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埃及マカリイ全書/第十六講話

第十六講話

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<< 神(しん)に属(ぞく)する人々(ひとびと)も原罪(げんざい)より流(なが)るる試(し)惑(わく)と患難(かんなん)とに属(ぞく)する事(こと)。 >>

一、 すべて霊(れい)智(ち)ある実体(じったい)、即(すなはち)天(てん)使(し)と霊魂(れいこん)と魔鬼(まき)とを造成者(ぞうせいしゃ)は清潔(せいけつ)なる者(もの)及(およ)び最醇(さいじゅん)なるものにつくり給(たま)へり。しかれども彼(かれ)等(ら)の中(うち)或者(あるもの)が迷(まよ)ふて悪(あく)に入(い)りしは、これその自(じ)擅(せん)によりて生(しょう)ぜり、何(なん)となれば彼(かれ)等(ら)は自己(じこ)の自(じ)由(ゆう)により當然(とうぜん)の思(し)慮(りょ)より離(はな)れたればなり。されどもし造成者(ぞうせいしゃ)は彼(かれ)等(ら)を悪(あく)なる者(もの)に造(つく)れりといはば、これ即(すなはち)サタナを火(ひ)に遣(つかは)すの神(かみ)を以(もつ)て不義(ふぎ)の審判者(しんぱんしゃ)と名(な)づくるなり。さりながら異(い)端者(たんしゃ)あり、断定(だんてい)していふ、物質(ぶっしつ)は始(はじめ)なきものにして、彼(かれ)は根(ね)なり、根本(こんぽん)の力(ちから)なり、されば神(かみ)と等(ひと)しき力(ちから)あるものなりといふ。これに対(たい)しては正(ただし)く論(ろん)破(ぱ)して言(い)ふべし、如何(いか)なる力(ちから)は終(つひ)に勝(かち)を制(せい)するかと。神(かみ)の力(ちから)なりと答(こた)へざるを得(え)ざるべし。然(しか)れどもかかる場(ば)合(あい)に於(おい)て勝(か)たれたる者(もの)は最早(もはや)勝(か)ちし者(もの)と同(どう)時(じ)なる、或(あるひ)は同力(どうりょく)なるにあらざるべし。悪(あく)の独立(どくりつ)自(じ)存(そん)なるを断定(だんてい)する者(もの)は何(なに)も知(し)らざるなり。けだし神(かみ)の無(む)欲(よく)なると神(かみ)の性(せい)とによるに、神(かみ)には何(なん)等(ら)の独立(どくりつ)自(じ)存(そん)の悪(あく)あるなし。然(しか)れども我(われ)等(ら)に於(おい)ては悪(あく)はあらゆる不(ふ)潔(けつ)の欲望(よくぼう)を浸潤(しんじゅん)して、すべての力(ちから)と感(かん)じ易(やす)きとを以(もつ)て行(こう)為(い)す、さりながら我(われ)等(ら)と共(とも)に溶解(ようかい)するは、或人(あるひと)が酒(さけ)と水(みづ)との混合(こんごう)にたとへていふ如(ごと)くなるにあらず。一(いつ)の田中(でんちゅう)に麦(むぎ)も自(みづ)から成長(せいちょう)し莠(はぐさ)も自(みづ)から成長(せいちょう)する如(ごと)く、或(あるひ)は一(いつ)家(か)の中(うち)に賊(ぞく)も別(べつ)に離(はな)れて居(お)り家(か)主(しゅ)も別(べつ)に離(はな)れて居(お)るが如(ごと)くなるべし。

二、 泉(いづみ)は清(し)水(みづ)を注(そそ)ぎ出(い)だせども、其底(そのそこ)に泥(でい)土(ど)のあるあり。もし誰(たれ)か泥(でい)土(ど)をかきみだすときは、泉(いづみ)はすべて濁(にご)らん。かくの如(ごと)く霊魂(たましひ)もかきみださるるときは、邪悪(じゃあく)と共(とも)に溶解(ようかい)するなり、ゆえにサタナは霊魂(たましひ)と或(あるひ)は一(いつ)なるとのとなるべく、二(ふた)つの神(しん)は淫行(いんこう)或(あるひ)は殺人(さつじん)の時(とき)にあたりて或(あるひ)は一(いつ)たるを成(な)さん。ゆえにいふ『淫(いん)婦(ぷ)に合(あ)ふ者(もの)はこれと一体(いったい)となる』〔コリンフ前六の十六〕、然(しか)れども他時(たじ)には独立(どくりつ)なる霊魂(たましひ)は自(みづ)から行(こう)為(い)して己(おのれ)の行(おこなひ)を悔(く)い、涕泣(ていきゅう)祈(き)祷(とう)してみづから神(かみ)を記(き)憶(おく)せん。さりながらもし霊魂(たましひ)は常(つね)に悪(あく)に没(ぼつ)するならば、いかんぞこれを為(な)すを得(え)ん、けだしサタナは残忍(ざんにん)なれば人々(ひとびと)の翻然(ほんぜん)として悔(かい)悟(ご)することをいかんしても欲(ほつ)せざるなり。女(ぢょ)子(し)も男(だん)子(し)と配耦(はいぐう)したる後(のち)、彼(かれ)と一(いつ)たらん、しかれども他時(たじ)には彼(かれ)等(ら)互(たがひ)に相離(あひはな)るるなり、何(なん)となれば其一(そのいつ)は死(し)して他(た)は生存(せいぞん)することしばしばこれあればなり。霊魂(たましひ)の聖神(せいしん)と親(しん)與(よ)するもこれと同(おな)じかるべし、霊魂(たましひ)は彼(かれ)と一神(いつしん)とならん。『主(しゅ)に合(あ)ふ者(もの)は主(しゅ)と一神(いつしん)となる』〔コリンフ前六の十七〕。然(しか)れどもこれ人(ひと)が恩寵(おんちょう)を以(もつ)て呑(の)まるるの時(とき)にあるべし。

三、 人(ひと)あり、神(かみ)の甘(かん)味(み)を既(すで)に味(あじは)へて、猶(なほ)反対者(はんたいしゃ)の勢力(せいりょく)に属(ぞく)す、されば彼(かれ)等(ら)は無(む)経験(けいけん)により、神(かみ)の惠(めぐみ)の下(くだ)りし後(のち)ハリストスの機(き)密(みつ)の時(とき)にも思(し)念(ねん)が勢力(せいりょく)をあらはすに驚(おどろ)かんとす。さりながら此(こ)の状態(じょうたい)に老(お)いたる者(もの)はこれに驚(おどろ)かざるべし、これ猶(なほ)久(ひさ)しく練習(れんしゅう)したる老農(ろうのう)の如(ごと)し、彼(かれ)等(ら)は豊饒(ほうじょう)なる時(とき)にも、全然(ぜんぜん)掛意(けい)せざるものとなり居(お)らずして、飢(き)饉(きん)と窮乏(きゅうぼう)とを待(ま)つ、しかれどもこれに反(はん)して飢(き)饉(きん)或(あるひ)は窮乏(きゅうぼう)の至(いた)るあらんときも、時(とき)の変遷(へんせん)するを知(し)りて望(のぞみ)を全(まった)くは失(うしな)はざるなり。霊界(れいかい)に於(おい)てもかくの如(ごと)し、霊魂(たましひ)が種々(しゅじゅ)の誘惑(ゆうわく)に遭遇(そうぐう)するときも、驚(おどろ)かず又(また)失望(しつぼう)せざるべし、けだし神(かみ)の放任(ほうにん)により悪(あく)に霊魂(たましひ)を試(こころ)み且(かつ)罰(ばつ)するを許(ゆる)すを知(し)ればなり、これに反(はん)して大(おほい)なる富(とみ)と平安(へいあん)との時(とき)にも、掛意(けい)せざる者(もの)とならずして改変(かいへん)を待(ま)つ。太陽(たいよう)は物体(ぶったい)なり、受造物(じゅぞうぶつ)なり、さりながら汚(お)泥(でい)と不(ふ)潔(けつ)をみちみてる悪臭(あくしゅう)を発(はつ)する場(ば)所(しょ)を照(て)らして、少(すこ)しも害(がい)をうけず、或(あるひ)は汚(けが)されずんば、況(いは)んや清潔(せいけつ)にして聖(せい)なる神(しん)は悪者(あくしゃ)の勢力(せいりょく)の下(した)に在(あ)る所(ところ)の霊魂(たましひ)に止(とど)まるも、これより何(なん)の関係(かんけい)もうけざるべし、けだし『光(ひかり)は暗(くらき)に照(て)り、暗(くらき)はこれを蔽(おほ)はざればなり』〔イオアン一の五〕。

四、 故(ゆえ)に人(ひと)が恩寵(おんちょう)の深(ふか)きにありて、これに富(と)まさるるや、其時(そのとき)にも邪悪(じゃあく)の毒(どく)は猶(なほ)人(ひと)に存(そん)するあり、しかれども人(ひと)に助(たす)くる保護(ほご)者(しゃ)も亦(また)人(ひと)に存(そん)するあるなり。ゆえに誰(たれ)か患難(かんなん)或(あるひ)は情慾(じょうよく)の大(だい)擾乱(じょうらん)の中(うち)にあるときも望(のぞみ)を失(うしな)ふべからず、何(なん)となれば失望(しつぼう)により罪(つみ)はいよいよ霊魂(たましひ)に入(い)りて、これを肥太(ふと)らすればなり。しかれども誰(たれ)か神(かみ)に不(ふ)断(だん)の望(のぞみ)を有(ゆう)するときは、悪(あく)はさながら微々(びび)として人(ひと)に居(お)るものの如(ごと)し。もし人(ひと)あり衰弱(すいじゃく)し、傷(そこなは)れたる肢(し)体(たい)を有(ゆう)し、劇症(げきしょう)の熱(ねつ)に苦(くる)しみて煩(わづら)ふあらば、これ罪(つみ)より生(しょう)ずるなり。何(なん)となれば罪(つみ)は萬悪(ばんあく)の根(ね)にして、心(こころ)の欲望(よくぼう)と悪(あ)しき思(し)慮(りょ)とはこれより起(おこ)ればなり。泉(いづみ)のながるるや、これに囲(かこ)まるる地(ち)は湿気(しっけ)ありて潤(うるほ)されん。されども炎熱(えんねつ)の至(いた)るあるや、泉(いづみ)もその附(ふ)近(きん)にある土地(とち)も直(ただち)に乾燥(かんそう)せん。恩寵(おんちょう)の大(おほい)に餘(あまり)ある神(かみ)の諸僕(しょぼく)もかくの如(ごと)し、恩寵(おんちょう)は悪者(あくしゃ)の為(ため)に起(おこ)さるる欲望(よくぼう)をも天然(てんねん)の欲望(よくぼう)をも乾(かわ)かさん、何(なん)となれば今日(こんにち)神(かみ)の人々(ひとびと)は第一(だいいち)のアダムより上(うへ)にあればなり。

五、 神(かみ)は劃(かぎ)られざる且(かつ)囲(かこ)まれざるものにして、何処(いづこ)にも己(おのれ)をあらはさざるなし、天(てん)使(し)の天(てん)より地(ち)に降(くだ)る如(ごと)く、甲処(こうしょ)より乙処(おつしょ)に移(うつ)るにはあらずして、山(やま)にも、海(うみ)にも、下(した)は地(ぢ)獄(ごく)にもあり、彼(かれ)は天(てん)にもあり、彼(かれ)は此処(ここ)にもあるなり。さりながら汝(なんぢ)は問(と)はん、いかんして神(かみ)は地(ぢ)獄(ごく)にあるを得(う)べきか、或(あるひ)はいかんして彼(かれ)は暗黒(あんこく)に、或(あるひ)はサタナ或(あるひ)は悪臭(あくしゅう)のある所(ところ)にあるを得(う)べきかと。汝(なんぢ)に答(こた)へん、神(かみ)は無(む)慾(よく)なる者(もの)にしてすべてを囲(かこ)まざるなし、何(なん)となれば劃(かぎ)られざるものなればなり。神(かみ)の造物(ぞうぶつ)たるサタナは神(かみ)を以(もつ)て縛(しば)らる、しかれども善(ぜん)なる者(もの)は汚(けが)されざるべく、暗(くら)まされざるべし。もし神(かみ)は地(ぢ)獄(ごく)をもサタナをもすべて囲(かこ)まざるなしと断定(だんてい)せずんば、彼(かれ)は悪者(あくしゃ)の居(お)る所(ところ)の場(ば)所(しょ)を以(もつ)て劃(かぎ)らるる者(もの)と帰(き)結(けつ)せられて、彼(かれ)より更(さら)に上(うへ)なる他(た)の神(かみ)を尋(たづ)ねざるを得(え)ざるべし、けだし神(かみ)は何処(いづこ)にも一切(いっさい)の上(うへ)にあらざるべからざればなり。さりながら神性(しんせい)の奥妙(おうみょう)なると精(せい)微(び)なるとによるに彼(かれ)に囲(かこ)まるる暗(やみ)は彼(かれ)を囲(かこ)まざるなり。悪(あく)は神(かみ)にある所(ところ)の清潔(せいけつ)に與(あづ)かるものとなる能(あた)はず。ゆえに神(かみ)の為(ため)には独立(どくりつ)自(じ)存(そん)の悪(あく)あるなし、何(なん)となれば彼(かれ)は何(なに)よりも害(がい)を受(う)けざればなり。

六、 然(しか)れども我(われ)等(ら)の為(ため)には悪(あく)あり、何(なん)となれば彼(かれ)は悪(あく)なる不(ふ)潔(けつ)なる思(おもひ)を暗(あん)に勧(すす)め入(い)れ、心(こころ)に居(い)て働(はたら)き、智(ち)を此(この)世(よ)の俘(ふ)虜(りょ)となして、我(われ)等(ら)が潔(きよ)き祈(き)祷(とう)を献(ささ)ぐるを妨(さまた)ぐればなり。彼(かれ)は霊魂(たましひ)を衣(き)て骨(ほね)の組(そ)織(しき)に触感(しょくかん)す。たとへばサタナは空中(くうちゅう)に居(お)らんに、神(かみ)もかしこに共(とも)に在(あ)りて、これがために少(すこ)しも煩(わづら)はされざる如(ごと)く、罪(つみ)も霊中(れいちゅう)に居(お)れど、神(かみ)の恩寵(おんちょう)はまた少(すこ)しも煩(わづら)はされずして共(とも)に同(おなじ)く居(お)るなり。僕(ぼく)は主人(しゅじん)の側(かたはら)に居(お)るならば、すべてその側(かたはら)に居(お)る間(あいだ)は戦々(せんせん)競々(きょうきょう)として主人(しゅじん)によらずしては何(なに)もなさざるべし。かくの如(ごと)く我(われ)等(ら)も主宰(しゅさい)と心(こころ)を識(し)るハリストスの前(まへ)に俯(ふ)伏(ふく)して、その思(おもひ)を呈(てい)露(ろ)し、彼(かれ)に向(むか)つて依(い)頼(らい)と希(き)望(ぼう)とを有(ゆう)せんことを要(よう)す、何(なん)となれば彼(かれ)は我(わ)が栄(さかえ)なり、彼(かれ)は我(わ)が父(ちち)なり、彼(かれ)は我(わ)が富(とみ)なればなり。ゆえに汝(なんぢ)は配慮(はいりょ)と畏懼(いく)とを常(つね)に良心(りょうしん)に有(ゆう)すべし。されどもし人(ひと)は己(おのれ)の中(うち)に植(うえ)られて確立(かくりつ)せる神(かみ)の恩寵(おんちょう)を未(いま)だ有(ゆう)せずんば、時々(じじ)己(おのれ)を誘導(ゆうどう)し、且(かつ)儆醒(けいせい)して善(ぜん)に向(むか)はしむる所(ところ)のものに日(にち)夜(や)霊魂(たましひ)を以(もつ)て附(つ)かんこと、或(あ)る天然(てんねん)なるものに附(つ)くがごとくせざるべからず。少(すく)なくも人(ひと)には配慮(はいりょ)と、畏懼(いく)と、悲(ひ)痛(つう)と、常(つね)に己(おの)れに確立(かくりつ)せる悔(かい)悟(ご)の心(こころ)とを存(そん)すること、或(あ)る天然(てんねん)なる変(かは)らざるものの如(ごと)くならしむべし。

七、 さりながらたとへば蜂(はち)は窃(ひそか)に蜜房(みつぼう)を屋隅(おくぐう)に造(つく)る如(ごと)く、恩寵(おんちょう)も其愛(そのあい)を窃(ひそか)に心中(しんちゅう)に作(つく)りて、苦(にが)きを甘(あま)きに変(へん)じ、残心(ざんしん)を慈(じ)心(しん)に変(へん)ずるなり。またたとへば銀工(ぎんこう)及(およ)び彫刻(ちょうこく)師(し)あり、盂(はち)に其(その)部(ぶ)分(ぶん)に循(したが)ひて彫刻(ちょうこく)を施(ほどこ)さんに、種々(しゅじゅ)の動物(どうぶつ)を刻出(こくしゅつ)して、これに被(き)せん、されば其工(そのこう)竣(おは)るときは、盂(はち)は全(まった)く燦然(さんぜん)として光(ひかり)をあらはさん、かくの如(ごと)く真実(しんじつ)の意(い)匠(しょう)者(しゃ)たる主(しゅ)も我(われ)等(ら)が体(たい)より移(うつり)去(さ)らざる間(あいだ)に彫刻(ちょうこく)を以(もつ)て我(われ)等(ら)の心(こころ)を飾(かざ)りて、奥妙(おうみょう)にこれを新(あらた)にし給(たま)ふ、されば其時(そのとき)霊魂(たましひ)の美(び)は現然(げんぜん)たるものとならん。器具(きぐ)を製(せい)してこれに動物(どうぶつ)を画(えが)かんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)づ蠟製(ろうせい)の写影(しゃえい)を作(つく)り、其(その)模(も)型(けい)により器(うつわ)を鋳造(ちゅうぞう)し、それによりて製造品(せいぞうひん)は終(つひ)に形(かたち)を為(な)さん。かくの如(ごと)く罪(つみ)も神的(しんてき)性質(せいしつ)を有(ゆう)すれば、己(おのれ)の状態(じょうたい)を有(ゆう)して、多(おほ)くの形状(けいじょう)に変(へん)化(か)するなり。これと同(おな)じく内(ない)部(ぶ)の人(ひと)も自己(じこ)の状態(じょうたい)と自己(じこ)の形状(けいじょう)を有(ゆう)する或(あ)る生活(せいかつ)物(ぶつ)なり、何(なん)となれ内(ない)部(ぶ)の人(ひと)は外(がい)部(ぶ)の人(ひと)の肖(しょう)似(じ)なればなり。これ重要(ちょうよう)にして貴(たっと)ぶべき器(うつは)なり、何(なん)となれば神(かみ)はすべての造物(ぞうぶつ)よりも更(さら)にこれを惠(めぐ)みたまひしによる。されば霊魂(たましひ)の善(ぜん)なる思(し)念(ねん)は宝石(ほうせき)又(また)は真珠(しんじゅ)に似(に)たる如(ごと)く、不(ふ)潔(けつ)なる思(し)念(ねん)は死(し)骸(がい)ともろもろの不(ふ)浄(じょう)と悪臭(あくしゅう)とにみちみたさるるなり。

八、 ゆえに「ハリステアニン」は新(あらた)なる世(せ)界(かい)に属(ぞく)し、天(てん)のアダムの子(こ)にして、新(あらた)なる生出(せいしゅつ)なり、聖神(せいしん)の子(こ)なり、ハリストスの光(ひかり)を発(はつ)する兄弟(けいてい)にして、霊神界(れいしんかい)の父(ちち)と光(ひかり)を発(はつ)するアダムとに肖(に)んとす、彼(かれ)等(ら)は彼(か)の都(みやこ)と彼(か)の種属(しゅぞく)とより彼(か)の能力(のうりょく)を受(う)け、此(こ)の世(よ)に属(ぞく)せずして他(た)の世(よ)に属(ぞく)するなり。けだし主(しゅ)は自(みづ)からいへり、汝(なんぢ)等(ら)は『此(こ)の世(よ)に属(ぞく)せざること我(われ)の世(よ)に属(ぞく)せざる如(ごと)し』〔イオアン十七の十六〕。商(しょう)賈(こ)の遠方(えんぽう)より帰(かへ)るや、其(その)都度(つど)其(その)購求(こうきゅう)を増(ま)して、これを家(か)人(じん)に送(おく)り遣(つかは)すは、家(か)人(じん)をして家(か)屋(おく)、庭園(ていえん)、及(およ)び緊要(きんよう)なる衣(い)服(ふく)を得(え)しめんが為(ため)なり、されば故(こ)郷(きょう)に到着(とうちゃく)し、大(おほい)なる富(とみ)を自(みづ)から持来(もちきた)るや、家(か)人(じん)と親戚(しんせき)は大(おほい)なる喜(よろこ)びを以(もつ)て彼(かれ)を迎(むか)へん、霊神界(れいしんかい)に於(おい)てもかくの如(ごと)し。もし或者(あるもの)は天(てん)の富(とみ)を自(みづ)から購求(こうきゅう)するならば、同(どう)市(し)者(しゃ)たる聖人(せいじん)及(およ)び天(てん)使(し)の霊(れい)は此(これ)を聞(ぶん)知(ち)し、驚(おどろき)ていはん、『地(ち)上(じょう)に居(お)る我(われ)等(ら)が兄弟(けいてい)は大(おほい)なる富(とみ)を得(え)たり』と。かくの如(ごと)き者(もの)等(ら)は世(よ)を去(さ)るときは、おのれに主(しゅ)を有(ゆう)し、大(おほい)なる喜(よろこび)を以(もつ)て上(うへ)に登(のぼ)るべくして、主(しゅ)と共(とも)に在(あ)る者(もの)等(ら)はかしこに第宅(だいたく)、苑囿(えんゆう)及(およ)び照(て)り輝(かがや)く高(こう)価(か)なる衣(い)服(ふく)をそなへて、彼(かれ)等(ら)を迎(むか)へん。

九、 故(ゆえ)に儆醒(けいせい)は全(まった)く要用(ようよう)なり、現(げん)に所有(しょゆう)する幸福(こうふく)が転(てん)じて我(われ)等(ら)の害(がい)とならざらんためなり。けだし天性(てんせい)の善(ぜん)なる人(ひと)ももし戒慎(かいしん)せずんば、漸々(ぜんぜん)其(その)善(ぜん)性質(せいしつ)の為(ため)に誘(いざな)はるべく、智慧(ちえ)を有(ゆう)する者(もの)も其(その)智慧(ちえ)の為(ため)に窃(ぬす)み去(さ)らるればなり。故(ゆえ)に人(ひと)はすべてに於(おい)て節制者(せっせいしゃ)とならんことを要(よう)す、慈(じ)善(ぜん)は厳重(げんじゅう)を以(もつ)て溶解(ようかい)すべく、智慧(ちえ)は小心(しょうしん)を以(もつ)て、言(ことば)は行(おこなひ)を以(もつ)て溶解(ようかい)し、一切(いっさい)の希(き)望(ぼう)を主(しゅ)に托(たく)して、自己(じこ)に依(い)頼(らい)せざらんことを要(よう)するなり。けだし徳行(とくこう)は多(おほ)くのものを以(もつ)て調(ちょう)味(み)せらるべし、これ猶(なほ)或(あ)る緊要(きんよう)なる食物(しょくもつ)は調(ちょう)味(み)のために芳(こう)ばしき葡(ぶ)萄酒(どうしゅ)又(また)は他(た)の或者(あるもの)を要(よう)するありて、ただに蜜(みつ)のみにあらず、胡(こ)椒(しょう)をも要(よう)して、ただかくの如(ごと)くなれば用(よう)に適(てき)するものとなるが如(ごと)し。

十、 人(ひと)に罪(つみ)なしと断定(だんてい)する者(もの)はたとへば人々(ひとびと)洪水(こうずい)の時(とき)にあたりて満水(まんすい)に溺(おぼ)れんとするも、これを認(みと)めず、却(かへつ)て『我(われ)等(ら)は水(みづ)の鳴(な)る音(おと)をきけり』といふに似(に)たるあり。かくの如(ごと)く悪習(あくしゅう)の波(なみ)の深(ふか)きに沈没(ちんぼつ)する此者(このもの)等(ら)もその智(ち)と思(おもひ)とに罪(つみ)なしと断定(だんてい)するなり。然(しか)れども或者(あるもの)は言論(げんろん)を理(おさ)め、演説(えんぜつ)を為(な)すも、天(てん)の塩(しほ)に調(ちょう)味(み)せられず、故(ゆえ)に王(おう)の晩餐(ばんさん)の事(こと)を論評(ろんひょう)すれども、自(みづ)からはこれを嘗(な)めず、されば彼(かれ)等(ら)は何(なん)の得(う)る所(ところ)あらざるなり。然(しか)れども又(また)或者(あるもの)は直(ただ)ちに王(おう)を見(み)て、王(おう)の宝(たから)の開(ひら)かるるや、入(い)りて嗣(し)業(ぎょう)をうけて、彼(か)の高(こう)価(か)なる食物(しょくもつ)を嘗(な)め且(かつ)飲(の)まんとす。

十一、 たとへば母(はは)に独一(どくいつ)の子(こ)あらんに、容顔(ようがん)うるはしく、聡明(そうめい)にして、すべての幸福(こうふく)を以(もつ)て飾(かざ)られ、母(はは)の希(き)望(ぼう)は挙(あ)げて此(こ)の子(こ)にあらんに、もしこれを葬(ほうむ)りしなば、母(はは)には最(も)早(はや)ただ一(いつ)の断(た)えざる憂(うれひ)と一(いつ)の慰(なぐさ)めざる哀(かなしみ)とのみ残(のこ)らん。かくの如(ごと)く智(ち)も神(かみ)の為(ため)に死(し)したる霊魂(たましひ)を哀(かなし)み、涙(なみだ)を流(なが)して、不(ふ)断(だん)の憂(うれひ)に沈(しづ)み、中心(ちゅうしん)より傷(いた)み哀(かなし)み、畏懼(いく)と費(ひ)心(しん)との中(うち)にありて、つねに幸福(こうふく)に飢(う)え且(かつ)渇(かつ)せんことを要(よう)するなり。かくの如(ごと)き者(もの)には終(つひ)に神(かみ)の恩寵(おんちょう)と希(き)望(ぼう)と来(きた)りて、彼(かれ)には最(も)早(はや)哀(かなしみ)あるなく、反(かへ)つて彼(かれ)は宝(たから)を発見(はっけん)したる者(もの)の如(ごと)く喜(よろこ)ぶべく、これをうしなはざらんが為(ため)に更(さら)に戦々(せんせん)競々(きょうきょう)たらん、何(なん)となれば賊(ぞく)の襲(おそ)ふことあるべければなり。且(かつ)や度々(どど)賊難(ぞくなん)にかかりたる者(もの)はこれが為(ため)に喪失(そうしつ)の禍(わざはひ)をかうむり、大(おほい)なる辛(しん)苦(く)を以(もつ)てこれを避(さ)けたれど、其後(そののち)廣大(こうだい)なる財産(ざいさん)と多(おほ)くの宝物(ほうもつ)とを有(ゆう)するに及(およ)んでは、増殖(ぞうしょく)したる富(とみ)の故(ゆえ)に破(は)産(さん)は最(も)早(はや)恐(おそ)れざらん、かくの如(ごと)く最初(さいしょ)多(おほ)くの誘惑(ゆうわく)と懼(おそ)るべき場(ば)所(しょ)とを経(けい)過(か)したる霊神界(れいしんかい)の人々(ひとびと)も、其後(そののち)恩寵(おんちょう)にみてられ、幸福(こうふく)に餘(あま)りあるや、これを掠奪(りゃくだつ)せんと欲(ほつ)する者(もの)等(ら)を已(すで)に恐(おそ)れざらん、何(なん)となれば彼(かれ)等(ら)が富(とみ)は少小(しょうしょう)にあらざればなり。さりながら彼(かれ)等(ら)はまた畏懼(いく)を有(ゆう)す、これ悪(あく)なる諸神(しょしん)に驚(おどろ)かされたる人々(ひとびと)の畏懼(いく)にはあらずして、己(おの)れに托(たく)せられたる霊神界(れいしんかい)の恩(おん)賜(し)をいかに処(しょ)理(り)せんかとの畏懼(いく)と費(ひ)心(しん)となり。

十二、 かくの如(ごと)き人(ひと)は己(おのれ)を以(もつ)てすべての罪人(ざいにん)より尚(なほ)いやしむべきものと思(おも)ふべく、かくの如(ごと)き思(おもひ)の彼(かれ)に植付(うえつけ)らるるは天性(てんせい)の如(ごと)くなるべし、されば彼(かれ)は神(かみ)を識(し)るの認識(にんしき)にいよいよ深(ふか)く入(い)る程(ほど)はいよいよ己(おのれ)を以(もつ)て無知(むち)者(しゃ)と思(おも)ふべく、いよいよ学(まな)ぶ程(ほど)はいよいよ己(おのれ)を以(もつ)て何(なに)も知(し)らざる者(もの)と認(みと)めん。且(かつ)進(しん)歩(ぽ)を助(たす)くる恩寵(おんちょう)はこれを心(こころ)の中(うち)に造(つく)ること、或(あ)る天然(てんねん)なるものの如(ごと)くせん。それ嬰(えい)児(じ)は少年(しょうねん)の手(て)にあるならば、彼(かれ)を手(て)に持(ぢ)する者(もの)は欲(ほつ)する所(ところ)に彼(かれ)を抱(いだ)き去(さ)らん、かくの如(ごと)く深(ふか)く感徹(かんてつ)する所(ところ)の恩寵(おんちょう)も智(ち)を手(て)に持(じ)して、天(てん)に、完全(かんぜん)なる世(せ)界(かい)に、永遠(えいえん)の慰(い)安(あん)にのぼせん、しかれども其(その)恩寵(おんちょう)にも程(てい)度(ど)と階級(かいきゅう)のあるありて、或者(あるもの)は王(おう)の前(まへ)に勇(ゆう)気(き)を有(ゆう)する軍隊(ぐんたい)の分隊(ぶんたい)長(ちょう)の如(ごと)くなれども、或者(あるもの)は全軍(ぜんぐん)の将(しょう)の如(ごと)くなるべし。家(いへ)にみちみてる煙(けぶり)は溢(あふ)れて外(がい)気(き)に注(そそ)ぎ入(い)る如(ごと)く邪悪(じゃあく)も霊魂(たましひ)に充(み)ち満(み)ちて外(がい)部(ぶ)にそそぎ、果(み)を産(さん)せん。郡国(ぐんこく)の重(おも)き管(かん)理(り)を任(にん)ぜられたる者(もの)、或(あるひ)は王(おう)の宝物(ほうもつ)を托(たく)せられし者(もの)は何(なに)を以(もつ)てか王(おう)を辱(はづか)しむるあらざらんかと何(いづ)れの時(とき)にも費(ひ)心(しん)せん、かくの如(ごと)く霊神界(れいしんかい)の事(こと)を信任(しんにん)せられし者(もの)も、つねに費(ひ)心(しん)して、平安(へいあん)を有(ゆう)するも有(ゆう)せざる如(ごと)くなるべし、何(なん)となれば都(と)城(じょう)たる霊魂(たましひ)に侵入(しんにゅう)したる暗黒(あんこく)の国(くに)と霊魂(たましひ)の牧(ぼく)野(や)を占領(せんりょう)したる野(や)蛮人(ばんじん)の国(くに)とを霊魂(たましひ)より更(さら)に逐払(おひはら)はんとすればなり。

十三、 王(おう)たるハリストスは此(こ)の都府(とふ)に復讐(ふくしゅう)者(しゃ)をつかはし、これを苦(くるし)むる者(もの)を縛(ばく)して、かしこに天(てん)の軍隊(ぐんたい)と聖(せい)なる諸神(しょしん)の連隊(れんたい)とを移(い)住(じゅう)せしむること、その本国(ほんこく)に移(い)住(じゅう)せしむる如(ごと)くせん。終(つひ)に太陽(たいよう)は心中(しんちゅう)にも光(ひか)り始(はじ)め、その光線(こうせん)は悉(ことごと)くの肢(し)体(たい)に透徹(とうてつ)して、深(ふか)き平安(へいあん)は最(も)早(はや)彼処(かしこ)に王(おう)たらん。しかれども人間(にんげん)の盡力(じんりょく)と苦(く)行(ぎょう)と練達(れんたつ)と神(かみ)に従(したが)ふ心服(しんぷく)とは、恩寵(おんちょう)の離(はな)れんとするに方(あた)り人(ひと)が堅(かた)く支(ささ)へて神(かみ)に呼(よ)ばんとする其時(そのとき)に顕然(けんぜん)としてあらはれん。然(しか)れども汝(なんぢ)は蛇(へび)の川(かは)と獅子(しし)の口(くち)と天(てん)地(ち)の間(あいだ)にある暗黒(あんこく)なる力(ちから)と地(ち)上(じょう)にあるなくして肢(し)体(たい)の中(うち)に沸騰(ふっとう)する火(か)焔(えん)のあるを聞(き)き知(し)るも、汝(なんぢ)が体(たい)より出(い)づるとき聖神(せいしん)の聘(へい)質(し)をうけずんば、彼(かれ)等(ら)は汝(なんぢ)の天(てん)に昇(のぼ)るを許(ゆる)さずして、汝(なんぢ)の霊魂(たましひ)を遮(しゃ)止(し)せんとするを知(し)るか。これと同(おな)じく霊魂(たましひ)の価値(かち)の事(こと)、此(こ)の聡明(そうめい)なる本体(ほんたい)の貴(き)重(ちょう)なる事(こと)を聞(き)くも、神(かみ)が『我(われ)等(ら)の像(ぞう)と肖(しょう)によりてつくらん』〔創世記一の二十六〕といひしは天(てん)使(し)の事(こと)にあらずして人性(じんせい)の事(こと)なると、天(てん)と地(ち)とは過(す)ぎ去(さ)れど、汝(なんぢ)は王(おう)の子(こ)たると兄弟(けいてい)たると新(しん)婦(ぷ)たるとに召(め)されたる所以(ゆえん)を理(り)會(かい)するか。現(げん)世(せ)に於(おい)て新郎(しんろう)に属(ぞく)するものはすべて新(しん)婦(ぷ)にも属(ぞく)す、かくの如(ごと)く主(しゅ)に属(ぞく)するものはすべて汝(なんぢ)にも信任(しんにん)せられん。けだし彼(かれ)は汝(なんぢ)を代保(だいほう)せんがために自(みづ)から来(きた)りて汝(なんぢ)を呼(よ)びたまへり。しかれども汝(なんぢ)はおのれに何(なに)も思(おもひ)浮(うか)ぶ所(ところ)なくして己(おのれ)の貴(たっと)きを識(し)らず。故(ゆえ)に神通(しんつう)をうけたる人(ひと)が汝(なんぢ)の堕(だ)落(らく)をかなしむは當然(とうぜん)なり、曰(いは)く『人(ひと)は己(おのれ)の尊敬(そんけい)にありて知(し)らず、無智(むち)なる畜類(ちくるい)のごとし』〔聖詠四十八の二十一〕。光栄(こうえい)は父(ちち)と子(こ)と聖神(せいしん)に世々(よよ)に帰(き)す。アミン。