大塚徹・あき詩集/光明の掌

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光明の掌[編集]

波止場のある 明るい白亜の都会にも
裏にまわれば暗い不見目みじめな湿地がある。
或る日私は、老い衰えた淫売婦の餓死を見た。

私は、そっと瞳をそらして、
私は私の掌を眺めた。そして傍の妻の掌を眺
 めた。
私は群集の掌を そしてまたしみじみと淫売
婦の掌を眺めた。

夜ごと夜ごと汚濁の街に、
その掌は虚しく咲いた闇の花だった。
掌は 汚し辱められて獨り萎んでいった花だ
 った。

だからその掌は まるで孤独魔のように、
いのちのかぎり わが身独りを愛撫いたわってきた
 のであろう。
ああ、生き貫くその掌は、もう浅間しい人間
 の掌ではなかった。

枯木のように皺だち蒼褪めたその掌から、
いまにも尊い光明がさしてくるようだった。
群集は皆聖獣のようにうなだれていた。

私と妻とは、黙々と肩をならべて
はてしらぬ敬虔な悲哀かなしみに沈みながら
夕昏の淋しい波止場の方へ靜かに歩いていっ
 た。

〈昭和九年、神戸詩人〉