↑前年 桓公七年(紀元前705年) 翌年↓ < 巻の二 桓公 < 春秋左氏傳
【經】 七年春二月己亥、咸丘に焚[1]く。夏、穀伯綏・來朝す。鄧侯吾離來朝す。
【傳】 七年(周ノ桓王十五年)春、穀伯・鄧侯、來朝す。名いふは、之を賤めるなり。
夏、盟・向[2]、成ぎを鄭に求む。既にして(皆)之に背く。
秋、鄭人・齊人・衞人、盟・向を伐つ。王、盟・向の民を郟[3]に遷す。
冬、曲沃の伯[4]、晉の小子侯[5]を誘きて之を殺す。(→桓公八年)
- ↑ 焚は火田なり。林を焼きて狩る也。
- ↑ 盟向は、二邑の名、隱公十一年、周王、以て鄭に與ふ。
- ↑ 郟は王城即ち郟鄏なり。
- ↑ 武侯。
- ↑ 哀公の子。