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春秋左氏傳/002 桓公/07

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↑前年 桓公七年(紀元前705年 翌年↓巻の二 桓公春秋左氏傳

訓読文

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【經】 七年春二月己亥きがい咸丘かんきう[1]く。夏、穀伯こくはくすゐ來朝らいてうす。鄧侯とうこう吾離ごり來朝す。

【傳】 七年(周ノ桓王十五年)春、穀伯・鄧侯、來朝す。いふは、之をいやしめるなり。
 夏、まうしやう[2]たひらぎを鄭に求む。すでにして(皆)之にそむく。
 秋、鄭人・齊人・衞人、盟・向をつ。わう、盟・向のたみけふ[3]うつす。
 冬、曲沃きよくよくはく[4]、晉の小子侯せうしこう[5]おびきて之を殺す。(→桓公八年

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  1. 焚は火田なり。林を焼きて狩る也。
  2. 盟向は、二邑の名、隱公十一年、周王、以て鄭に與ふ。
  3. 郟は王城即ち郟鄏なり。
  4. 武侯。
  5. 哀公の子。