城西南地区開発趣意書

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城西南地区開発趣意書(じょうせいなんちくかいはつしゅいしょ)

  • 著者:五島慶太
  • 底本:東京急行電鉄株式会社「多摩田園都市 開発35年の記録」P458~461

城西南地区開発趣意書

本日は御多忙の処遠路態々御出でを願いまして誠に有難う御座居ました。

本日お出でを願いました目的は此の列席者名簿の表紙に書いてあります通り東京都の西南地区を開発したいと存じ、其れに就いて地元の各位にお集りを願って第一回協議会を開いた次第であります。本日御案内申し上げました各位はお手許の印刷物にお名前を挙げて置きました通り行政官庁別にお役所の方々、又地区別、町村別にその代表者の方々であります。

会社からは東京急行電鉄として取締役会長五島、社長鈴木は出席しております。専務の大川、木下、吉次は欠席いたしておりまして出席しておるのは柏村だけであります。そのほかに関係者として工務部長の馬淵、事業部長松田、総務部長山本、経理部長赤川、田園都市課長の山森、城西南地区開発班付、武藤竜一が出席しております。

いま試みに東京駅を中心として約四十粁位の半径を以って円を画いて見ますと、東の方は千葉、土浦、大宮、西北の方は川越、八王子、相模原、西南の方は藤沢、横須賀等がこの円に含まれます。此の円内で一番開発されておらないで、山林、原野、そのままの所は諸君のおいでになります処の二子玉川より厚木大山街道に沿って鶴間、座間、海老名地方に至る地域であります。座間と大和には、諸君御承知のように、既に駐留軍の軍事施設がぞくぞく出来て殆んど軍都ともいうべき観を呈しております。近く東京も及ばない様な繁華街に相成ると考えております。然るに現在此の軍都と東京都を連絡する道は唯一つ厚木大山街道のみでありまして、大多数の人は座間、大和より保土ヶ谷を経て横浜に出て、横浜より東京に来往している様な始末であります。この横浜経由の連絡は全く三角形の二辺を通っている道路であり、非常な迂廻路でありますから是非とも座間、大和地方と東京とを直結して三角形の一辺を通る交通と致したいと思います。

又東京都は最近年々五十万人位の人口が増加しておりまして今年中位には七百五十万人に達しようとしております。然るに東京都の公共施設は水道、瓦斯、下水、電車、バス等より学校、食糧市場に至るまで大体七百五十万人を標準として作られておりますから、人口七百五十万人以上になれば、下水もふんづまり、水ものめず、瓦斯も使う事が出来ず、子弟を学校に入れようとしても学校もなく、電車に乗ろうとしても乗る事が出来ない様な状態に近々なると思います。食糧市場も全く充満致し、物を置く事が出来ない様な状態になると思います。

ロンドン及びニューヨーク等に於きましても嘗つてこの様な人口膨脹に悩んだ事がありました。そこでどんな都市政策を採ったかと申しますと、都市とは全く別個に土地開発会社を作りまして、この会社が都市から二、三十哩はなれた郊外地にいろいろな施設を設けて第二の都市を作り、そこへ過剰人口を移植したのであります。ロンドンの例が一番明瞭であります。ロンドンに於てこの様な都市政策に基づき人口緩和のため一番先に出来た会社はレッチワースと申します。この会社はロンドンの郊外二十哩の地点に土地四、五十万坪を買収してこれを分譲地とし、瓦斯、水道、電気等凡ゆる文化施設を施し、又工場等をも誘致して文化生活の出来る様にしたのであります。このレッチワースは現在既に三十万の人口をロンドン郊外に於て擁し、実に模範的な田園都市となっております。

之に次いでもう一つ出来たのがウェルィンという田園都市であります。

ウェルィンの方は今十万ばかりの人口を収容しております。而してロンドンとレッチワース及びロンドンとウェルィンとの間は早い電車及び自動車道路に依って連絡しておりまして、現在の東京都の如く自然に膨脹するにまかせてある様な無計画の事は致しておりません。

只今申した様に東京都の様な事をやっておったならば、電車にも乗れず、水ものめず、下水もつまる、物も食えない、学校に子供をやろうとしても学校に行く施設もない様に必ずなって来るに決まっておるのであります。

嘗つてロンドンの如きは市の膨脹範囲を定めて其の境界線に杭を打ち、これ以外に家を作る事を禁ずるという事までやりましたが、これでもこの禁をおかして、だんだんその外へ家を作り膨脹して行く様になりましたため、いま申し上げた様な政策を採ってロンドンから約二、三十哩離れた処に田園都市を作りまして在来の都市と新しい会社で作った田園都市との間を高速交通機関に依って連絡して都市の無計画な膨脹を防いだのであります。

それからニューヨーク及びワシントンに於ても幾つか田園都市会社があります。アメリカに於ては田園都市を普通衛星都市と申します。これらの田園都市会社が太陽系の星が太陽の周りを廻る衛星の様な形でニューヨーク、ワシントンの周囲に都市を作りまして、そして住宅問題及び都市の交通、衛生問題を解決しているのであります。

そこで此の都市の人口問題を解決する道はやはり田園都市会社の経営によって都市を作るという以外には私はないと思っております。

東京都は最早これ以上人口が膨脹すれば、東京都自体が全部行きづまってしまう状態であります。そこで此の第二の東京都を作る場所として何処が一番良いかという事を私は色々と考えて見ましたが、やはり厚木大山街道に沿っているあの港北区の一面の山林、原野以外にはその地勢、気候、距離等に於て適当な土地が無いと断定致しました。

そこで私はこの厚木大山街道に沿って約四、五百万坪の土地を買収致しまして、第二の東京都を作りたいと思うのであります。厚木大山街道に沿って四、五百万坪の区劃整理をして、これに東京都の人口を移植するのであります。而してこれをやるのはやはり東京急行電鉄が一番適当であると考えますが、独立した別個の会社としても良いと考えます。何れにしても、一つの会社が其の四、五百万坪の土地を買収してこれに道路、下水、水道、瓦斯、電気を引込み且つ其の他の公共施設を設けて完全なる住宅地として売出す方法以外には東京都の人口を此処に呼ぶ方法がないと思うのであります。現在の儘にして置いたならば、たとえ土地を売りたい或いは買いたいと思って見ても、何の設備もある訳ではなし、又東京都の人は誰に話して土地を買う事が出来るか見当もつきません。或いは現在の土地所有者諸君がたとえ組合を作られて見ても道路、下水、水道、瓦斯、電気等の施設を此の膨大なる地域に其の組合を以って施工する事の出来ない事は諸君既に御存知の事と思います。結局大資本を持った会社の力でなければ、此の広大なる地域にこれらの公共施設を施工する事は出来ないのであります。普通此の地方で土地を求めようとするならば、溝ノ口よりバスに乗って荏田なり長津田地方に出かけて往復するのに先ず一日かかります。誰に土地を買う事を相談すればよいか解らぬので、東京都の人が土地を求めてあの地方に移ろうとしても其の手段、方法が無いのであります。又絶対出来ないのであります。一つの会社が区劃整理をして道路、下水、水道、瓦斯、電気を引込んで丁度デパートで正札付で商品を売出す様に東京都の人々に宣伝、広告して売出したならば、私は五百万坪位の土地は区劃整理さえ出来て人間が住める様になって居れば、一年か二年で売りつくす事が出来ると思います。

此の地方は先程も申した通り厚木大山街道一本丈けを東京に通ずる道として持っているのみであります。此の地方を開発するには玉川から荏田、鶴間を経て座間、厚木に至る間に電車か又は高速度道路を作ることが必要と思います。今電車を作る時は少くとも一粁一億円以上要しますので、差し当り私は高速度道路を作り凡ての道路を立体交叉を以って往路と復路を別にするようにしたならば電車以上の収容力もあり、輸送力も出て来ると思いますので、一先ずかくの如き所謂弾丸道路とでも申しましょうか、高速道路を作って見たらどうかと考えております。若し高速道路を作って見て、バスなり自動車を運転して見て、どうしても運搬が出来なければ電車に替えることは何でもありません。

そうしますれば東京から座間まで如何に長くても二十分で行けることになると思います。私はよくノウストップで相模ゴルフクラブに往復いたします。私の家は二子玉川のすぐこっちでありますが、私の家から相模ゴルフまで現在ノウストップで四十五分かかります。私はこの道路を造ったならば十五分で行けると思います。ストップ致しましても二十分か二十五分で行く事が出来ると思うのであります。

この厚木大山街道に沿って今日私共の方で買収しようとしている土地四、五百万坪は大部分横浜市港北区の土地であります。これに川崎市の一部が加わっておるのであります。神奈川県又は横浜市の繁栄は大体東京都に接近した地方から拡がって奥の方へ発展して参るのであります。従って先ず東京都に接した川崎市とか新丸子とか溝ノ口或いは登戸という地方が発展し、段々と奥地に拡がって行くのが普通でありますが、こういう方法で参りますと発展が非常に遅れるのであります。そこでこの厚木大山街道に沿って少くとも十ヶ所位田園都市的の都会を作って同時にこの地方全部の発展を盛り上らせたいと思っております。

これはどういう事かと申しますと、諸君御存知の通り玉川電車は開業以来四十五年経ております。東京急行は開業以来三十年であります。然るにこの東京急行は両端及び中間に田園都市を作りましたから人口はたちまち一杯になりましたが、玉川電車は沿線に田園都市を作らなかった為めに桜新町という田園都市を除いては電車の沿線に家屋もなく、最近まで原野そのままでありました。其の後関東大震災や今回の戦災で都の中心人口が段々外へ出て参りましたから、最近は電車に沿って一列位家が出来ましたが、電車線からはなれた奥の方は少しも開けて参りません。即ち玉電に沿っているところの人口は一列で極めて薄いのであります。丁度火縄に一方から火をつけておけば十時間もかかるものを両端に火をつけ又真中に火をつければ直ちにその火縄が燃えてしまうのと同じ事でありまして、どうしても両端及び中間に四、五ヶ所位の田園都市を作らなければ、その地方の開発というものは早急に参りません。私はなお若しこれらの土地が至急纏れば、或る一ヶ所には東映株式会社の大泉撮影所を移設したいと思います。私共が現在経営しておりまする東映株式会社は大泉という所に撮影所を持っておりますが、これが私共の電車の沿線からすこぶる遠く不便で仕方がないので、至急此の地方へ撮影所を移してその周り十万坪位を直ちに住宅地にして見たいと思います。私共が自分の力ですぐ出来ることであります。つまりいまの大泉をこの地方に移したいと思うのであります。また一ヶ所にはゴルフ場を建設して見たいと思っております。いまゴルフ場というものは非常に不足を告げておりましてどこのゴルフ場に入るのにも容易な事でなく、入会金十万円とか三十万円とか取られるという状態であります。このゴルフ場というものは最少限十五万坪あればよろしいのであります。そしてゴルフへ行く様な人はどうせ多少の負担能力もあり多少の余裕のある人でありますから、このゴルフ場の周りをこういう人に一区画ずつ売出して買わせたいと考えております。また或る一ヶ所には嘗つて私が考えた事で戦争のため中止致しましたが、上野の動物園を移したいと考えております。動物をあの上野の様な狭いきたない処へ置く事は、如何にも惨酷でありますので、あれを東京都と相談してこの地方へ移して見たいと思います。前に私が計画をした事でありますが、戦争のため中止になったのをまた蒸し返したいと思うのであります。又或る場所には理想的な植物園を造って見たいという様な事も考えております。

こういう事を致しますれば、此の地方四、五百万坪は直ちに開発されて、ロンドンのレッチワースやウェルィン以上の住宅地に一変して参ります。そうして会社の経営地以外の土地というものは道路さえ造れば大体会社の土地と同じ位の値上りになると思います。地元の諸君はかくの如く利益する所は多くありますが、損する事は決してないと思うのであります。つまりこれを買収し、都市計画を行って売出す為めに特に独立会社としても又は東急で致しても、少くとも数億円の金を要しますが、これはこの土地の値上りの利益によって生み出す以外には途がないのでありますから、各位はなるべくこの地方開発のために、安く土地を会社に提供せられる事をお願いする次第であります。

それからこれを纏める為めに、会社に於ては各区、町、村毎にそれぞれ連絡員を任命致しまして道路設計或いは住宅設計について諸君と御相談致す積りでありますが、地元に於かれましても区及び町、村毎に二名乃至三名の委員を設けて会社の連絡員と毎日会って御相談を願う様な手配を願いたいと思います。

本日御案内申し上げました各位は、御手許に差上げてあります通り、地区及び町村の方々から、当方で全くあてずっぽうに指定して御案内申し上げましたのでありますが、各位は本日地元にお帰りになりましてから相談会をお開き下さいまして各地区或いは町村毎に凡そ何坪ぐらい纏め得るかということを、本月三十日までに、凡その坪数だけで宜しうございます、所有者名までお書き下さる必要はないと思いますが、御提出願いたいと思います。その買収単価とか地上物件の補償とかいう様な事については、買収見込がついたところで御相談申し上げたいと思います。また高速度道路の位置及び停車場の位置等については各位に御相談申し上げて決定致したいと考えております。

二子玉川から東京都の都心に至る道路は、これはなかなか会社の一手で建造することは困難であります。この改造にしたところが莫大な費用を要しますので、これは国又は東京都と協力して解決せねばならぬと思いますが、差し当り先ず玉川、座間、厚木間の高速度道路だけは会社一本で造りたいと考えておる次第であります。

それからなおこの高速度道路に関連することでありますが、昨日即ち一月十八日附朝日新聞に東京神戸間の弾丸道路着工という題目の下に佐藤建設大臣の談話が出ております。玉川二子橋より御殿場に至る七十七粁三分を工費八十四億二千百万円で、本年春着工して来年の夏頃完成の予定という記事が書いてあります。御殿場より神戸に至るものは継続年度として完成致しまして、ここ二、三年の間に往きに五時間、帰りに五時間、神戸往復十時間の道路を造るという事であります。これは昨日二十八年度予算案が閣議で決まったので、十七日の午後建設大臣が記者団との会見で、この予算決定を機会に東京神戸間弾丸道路の第一期工事、それからダム十六ヶ所の建設及び住宅の建設等を発表致しております。従って、これは既に閣議に於て決定した事でありますから、此の春から着手されて来年の夏までには少くとも御殿場までは、完成することと思います。

そこでこの道路と私がここに計画致しております道路とどういう関係になるかという事でありますが、国家がこういう道路を造って、それをどういう風に運用して参りますか今は不明でありますが、私共が計画している田園都市の経営に少しも差支えなく、田園都市の経営をより便利にするために此の道路を使用することが出来るとすれば、私共の方の道路は必ずしも造らなくてもよいと思います。その代り私はここに電車をつくりたい。然し電車もつくらず、この道路だけで間に合うという事ならばなお結構でありますが、これは仲々難しいと私は思います。

東京神戸間五時間という道路ならば、こちらから参りまして鶴間の岩本君が県会議長の時につくった道路がありますが、あの鶴間の観音寺前を通っている道路は、この道路と連絡して、あの道路へ来た自動車がやっぱり、その道路へ入ることが出来るようにすると思います。それからこちらの溝ノ口でも或は溝ノ口の道路と交叉した所で溝ノ口の道路に来た自動車をその道路へ乗入れることの出来る様にすると思います。それからその次は厚木、秦野、松田、御殿場それ以外は恐らく道路と連絡を断ってしまうと思います。それでありますから座間からこちらと申しますれば、観音寺の前と溝ノ口の交叉点、此の二ヶ所以外は自動車が連絡する途がなくなりはしないかと思います。そうでなければ十時間で往復は出来ません。従ってそういう道路と私共が今計画している田園都市とを連絡する様な道路とはその目的が全然違いますので、二本つくらなければこの田園都市の開発は出来ないのではないかと考えております。この二本の道路が出来ますれば、多々益々弁ずで、あの見渡す限りの山林、原野というものは最近数年のうちに全部完全に都会化すると思いますが、いずれにしてもこの政府の道路計画というものがまだ具体的に発表されておりませんので、いずれ暫らく研究する外ないのであります。

そこでこの図面で只今申し上げた事を簡単に要約して見ますれば、これが二子玉川の橋であります。これが渋谷で、これが東京急行電車、これが桜木町であります。そしてこの二子玉川の橋を渡ってこれが川崎市宮前町であります。山内地区、中里地区を経て、田奈へ行き、厚木大山街道は長津田で横浜線と交叉して相模大塚を経て厚木へ行っておりますが、私共が差し当り開発しようと思う所は、岩本君がつくった岩本街道までで、これを至急やって見たいと思っております。そしてその規模は中川を一、山内を二、四、中里を三、五、田奈を六、新治を七、宮前町の旧六十二部隊跡、これは大部分農地法で農地に還元されておりますが、これを第八として、この厚木大山街道の両側に一から八までの区域を限って大体四百万坪乃至五百万坪纏めたいと考えております。

これは宮前地区、山内地区、中川地区、中里地区、田奈地区、新治地区、都田地区の八つに大体またがっております。そして必ずしもこの通りでなくてもよろしいのでありますが、大体道路は国家で造る道路も玉川二子橋の六百米下を起点とするそうでありますが、私共の造る道路もやっぱりそれに沿って出来ると思います。それでありますからいずれにしてもこの地方というものは交通の最も不便な地方でありますが、こちらの計画した道路と国家が千六百億円で計画した弾丸道路とが二つ近い将来に出来ることになると思いますので、これらの道路を中心として区劃整理を実行することが最も必要であります。

この区劃整理の実行は仲々組合や個人の力では出来ません。会社が大資本の力でやれば本当に理想的な道路、下水、水道、電気、学校その他に至るまで、本当の文化的な施設をする事が出来ますが、この地方の耕地整理組合等に委せて置いても到底出来ないと私は思います。私が東京急行の沿線を開きました時も、最初は区劃整理の費用はみんな会社から出してやりました。道路の砂利も大体みんな寄附してやりました。それから組合地を造ればその組合地を会社が皆買ってやりました。そういう援助の方法を講じて東京急行の沿線が今日漸く開けて参ったのでありますが、その東京急行の沿線より、この地方の方がなお大きいのであります。

またこの地方はいままで一切捨ててあって誰も手を付けていない地方でありますから、これを開発するということは容易なことではありません。少くとも五億か十億円はかかる仕事でありますので、諸君の御協力を得なければむつかしい大事業であります。また若しこの四、五百万坪の買収地が纏まりませんでしたら本計画は放棄せざるを得ないのであります。そこで本日その計画の大要を御相談申し上げて諸君の御協力をお願いする次第であります。

以上

昭和二十八年一月十九日

  東京急行電鉄株式会社

取締役会長 五 島 慶 太

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