新約聖書譬喩略解/第一 播種の譬
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第一 播種 の譬
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註 〈ときあかし〉〕この譬 の意 は神 の恩 と人 の心 とは必 ず相 輔 て行 るものなれば両 のもの偏 廃 すべからざることをいへり種 ありとも播 地 のあらざれば其種 の発生 ことならず地 ありとも種 なければ其 地 に実 を結 ことならず神 は人 に藉 て恩 を顕 したまひ人 は神 に藉 て始 てよく善 をなせり夫 地 は耘 鋤 ざればただ一面 の草叢 となりてよき種 を生育 つるの理 なく人 も生 のままにてはおひおひ罪 多 くなりて遂 に聖徳 をなすの時 なし是 れ性 の自 然 を尚 ばずして神 の恩 をこそ一層 緊要 となすべきなり ○この譬 の言 は解 を須 ずして詳 なり其 指 す所 の意味 も本文 に於 てすでに解説 たまへり
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播者 )とはイエスおよび傳道 の人 を指 し(種 )とは神 の道 を指 す〔路加 八章十一節〕人 の道 は善 なりと雖 もただ外貌 の風俗 をよく見 する而已 にて身内 の霊心 を変 改 ることあたわず唯 神 の道 は其 霊心 を化 するの異能 あり故 に福音 を篤 信 ずるものは其 行 を制 し心 を立 ること他 の教 のよく及 ぶ所 にあらざるなり ○播 処 の地 は一 箇 所 にあらざるはイエスの爾 往 て世 界 に普 く福音 を萬民 に傳 よと曰 たまへることありて世 界 の人々 にいたりては教 を楽 みて受 るものもあり楽 みては受 ざるものもあることを知 りたまひし故 なり しかし教 を受 ると受 ざるとは人々 の心 にありて神 はいづれの地 たりとも其 地 にしたがひて教 を賜 はざることなければ人々 其 教 を聞 ことを得 ざりしと推委 することを得 ざるなり されば凡 そ人 の類 おのおの同 じからざるはこの田 地 の四等 の異 なる有 が如 きなり
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路 の旁 )とは人 の心 頑梗 なることを指 せり自 暴 ものと自 棄 ものと及 び少 しも道 を行 ふ心 なきものとは其善 なりといふことを知 れどもその善 とおのれとは更 に渉 なきものとなせるをいふ(路 )とは田 畑 の間 の阡陌 にて往来 の人 のために踐堅 められ播 ともその種 生 ることあたわず心 の田 地 も阡陌 とおなじことにて私 慾 のために踐堅 められては道 を聞 とも心 に入 ることならず唯 入 ることならざる而已 にあらず兎 角 道 を失 ひ易 きことなれば乍 に魔鬼 のいたりて之 を奪 へること天空 の鳥 きたりてその播 ところの種 を盡 く啄 み食 に異 なることなし魔鬼 の號 は多 ありて馬 太 傳 には魔鬼 を悪 者 と称 へり悪 の魁本 たるに因 て名 づけたるなり路加 傳 には撒但 となせりこれはヒブルの音 にて訳 すれば敵 といふことなり人 の霊魂 の大 なる仇敵 といふ意 なり また空中 の君 とも称 へり さればここに天空 の鳥 を以 て魔鬼 に比 たるなり魔鬼 の人 の心 を奪 ふに何 の術 を以 てするといふに先 日々 の細微 なる事 に因 て人 の心 を紛紜 憧擾 して遺 れやすからしめ群 鳥 のきたりて播 ところのよき種 を啄 が如 きなり この世 の事 はたとへ小 事 なりとも心 を害 ふことの大 なる群 鳥 の微 なりと雖 も粟 を啄 ことの誠 におほきが如 きなり
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磽 地 )は土 の薄処 にして人 の心 浅露 なりて眞 理 をきき直 に會 得 すれどもまた直 に失 易 く小 児 の乍 ち喜 ぶかとすれば又 乍 ち怒 るが如 きに似 たるをいへり種 も土 の薄 き処 にありては発 も速 なれどもまた枯 るも速 なり この速 に枯 るといふにその故 二 ありて一 は土 に膏澤 なく根 入 も深 くなきゆへなり一 には外 より烈 日 に照 さるるに因 て槁 れ易 なり上 に薄 き泥 ありとも下 に石 ある処 なればその堅実 こと阡陌 に較 れば尤 も甚 しき処 なり此 等 の人 は道 を聞 ば喜 ぶこと速 なれどもただ道 を信 ずれば益 あることを知 るのみにて道 を失 はざるやう之 を守 ることの実 に難 きを知 らず天 父 の尊 さかへ天国 の永 さいわひ教會 の互 に愛 する等 のことに於 ては望 こと誠 に殷 なりと雖 も若 し世 の人 の笑罵 仇 の迫害 魔鬼 の網羅 に至 てはこれに用心 せず イエスは十 字架 を負 て我 に従 はざるものは我 の徒 とすること能 わず彼 又 この言 につきて深 く思 はずといひ玉 へり世 の人 おほくは一 たび艱難 にあふこと有 れば之 を忍 ることならずして道 に背 けり(根 )とは信仰 を指 せり人 神 の言 を篤信 じ絶 へず思 念 せば渓 の旁 に植 たる樹 の如 く其 時 節 に至 ば実 を結 び其 葉 もまた永 く零 ざるなり(日 )とは世上 の試練 と迫害 とを指 す草 木 の根 も深 く地 に入 たるは太陽 の猛烈 を畏 れざれば愈 尚 その枝節 を固 ふして風霜 の寒 きに耐 しめり人 も信仰 篤 くして世路 の艱難 を畏 れざれば愈 よ俗情 を遠 けて天 父 に親 しめたまへり使徒 ヤコブの爾 諸 の試誘 に遇 ばこれを皆 楽 みとなすべしといへるは是 等 の事 なり若 心 の内 に信仰 なきは樹 の根 なきが如 く日 の熱 に耐 ること能 ざるは断然 たり凡 そ少年 の人 は毎 にこの弊 を犯 しその道 を信 ずることは仮偽 といふにあらざれども試練 と迫害 との嘗 がたきを一度 父兄 の責 親友 の譏 にあはば多 く半途 におひて廃 めり是 れ人 を畏 るること却 て神 を畏 るるよりも甚 しく性質 の悪習 染 たる汚 よりも甚 だしきことは磽 地 の堅 きは阡陌 の堅 きよりも甚 だしきことを悟 らざるなり すべて道 を聞 て乍 喜 ぶものは多 く実 を結 ぶことあたはず漸 に深 く学 び漸 に篤 く信 ずるものは状成 に至 るべし たとへば枯草 の焚 やすきは火 の光 発見 るかとすれば久 きに耐 へずして燃尽 し煤石 のかたきは驟 に火 の光 は露 れず暫 く時 刻 を移 すが如 きなり
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棘 の中 )とは人 の心 定 めなく神 を敬 ひ世 を恋 ひその心 を各 半 にすることを指 せり棘 の中 の地 は本 よき畑 なり磽 地 の薄田 とはおなしからず農 夫 の怠惰 によりて良 田 も棘 を生 るにいたれども前 にまきたる種 を鋤去 たるにもあらざれば棘 長 てその禾 を遮 り蔽 げるなり故 に禾 は苗 ばかりにて穂 なければ穀 の登 るを望 みがたし此 等 の人 は道 を求 るに意 ありて之 を悦 べども世 の紛華 を看 るときはまた是 をも恋 へり福音 をきくの時 には之 を心 に悦 ばざるにあらねども世 の人 と往 来 するときは情 遷 りてこれがために誘惑 にひかされり(棘 )とは世 情 の誘惑 を指 せり人 この誘惑 を受 るの故 二 あり一 はこの世 の念慮 となせり飢 寒 困窮 または児女 の愛情 親友 の交接 等 の如 く毎 に此 等 のために牽 されて眞 の神 の誡 を犯 し救 主 の恩 をすてり一 は貨財 と宴楽 とす富 貴 を恋 ひ家 屋 を営 み衣 服 を飾 り飲食 に奢 るの類 の如 くまた毎 に此 等 のために天国 の福 を忘 る この両 の事 はみな道 を厭 ひ実 を結 ばざらしめり イエス曰 たまひけるは爾 等 自 慎 めよ恐 らくは飲食 に耽 り世事 に累 され爾 等 の心 鈍 なりてこの日 おもひよらざるとき爾 に臨 まんと〔路加 二十一章三十四節〕ポール又 曰 く富 んことを欲 するものは艱難 と網羅 とまた滅亡 と沈淪 とに溺 す所 の愚 にして害 あるさまざまの慾 に陥 るなりと〔提摩太 前書六章九節〕凡 そ中年 の人 はこれらの弊 によりて其 心 まことの道 に離 れ永 き生 を獲 ざるなり
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沃 土 )とは人 の心 良 に善 して道 を聞 こと明 に之 を守 ることも又 よく固 くして恒 に艱 苦 を忍 びて実 を結 ぶことを指 せり是 等 の人 は聖書 に神 に属 ものと称 へり〔約翰 十八章四十八節〕また眞 理 に属 ものとも称 へり〔約翰 十八章三十八節〕烈 火 を以 て諸物 に近 くるに木 のたぐひに属 するものはよく火 を引 き磁 石 を以 て諸物 に近 くるに鐵 に属 するものは之 を連 ぬ眞 理 を以 て人 に教 るに神 に属 ものはよく其 教 を受 り世 の人々 は分 て二等 となせり一 は自 ら是 とする人 にて己 の善 事 をなせしは他 人 の及 び難 きことと思 ひしばしば之 を述 べ己 の罪悪 をばすこしの過 となして傷 ことなしといへり むかしの法利 賽 および書士 の輩 の如 きものなり一 は罪 を認 るの人 となすその平日 の為 ことを溯 るに衆 人 に比 ぶれば理 に背 こと尤 も多 けれども聖霊 の感化 を受 け一 たび眞 の道 を聞 におよびては過 を悔 ひ善 に遷 らんことをおもへる むかしの税吏 の長 撤該 〈ザアカイ〉の輩 の如 き者 なり所謂 良 に善 心 とは是 らを指 ていへるなり以 上 の四箇 條 は心 の田 に別 ありて穀 の種 には別 なし種 をまく者 は何 れの方向 に播 くともみな其種 の実 を結 ぶことを願 はざるなし しかしいづれの処 も共 に穫収 を期 しがたし ただこの畑 而已 穫収 を望 むべし イエス曰 たまへり召 るる者 おほくして選 るる者 すくなしと この言 まことに差 はざるなり故 に人 よく競 て窄 門 に進 むべし徒 に道 をききて実 を結 ぶことなく傳道者 の心 を苦 むること勿 るべし
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結 ぶ所 の実 )は心 の徳 を指 せり聖書 にただ霊 の結 ぶ所 の果 はすなはち仁愛 喜 楽 和 平 忍耐 慈悲 良善 忠信 温柔 撙節 といへる是 れなり〔加拉太 五章二十二節〕実 を結 ぶものをまた三等 に分 てり或 は三十倍 或 は六十倍 或 は百倍 なり イエスの弟子 の眞 に道 を守 るものまた各 同 じからず智慧 まし熱心 みちて実 を結 ぶこと誠 に繁 きものありまた信仰 弱 して事 をなすこと疎慮 に実 を結 ぶいくばくもなきものあり凡 てイエスの弟子 たらんものは善 果 を多 く結 ぶことを願 ふべし吾 主 曰 たまひけるは すべての果 を結 ぶ枝 はこれを浄 むそは益々 繁 く実 を結 ばしめんためなり又 人 もし我 に居 り我 また彼 に居 らばおほくの果 を結 ぶべしと又 汝 ら多 くの果 を結 ば我 父 之 によりて榮 を受 く されば汝 ら我 弟子 なりと〔約翰 十五章二節五節八節〕しからば吾 儕 己 の善行 あるを自足 りとせず日々 に進 みて止 なかるべし又 既 に弟子 となりたるとて自 ら安 んずべからず あまたの人 に救 を得 せしめ榮 を天 父 に帰 しよく我心 の田 を表 はして沃 土 と称 へらるべきなり