因縁心論

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動

因縁心論頌(白文)[編集]

 差別十二支 能仁説縁生

 於煩惱業苦 三中倶攝盡

 初八九煩惱 二及十是業

 餘七習是苦 十二唯三攝

 從三生於二 從二生於七

 一復生於三 此有輪數轉

 諸趣唯因果 此中無衆生

 唯從於空法 還生於空法

 誦燈鏡及印 火精種梅聲

 諸蘊相續結 不移智應察

 於甚微細事 若有見斷者

 彼不善因縁 未見縁生義

 此中無可見 亦無少安立

 於眞以觀眞 見眞而解脱

因縁心論釋(白文)[編集]

此中有沙門。樂聞能聽。善能憶持。能悟。能觀。及具簡弃。來詣師所。於如來教中。

作如是問。

薄伽梵。差別十二支。能仁説縁生。彼於何所攝。今欲樂聞。

知彼問其眞義。師即呼曰。

汝於煩惱業苦三中都攝盡。作此分別典切之語。此中十及二。故曰爲十二支。即差別。故曰差別。如車支分。

故説爲支。能寂身口。故名能仁言。能仁説者。宣暢解釋。説之異名。彼非自性。決定士夫。假相自在。時自然隨欲。

化主。偶遇等所生。此是因縁所生。此差別十二支法。於煩惱業苦。遞手相依。猶如束蘆。於彼三中。並皆攝盡。言盡者。即是無餘義也。

問曰。何者煩惱。何者是業。何者是苦。此差別之法。當於何攝。

答曰。初八九煩惱。差別十二支法。初是無明。第八是愛。第九是取。此三是煩惱所攝。

何者是業。二及十是業。二是行。十是有。此二法是業所攝。餘七皆是苦。煩惱業之所攝之餘七種是苦。所攝應知。所謂識。名色。

六入。觸。受。生。老死。言皆者是惣攝之辭。即攝愛別離。怨憎會。求不得苦。是故此十二支法。於業煩惱苦中。並皆攝盡。

言唯者。是其遮義。經中所説之法。此中攝盡。更無有餘。問曰。此義已知。彼煩惱業苦。云何相生。請爲解説。

答曰。從三生於二。從三煩惱生於二業。從二生於七。謂上所説苦法。七復生於三。所謂諸煩惱。復從三煩惱。生於二業。

此有輪數轉。言有者。有其三種。所謂欲。色。無色。於中不息。而作流轉。彼諸異生世間。而自流轉浪。言此者。顯不定義。

非如流轉。次第生於諸有。此不定也。

問曰。何者是身之自在衆生耶。彼之作用。其事云何。

答曰。諸趣惟因果。惟除假名。此中無衆生。此是眞實義。非假立有。假立之境。不成實物。

問曰。若如是者。誰從此世至於他世。

答曰。無有極微等法。從於此世。移至他世。雖然唯從於空法。還生於空法。從無我我所。煩惱業。

五種空因。還生空無我我所。七種苦果之法。彼則無我我所。彼此手無我我所。雖然從自性無我之法。

還生自性無我之法。應如是知。作如是説。此中問曰。從自性無我之法。還生自性無我之法者。

有何譬喩。此中答曰。誦燈鏡及印。火精種梅聲。已如是等喩。及假喩立成自性無我及成就彼世應知。

譬如師所誦者。若轉至弟子。師後更無言説。是故不至。彼弟子誦者。亦不從餘得。成無因果故。如師所誦臨終心識。亦復如是。

成常過故。不至他世。彼世亦不從餘得。成無因果故。如師所誦。與弟子誦者。即彼異彼。不易施設。

如是依彼臨終心識。生分心識。得生者。亦復如是。

即彼異彼。不易施設。如是從燈生燈像依於面像。鏡中現其影像。從印成文。從精出火。從種生芽。從梅生涎。從聲出嚮。

即彼異彼。不易施設。如是。諸蘊相續結。不移智應察。言蘊者。即色受想行識蘊也。言相續結者。彼已從彼因。所生餘者是也。

無有極微等法。從於此世。移至他世。是故流轉。從於虚妄分別習氣而生。後言應者。即是逆觀。義當知反。彼應觀諸法無常苦空無我者。

則不愚諸事。若不遇者。則無有貪。若無有貪瞋則不生。若無有嗔則無有業。若無有業。則無有取。若無有取。則不造後有。若無有者而則不生。

若不生者。即於身心而苦不生。如是不集五種因故。即於餘處。而果不生。此果解脱。是故斷除。斷常等諸惡見也。

此中有二頌

  於甚微細事 若有見斷者

  彼不善因縁 未見縁生義

  此中無可見 亦無少安立

  於眞以觀眞 見眞而解脱

現代語訳[編集]

十二支に分別して、能仁(悟った人)は縁起を説いた。

〔十二支は〕煩悩・業・苦の三種のうちに、完全に収められる。

初めの支と第八支と第九支は「煩惱」であり、第二支と第十支は「業」である。

残りの七つの縁起支が苦である。 十二縁起支は、ただ三つにまとめることができる。

第三支より第二支が生じ、第二支より第七支が生ずる。

同じように〔第七支より〕第三支が生ずる。この生存の輪は次々に回っていく。

諸々の生存領域はただ因果だけであって、この中に衆生〔などというもの〕は存在しない。

ただ単に空なる現象(法)から、空なる現象が生じるにすぎない。

読誦、燈、鏡、及び印璽、火種、種子、梅(?)、音声〔など、これらのごとく〕、

諸々の蘊は、連続性を保ち(相続)、〔新たな生を〕結ぶこと、〔しかも〕移転するのではないこと。〔これらのことを〕智者は省察するべきである。

きわめて微細な事柄において、断滅[1]の見解を持つならば、

かれは不善なる因縁に〔よって〕、縁起の〔正しい〕意味を見ることはない。

この〔縁起する世界の〕中には〔実体として〕見いだされるべきものは無く、また少しでも確立されるべきことは〔何も〕無い。

真実を如実に観察することによって、〔物事の〕ありのまま〔の姿〕を見て、解脱する。

脚注[編集]

  1. 生滅の連続が断たれ、滅びたきりで生じなくなること。

この著作物は1924年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているので、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 

原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。