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遺書的な詩 →
大塚徹・あき詩集 蟬穴作者:大塚徹昭和6年1931年
蟬穴にはふかぶかと季節がねむっている。 滴る冷水をのみ、草根を齧(かじ)って 蟬は今日もはてしない旅路に疲れた。 晴風。 蟬穴にころげこんだタンポポの綿毛を觸手に 地上に躍動する春の気流をかんじた。 たそがれ。 蟬は杳々と明るい蒼穹を胸裡(むね)に描いた。 メリンス友禪の発散する体臭を嗅いで 蟬は白い素足のお嬢さんに童貞を擲(なげう)った。 あゝ かくて春もすぎ眞夏もくれた。 烈日に幾多の蟬が生まれ ここにルイルイと蟬殻を葬って やがて墓場の冬が恐(こわ)げに 寒げに 黒衣をまとって蟬穴を覗(のぞ)くのだ
〈昭和六年、愛誦〉