<< 人を完全にみちびき、或はこれを害ふ者は、外部に属するものにあらずして、内部に属するものなり、即或は恩寵の神なり、或は凶悪の神なり。 >>
一、 大なる市は城垣の破壊により敵の為に略取して荒らさるるならば、其廣きは市の為に何の益もあらざるべし。故に市に要用なるは其大なると共に堅固なる城垣を有するにあり、敵のこれに侵入せざらんがためなり。かくの如く知識と通暁と最鋭利なる智力とを以てかざられたる霊魂はこれを大なる市に比ぶべし。さりながら試に問はん、彼は敵の入りて荒らさざらんが為に神の力を以て堅められしや否やと。けだし此世の賢哲たるアリストテリ或はプラトン或はソクラトの如きは其確実なる知識により、これを大なる市に比ぶべし、然れども敵の為に荒らされたり、何となれば彼等には神の神の在さざりしによる。
二、 これに反して無学なる人々は恩寵に與かる者となり、十字架の力を以て堅められたる小市に似たるあり。しかれども彼等が恩寵をうばはれて亡ぶるは二の理由による、或は患難に遇ふて大量に忍耐せざるにより、或は罪なる快楽を喜びたのしみてこれに耽るによるなり。彼等は誘惑なしに旅行を終ふることあたはざるべし。それ子を産するときは、まづしき者も王后もひとしく苦を感ぜん、これと同じく地も力めて耕さずんば、富める者の為にもまづしき者の為にも美果を産せざらん、心霊上の行為に於てもかくの如し、智者及び富者が恩寵を以て王となるは、他にあらず、忍耐と憂患と多くの辛労とに由る、何となれば「ハリステアニン」の生活はかくあるべきものなればなり。蜜は甘きものなれば苦き或は毒あるものを一もおのれにうけざらん、「ハリステアニン」もかくの如し、すべて善なる、或は悪なる、如何なることに遭遇するありとも、慈憐なる者として存すること、主のいひ給ひし如くなるべし、曰く『慈憐なること汝等の父の慈憐なる如くなるべし』〔ルカ六の三十六〕。しかれども人を害ふものと汚す者とは人の内部にあること主のいひ給ふ如し、曰く『蓋心より出づる者は悪念なり』と〔マトフェイ十五の十九〕。けだし人の内部にある者は人を汚さん。
三、 ゆえに凶悪の神は内部に心中を匍匐来往す、これ霊智ある煽動者、即闇黒の帕、旧き人にして、すべて神に趨り就く者が脱せざるべからざる所のものたり、天に属する新しき人、即ハリストスを衣んがためなり、是故に外部にあるものは一も人を害ふあたはずして、害ふものはただ活発にして有勢なる、心中に居住する闇黒の神なり、故に人はおのおの意念に於て戦はざるべからず、ハリストスの其心を照さんためなり。彼に光栄は世々に帰す。アミン。