小夜のねさめ

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小夜のねさめ

後成恩寺關白兼良公


唐國にはおほく春をあいし。我國の人は昔より秋に心をよするなるべし。されば光源氏も我身にしむる秋の夕風とながめ給へり。萬葉集より代々の歌にも此二のあらそひ未いづれと定がたし。霞める空に花鳥のいまめかしう色なることは。わかき時のほこらしき心なれば。秋のうれへのみぞ老の夕はげに忍がたく侍る。長月廿よ日日あまりイも過ぬれば。うら枯わたる荻の音も空飛鴈の羽風もとりあつめて身にしむ心地ぞするや。さらぬだにあつしうおぼえ侍る身に齡の數あらはれて。夜寒のねざめもことはり過。まろねの手枕も所せきまでぬれまさる。曉は見ぬ世の事もさきまへの哀思ひのこすことぞなきやなきかなイ。すべて人の身は。朝がほの花の露きえをあらそひ。ひをむしの朝の命。夕をまたぬものぞかし。されど心をやしなひ身をたもちて。百のよはひをのぶるたぐひ昔今おほくぞ侍るめる。誠に二なき寶。命にしくはなし。いきとしいけるものいかでか身をおさめざらん。されど人ごとのならひにて。色にそみこえにふけり。あぢはひにたのしむゆへに。多く心をもくだき身をもそこなひ侍る也。唐國にも文をまなび詩をつくり酒を愛しなどさまの人のくせ侍るとかや。樂天といひし人は朝夕ふみをつくるくせあるゆへに。心をくだきてわかくより鬢のかみしろしと詩にもつくられ侍りき。此おきなもそのかみよりなにとなくものをこのむくせのすべてなをり侍らぬは。われながらもどかしく覺ゆる也。代々のふるごと。やまともろこしの筆のすさび。源氏狹衣やうのものまでももてあそび侍ること。老のやまひともなり侍るべき也。されど空なる星をたらひの水にうつし。廣きわたつみを蛤の貝にてすくひ侍るほどの事だにはかばかしからねば。心の水淺きに任せてふかき旨をくみしることもなし。朝夕人のもてあそびとなれる三代集の中にだにいまだあきらめざる事は多く侍り。まして日本紀万葉集などは。いまだかなもなかりし世のえびす歌。國々の境談とて。いやしき民の言葉をもひろひあつめたる物なれば。よみとく事だにもかたかりしを。顯昭といひし人。日本紀の神代よりの歌の心をかきあらはし。仙覺といひしもの萬葉集のむねをえて三百餘首。順などだにもよみとかざる點をくはへ侍り。光源氏をば光行といひし田舍人。水原抄五十餘卷をつくりて昔よりの難義ども多くあかせり。これらの中にもひがごとまじれる事はあれど。數寄の心ざしは此世ひとつなとの事にあらず。佛神の御たすけによりて一道をさとりえたるとぞおぼえ侍る。是はいやしき輩なれども名をあらはし。かしこき御門の御前にめし出され。身にあまる御いつくしみをもかうぶり侍し也。後鳥羽八十二代御嵯峨八十七代院などの御代は。殊にはへばへしかりしかば。かやうのふるき道をもおこさせ給ひけるにこそ。此比承侍れば。歌よむ人の中にも萬葉は見ぬ事などと申すかたも侍るとかや。いとおぼつかなき事也。俊成定家爲家卿などもことさら萬葉をばもてあつかはれけるとぞ。さののわたりの雪の夕ぐれ。花のさかりをおもかげにしてなどいふ名歌も。此人々は万葉よりこそよみ出されたれ。後鳥羽院も歌の心ひろくしること此集に過ずとこそ仰られけれ。又源氏の物語などをも此ごろはいたくよイみあかす人々イもなきにや。紫式部が源氏。白氏が文集。身にそへぬ事はなしとこそ後京極殿良經も仰られけれ。俊成卿も源氏見ぬ歌よみは口おしとぞ判の詞にもかゝれて侍る。又狹衣の歌を源氏にまさりたりといふこと心うし。歌も詞もふしぎのもの也。及ぶもの有まじきとぞ順德院の御記にもあそばし侍るなる。時うつり風變ずることはりはさることなれども。歌よみの翫ばぬことになり侍るはいかなる事にかはいとイおぼつかなし。又連歌といふことは歌よむ人のゐむことになれり。是もいかゞとぞ覺侍る。爲氏卿は日本のものゝ上手を唐國へつかはされば。我身は連歌の名イにてや人のくにまでもわたるべきなど狂言申されけるとかや。後鳥羽院の御代には連歌の上手をば柿本の衆と名付られ。わろきをば栗本の衆と名付られ侍りき。柿本の長者とてイる。ことなる嚴重の事ぞ侍イし。同じき御時とねゐとイの。百のかけものゝおりも。定家卿は四十とられたるとぞ日記にも侍る。爲家卿も齡たけては歌案じつゞくるはむづかしきとて。朝夕連歌をのみせられけるとぞ承し。後嵯峨院の御代には弁內侍。少將內侍などいひし女房連歌しにて。いとはへしき事ども侍りき。この比地下にのみ翫ことになれる。いと無念なるわざ也。連歌花の本イことば。歌たがひたらば脫文たゞ歌のやうにおもしろき句共もせられ侍れば。子細有まじきに。歌の毒とて一向にすてられ侍るは。昔にはたがひたる事にこそ。詩作る人の聯句嫌ことはいまだなし。何とて歌よみの連歌をゐみ給ふやらむ。初心のおりこそ猶用心も侍るべけれ。口も心もさだまりたらん人の連歌にとられ給ふ事やはあるべき。さて又歌の判の詞といふこともすべて道の人のかゝぬ事になれり。是もいといぶかしくおぼえ侍りけりイ。後峻蛾のゐんの御時などは。當座の歌イ无にも判の詞かゝれぬはなかりき。爲家卿光俊朝臣などこそたびごとにふでをとりて詞の花をそへられしか。此ごろ承れば。道のあやまちあらじとてかやうにとゞめられ侍るにこイぞ。是はことはりなるかたもあるにや。唐國の文をうかゞはざる人は。すべて判の詞をば思ふまゝにはかきのべられがたき事イにや。されば基俊などは詩作りにて有しかば申にをよばず。俊成定家爲家卿までは。ひろく學問をせられたる人にてあれば。歌の判も唐國の詞をかざり。ゆうにとりなされてこそかゝれしか。今は我道の事をこそわづかにたしなみ給ふらめ。あらぬ道まではうかゞひ侍る事のなければ。判の詞かゝれざらんもいはれあることなり。せむなきことなれども。あまりおぼつかなく覺ゆるにつきて申出せる也。先にも申つるやうに。ものこのむくせの老の僻みに猶まさり侍る事こそ。かへす我身ながらもどかしく覺ゆれ。されどむかしよりこのみたき事のイ一あるをいまだこのみいだし侍らぬが。この世の恨とも。こんイ世の障ともおぼゆる也。馬牛萬の鳥獸はがいぶん涯分求出す事もありき。茶香の具足はやるころは。伊勢物ふぜい尋出して。茶のひくつはきあつめて。からみたてたるも。心ひとつは物ごのみの數とも思ひなし侍るべし。井の中の蛙の水をたのしみて宮殿樓閣とおもひたるもことはり也。大鵬といふ鳥の一羽に千里をかけるも。せきあんとてゆめばかりのイる鳥の一二寸を飛も。たゞそのたのしびはおなじことゝかや申せば。心ひとつをなぐさめむ事は。まことに不足なくや。ただすべて好むになき物は人にて侍るなり。わづかなる家のうちのことを申あはせんと思ふにだにもその器なし。ましてことひろく。人をも世をもたすけ侍る程の人をこのみいだして。御門にもまいらせたく覺ゆることのいまだかなはぬに。其ほかの物ごのみはものうく侍る也。中頃も匡房邦綱などいひし人々は。みな攝籙大臣の家のうちにはいやしき人なりしかども。後は天下の重寶となりき。彼邦綱大納言は武家ざまの事をもひとへに我心に任てはからひき。又廣元などいひし人は賤く數ならぬものにて有しかども。鎌倉の右大將いとをしくせられて。日本國のことをもはからひ申て。今の世に諸國に地頭などをかれたるも。此人の申されたるとぞ承侍し。かやうの人を尋出してこそ物ごのみの灌頂にてもあるべけれ。さりながら人をしる事は。から物。茶香の具足などには似べからず。何としてよしあしをもやがてわきまへしるべきと申人のありし。それはまことに大事にて侍るとかイや。さてこそ昔より人をしらせ給ふ御門をば聖主ともかしこき御代とも申。人をしらせ給はぬ御時は亂がちなることのみおほく侍也。大かた臣をみること君にしかず子を見ること父にしかずと申侍れば。なじか上として下を御らむぜぬ事は侍るべき。たゞわろしとはおぼしめせども。しりぞけらるゝ事もなく。よしとは思食ども賞せらるゝ事のなきにてこそ侍らめ。又人をこのみかしこきをもとめ給はゞ。やがて人の善惡はあらはるべきにや。唐物鳥獸などもてあそぶ人も。その事になれてこそものゝ善惡は覺ゆべけれ。佛と佛との境界。聖と聖との一たび目をあはせ。盖をかたぶけて。胸のうちのしらるゝことはまことにあるまじき事也。たゞよのつねの人のよしあしは。世にかくれなきものにや。二の目の見る所。十のゆびのさす所。なじかかくれはて侍るべき。孟子といふ人の申たるは。左右の人のよきと申とも又あしきと申とももちひべからず。たゞ天下の人のおなじ口にいふをもちひべしとかや侍るなる。げにも物のよしあしはさすが名譽による事也。世の末にはあしき事もよくなり。よきこともあしぐなることもあれども。物の上手人の稽古などはかくれぬ物ぞかし。唐國の文にも我國の日記にも讒言といふことをあさましき事に申侍る也。白を黑く黑を白く申なし侍る。蠅といふ虫の塗物などにはしろくはこをしかけ。白きものにはくろくはこをしかけ侍るにたとへたるにや。唐國にもさしもめでたかりし成王と申御門だにも。周公旦とていみじき聖人のめでたく國をおさめ侍しを。あしき弟の二人ありて讒奏せられしに。御門まことに思食てしりぞけられき。其時雨風あらく。世中さはがしくて。草木もかれしぼみ。秋の田の實も損ぜしうへ。周公旦成王の父の武王の命にかはらんといふ願書を物の中より求出されて。是ほどに忠ある人なりけりとて。やがてめしかへされて。讒奏したる弟二人をば誅せられてこそ世はめでたく侍しか。源氏の大將を繼母のあし后あし大臣などのそねみて須磨へながされ給ひし時。雨風やまず。世中さはがしくて。めしかへされし事は。此周公旦の例を露もたがはずかきたるこそいみじき女のさいかくと覺侍れ。又めでたきためしに申延喜醍醐の帝も時平の大臣の讒奏によりて北野の御事も出來たりしこと也。鎌倉の右大將の時景時が讒言によりてあまたの人の損じて侍るとかや。さてこそ後には景時もあさましき死をして侍りけめ。人のあしきことは何よりも讒臣にて侍るとかや。人ごとのならひにて。したしくうときによりてそのけぢめあることは常のことなれど。たゞ心のひくにまかせてさはとそらごとなど申つげ侍ることはあさましき也。まめやかの道理などをひが事に申なさんは。たゞ其ことばかりにてもあるまじき也。やがて國の政のたがひて。佛神の御心にもかなふまじければ。誠に心をかれ侍るべきにこそ。かやうのことやがてさイとなけれども。心得ぬればすべて其人にはばかされ侍らぬ事也。狐狸などいふものも。それと知ぬればあやまちのなきことにて侍るとぞ承りし。さて又人の世のならひ。名利思はぬ事はなし。寶物もほしく官位もねがはしく侍けイれば。それにつけてをのづから人をもついしやうなどすることは常の習也。さればとて。まさしきひがごとを道理にいひたてゝ。そのかはりに多くものをとらむは。たゞひたすらに大罪にて侍べし。盜人などと申ものは我身一にてこそあれ。よそをばそこなふことはあるべからず。かやうならん輩は忽に國をも人をも損じ侍べければ。よくその器を定らるべきにや。世の末にはまことに欲もなく名聞のなきことは有まじけれども。さすがはぢしらひたらん人は。さほどの道なき事は有まじければ。淺深厚薄につきてさたも有べきとぞ覺侍る。さて又人の恩をしらず。不義に過分なることの世の末には多く侍るにや。臣として君をかたぶけなどし子として父をあやまつ程の事はよのつねになきことなれば申に及ばず。上をかろくしをのれをさきとするたぐひのみ多く侍るにや。大かた恩を思はざるは烏獸にをとり侍るとぞ申。心なきたぐひ猶恩を報ずることおほし。人としていかでか思ひしらざること有べき。昔韓信といひし人わかくてはあさましくまづしかりしかば。釣などをもしけるにや。浦人の家へ行たりけるに。うへにのぞみ給へるにやとて。さまもてなしたりけるに。此韓信後に御門にめし出されて。國の管領などになりて。此浦人の家に行て。色々の寶物をもたせて。昔の心ざしを報ぜむと申けるに。浦人申けるは。たゞまづしきをあはれみ奉りしにこそあれ。かならず恩を報ぜられ侍るべしとはさら思はずとて。寶ものをもみなかへしてとらざりけり。韓信も一度のもてなしをむくひけるもやさしく。又浦人の志も誠に有がたきためしにぞ申つたへたる。一飯もかならずむくふといふことはこれより申侍るとこそ。此比のやうは。我身のかなしき折は手ずりあしずりして。そのことやみぬれば。やがてあくる日よりさることのありしとだに思ひ侍らぬこといと心うきわざ也。もとより心もあり。世になれたる人などはさることあるまじけれど。人にもまじらぬやうなるものの俄にいみじくなりぬれば。やがて心をごりせらるゝ事にぞ侍にや。されば虞舜は始は民にて有しが。御門の位につきたるイ後も。たゞもとの民の心を失はで。世をもめぐみ人をもおそれ。やすけれどもあやうきを忘れぬとこそ申侍れ。當時の人はやがてをごり心地侍るこそかへすもせむなくおぼゆれ。大かた唐國にも大臣公卿以下さだまりてその位にあたりたる祿のあれば。さのみ法をこえて朝恩などたぶことはなし。すゑおもきものは必おるとて。根よりも枝葉のかちたることは常にはわろきことに申侍れば。かまへて上に下のまさる事侍るまじき事にや。いくらも申たきことは侍れども。まづさしあたることはこれらにて侍る也。又もろの道をよくあきらめ給べき也。男はいかほども稽古才學あらん人。僧はいかほども戒行淸淨にて驗有てたうとからん人。其外は詩歌管弦にいたるまでも。一道の堪能ならん人をばまことにめぐみ給ふべきにや。さてこそ人も稽古をし。みなもろの道もおこる事にて侍れ。さても人のよしあしはいかなるをさだめ申べきにか。をろかなる心にはわきまへがたく侍れど。唐の文五經三史などをはじめとして。聖人だちのかきをかれたる物には皆人のよしあしを手をとりてをしへ侍る也。今さらことあたらしき事なれども。かの文などをみざらん人のためはかなき女房おさなき人などのために申侍る也。まづ人の本とは聖人を申也。是は獸にたとへば麒麟。鳥にたとへば鳳凰のごとし。すべて世に出ることのかたく侍るごとくに。今はさる人も有まじければ。中々こまやかに申てもせむなし。堯舜夏禹殷湯文王武王周公旦孔子などよりほかは。まさしき聖人と世にもゆるし人も用たる事なければ。をろかなる言葉にてとかく申べきにあらず。我國にも聖德太子大師だちなどをやさも申べからん。此聖人と申程の人は。萬かけたることなくて天地と心ざしをひとしくし。日月に德をならべたるほどの事なれば。とかく申に及ばず。只よのつねは。まづ賢人君子の分際をこそよき人とは申侍らめ。それだに今は有まじきこそ無念に覺侍れ。賢人君子などの位になる程の人は更に我身といふ物を思ふ事はあるべからず。ひとへに國のため民のために心をくだき。をのれを忘れ人を助る也。またしたしきによりてあしき事をはゞかることもなく。うときによりてよきことをかくすことも有まじき也。たゞ道理といふことひとつを。いさゝかの偏頗もなくをこなひて。世をしづめ人をめぐむより外のことは更にあるべからず。君をあがめ。親をうやまひ。兄弟のみちをたがへず。朋友の禮をみだらず。よきをえらび。あしきをすて。忠あるものを賞し。科有ものを罪するも。みなその分際にたがふまじき也。名利をこのまず。財寶をおもくせず。もとより國のたからは賢人君子也。金玉の類を翫事なし。かやうならん人は賢者とも君子ともいはれ侍るべきにや。これほどの事も今の世には返々有まじければ。たゞよのつねの人のちと佛神をも心がけ。國をも民をも助け。さのみ我身をさきとせず。賄賂獻芹にふけらず。萬のことに道理といふことをさきとして私なからんぞ。今の世には返々よき人とも申べき。大方三皇の代に至極わろき人と申は。中古はよき人になり。中古にわろき人といはれたるは。末の世には又よき人にてあるべしと唐の文にもみえたり。かやうにのみなりゆかば。此比の人はいかにかなりゆかむとおぼえ侍れども。政よくて國のおこる時は又すべて昔にもたちをよぶことの有べき也。五百年に一たび聖人は出侍るとかや申せば。あはれ其時にあひ侍らばやとぞ覺る。又才學いみじくて。から大和のことを知たる人も。それによりて心のよき事は有まじき也。たとひなにもしらぬ人にてありとも。をのづから道理をしりたらんぞ學文したる人とは申侍べき。いかに才學ありとも道理にそむきたらん人をば學文せぬ人と申べしとこそ孔子も仰られけれ。北條時政より九代たもちたることもすべて才學のすぐれたることはなかりしにや。わづかに貞觀政要。御式條などいふ物ばかりを覺て。私なくをこなひ侍しほどは。すべて國もしづかに世もめでたぐぞ侍し。わづかなる家のうちをおさめ侍らん事だにもたやすからず。まして日本國の事とりイさたし侍らん程のことはまことに人のきりやうをもよく撰ばるべきにてこそ。それもわたくしといふことだにもさはとなくば。わづらひあるまじきとぞ古き人はいひかきかれたイる。人のうちには諫臣とて常にわろき事を申侍る人の有が何よりもめでたき事にて侍る也。藥はにがけれどもつねには身をたすく。毒はあまけれども後には病をなす。昔のかしこき帝はよき諫言を聞てはその人を拜し給て賞翫せられし也。さりながら此ごろの人はいかによきことなれども我心にたがふ事をばわろしと申。わろきことなれども我心にかなふ事をばよしと申侍るなりべしイ。かやうならんいさめごとをイは。たゞ我心にまかせていふことなれば。すべて國のためもそのしるしあるべからず。誠に私なからん人の君の心ざしもふかく。二心なく申侍らんことのはや。げに世のたすけとなり侍らん。先人をよくこゝろみ給ふべき也。其人の心のうちをもふるまひをも御らむじすまして。今は心やすきほどに思召て後こそ政をもはからはせ。世をもあづけ給べきことなれ。されば堯と申御門の舜をめしいだしては。まづ萬の事をせさせて至極心見られて後天下の政をもあづけ申されし也。聖人猶かくのごとし。ましてよのつねの人のやがてよしあしをごらんじさだむることは有まじき也。うへは穩便にて下の利根なる人の過分になからんぞ世のためも人のためもよかるべきと覺侍るあまりに。いたづらごと申侍るついでに。ちと女房の有さまをも申侍るべし。大かた女といふものは。わかき時はにしたがひ。ひととなりてはおとこにしたがひ。老ては子にしたがふものなれば。我身をたてぬ事とぞ申める。いかほどもやはらかになよびたるがよく侍ることにや。大かた此日本國は和國とて女のおさめ侍るべき國なり。天照太神も女躰にてわたらせ給ふうへ。神功皇后と申侍りしは八幡大菩薩の御母にてわたらせ給しぞかし。新羅百濟をせめなびかして。此あしはらの國をおこし給ひき。ちかくは鎌倉の右大將の北のかた尼二位政子殿は二代賴家實朝將軍の母にて。大將ののちはひとへに鎌倉を管領せられ。いみじく成敗ありしかば。承久順德のみだれの時も。此二位殿の仰とてこそ義時ももろの大名には下知せられしか。されば女とてあなづり申べきにあらず。むかしは女躰のみかどのかしこくわたらせ給ふのみぞおほく侍しか。今もまことにかしこからん人のあらんは。世をもまつりごち給ふべき事也。又男女の中。いろなる事どもは光源氏にこまかに申侍れば今更申にをよばぬ事也イ。雨夜のしなさだめにことつき侍るべし。それも心おさまりたらん人をこそいへとうじともさだめて。まことのよるべともし侍るべけれとくれかゝれたれば。たゞ男も女もうかしからず。正直に道理を知たらん人イよりほかは。何事もいたづらごとにて侍るにや。しやうぞくする人の一さいのえもんをばわきへかきいるゝとかや申樣に。萬のことは道理といふ二の文字にこもりて侍るとぞ慈鎭和尙と申人のかきをかれ侍る。いと有難き事也。今申たる事はみなかしこき文どものむねをかなにかきなし侍れば。聊も私の言葉はなき也。又權道とて世にひがごとなる樣なることの終に道理になることのあるにや。弓矢とる人は約といふ事のかたく侍るべきとぞ承りし。承久の亂の時院宣の御うけ文にも。武士は約を變ぜぬよしをこそ義時朝臣もかゝれたりし。唐國には盟と申て。牛の血をのみて起請などのやうに契約せし也。今も一揆など申はかやうなること侍にや。大かた君子は比せずとて。よき人は黨をたつること有まじき也。唐國にも國のみだれたりし時より牛の血などをものみけるにや。三皇五帝などの世にはさることもあらじとぞ覺侍る。たゞうへ代イをのみあふぎて。私の一揆などはなきこそよき事なれ。小人は比すと申て。わろきもののあつまりてたうをたてゝ。よきことをも申やぶりなどすることは返々あしきことなり。盟と申侍るもたゞ合戰の時のわざにてあれば。今もさやうの時は一きもさもありぬべきこと也。さしたる事もなき時。私の契約は詮なき事にぞおぼゆる。抑近き比。波風さはがしかりしあきつすいまのうち。今は人の國までおさまりて。ゐながらとをきをしたがへ給ふ時になりぬ。彼漢高三尺のつるぎも是にはしかじとぞおぼゆる。すゑの世には今の時をこそ又めでたきためしにもひき侍るべければ。いよかしこき御政もあれかしと。今老のあらましにはし侍る。あまのさえづりとかやのやうにはじめもはてもなき聞えぬイことを申侍る也。小夜のねざめに思のこさぬふしをあかつきの燈のかすかなる閨におきゐてかきつけ侍るなり。


此一帖。文明の比。妙禪院へ後成恩寺かきてまいらせられ侍る本のまゝうつして。一臺へまいらするものなり。

于時大永六年八月廿二日 兎園叟邦高親王

右小夜のねさめ以橫田茂語藏本書寫以承應二年印本及扶桑拾葉集挍合畢按妙禪院者從一位富子常德院殿母儀慈照院殿御臺日野贈內大臣重政公息女也系圖禪作善

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