日本女性美史 第八話

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第八話[編集]

奈良・平安女性の地位[編集]

大化改新から鎌倉幕府が開かれるまで、凡そ五百五十年間を中古と呼ぶこととしよう。それは大まかにいつて、奈良朝、平安朝の二つの文化かぐはしき時代をふくんでゐる。
この二つの時代を通じて女性が宗敎、社會、文藝の各部門でいかに多くのことをなしたかを、これからお話するのであるが、先づそれに先立つて、女性が法制上どのやうな地位に置かれてゐたかを見るであらう。
日本の社會の骨組となつてゐた氏族制度は、國初から凡そ七百年間を經る間に、崩壞への一路をたどつてゐた。氏族の財產がだんだん、普遍平等の狀態から、貧富のへだてある狀態に變つて、その間、おのづから不平、不安がかもされてゐたことは、さしも長くつづいた氏族制度が內部から崩壞するにいたつた原因であつた。そこへ、更に、亞細亞大陸における隋の統一、それにつづく唐の制度完備を、實地に見て來た遣隋使、遣唐使の革新的情熱が、政府當局を動かして、日本の政治の仕方、社會の仕組を根本的に改める運動となつたのである。これが大化の改新であり、それにつづく大寶律令の制定によつて、日本は天皇のおさめたまふ統一された、君民一體の國家に立ちかへつたのである。卽ち、氏族制度は廢せられて、土地は國有となり、全人民が國家の公民となり、一ぱんの人民は國家からあづかつた土地を耕して租稅を納め、貴族の家族は官吏として俸錄を受けることとなつた。社會上の身分は、だいたい、良民、賤民との二つにととのへられた。
さて、このやうに、國家の形體がととのふて來ると、人民の生き、且つ增えて行く狀態を法文によつてととのへる必要があつた。戶籍を整理することが必要となつた。
戶籍となると、これは男と女の問題であり、ことに女性が妻として、母として、國家からいかに扱はれるかは、重大な問題であつた。
先づ父母に對する孝養の心がけについて、大寶律令はあらまし次のやうに制定した。
文武官の長上にして父母の地方に住居する者は三年に一回三十日間の休暇を與へて孝養をつくさせる。また職事官(儀式にたづさはる)で父母の喪に逢へば解官する。父母に對する不孝、非禮のものは罰する。
次に結婚については、男子は十五歲、女子は十三歲以上になると結婚することをゆるされた。また、良人は次の理由のどれかによつて妻を去ることが出來た。その形式は、良人がみづから去狀を書いて、近親尊屬の者が連署をする定めであつた。
子無き時。身持あしき時。舅、姑に事へぬ時。口やかましい時。竊盜の惡癖ある時。妬忌の性格ある時。惡疾ある時。
但し、右の七去のどれかの理由があつても、次の場合は妻を離別することをゆるされなかつた。
舅、姑の喪を扶持したる時。めとる時は賤しかつたのがのちに貴い身分となつた時。妻の歸る所のない時。
これらの制定には多分に唐の法制を參考としたが、日本の習俗と考へ合せた點も少なくなかつた。大化改新が唐の法則をとりすぎたのを、大寶律令で多少日本風にあらためた點もある。
唐制によつて法律上、女性を束縛し、または保護したことは右の通りであるが、女性の心に內在する天分と情操とはもとより外からの力でどうすることも出來なかつた。
それは奈良朝における佛敎の興隆につれて、女性の間に熾烈な信仰生活に入るものがあらはれたことに見られる。日本の女性は佛敎によつて、自分で靈の解放をしたのである。但しそれは、ほんとうの信仰に入つてからのちのことであつて、女性の佛敎信仰は女性特有の感激性、純一性からひたぶるに自分一身の心の安らかさを求めて行たのであつた。
次のくだりに說く女性の佛敎讃仰の佳話もこのやうな女性の心境から出た、よい方面のあらはれであるが、佛敎がひろまるにつれて、僧、尼、とも、遁世の生活を求めるか、または妖言をもつて愚民をまどはすか、いづれとも健全な社會生活をみだすやうになつたのである。そこで、大化改新に當つては、僧、尼の信仰生活をも國家の統制下におくこととなり、僧、尼に對しては「僧尼令」によつて、庶民のみだりに出家することを禁じたり「百姓を妖惑」することや「いつはりて聖道を得たり」と稱するものを罪としたり、山林にのがれて俗と交はらざる者は山の中にはいつたきりで、ほかに移り住むことのできないやうにしたりなど、いろいろの方面から僧尼をとりしまつたのである。
この國家の對佛敎政策の下にあつて、尙ほ且つ佛敎は女性のものであつた。學問により佛敎の敎義をきわめることは僧、ことに唐で學んだり、その留學僧について學んだりする僧のみ求められることであつたが、純眞に信仰だけで生きる生活は尼の中にあつた。
しかもその尼にして尙ほ社會的にも働らきかけてゐたのである。

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