↑前年 隱公五年(紀元前718年) ↓翌年 < 巻の一 隱公 < 春秋左氏傳
【經】 五年春、公、魚[1]を棠に矢ぬ。夏四月、衞の桓公を葬る。秋、衞の師、郕に入る。九月、仲子の宮を考す[2]。初めて六羽[3]を獻ず。邾人・鄭人、宋を伐つ。螟あり。冬、十有二月辛巳、公子彄卒す。宋人、鄭を伐ち、長葛を圍む。
【傳】 五年(周ノ桓王二年)春、公、將に棠[4]に如いて魚者[5]を觀んとす。臧僖伯[6]、(公ヲ)諫めて曰く、『凡そ物、以て大事を講はす[7]に足らず、其材、以て器用[8]に備ふるに足らざれば、則ち君、舉せず[9]。君は、將に民を軌物[10]に納れんとする者なり。故に事[11]を講ひて以て軌に度る、量之を軌と謂ふ。材[12]を取りて以て物を章かにす、采之を物と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟〻行はるゝは、敗るゝ所以なり。故に春は蒐し、夏は苗し、秋は獮し、冬は狩する[13]も、皆な農隙に於て以て事を講はするなり。三年にして兵[14]を治め、入りて振旅し[15]、歸りて飮至し[16]、以て軍實を數へ[17]、文章を昭にし、貴賤を明にし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習はするなり。鳥獸の肉の、俎[18]に登らず、皮革・齒・牙・骨・角・毛・羽の、器に登ら[19]ざるをば、則ち公、射ざるは、古の制なり。若し夫れ山林川澤の實[20]、器用の資[21]は、皁隸[22]の事、官司の守なり。君の及ぼす所に非ざるなり[23]』と。公曰く、『吾は將に地を略せんとす[24]』と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯、疾と稱して從はず。書して『公、魚を棠に矢ぬ』と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ遠地なるを言ふなり。
曲沃の莊伯[25]、鄭人・邢人を以て、翼[26]を伐つ。王[27]、尹氏・武氏[28]をして之を助けしむ。翼侯、隨に奔る。(→隱公五年)
夏、衞の桓公を葬る。衞亂る。是を以て緩れたるなり。
四月、鄭人、衞の牧[29]を侵し、以て(隱公四年→)東門の役に報ゆ。衞人、燕の師を以て鄭を伐つ。鄭の祭足・原繁・洩駕、三軍を以て其前に軍し、曼伯と子元とをして潛んで其後に軍せしむ。燕人、鄭の三軍を畏れて、制人を虞らず。六月、鄭の二公子[30]、制人を以て燕の師を北制[31]に敗る。君子曰く、『不虞に備へざれば、以て師す可からず』と。
(隱公五年→)曲沃、王[32]に叛く。秋、王、虢公に命じて曲沃を伐たしめて、哀侯を翼に立つ。(→隱公六年)
衞の亂れしや、郕人[33]、衞を侵せり。故に衞の師、郕に入れり。
九月、仲子の宮を考す。將に萬[34]せんとす。公、羽數[35]を衆仲に問ふ。對へて曰く、『天子は八[36]を用ゐ、諸侯は六[37]を用ゐ、大夫は四[38]、士は二[39]なり。夫れ舞は八音[40]を節し、八風[41]を行らする所以なり。故に八より以て下る』と。公、之に從ふ。是に於て初めて六羽を獻ず。始めて六佾を用ゐたるなり。
宋人、邾の田を取る。邾人、鄭に告げて曰く、『請ふ、君、(貴國ガ嘗テ宋ヨリ伐レタル)(隱公四年→)憾を宋に釋け[42]。敝邑、道びきを爲ん』と。鄭人、王師を以て之に會して、宋を伐ち、其郛[43]に入り、以て東門の役に報ゆ。宋人來りて命を告げしむ[44]。公、其の郛に入るを聞くや。將に之を救はんとし、使者に問うて曰く、『師、何くにか及べる』と。對へて曰く、『未だ國に及ばず』と。公、怒つて、乃ち止め、使者に辭して曰く、『君、寡人に命じて、同じく社稷の難を恤へしむ。今これを使者に問へば、「師未だ國に及ばず」と曰ふ。寡人の敢て知る所に非ざるなり[45]』と。
冬十二月辛巳、臧僖伯卒す。公曰く、『(隱公五年→)叔父[46]寡人に憾むこと有り[47]。寡人、敢て忘れず』と。之を葬むるに一等を加ふ。
宋人、鄭を伐ち、長葛[48]を圍む。以て郛に入るの役に報ゆるなり。
- ↑ 魚は漁者なり。漁者を棠に陳列して、觀て以て樂と爲す也。
- ↑ 考は成なり。宮成りて酒食を澆ぎて、以て落成式を爲す也。
- ↑ 六羽の舞を獻ずる也。
- ↑ 棠は地名。
- ↑ 漁者。
- ↑ 臧僖伯は公子彄。
- ↑ 講は講習する也。
- ↑ 軍國に必要なる器としての用。
- ↑ 舉行せず。
- ↑ 法度威儀をいふ。
- ↑ 大事を講習して法軌に循ふ、能く多少を度りて制度を定むるもの、謂はゆる軌なり。
- ↑ 材料を獲て、能く貴賤に應じ車服旌旗を昭にす。凡そ文采あるもの謂はゆる物なり。
- ↑ 蒐は春の獵、苗は夏の獵、獮は秋の獵、狩は冬の獵。
- ↑ 大演習。
- ↑ 衆を整へて歸へる也。
- ↑ 宗廟にて酒宴を賜はる。
- ↑ 車徒器械及び獲る所を數ふる也。
- ↑ 祭器、肉を盛るもの。
- ↑ 器に登るとは、法度の器を飾るをいふ。
- ↑ 鳥獣魚鼈の類をいふ。上文の器用の材も亦山林川澤に出づ、然れども此には其雑猥の物を云ふ。
- ↑ 資は材なり。器の用ふる所及び盛る所の者。亦、上文の指す所と同じからず。
- ↑ 賤者を云ふ。
- ↑ 君たる者の關係すべきことに非ざる也。
- ↑ 國内を巡行して彊界を正しくせんとす。隱公、遁辭を設くる也。
- ↑ 曲沃は晉の別封。莊伯は成師の子
- ↑ 晉の舊都。
- ↑ 王は周王。
- ↑ 二氏共に周の世族大夫。
- ↑ 邑外を郊と謂ひ、郊を牧と謂ひ、牧外を野と謂ふ。牧は地名に非ず、郊外なり
- ↑ 曼伯と子元。
- ↑ 鄭の邑。
- ↑ 周の桓王。
- ↑ 郕は國の名。
- ↑ 萬は文舞武舞の總名なり。
- ↑ 羽を取る人數。
- ↑ 八は八佾にて、六十四人。佾は行列にて、行と列との人員同じ。
- ↑ 六は六六三十六人。
- ↑ 四は四四十六人。
- ↑ 二は二二四。士、功有れば、樂を用ふるを賜ふ。
- ↑ 金石糸竹匏土草木の樂器。
- ↑ 八方の風。
- ↑ 憾を釋くは報復する也。
- ↑ 郛は城外の郭。
- ↑ 宋公、魯公に救を求む。
- ↑ 寡人の敢て關係すべき所に非ず。
- ↑ 同姓の大夫に對しては、年長者には伯父、年少者には叔父と曰ふ。
- ↑ 上文、魚を觀るを諌めて、隱公從はざりし時に、僖伯、心に釋然たらず、病と稱して。從はざりしをいふ。
- ↑ 鄭の邑。