弘道館記

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


 弘道館記
 弘道者何人能弘道也道者何天地之大經而生民不可須臾離者也弘道之館何爲而
 設也恭惟上古
神聖立極垂統天地位焉萬物育焉其所以照臨六合統御㝢内者未嘗不由斯道也
寶祚以之無窮國體以之尊嚴蒼生以之安寧蠻夷戎狄以之率服而
聖子神孫尚不肯自足樂取於人以爲善乃若西土唐虞三代之治敎資以賛
皇猷於是斯道兪大兪明而無復尚焉中世以降異端邪説誣民惑世俗儒曲學舎此從彼
皇化陵夷禍亂相踵大道之不明於世也蓋亦久矣我
 東照宮撥亂反正尊
王攘夷允武允文以開太平之基吾祖 威公實受封於東土夙慕
 日本武尊之爲人尊神道繕武備 義公繼述嘗發感於夷齊更崇儒敎明倫正名以藩
 屏於  國家爾來百數十年世承遺緒沐浴恩澤以至今日則苟爲臣子者豈可弗思
 所以推弘斯道發揚  先德乎此則館之所以爲設也抑夫祀
 建御雷神者何以其亮天功於草昧留威靈於茲土欲原其始報其本使民知斯道之所
 繇來也其營孔子廟者何以唐虞三代之道折衷於此欲欽其德資其敎使人知斯道之
 所以益大且明不偶然也嗚嘑我國中士民夙夜匪解出入斯館奉  神州之道資西
 土之敎忠孝无二文武不岐學問事業不殊其效敬神崇儒無有偏黨集衆思宣群力以
 報  國家無窮之恩則豈徒   祖宗之志弗墜
神皇在天之靈亦將降鑒焉設斯館以統其治敎者誰權中納言從三位源朝臣齊昭也
 天保九年歳次戊戌春三月齊昭撰文并書及篆額
Koudoukanki.jpg

この著作物は1925年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。