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春秋左氏傳/001 隱公/10

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↑前年 隱公十年(紀元前713年 翌年↓巻の一 隱公春秋左氏傳  

訓読文

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【經】 十年春王の二月、公、齊侯・鄭伯に中丘ちうきうくわいす。夏、[1]ひきゐて、齊人・鄭人に會して宋をつ。、六月壬戌じんじゆつ、公、宋の師をくわん[2]やぶる。辛未しんびかうを取る。辛巳しんしばうを取る。秋、宋人・衛人、鄭に入る。宋人・蔡人・衛人、たい[3]を伐つ。鄭伯,、伐つて之を取る[4]。冬十月壬午じんご、齊人・鄭人、せいに入る。

【傳】 十年(周ノ桓王七年)春王の正月、公、齊侯・鄭伯に中丘に會し、癸丑きちうとう[5]ちかひ、師の[6]。夏五月、羽父うほ[7]づ齊侯・鄭伯に會して宋を伐つ。六月戊申ぼしん、公,、齊侯・鄭伯に老桃らうたう[8]に會す。壬戌、公、宋の師を菅に敗る。庚午かうご、鄭の師、郜に入る。辛未、われおく[9]庚辰かうしん、鄭の師、防に入る。辛巳、我に歸る。君子へらく、『鄭の莊公是こゝに於てかたゞしと謂ふし。王命を以て不庭ふてい[10]を討ち、其土をむさぼらずして、以て王のしやく(アル魯侯)をねぎらふは、正の體なり』と。蔡人・衞人・成人せいひと[#「成」はママ]、王命に會せず。
 秋、七月庚寅かういん、鄭の師、郊に入り、猶ほ郊に在り。宋人・衞人、鄭に入る。蔡人、之に從つて戴を伐つ。八月壬戌にんじゆつ、鄭伯、戴をかこみ、癸亥きがい、之にち、三師さんしを取り[11]ぬ。宋・衞、既に鄭に入りて、戴を伐つに蔡人をす。蔡人いかる。故に和せず敗れたるなり。九月戊寅ぼいん、鄭伯、宋に入る。冬、齊人・鄭人、成[#「成」はママ]に入るは、王命に違ふ[12]とうずるなり。

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  1. 公子翬。
  2. 宋の地。
  3. 鄭の附庸の國。
  4. 三國の兵に勝つなり。
  5. 鄧は魯の地。
  6. 出師の期を定むるなり。
  7. 公子翬
  8. 宋の地。
  9. 郜の地を我に取らしめしなり。
  10. 下の上に事ふるは、皆禮を庭中に成す。之を成さゞるを不庭と云ふ。
  11. 鄭軍、宋・衞・蔡の軍を敗りし也。
  12. 王命に違ふは、宋を伐つことに會せざしを云ふ。