にのせられ侍り。兩方の支證をとり合せ。究决せられて。理有方へ付られたるをもとの給人として。難澁をいたさんをば別て罪科に處せらるべし。いはんや奉行人として存知ながらとりあげ披露せんは大なる越度なるべし。もし又奉行人として贔負をいたし。かたてうちになされたる公事たらば。越訴を立て申さん事。其咎有べからず。其方の奉行たる人。傍輩にかたらはされ。媚をなして理をまげんは。かへす口惜かるべし。御法にも奉行をさしをきて別人に付て訴訟をいたす事をば停止せらるといへども。時にしたがひ事によるべし。いかにも內奏强緣をもてもなげき申べきことなるべし。又諸人の愁は緩怠に過たるはなし。むなしく廿ケ日を過ば庭中を出すべき制法ありといへども。理運の訴訟にいたりてはいかにも不日にこれを申さたすべし。いはんや一所懸命の地。人にさまたげられん輩においては。明日を期せざる存命也。いかでか慈悲の心をもてあはれみをたれざらんや。所詮親疎を論ぜず。理非にまかせてわたくしの賄賂にふけらず。公方の瑕瑾にならざる樣に正路をイ申さたせん奉行人においては。別て臨時の勸賞もをこなはれて。後見の忠勤をすゝめらるべきものをや。

一近習者をえらばるべき事。

是は建武の十七ケ條の中にものせられ侍る題目也。其器用をえらばるべきこと尤然るべし。又黨類を結。たがひに毀譽をなす事。誠に鬪靜のもとゐ成べし。たとひ私のうらみをさしはさむといふとも。公庭において其色をあらはす事は未練のいたり成べし。さてその器用といふは事々によりて一具に定るべからず。孔子の門弟には四科をたて侍り。高祖の功臣には三傑の不同有がごとし。いかさま一には正直廉潔にしてごくしん極愼なる人をえらばるべし。二には奉公の忠節をいたして私をかへりみざる人。三には弓馬の道に達して心いさみ有人。四には和漢の才藝あらん人をよしとすべし。又よからぬ類をいはゞ。一にはうろん猛惡にして欲にふける人。二には不奉公にして人の非をいふことをこのむ。三には武藝の道につたなくして臆病第一也。四には狂言綺語をもて人にわらはるゝを面目とす。すべてよからぬ事どもをいひてはさらにがいさい涯際有べからず。但近習者とて召遣れんはいづれをも先れんみんは有べし。春の雨の草木をうるほす事大小の根莖をわかたざるがごとし。子を兒るは父にしかず。臣をみるは君にしかずと申侍れば。よきあしきに付て其心得をみ給て。正躰なき者の申事には同心あるべからず。狐狸は人をばかす物ぞとしりぬればばかされぬがごとし。次に君のあやまりましまさむ時はいさめ申を忠[臣歟]といふ。存知しながら申入ざらんをば不忠の人といふべし。いさめ申につきては。機嫌によりてかならずいかりをなし給ふことも有べし。いかにも生涯にかへても申べき事をば申べき也。君も又いかに御意にちがふことなりとも。それを咎になさるゝ事はゆめ有べからず。大事と存ずればこそ是程までは申らめと。別して後には勸賞をもをこなはるべき事也。さりながら此比の人はいかによきことなれども我心にたがふをばわろしと申。わろき事なれども我心にかなふをばよしと申侍べし。かやうならんいさめは只我心にまかせていふことなれば。國のためそのしるし有べからず。さればまづ人をよく心み給ふべき事也。昔朱雲といふ人漢の成帝をいさめし時。帝大に逆鱗ありて廷尉に仰付られ。朱雲をきられんとて引出さるゝ時。朱雲は出じとすまひし程に。取つきたる殿の檻をひきおりたり。是をのちに修理せんと申人ありしを。成帝はすべて修理すること有べからず。君のあやまり有時はかくこそいさめしものはあれと。後の人に見せてためしにせんとの給へり。あやまりまします時。いさめをいれざれば。國をも天下をもうしなふによりて。唐の太宗はいさめ申ものをことに賞し給へる也。侍從の官をば闕たるををぎ[な歟]ひ遺をひろふといひて。君のあやまりあり又わすれ給ふことをひそかにつげ申つかさ也。諫議大夫といふは今の宰相をいふ也。是はもはらいさめをつかさどる軄なり。昔よりかくのごとくいさめの事はなくてかなふまじき事にさだめられたる也。是は公私大小の差別こそあれ。一家のあるじたりといふともそれあやまりあらば。分々に其ひくはんにんたる人はいさむべき事なるべし。次に讒奏といふことはあさましき事に侍り。しろきをくろく。黑をば白きと申なす事。靑蠅の物をけがすにたとへ侍り。周の代に成王と申御門は周公旦とていみじき聖人にて國をおさめ侍りしを。管叔蔡叔といふあしきをとゝ二人ありて讒奏せられしかば。成王誠と覺しめして周公をしりぞけられき。其時雨風あらく。世のなかさはがしく。秋の田のみなども損じ侍りしうへ。成王の父武王の病し給ひし時。命にかはらんと周公のかき給へるちかひの言葉。金縢の書といふ物をもとめ出されて。これほどの忠有人なりけりとて。めしかへされて。讒奏したるをとゝ二人をば誅せられしかば。雨風もたちまちにやみ。田のみもおきなをれるよし申傅へ侍り。又めでたきためしに申侍る延喜の御門も時平のおとゞの讒奏によりて菅丞相の御事もいできたりし事也。鎌倉の右大將の時梶原平三景時が讒言によりてあまたの人をそんじけるとかや。さてこそ後には景時。其子景季以下同時にことごとく誅せられて。あさましき死をし侍りけるとなん。人のあしきことは何よりも讒言にて侍れば。君たる人はよくその心をえ給ふべきにこそ。

一足がるといふ者長く停止せらるべき事。

昔より天下の亂るゝことは侍れど。足がるといふことは舊記などにもしるさゞる名目也。平家のかぶろといふ事をこそめづらしきためしに申侍れ。此たびはじめて出來れる足がるは超過したる惡黨也。其故は洛中洛外の諸社。諸寺。五山十刹。公家。門跡の滅亡はかれらが所行也。かたきのたて籠たらん所にをきては力なし。さもなき所々を打やぶり。或は火をかけて財賓をさくる事は。ひとへにひる强盜といふべし。かゝるためしは先代未聞のこと也。是はしかしながら。武藝のすたるゝ所にかゝる事は出來れり。名有侍のたゝかふべき所をかれらにぬきゝせたるゆへなるべし。されば隨分の人の足輕の一矢に命をおとして當座の耻辱のみならず。末代までの瑕瑾を殘せるたぐひも有とぞ聞えし。いづれも主のなきものは有べからず。向後もかゝることあらば。をの主々にかけられて糺明あるべし。又土民商人たらば。在地におほせ付られて罪科有べき制禁ををかれば。千に一もやむ事や侍べき。さもこそ下剋上の世ならめ。外國の聞えも耻づべき事成べし。

一簾中より政務ををこなはるゝ事。

此日本國をば姬氏國といひ又倭王國と名付て。女のおさむべき國といへり。されば天照太神は始祖の陰神也。神功皇后は中興の女主たり。此皇后と申は八幡大菩薩の御母にて有しが。新羅百濟などをせめなびかして足原國をおこし給へり。目出かりし事ども也。又推古三十四代天皇も女にて。朝のまつり事を行ひ給ひし時。聖德太子は攝政し給て。十七ケ條の憲法などさだめさせ給へり。其後皇極三十六代持統四十一代元明四十三代元正四十四代孝謙四十六代の五代も皆女にて位に付。政をおさめ給へり。もろこしには呂太后と申は漢の高祖の后惠帝の母にて政をつかさどり侍り。唐の世には則天皇后と申は高宗の后中宗の母にて年久敷世をたもち侍り。宋朝に宣仁皇后と申侍りしは哲宗皇帝の母にて。簾中ながら天下の政道ををこなひ給へり。これを垂簾の政とは申侍る也。ちかくは鎌倉の右大將の北の方尼二位政子と申しは北條の四郞平の時政がむすめにて二代將軍の母なり。大將のあやまりあることをも此二位の敎訓し侍し也。大將の後は一向に鎌倉を管領せられていみじき成敗ども有しかば。承久のみだれの時も二位殿の仰とて義時も諸大名共に廻文をまはし下知し侍りけり。貞觀政要と云書十卷をば菅家の爲長卿といひし人に和字にかゝせて天下の政のたすけとし侍りしも此二位尼のしわざ也。かくて光明峯寺道家の關白の末子を鎌倉へよび下し猶子にし侍りて將軍の宣旨を申なし侍り。七條の將軍賴經と申は是也。此將軍の代貞永元年に五十一ケ條の式目をさだめ侍て。今にいたるまで武家のかゞみとなれるにや。されば男女によらず天下の道理にくらからずば。政道の事。輔佐の力を合をこなひ給はん事。さらにわづらひ有べからずと覺侍り。

一天下主領の人かならず威勢有べき事。

人の威勢は善惡にわたるべし。道理をしれる人にははぢおそれてまことに歸伏すること有。又無理非道の人にはとがめられじとて心ならずおぢはゞかる事有。三尺の利劒は箱の中を出ざれども人是をおそれ。いかづちのこゑは百里の外に聞えてきもをけすがごとし。又猛虎は深山に有時もゝのけだ物をののきふるふ。麒麟は角のうへにしゝ有によりていきほひあれども人をやぶらず。是を聖人は威ありてたけからずとの給へり。此ゆへに武の道は威勢有を其德とす。その威勢といふは。ちかきより遠に及ぼし少事によりて大事も成就す。近をいるがせにすれば。遠き人聞傳ておそるゝ心なし。少事を指をかれば。大儀はいよ成事かたし。法分のさだむるところ理に當てをこなはるゝことを施行せざるを違勅の人といひて一段の罪科あるなり。人の訴詔理にまかせてかへし付らるゝ所に。この間もち付たる人。難澁を出すことあり。誠不便なる事ならば。をつてかはりの地をあてをこなはるゝとも理をば理とつけらるべし。それに猶違亂を出す事あらば。所當の罪科なくては有べからず。上裁を背上は。先出仕をとゞめ。餘の所領もあらば沒收せらるべき歟。又向後かれが申事。たとひ理有事成とも聞入給ふべからざるか。かくのごとくの制法ををかれずは。上をあなづること更にたゆべからず。又一國の守護など所勘にしたがはざらんをばいかゞはせん。凡大將軍といふは。おほやけの御かためとしてしきみの外を制し給ふべきゆるされをかうぶれる軄として。成敗有ことを違背申さむは。別して罪科に處せらるべし。代々武將の其例をもて義兵をおこし。朝敵に准じてすみやかに退治のさたに及べき事。理のをす所左右にあたはず。しからずは。はかりごとをとばりの中にめぐらして。いかにも前非を悔。承諾申やうに。うらおもてより計略有べきか。是又仁の道に有べし。それ又しからずは。私なき心をもて冥の照鑒にまかせられば。上裁を用ず雅意にまかせん强敵は。かならず自滅すること有て。俄に威勢を付奉る事。是又前蹤なきにあらず。しばらく時節到來をまたるべき歟。これらの進退よりのきは。ひとへに大將軍の所存に有べし。とかく人の申に及ばざる所也。

樵夫も王道を談ずといふは。いやしき木こりも王者のまつりごとをば語心也。今八ケ條をしるせる事は。八幡大菩薩の加護によりて大八嶋の國を治給ふべき詮要たるによりて。樵談治要とは名付侍る物なるべし。


常德院殿自筆御奧書

右此一册。一條殿御作者也。可祕々々。

  文明十三年十二月六日

御方御所樣下也。

  文明十四年七月五日

義覺御判

以下他本所載 義尙

大樹政道詮要可書進之由示給之間。暫雖斟酌。及度々御催促。仍此一卷書‐出之。文明十二年七月廿八日進‐覽之。奏者伊勢二郞左衞門尉也。其後以御使示給云。被准后御方義政之處。有御一覽褒美申。能々可此法之由被仰之間。一段令祝着給者也。同者外題可書進云々。則書之付御使返進訖。頗可眉目也。

三關老人御判


此一册借請政弘朝臣量綱之者也。

  長享元年仲秋日

槐下桑門御判


右此一帖申‐請 龍翔院御本書‐寫之。於辟落之誤者。歷覽之髦人添‐削之矣。

  延德三年五月九日 

律師宏盛在判

右樵談治要以橫田茂語藏本書寫以讀耕齋藏及流布印本挍合畢

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