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吉利支丹物語

吉利支丹物語 目次



 

 
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吉利支丹物語卷第上
 

​神武天皇​​志゛んむてんわう​より百八代の御かど​後奈良院​​ごならのゐん​​御宇​​ぎよう​にあたつて、​弘治​​こうぢ​年號のころ、なむばんのあきんどぶねに、はじめて人げんのかたちににて、さながら​天狗​​てんぐ​とも、​見越​​みこ​​入道​​にうだう​とも、なのつけられぬ物を一人わたす、よくたづねきけば、ばてれんといふものなり、先そのかたちを見るに、​鼻​​はな​のたかき事​栄螺殻​​さゞゐがら​のいぼのなきをすいつけたるににたり、目のおほきなる事は、めがねを二つならべたるがごとし、まなこのうち​黃​​き​也、​頭​​かうべ​ちいさく、​足手​​あして​のつめながく、せいのたかさ七志やくあまりありて、色くろく、はなあかく、​歯​​は​は馬のはよりながく、あたまのけ​鼠​​ねずみ​色にして、​額​​ひたゐ​のうへにおかべさかづきをふせたるほどの​月代​​さかやき​をすり、物いふ事かつてきこえず、​聲​​こゑ​​梟​​ふくろ​のなくににたり、志よ人こぞつて見物みちをせきあへず、​面躰​​めんてい​のすさまじき事あらてんぐと申とも、かやうにはあるまじきと人みな申あへり、その名をうるがんばてれんといふ、心中にはきりしたんの​法門​​ほうもん​をひろめたくぞんぜしかども、先志ばらく日本の​人民​​にんみん​​知惠​​ちゑ​をはかりみると見えたり、色々さま​南蠻國​​なんばんこく​のめづらしき物を志なもてきたるとみえし、其ころ津の國のぢう人、​高山​​たかやま​​飛驒​​ひだ​の守、同​右近​​うこん​のたゆふ、​尊崇​​そんそう​して、すなはち​宗躰​​志うてい​になる、​三好修理大夫​​みよし志ゆりのたいぶ​松永​霜臺​​さうたい​とうへ、​禮儀​​れいぎ​を申させ、日本にとめをく事、

 

​平​​たいら​​朝臣​​あそん​小田の​上総​​かづさ​の守​信長卿​​のぶながきやう​、天下ほしゐまゝに、ふく風のさうもくをなびかしたるがごとく、​東夷​​とうい​​南蠻​​なんばん​​北狄​​ほくてき​​西戎​​せいじう​、ことくうちほろぼし給ひ、天下平均して、あふみの國​安土​​あづち​といふ所に​城郭​​志゛やうくわく​を志つらひ、​富貴​​ふつき​のよそほひ​咸陽宮​​かんやうきう​もかくやらん、ある時御夜ばなしの折ふし、かのうるがんばてれんがうわさをきこしめして、いそぎ見たきよしおほせいださる、すなはち​菅谷​​すげのや​九衞門のぜうにおほせつけられ​鄕送​​がうをくり​にしてあづちにつく、二三日あつて御れオープンアクセス IA:562いにまかり出る、身にはあびとゝいふものをきたり、此あびとゝ申物は、​毛氈​​もうせん​のごとくなる物にて、色はねずみ色なりしが、袖ながくすそはぢかりにして、さながら​蝙蝠​​こうもり​のはねをひろげたるににたり、さて御れいにまかり出るに、日ほんごくの大みやう小みやう、地下まち人、きゝつたへ​祇園​​ぎおん​​會​​ゑ​​山王祭​​さんわうまつり​などのやうに、見物をしわけられず、すなはち​進物​​しんもつ​には、​鐵砲​​てつぽう​十丁、​遠近​​ゑんきん​のめがね、八でうづりを​香筥​​かうばこ​に入るほどの蚊帳、十五けんにをよぶ志やう​緋​​ひ​、まき物、くすり物、​山羊​​やぎう​、ひつじ、​刀劔​​たうけん​以下、志ゆかずをつくしてささげ奉る、信長公ぎよかんなのめならず、すなはち御やしきを下されて、おびたゞしき寺をたつる、其後げりごりや、りいすばてれんといふものをわたす、日本の​通事​​つうじ​に、ろれんすといふもの、これは​備前​​びぜん​のくにの物也、又がうずもといふもの、志もんといふ物、是は​和泉​​いづみ​​堺​​さかひ​の物也、此ものどもかわる ​談義​​だんぎ​をとく、是をゐるまんとなづく、又日本の​坊主​​ばうず​の中に​落堕​​らくだ​して、世にすぎわびたるものをたづねもとめて、金銀をおびたゞしくとらせて、ゐるまんにとりたてゝ、儒釋道をとりくわへて、だんぎを七だんにつくりて、志よ人に​敎化​​けうけ​す、かれがいひぶんを聞に、なにの​奧意​​おくゐ​もなく、先神︀道內典を云たてゝ、五だんまではさんにそしりいひやぶりて、のこる六だん七だんは、をのがほうもんと聞ゆ、

 

さてもきりしたんがぶつぽうの​意趣​​いしゆ​をきくに、天地かいびやくの時、でうすとも大あるじとも申佛一たい​出現​​志ゆつげん​まして、日月をつくり出し、​世界​​せかい​をあきらかにして、人​畜​​ちく​​草木​​さうもく​​森​​志ん​羅萬​象​​ざう​、ことくつくり出せり、せかい國土こんりう有て、人げんをゆたかにすませ、​善​​ぜん​をせよとも​惡​​あく​をせよともおぼしめさぬ所に、末世にをよぶほど、人のちゑうすくなりて、でうすの御おきてにたがひ、あくしんぶだうの​衆生​​しゆじやう​なれば、かりにゐんへるのといふ所、地の下くらき中に、鳥けだものゝかたちをうけて、くるしみをうくる、又をしへにたがはざるしゆじやうをば、はらいぞうと申て、これより天上に​安樂​​あんらく​​快樂​​けらく​​飛行​​ひぎやう​​自在​​じざい​の所へむまるゝを、はらいぞうといふ、すべて衆生の​機​​き​より八​苦​​く​​難​​なん​あり、でうすは、はじめも今も​利益​​りやく​に不同なし、たとへばおやの子をまうくるに、あしかれと思ひてそだつるはなし、​成人​​せいじん​して、​病​​びやう​人も、​不孝​​ふかう​の物も、ぬす人もあるがごとし、あながちでうすにあやまりなけれども、衆生の​機​​き​まちなれば、あく人をばふかくにくみ給ふ、でうすの御をしへにたがわぬといふは、こひさんと申て、佛の御まへにまいり、​慚愧​​ざんぎ​〈[#「慚愧」は底本では「慚傀」]〉​懺悔​​さんげ​して、​未來​​みらい​のたのしみをいのる、くわりずもと申て、日本の​看經​​かんきん​といふがごとく、經をよみ、むねをほととたゝく、是はむねに何のおもひもなし、でうす、さんたまるやを、一すぢにあがめ奉るといふ志かたとみえたり、次に天を見あげてゆびをさし上る、是は天上より此​界​​かい​をまぼり給ふほどにうやまひ奉るてい、其次にをのれが兩がんをよこになづる、何をみても物にうつり心あるまじゐとの志かた、其次にくちををしへてはだゝきをするとみゆる、くちにていつわり​妄語​​もうご​有まじきとばかりの志かたと思へり、又夕べには、べんていしやと申て、蠅うちのやうなる物にあかゞねのはりをうへて、つくりためたるあくを、くちのうちにてさんげして、せなかを我とぜんすまるととなへて血をたらす事あり、まぼりにはこんたつと申て、でうすのおもかげをうつしたる物をほそがねにてはりくゝませて、ををつけてくびにかくる、​珠數​​じゆず​には​磔​​はつけ​​柱​​ばしら​をおどめにして、むかいのかたへつまぐりて、ぜんすまるととなゆるばかり也、又くるすといふ物を​肝要​​かんよふ​ともてあつかふ、べちに​楪子​​ちやつ​よりふかき事はなきみえたり、さて又寺のもやうをつたへうけ給るに、​祕密之間​​ひみつのま​とて、でうすのすがたを物すさまじげにつくり、はつけにかけたる所を見する、是はそも​難行​​なんぎやう​​苦行​​くぎやう​のすがたを見せて、​門徒​​もんと​どもに​感淚​​かんるい​をながさせんとのはかりごとゝみえたり、其おくのまは、​對面乃間​​たいめんのま​と申て、さんたまるやといふ女ばう、でうすをうみいだして、二さいばかりの子をいだきたるすがたを見する、そのしさいは、でうすと申佛天地のあるじたりといふばかりにて、衆生うたがひをなすべし、​佛法​​ぶつぽう​​世法​​せほう​のことわりをも聞志るまじきとおぼしめして、さんた丸やの​胎内​​たいない​にやどらせ給ひて、せかいにむまれ出給ふ所を見せて、たいめんのまといふ、其おくのまは、さんげオープンアクセス IA:564のまと申て、此あひだのとがあくじどもをばてれんゐるまん​宗躰​​しうてい​のものどもまで車​座​​ざ​になをつて、そのまんなかにて、さんげをしわびごとをして、志たたかにはじしめられて後、くだんのべんていしやをもつてばてれんがてづから打て血を出し、ふくさ物をもつてぬぐい、其うでをあらはずして、佛をおがむを大ぎやうといふ、かやうの行をつとむれば、朝夕かけかたちのごとく、でうす​守護​​しゆご​し給ふあひだ、​身命​​志んみやう​は露ちりほどもおしむべからず、でうすの御法をきく人は、大​海︀​​かい​​底​​そこ​のこがねをひろひ、一がんの​龜​​かめ​​浮木​​ふぼく​にあふより猶まれなる事と志たゝかにほめられてまんぞくし、まことに佛になるぞとおもひさだめて、火あぶりになるも、うしざき、車ざき、さかはつけ、かやうのなんにあふが、のぞみのかなふ成佛と心へて、いのちをいとひかなしむものなきとみえたり、あはれなる事共かな、ちえのなきものは、をのれがみゝに聞入、心におもひさだめたる事をば、かつてひるがへす事なし、たとへば二三さいのわらんべが​鏡​​かゝみ​​裏​​うち​のかたらを見ては、まことのかたちと思ひ、水の中の月をみては、​猿猴​​えんこう​​手​​て​にとらんとおもふ、おろかなる心とひとしきもの也、ぐ人はみなかくのごとし、​外道​​げだう​の法​魔法​​まほう​なるべし、

 

​文祿​​ぶんろく​ねんがうの比、ひでよし大こうの御代に、ふらでんといふばてれんをあまたわたす、かの國におひて​道心者︀​​だうしんじや​と見えたり、​外行​​げきやう​をもつぱらとして、​非​​ひ​​乞食​​こつじき​どもをあつめて、​兎缼​​いぐち​​癩病​​らいびやう​​瘍疔​​ようちやう​〈[#「瘍疔」は底本では「「疒+聽」瘍」]〉​唐瘡​​たうがさ​​腫物​​しゆもつ​とう〈[#「腫物」は底本では「瘇物」]〉​掲焉​​けちゑん​にれうぢして、我​門徒​​もんと​に引入、​息災​​そくさゐ​なる​乞丐人​​こつがいにん​の、しうていにならむといふ物には一​飯︀​​ぱん​をはどこし、中へんの世にすぎわびたる物にはげきやりをさづけて、​渡世​​とせい​を心やすくして、其​報恩​​ほうおん​にをのがしうていに引入、わかきもの、うぶき物、なまぢゑ、こ才かくさうなる物どもには、​伊達道具​​だてだうぐ​にてたぶらかし、大みやうとおぼしきには​印子​​ゐんす​のじゆず、とをめがね、​獻立​​こんだつ​それにあひさつしし、​因緣​​ちなみ​をふかうして、しうていにだみ入る、大​坂​​ざか​​堺​​さかい​​長崎​​ながさき​​周防​​すはう​の山口、​廣島​​ひろしま​​備前​​びぜん​​岡​​おか​山、​姫路​​ひめぢ​、はう所々に寺をたて、京は五條ほり川一條​油​​あぶら​​小路​​こうじ​に大寺をたて、​愚人​​ぐにん​​雜​​ざう​人、​歌舞妓者︀​​かぶきもの​ども、いづれもさりきらいなくとり入、​徒​​いたづら​​者︀​​もの​どもあつまりたりと聞えたり、有時ゐるまんどもべつしてしたしき​旦那​​だんな​どもといひ合せて、くせ事どももれ聞え、ひでよしたいかう​逆鱗​​げきりん​なのめならず、ない​邪法​​じやほう​をひろめ、人みんをたぶらかすよしをきこしめし、さいわい此たび​根源​​こんげん​をきつて、日本をはらわるべきにあひきわまる所に、ながさきよりくるまにのせ、​耳​​みゝ​​鼻​​はな​をそぎ、廿五人のうち、ばてれん六人、ゐるまん八人、​同宿​​どうしゆく​しうていども也、​洛​​らく​中を引わたされて、すぐに​播磨路​​はりまぢ​​西海︀道​​さいかゐだう​​筑紫​​つくし​まで​傳​​てん​馬にのせて、​肥前​​ひぜん​のながさきまで引わたさる、路しすがらも、でうすの​奇特​​きどく​あるかとて、天を見あげ、山をながむれども、露ほどもきどくなければ、けでんさうなるつらつきして、ながさきにはた物にかけられけり、志ばらく​番衆​​ばんしう​ありしかども、ほどなくくさりけるを、​骨​​ほね​​髑髏​​しやりかふべ​ともをぬすみとり、後後ははつけばしら、やうじ木程づゝけづりとりて、まぼりにかけ、あまつさへのちは​賣買​​うりかい​になつて、​價​​あたい​​高直​​かうぢき​になるとや、

 

右日本のしゆつけ衆は、なんばんの​風俗​​ふうぞく​にちがひ、​旦那​​だんな​をへつらひ、​名利​​みやうり​にふけり、​重欲​​ぢうよく​をかまへ、​慈悲​​じひ​なく​慳貪​​けんどん​にして、​高座​​かうざ​のうへにてはよくを​捨​​す​てよといひて、あとより​拾​​ひろ​はんとの心根、又​西方淨土​​さいはうじやうど​​七寶莊嚴​​しつぽうしやうごん​のもそほひ、さいなん​瓔珞​​やうらく​のすがた、卅二​相​​さう​のかたちをそなへ、​飮食​​おんじき​​衣服​​ゑぶく​にとぼしき事なく、一つとしてまんぞくせずといふ事なしと、​談義​​だんぎ​ごとにうけ給るが、​不審​​ふしん​はれず、その​知識​​ちしき​のわづらひ給ふ時は、​藥​​くすり​をのみ​針​​はり​をたて、​灸​​きう​をすゑ、きわめていのちがをしさうに見ゆる時は、これもいつわりやらんときりしたんどもこれをわらふ、げにも​鋸​​のこぎり​​屑​​くづ​もいへばいわるゝと、もつとものいひかんかな、八​宗​​しう​九しうのうちにくやむ事おゝし、先出家ににあはぬ公事ずきをし、​茶​​ちや​​湯​​ゆ​​數奇​​すき​​連歌​​れんが​、あるひは​亂舞​​らんぶ​​鞠​​まり​​楊弓​​やうきう​、花見さかもり​無益​​むやく​の事、​學問​​がくもん​​疎​​うと​くして、​佛法​​ぶつぽう​をとへば、​俗人​​ぞくじん​にはるかをとれり、​布施​​ふせ​とはぬのをほどこすとかけり、女人は​業障​​ごつしやう​​執着​​しうじやく​ふかきものオープンアクセス IA:566なれば、​麻​​あさ​​緖​​お​のひねりめまで​精︀​​せい​をこみうみつむぎ、​辛苦​​志んく​しておりいだす物なれば、心ざしをかんじて​結緣​​けちえん​​濟度​​さいど​のため佛なのめにおぼしめすと、​經説​​きやうせつ​にあかせり、今の世には金銀にふりかわつて、あたいかうぢきになれり、さりながら知行をももたざる出家は​貯​​たくわ​へなくして、​堂​​だう​​伽藍​​がらん​​修理​​しゆり​をくわへ、佛ぜんに​佛餉​​ふつしやう​​香花​​かうはな​をそなへ、​經諭​​きやうろん​​聖敎​​しやうげう​をもとめ、​弟子​​でし​をはごくみ、時齋のとゝのへなくしては、かへつてほとけのたねをたつといへり、ここをもつて、​智者︀​​ちしや​のつくるつみはおほきなれ共​地獄​​ぢごく​にをちず、​愚者︀​​ぐしや​のつみはすくなけれどもぢごくにおつるといふ事、​聖​​せい​人のごなり、又きりしたんのものどもが​無欲​​むよく​にして、だんなをへつらはざる事きどくにあらず、なんばん國わうよりまい年くろふね、がりうたにおほせつけ、寺々へはぶきあてられ、すでに心ざしふかきしうてい共まで​かて​​粮​をあておこなわるゝ時は、むよく​賢​​けん​人にみゆる事きどくにあらず、その上​牛​​うし​​馬​​むま​​豚​​ぶた​​鶏​​にわとり​以下の​肉食​​にくじき​朝夕にくらいて、​畜生​​ちくしやう​​行儀​​ぎやうぎ​をうらやみて、おほかたはくらい物をあぢわへて、しうていになるものどもおほしときゝつたへし、

 

一元和元年のころ、大ざかにおひて、きりしたんのほう​繁︀昌​​はんじやう​して、​武士​​ぶし​町人​諸︀浪​​志よらう​人ども​門前​​もんぜん​​市​​いち​をなす、有とき大みやうの後室​六旬​​りくしゆん​にあまらせ給ふが、しきりにきりしたんのほうをすすむるによつて、何ともよんどころなくして、こうしつのいはく、われはこれ七しゆんにをよびて、​榮花​​ゑいぐわ​​榮耀​​ゑよう​ののぞみなし、なににとぼしき事なく、たゞあけてもくれても後生一すぢ也、せんずるところは佛になりたきのぞみばかりなり、今日にゐたるまでぶつぽうのたてわけをしらず、南無阿彌陀佛と申せば、​西方淨土​​さいはうじやうど​におもむき、妙法蓮花經と申せば、​寂光土​​じやくくわうど​におもむくとばかり心へて​餘念​​よねん​をしらず、てにとるほどに佛道あきらかなる事あらば、​何宗​​なにしう​にはよるべからず、しうていをかへ候はん物をとの給ふ、ゐるまん聞て、女ばうは​蕩​​たら​しやすき物と心へて、中々の御事、でうすの佛法はたちどころにはらいぞうと申て、天上の​快樂​​けらく​金色に身をかゞやかし、​寒熱​​かんねつ​​差別​​しやべつ​なく、おろがんと申て、日ぽんの​樂​​がく​などのやうにふきならしてあそびたはぶれ給ふ所なり、​釋迦​​志やか​とやらん​阿彌陀​​あみだ​とやらんが、何とて佛になすべきや、志やかはこれ​天竺​​てんぢく​の上ぼん大わうが子なり、おやに​勘當​​かんだう​せられて、だんどくせんにかゞみゐて、くちにまかせて衆生をまよはす、あみだといふも​法藏比丘​​ほうざうびく​といひて人げん也、でうすと申は、天地かいびやくの佛也、きのふやけふの志やかゞほうにとらかさるゝは、きつねにばかされたるがごとし、志かしながら、くちのよきまゝに三國のぐ人どもをまよはしたると見えたり、こうしつのいはく、我はこれ女の身なれば、何のしやべつもしらず、その方のいひぶんもくちばかりにて、まことしくも思はれず、​所詮​​志よせん​はきりしたんのうりの一の物しりたるゐるまんをすぐりて御いだし候へ、此はうよりもしやかのぶつぽうをまなびたる人をたづねもとめて出すべし、​法門​​ほうもん​にいひかつたる人のかたへなるべしと仰せける、ゐるまん聞て、それこそのぞむ所なれ、いつにても御​左右​​さう​しだいに、まいるべきとかたくやくそくして、ゐるまんはまかり歸りける、こうしつのいはく、​禪​​ぜん​​淨土​​じやうど​​長老​​ちやうらう​をよびたりとも、きりしたんが法は、神︀たう、​內典​​ないでん​​外典​​げでん​うちやぶりて、よこしまをいふと聞えたり、こゝに伯翁居士と申て、出家まさりの人ありときく、これをむかひにつかはして、​問答​​もんだう​せさせみんとて、​飛脚​​ひきやく​を京へさしのぼらせらる、抑此はくおうこじと申だう人は、上京のかたはらにかすかなる​庵室​​あんしつ​をむすび、身にはあさの衣かみぎぬ、ふゆはかみのふすま、二時の​飯︀​​はん​​菜​​さい​には​焼鹽​​やきしほ​ばかり物さびたるていなり、ちう夜​見臺​​けんだい​にむかひて、ないでんげでんに目をまじろまず、若年よりぶつほうにかたぶひて、南都︀におひては、​唯識論​​ゆいしきろん​​講說​​かうぜつ​をきゝ、三井寺にしては、​倶舍論​​くしやろん​、なかんづく​世間品​​せけんぼん​を聞て、三千世かいはたな心のうちにあり、えんりやく寺に​登山​​とうざん​しては、​玄義​​げんぎ​​文句​​もんぐ​​止觀​​志くわん​​首楞嚴​​志ゆれうごん​、戒經以下、十二年​住山​​ぢうせん​してこれをたもち、むらさき野にのぞんては、​碧嚴​​へきがん​をきゝ、​妙心​​めうしん​寺にしたひ​宗鏡錄​​しゆきやうろく​​惠能​​ゑのふ​​壇經​​だんぎやう​、五さんにおひて​東坡​​とうば​​山谷​​さんこく​オープンアクセス IA:568​文選​​もんぜん​とう、又三輪りうの神︀たうをおこなひ、淨土​門​​もん​に入ては​選擇​​せんぢやく​集、二​僧︀祇​​さうぎ​以下萬ぼう一如なる所を​坐禪​​ざぜん​​工夫​​くふう​して、香のけぶりに身をふすべ、仙人にひとしからむや、​辨說​​べんぜつ​​富留那​​ふるな​をもあざむくべき​びく​​比丘​也、かゝる所に大坂よりほうもんのやうを申て、ひきやくたうらいす、志ばらく志あんしてひ​判​​はん​​者︀​​じや​もなきに​諍論​​さうろん​する事いかゞ有へきなれども、​女儀​​によぎ​といひ、又はきりしたんのやつばらざうにんぐにんにたいし、ほしゐまゝに魔法をはき出すでう、はぢをあたえんと思ひて、​伏​​ふし​見よりはやぶねをとはせて、大坂のやかたに付給ふ、こうしつなのめによろこび給て、すなわちきりしたんが寺へ​使者︀​​ししや​をたてゝいわく、がくもん​広博​​くわうはく​にしてべんぜつあきらかなるゐるまんこれへ入御候へ、やくそくのごとく、ぶつぼうの​勝劣​​せうれつ​をきかんと侍り給ふ、時に​巴毗弇​​はびあん​と申て、いにしへ禪​坊主​​ばうず​おちと見えて、まなこのうちくるとして、水のながるゝごとくべんこうとゞこほる事なし、年は五十ばかり、はくおうは六十四五、ふるまひいぜんにはくおうと​式代​​しきだい​してよも山の​雜談​​ざうたん​​會釋​​ゑしやく​す、すでにその日くれて、​蠟燭​​らうそく​[「らうそく」は底本では「らつそく」]をてんじ、ほうもんにとりむすぶといへり、​聽聞​​ちやうもん​衆一二百人ばかり、ふすましやうじひとへへだてゝしわぶきをもせず、しづまりかへつてきゝゐたり、やゝあつてきやうばこをとり出て、​法華經​​ほけきやう​​金剛經​​こんがうきやう​、三​部經​​ぶきやう​以下をならべをく、はくおうこれをみて、いや ​釋門​​志やくもん​​談義​​だんぎ​めづらしからず、日ぽんの​知識​​ちしき​だちにちなみてあさ夕これをきく、たゞでうすの萬ぼうばかりをとき給へとうちまげられて、きやうばこにおさむる、これは​經文​​きやうもん​をよみたてゝ、あしく​義理​​ぎり​を付て、かたはしやぶりすてんためなり、さてざしきにくわしの入たるぢうばこあり、これをたとへてゐるまんがいはく、此ぢうばこは​指​​さ​してあるべさか、​不慮​​ふりよ​に出きたる物かととふ、はくおうこたへていはく、大​工​​く​がさゝで​虛空​​こくう​よりふりわく物にてはこれなしといふ、ゐるまんがいはく、その​合點​​がつてん​をもつてよくしるへし、でうすと申奉る佛は、天地ひらけはじまりたる佛也、そのかみは​空々​​くう​茫々​​ばうばう​として一​物​​もつ​もなき所に、志ん羅萬​象​​ざう​​人畜​​にんちく​​草木​​さうもく​日月、ことくつくりいだされ、​世界​​せかい​​建立​​こんりう​と云々、その​作者​​さくしや​をたつとまずして、二千年三千年このかたのしやかみだをねんじてなにのたよりにせんや、そのうへしやかの​經說​​きやうせつ​は、みな​無​​む​​見​​けん​なり、でうすの​萬法​​まんぼう​はみな​有​​う​​見​​けん​なり、志かるにぜんをいとなみでうすの御おきてにたがはざるものをばはらいぞうと申て、たのしみをきわめ、​安樂​​あんらく​​住​​ぢう​す、あく人をばゐんへるのと申て、かなしみのきわまりたる所へおとさるゝ、そのいにしへは、​悪​​あく​​善​​ぜん​​苦​​く​​樂​​らく​もなきを、末世にをよぶ程衆生の氣智ひずみすなをならざるによつてはらいぞういんへるのをつくりをき給ふ、日ぽんの諸︀神︀諸︀佛といふは、そのいにしへはみな人げんなり、伊勢太神︀宮は伊ざなぎいざなみが子、出雲の國につりあま人の子なり、八まん大ぼさつといふも、​應神︀天皇​​おうじんてんわう​これ人げんなり、衆生のはかなきはみなかたわらをねがひ、正​法​​ぼう​をかつてしらざるゆへなり、かるがゆへに、でうすの御かたち人げんにまみえて​利益​​りやく​せんとおぼしめして、さんたまるやと申美女の​胎内​​たいない​にやどらせ、​金剛​​こんがう​​堅固​​けんご​の御​相好​​すがた​をあらはしまして、人げんの​所望​​しよまう​をかなえたまふなり、なんばん國は大ごくにして、日本五百千あわせてもきう牛が一もうたり、國王の​勅諚​​ちよくぢやう​にいはく、日本の人みんども、でうすの正ぼうをしらずんばふびんの事なりとおぼしめして、​蒼海︀萬里​​さうかいばんり​をしのぎ、此國にわたさるゝといふ、はくおうつぶさにきゝて、それよりして、でうすの佛ぽうの​奥意​​おくゐ​はなきかととふ、ゐるまんこたへていはく、でうすのまんぼうのひろき事は、​廣大無邊​​くわうだいむへん​にして、人げんのちゑにをよびがたし、​經諭​​きやうろん​山山おほし、はくおうがいはく、​難​​なん​をうつべしつゝしんできゝ給へ、でうすといふは、天地​開闢​​かいびやく​の佛とうけ給はる、さだめてなんばんにはさやうにこそ思ひつらめ、​唐​​たう​​竺​​ぢく​​朝​​てう​には、天神︀七代地神︀五代、日本​紀​​ぎ​にも​漢書​​かんじよ​にもあさ夕これを見るなり、でうすといふ事ははじめて是をきく也、天地かいびやくの佛にてはあるべからず、とかく天地かいびやくよりの鬼にて有べし、第一に、志んらまんざう人ちくさうもく日月ことくつくりたまふといふたわ事をばさしおひて、先人げんをつくりてなにのために入申や、そのいはれをよく聞ん、​能特​​のふどく​のなき事オープンアクセス IA:570はよもあらじ、たゞしかい鳥のごとくになぐさみ物になるか、又ぬし一人さびしさに​話​​はなし​​伽​​とぎ​につくりおけるか、くすり物になるか、ふしんはれやらず、ざしきのぢうばこは、くわしを入、さかな物をいれんたののうつわ物なり、もろのしよだうぐに、のふどくなき物はなし、​鑵子​​くわんす​はちやをのまんため、火ばしはおきをはさまんがため、それののうどくをもたせたり、人げんにもでうすのためにのふどくなき事はあるまじ、此返たうをきかんといへども、よも山の事にいひまぎらして、すみやかにへんたうなし、第二のふしんに、人げんをつくりたるがまことならば、一てん四かいの人げん、又は佛ぽうをも一さくにつくり給はで、​數千萬里​​すせんばんり​をしのぎ、此小國までほうをひろめにきたり給ふは、​神通​​じんづう​のなきどんなる佛也、第三に、でうすをはた物にかけ、ある時はいばらからたちの中へおひこめられて、なふ​亂​​らん​​逼迫​​ひつはく​にあわせたるよし、七​段​​だん​​談義​​だんぎ​のうちにとくときく、かやうのむほん人をつくりをかるゝ事むふんべつあさましき事也、第四に​誰​​たれ​かやとふともなきに、人げんをつくりて、はらいぞういんへるのといふ​地獄​​ぢごく​​極樂​​ごくらく​をつくり、あげつおろひつすいきやう人なり、人げんは​貴​​たか​きもいやしきも、​四苦​​志く​八くのなきもの一人もなし、さやうの事をうらみて、はた物にはかけつらん、とかく鬼とは見えたり、ゐるまん志ばしくちをとぢてゐたりけるが、やゝ有て申やう、でうす此せかい大あるじのてがらには、天​照​​せう​太神︀、​春日​​かすが​​幡​​まん​​寶殿​​ほうでん​へあがりて、​糞小便​​ふんせうべん​をしたりともばちあたるまじきをもつて​根本​​こんぼん​の佛としるへし、はくおう聞て、にくゐやつめが​廣言​​くわうげん​かな、さらば​用捨​​ようしや​もなくつらのかわをめがんと思ひ、ひざをなをし、はびあんよくきけ、三しやの大​床​​ゆか​ほうでんへあがりて、ふんせうべんをしてもばちあたらぬをてがらといふ、牛馬ちくしやうのたぐひにばちのあたりたるためしなし、又なんぢらがもちいる佛、​鳥類︀​​てうるい​​畜類︀​​ちくるい​とも、いさゝか物のかず共おもはず、かの物ずき人だましのでうす、てゝなし子をうみたるさんたまるやいだし候へ、​頭​​あたま​より​脛​​すね​まで​箱​​はこ​をひりかけて、​足​​あし​にてふみにじりてみん、たち所にたうばちあたらば、一​門​​もん​​眷屬​​けんぞく​しうていになるべし、又これこそ正身のでうすよと、​虛空​​こくう​をとなへてありく程にこそ、なくともさまざまの​奇特​​きどく​​殊勝​​しゆせう​なる事ども、あまねく​他宗​​たしう​もかんずる事共あらば、​外道​​げだう​なりとも​不思議​​ふしぎ​とおもふべきに、をのかしうていの​愚癡​​ぐち​​無智​​むち​ちくしやう​同然​​どうぜん​の物共の內にて、​遠国​​おんごく​のしれぬ事をことばに花をさかせ、七だんのだんぎにたわごとをつくり、おほくのものを​魔道​​まだう​へはむる事ふびんの事かなと、はくおうこじにたゝみかけられて、はびあんは桃を​銜​​くゝ​みたるやうにて、くちのうちにてつぶやき、いぬのにげぼえとやらん、かたくちものゝまへにて何をいひてもせんなしと、むかだちにしてぞ歸ける、其後はこうしつへすゝむるものぞなかりけり、

 
吉利支丹物語卷第上
 


オープンアクセス IA:570
 
吉利支丹物語卷第下
 

そうじて倶捨ろんをみるに、此​世界​​せかい​​國土​​こくど​​間​​げん​、ともにいつはじまりたるといふ事なし、神︀佛のつくりいだせるといふさたなし、又​未來​​みらい​​永々​​やう​をへてもつくるといふ事なし、百年に一年づゝ​定命​​ぢやうみやう​おとりて、十さいの​翁​​おきな​となる、それより又一年づゝまして、八十三萬年の時分まであがりて、又百年の時分までおとりて、​彌勒​​みろく​​出世​​しゆつせ​あり、釋迦まで九佛め也、そのごとく二十一佛しゆつせし給ふて​世界​​せかい​​滅​​めつ​すといへり、​層︀塔建立​​さうたうこんりう​と申て、せかいあたらしくなれども、衆生​不增不減​​ふぞうふげん​してつくる事なし、一佛しゆつせのあびだ、​忉利天​​たうりてん​の四千年、此せかいの五十六おく七千萬ざい也、人げんは無始​刧​​ごう​より今まで​流轉​​るてん​する事は、​因果​​ゐんぐわ​​車輪​​しやりん​のごとし、石に火の性あるがごとく、人げんも佛になる性をそなへもちけれども、心へそこない​顚倒​​てんだう​​迷冥​​めいめう​して、​貪慾​​とんよく​ふかければ​餓鬼道​​がきだう​オープンアクセス IA:572​愚癡​​ぐち​さかんなれば​畜生道​​ちくしやうだう​​瞋恚​​志んい​さかんなれば​修羅​​しゆら​​地獄道​​ぢごくだう​におつる、その​苦患​​くげん​つきて又​有相​​うさう​世かい人ちくの​胎内​​たいない​をかんじて、めんめんの​相好​​さごう​によつて佛だうをとぐるもあり、​惡​​あく​だうへひかるゝもありと云々、

一、後生をねがひ佛だうをとげんと思ふに、​眞​​しん​​草​​さう​​行​​ぎやう​の三つのしなあり、法に二法なしと申せ共、

一、ざう人ぐにんのやからには、南無阿彌陀佛と​行住​​ぎやうぢう​​坐臥​​ざぐわ​におこたらず、其うへにおひてぜんあくをおもひはかりて、正ぢき正路をほんとし、人のにくみをうけず、​善根​​ぜんごん​​慈悲​​じひ​をもつぱらにして、一しんふらんに​彌陀如來​​みだによらい​​西方淨土​​さいはうじやうど​へすくいとらせ給へとうたがいなきやうに​敎化​​けうけ​するを、もろの一​文​​もん​​無知​​むち​のざう人にすゝむる次第也、妙法蓮花の五じの​題目​​だいもく​をとなゆる人も、ほけきやう八​軸​​ぢく​のうちに、始覺本覺のさとり、大​乘​​ぜう​​圓頓​​ゑんどん​ありがたき事、此御きやうにましたる事は有るまじとうけ給り候へども、一もんふつうなれぼ、めうほうれんげきやうとあさ夕となへて、​寂光​​ぢやくくわう​​淨土​​じやうど​へむまれて、​不退轉​​ふたいてん​のくらゐにあんざせよとけうけする物也、

一、中智のくらゐにけうけの次第は、先日ぽんは神︀こくなるによつて、諸︀神︀志よ佛志んじ奉り、べつしては伊勢かすが八まん三しやの​託宣​​たくせん​のむねをとくしんして、あしたには天下​泰平​​たいへい​​國土​​こくど​​安穏​​あんおん​しゆ人​愛敬​​あいきやう​といのる、​和光同塵​​わくわうどうじん​​結緣​​けちえん​のはじめ、八​相​​さう​​成道​​じやうだう​​利物​​りもつ​のおはりと申て、かならず​臨終​​りんじう​のみぎりにみちびき給ふ、神︀と佛は水波のへだてなればなり、夕べには​無常​​むじやう​​觀​​くわん​じて、人げん五十年といひながら、あすをもしらず、一心のうへよりいろのあくしん​妄想​​もうざう​うつりやすき物なれば、​境界​​きやうがひ​にひかれぬやうに、わが一心のたづなをはなさず、又せけんをわたらんとおもふには、仁義禮智信をまぼり、內​證​​せう​には​菩提心​​ぼだひしん​をふくみ給ふべし、金銀をいかほどたくわへても、夢にかねをひろうがごとし、志かりといへども、よくをことくすてよといふにはあらず、よこしまむりむたひをいましむる也、

一、上智の人​出離​​しゆつり​をとげんとおもふとりおこないは、釋迦一代の​藏經​​ざうきやう​は、​迷​​まよ​ひと​悟​​さと​りの二つをときわけ給ふ、一心のうへよりさとり、一心のうへよりまよふ物なれば、人だのみをし、佛だのみをしてなる佛にはあらず、たゞわれにそなわりもちたる佛をみがき出さゞれぼ、みらいやうをへても佛にはなりがたし、たとへば、​水晶​​すいしやう​の石にひかりありといへども、こんがうじやうをもつてすりみがゝざれば玉にならず、たとへば​鏡​​かゞみ​といふものは、​無念​​むねん​なる物なれば、うかぶかたちをとめず、人げんも本心はかゞみにもおとらず、あきらかなる物なれども、うかぶきやうがひをとめてよろづき、とんよくがまんにまよふ、禪家に萬ぼうとともだつてともたらずといふも、ばんのきやうがいにひかれぬといふぎりなり、天​台​​だい​の一​念​​ねん​三千の​相​​さう​といふも、一心のうへに三千のまよひあるといふ事を​肝腎​​かんじん​とす、かつて​凡夫​​ぼんぶ​のうへにさたする事にあらず、されども​知識​​ちしき​にあひてさとる人はあまたあれども、ひらくる人まれ也、かたわぐるまのごとし、

 

元和年がうの比、肥後の國より坊主一人​駿河​​するが​へまかり上、御年より衆まで言上申ていはく、肥後の國にきりしたんの寺なたると申て、小西津の守が​尊崇​​そんそう​せし寺にて御座候、それがしに​難題​​なんだい​を申かけついほう仕候、わたくしもいるまんと申て、だんぎをもいたし候​意趣​​いしゆ​は、なんばんの國王日ほんをしたがへんてだてに、佛法をひろめんため、ばてれんをあまたさしこし、かの國のうち五かこく十ケ國の所りやうを日本の入用にをしむけ、まい年あきないぶねとかこつけて、いとまき物しなをわたす、京ゐ中の寺々​配分​​はいぶん​して、まかないとぼしからず、又日ほんよりは當年は​何​​なん​百なん十人しうていにすゝめ入たるといふ大帳をつくり、なんばんへわたす、弓矢のたゝかひなく國をとるはかりごとなり、まのあたりのべすばん、るすん、かの國より​守護​​しゆご​をすへ、三年がわり​所務​​しよむ​​運送​​うんそう​せしむ、ほうをひろめんはかりごと也、それがしがあひてをさう肥後へよびにつかはされ候へ、御前におひて​對決​​たいけつ​をとげ、志゛ぜん拙者︀​虛言​​きよごん​を申さば、うしざきになり其車ざきになりとも御おこなひなされ候へ、あひてのまいる間は​牢舍​​ろうしや​に仰せつけらるべしと、とゞこほオープンアクセス IA:574る事なく申上ければ、上意にきこしめし、ちうせつのものかなと御​氣色​​きしよく​よげにみえさせ給ふ、すなはち加藤肥後守におほせわたされ、訴人のあひてをめし上せらるゝ所に、​雙方​​さうほう​たいけついたし、めいさいに白狀仕、國をとらんとのはかりごとにきわまれり、それよりして、ふかくにくみおぼしめして、寺々​發向​​はつかう​せられ、​宗躰​​しうてい​のもの共には、此たびころびたらんものは志さいなし、もしあひのこるものこれあらば、すみやかに御​成敗​​せいばい​にをよぶへきむね、かたく御ふれの事、

 

​洛​​らく​中の町人うらや、かしや、あまめうしんへんどへんない、ことくせんさく仕といへども、內心わだかまつてそらころびするものこれおほし、其ときの所司代​板倉​​いたくら​伊賀守​勝重​​かつしげ​しゆけいりやくをめぐらされけれ共、​畜生​​ちくしやう​正ぢきのやつばらなれば、一たび聞入てひるがへす事なし、いのちを露ほどもおしまざれば、さながらに​後生​​ごしやう​事といへば、​掏摸​​すり​​强盗​​がうたう​​罪科​​ざいくわ​にもおこなはれず、いかゞはせんとあんじわづらひ給ふ所に、江戶より大久保さがみの守御奉行として、らく中大坂、さかへ、なら、きゝつけ次第​俵​​たわら​にいれ給ふ、たわら二まいにまき、五ところゆいにして、くびばかりいだしけれは、さながらみの蟲のごとし、先京中のもの共は、四でう五條のかはらにさんつみにして、五十石卅石つつみかさね、おうぢうばのたぐひはひしとならべをかれたり、見物のものは、京中をうちふるうたりと見えたり、あさよりひる時分までは、​口​​くち​​器量​​ぎりやう​にして、ぜんすまるととなへて、あひに申やう、さてもありがたの御事や、​內々​​ないはかやうの大なんにあひ、でうすさまの御たすけにあづかり、はらいぞうへむまれて、​樂​​らく​​活​​くわつ​​計​​けい​​欲​​ほ​しい​飢​​ひも​じなる事もなく、​瓔珞​​やうらく​をさげてゐると、どみんご、​御示​​おしめ​しごとに​聽聞​​ちやうもん​す、はやうち御ころし候へと人ごとにつぶやきける、むまのこくも過、ひつじのかしらになる時分に、一人が申やうは、いざみなころぶまひか、後生はみてこぬ事なればおつての事、とかくひだるうてめがまひさう也、其うへ此中のだんぎごとに、大なんにあふときは、百​味​​み​​飮食​​おんじき​をあたへ、​天​​てん​の上へひきあげ給ふよしうけ給り候へども、けふは​煎餠​​せんべい​を一まい​飴​​あめ​を一ぽんくるゝ物なし、夕べくうたるまゝなれば、むしがこみあげ、むねがしわるといふ、又したづみになりたる物の申やう、うへよりをしつけられ、もちおもりがして、​息​​いき​がきるゝ、​義理​​ぎり​​外聞​​ぐわいぶん​も思はれず、いざころべと​異口同音​​いくどうおん​に申ければ、なぐれくちになつて河原うちは時のこゑをあげてわらいけり、さてざうしき衆町々へ人をはしらかし、うけ人てがたをさせ、みなをのが家々に歸る所に、あとに五六十人のこりてひけうとのゝしりければ、せうのはぢにこそうそもふかるれ、これよりしてはめんさばき、後生はねずみいたちに生るゝ共かまいなしと、うちわくづれに成てかへりける、さてざうしき衆あとにのこるやつばらをにくみ、たき木を四五だとりよせ見せて、夕さりは夜どをしに、​八瀨​​やせ​、大​原​​はら​​岩倉​​いわくら​​長谷​​ながたに​​静原​​しづはら​、花​園​​ぞの​より、しばわり木二三百だ來べし、あすのあかつきは、山のごとくつみあげて、一どに火あぶりにしてくれんといふをきゝて、大​驚顚​​けでん​をしてふるい、ざうしきのかしら、松尾松むらおぎ野いがらしをよびていふやう、一たんのぎりにこそは今までこたへて候へ、はやくころばせて下され候へと、いろくどきつれて申によつて、わらいたわらより出されけるとかや、

 

右はじめのほどは、一​文​​もん​​不通​​ふつう​の物ども​悪魔​​あくま​​外道​​げだう​のほうを聞てまことぞとおもふものふびんの事かなと御なふじうをたれさせ、ころびしたびに御ゆうめんなさるゝ所に、なんばんへもれ聞えて、又ほうのたてばをかへて、いくたびころびても、​宗躰​​しうてい​​本意​​ほんい​さへたがはずはくるしかるまじといひつたへ、一人にゐんす一ふんあて、ひそかに是をくばる、此事又訴人出て、いよ國をかたぶくべきてだてあらはれ、ふかくにくみおぼしめして、日本國の​守護​​しゆご​​頭​​とう​​官​​くわん​とうに仰付られ、里々うら、山が山が、嶋々のこる所なく、昨日けふむまれたるあか子まで、それのだんな寺よりせう文にのせ、​子々孫々​​志ゝそん當寺のだんなにまぎれ御座なし、もし此うち一人なり共きりしたんの​宗旨​​しうし​御座候はゞ、寺のぎは御​闕所​​けつしよ​なされ、ばうずはいかやうにも御せいばいたるべしと、かたく書物を仕りさゝげ奉る、町オープンアクセス IA:576人は町の​年寄​​としより​月行事、村々は​庄屋​​しやうや​おも百姓、​武士​​ぶし​は物がしら、年ごとに御あらためもるゝ事なく、あまつさへ諸︀國の​在々​​ざいにそくたくの高札ありといへども、やゝもすれば十人廿人づゝさがし出されて、火あぶり、さかはつけ、水つけ、さまの御せいばい今にたへざる御事は、ふ志んはれがたしと云々、

 

寬永十四年十一月中旬の比、​島原天草​​しまばらあまくさ​一揆しきりにおこして、くしのはを引がごとく、​早飛脚​​はやびきやく​​早傳馬​​はやでんま​の行ちがふ事夜る日るのさかひなし、その​濫觴​​らんじやう​を尋ぬるに、松倉長門守​拜領​​はいりやう​の地也、六萬石あておこなわるゝ所に、​私検地​​わたくしけんち​して高拾貳萬石を物成五つ六つにして、むたいにむさぶりとる、百姓ども年々のつかれによつて、當ねんはうるべき子も牛馬もなし、なにをもつて​身命​​しんみやう​をつなぐべきや、とても​餓死​​がし​にをよばんより、一揆をおこし末代までの​後記​​こうき​にとヾむべきと、天の四郞といふものを大將にして、すなはちきりしたんのだんぎをとかせ、しうていを一途にきわむる、もし​異議​​いぎ​いふものあればきつてすて、​腰指​​こしざし​​笠標​​かさしるし​​守​​まぼり​に、くるすといふ物を仕りける、すなはちながとの守在江戶のるすをうかがい、​城​​しろ​下は申にをよばす、二三里四方放火せしめ、ひやうらう、みそ、しほ、たまくすり以下、でうぶによういして、しまばらの​古城​​ふるじろ​を夜る日る​普請​​ふしん​をくわだつる、そうじて此しろと申は、ひがしはあらうみ、西はぬま、しほのさしひきあつて馬のひづめもたゝず、​南北​​なんぼく​がんせきそびへたり、たて十八町、よこ十ちやうばかり、中にからぼり、三重にほりとをし、山のこしをほつて、​鐵炮狹間​​てつぽうざま​をあけ、本丸に​小殿主​​こでんしゆ​をあげだし、やぐらだし、​塀︀​​へい​​逆茂​​さかも​木かいだて、二のまる三の丸までおもふづにこしらへ、たてこもる人數は、さうひやう三萬四五千にをよべり、中にも​下針​​さげばり​をも​射​​い​る程の弓四五百ちやう、志ゝうさぎのはしり物、そらとぶ鳥をはづさゞるほどのてつぽう八百からばかり、又​土手​​どて​にひつそへて、どう木石弓共きつてをとすたくみ、女ばうどものやくには、​砂​​すな​をいりて大​杓子​​しやくし​にてすくいかくる、​煮︀​​に​​湯​​ゆ​をわかしてかくるもあり、まりほどづゝのいしをなぐるも、それのやくしやづけをしたり、御上使に板倉內膳正、石谷十藏介、かさねて御奉行に松平伊豆守、つくし大名には、細川越中守、黒田右衞門佐、鍋嶋信濃守、有馬玄蕃允、橘飛驒守、寺澤兵庫頭、小笠原右近大夫、侍大將水野日向守、戶田左衞門督、その外は志るすにをよばず、其一ぞなへひとぞなへ、芝手をつき、さかも木をゆい、さくを付、​井樓​​せいろう​をあげ、しよりを千​鳥​​どり​​掛​​か​けに竹たばもつたて、かめのこう、​ミツカ子​​水銀​ぼり、八重はたへにとりまき、海︀手はかいだて、めくらぶね大せんをからくみ、やぐらをあげ、いし火や大づつなりやむまもなし、まことに鳥ならではかけりがたし、日るは​足輕​​あしがる​てつぽうのものをいだして、雨のふるほどはなしけれ共、すこしもひるまず、しろの內よりは、山のこしをほりうがち、てつぽうざまを三だんにあけ、さかをとしにうつ、しろへのみち、大手からめてに二すぢ有といへども、ほそみち岩づたひなれば、一きうちにしてさうなうへいじたまではおもひもよらず、夜るはさる火車火をいだして、​蟻​​あり​のはうまでもみすかし、日々夜々よせての人數そんずるばかり也、しろはがんせきけんなんにして、​塔​​たう​​九輪​​くりん​のうへをながむるがごとし、何ともせめあぐんて、日々​談合​​だんがう​一途にきわまらざる所に、江戶よりの御​注進​​ちうしん​にいはく、さつそくせめて人數そこなふべからず、一揆ふぜいけんそをかまへいかほどありといふとも物の數ならず、あひかまへてせむべからずとおいにはやびきやくかさなれり、諸︀大名衆御上使の陣屋にあつまりたまひて、​評定​​ひやうぢやう​にいはく、そうじて此こしろ、たとひ​巌窟​​がんくつ​​石壁​​せきへき​にして、くろがねのあみ二重三へにはるといふとも、蚊虻あつまつて​雷​​いかづち​をなすににたり、一ときぜめにしてふみちらさん事あんのうちなりといへども、百姓​穢多​​ゑつた​​乞食​​こつじき​のたぐひに​諸︀侍​​しよさふらい​どもをうたせてはふびんの事也、いかゞはあらん、せんする所は、すねんのたくわへもなく、にわかにたてこもりたる物なれば、ひやうらうか玉ぐすりかつきざる事はよもあらじ、其上御おきてといひ、かたもつて先一ケ月もゆるがせにすべしとだんがうきわまる所に、鍋嶋信濃守てさきへ夜うちを打、內々おもひまうけたる事なれば、えたりやかしこしとひつつゝんで、百四五十くびをとり、いけどり二三十人からめオープンアクセス IA:578とる、のこる二百人あまり、はうしろへにげのぼる、さて死人どものはらをあけてみれば、​海︀草​​かいさう​、木のは、靑むぎなどをくらひて、めしのあるはらは一人もなし、さてはひやうらうなきと心へて、寬永十五年正月二十七日の夜はんより、​總攻​​そうぜめ​せんと​諸︀陣​​志よぢん​へあひふれ、一ばん貝にめしくい、二ばんめに身ごしらへをし、三ばんがいを​相圖​​あいづ​にこしざしあひしるし、大かたは​素肌​​すはだ​、ざうひやうは​藁​​わら​にて​甲​​かぶと​をくみてかつぎ、あつ鳥むらすゞめのごとく、へいさかも木がんせきひしをまきたる所ともいはずのりこえ、はねこえ、我おとらじと二の丸につく、かなはじとや思ひけん、門をひらき、やりふすまをつくりてこみ入こみいだし、二三ど火花をちらしけるが、つけいれにさゝれて、かたはしくびをとられ、つめの丸へつぽむ所に、火やを雨のふるごとく八ぱうよりいこめば、身のをき所なさにこみ出るを、​串刺​​くしざし​​胴切​​どうぎり​​追打​​おいうち​、二時ばかりのうちに​落居​​らつきよ​して、死がい山のごとし、諸︀手へとらるゝくびかずをしるすに一萬五六千、やけじにきりすてになるもの、女わらんべ、都︀合四萬あまり、よせてもをびたゞしくそんじて、あはれはこれにとゞめたり、大みやう小みやうによらず、こんどのはたらき自身手をくだかれ、人數のやりくばりの見事、いづれをそれとわけてほめがたし、むかし物がたりにも、かほど人のほろびたる、聞もをよばざる御事也、

 

松くらぶんごの守と申は、いにしへ​大和​​やまと​の國つゝ井​順慶​​じゆんけい​家老一ぶんの人也、一しんかいしく、すどのてがら​拔群​​ばつくん​にして、​忠節︀​​ちうせつ​よにかくれなかりしゆへ、嶋ばらをはいりやうして、たのしみをきわめ、年老つもつて​他界​​たかひ​にをよべり、そのちやくし松倉​長門​​ながと​の守にあとしきつゝがなふ仰付られ、有がたき事あげてかぞふべからず、江戶にひしとあひつめ、出仕にうとき事なし、ある時てつぽうの者︀の中にこ才かくさうなるものを見たてゝ、萬事をかれ一人にまかせ、國のしをきの事は申にをよばす、​譜代相傳​​ふだいさうでん​の家の子まで、みなをのが下知にしたがはしむ、かの男が​藝能​​げいのふ​には、​利潤​​りじゆん​​賣買​​ばいばい​​世智辨​​せちべん​なる事ばかりを明ても暮てもみつだんす、あんのごとくいく程なきにさうろん出來して、馬上四十四五きとりのき、みな新座ものになりかわるそれより猶​出頭​​しゆつとう​まさりて、一人​當千​​たうせん​のおもひなし、かげにてはくやむ事ありしかども、​目​​め​をひき袖をひかへて、よろづにかまふ物一人もなきとあひきこゆ、かやうの者︀魔となつて、家のほろぶるずいさう也、

 

大人小身によらず、人をめしつかふにしなあり、​智慧​​ちゑ​のふかきしゆ人のめしつかはるゝは、家に久しさものをば正宗​貞宗​​さだむね​、新座をばあら身の物きれ、小身ものをば​孫​​まご​​正常​​まさつね​が小がたななどのやうに​祕藏​​ひざう​してめしつかわるれば、一人もうらむるものなし、かたじけなきおもひ入はるかにちがふ物也、いづれをとりわけて御きに入たるといふ色わけをみせ給はず、わが子のごとくめんのげいぶりを見わけ、それにめしつかわれ、一ぱうを聞て下知なく、志゛ひをふかう、なさけをあつう、ふだん心やすきやつにおこなひをなし給へば、萬事にはぢてぎやうぎをたしなみ、​法度​​はつと​をもちい、ばさらにふけらず、上をまねぶ下とかや、しぜんの​城攻​​しろぜめ​​合戰​​かつせん​ありし時は、一あしもしりぞかせず、主人のざいにつき、時に​敵​​てき​をとりひしがんと心がくるは、つね の御なさけをかんずるゆへなり、さあるときんば、一人もくずにならざるのもとひなり、

一、かしこくして中智の人をめしつかわるゝは、人のきようぶきようを見すかし、家につたわり​勲功​​くんこう​をつみたるやからをも、すこしのなんをあらためて、ふる身のかたなにやきばのなきやうにすてをかるれば、其身もをのづからひげして、よろづにつゝしみをなす、又昨日けふ出たるものなり共、萬事にはかをやり、こうせきたゞしく、才かく人にぬきんでたる者︀と見こめては、內外のしゆつとうかたをならべざるやうに、かれ一人にきわまつて、いかやうの事ありとても、しゆ人のみゝへわきよりうつたふる事かつてならざれば、本座新座共にかのしゆつとう人をうやまふて門前に市をなす、又我にしたしきものには、心をうちとけてちなみをなす、我にうとき者︀には、折めきりめに殿の御意とがうしてあてつかひにめしつかふ、​瞋恚​​しんい​のほのおむねをこがすといへどもかなはざれば、おもてむきをなだらかにす、大身ほど正直オープンアクセス IA:580なる物なれば、げにしく申なせば、わきのめいわくはしろしめさず、もろのしゆつとう人の中にも、よきみちへふんべつのふかきもあり、又しゆ人のきにさへいれば、萬事はいらざる事と思ひさだむるやから世におほし、たゞ人をめしつかふは、石かけをつむがごとし、大石はつみいし、小いしはつめ石、主人のめしつかわれやうによつて、一ぶんの才かくふんべつなき物はあるまじ、松倉長門守も、りはつもかたのごとく、さすがにゆうちやうなりし人なるに、あくぎやくものをもつぱらに國のしをき、內外のさいばんほめたる者︀なかりければ、あんのごとく、ながよの守を引たをしける、

 

抑この御代に、きりしたんのしうていをこんげんをきつてはらわれたまふ、まことにもつて佛神︀​薩埵​​さつた​の御​裁斷​​さいだん​かと、あまねくありがたき御事、​須彌山​​しゆみせん​すこぶるひきし、​蒼海︀​​さうかい​かへつてあさし、なににたとへて申上むや、ゆへいかにとなれば、日本は神︀國といひながら、ぶつぽう​流布​​るふ​の地、三國でんらいして、​王法​​わうぼう​、神︀たう、ぶつだう、​鼎​​かなへ​のあしのごとし、ひとつかけぬれば、日月も地にをち、あん夜にともし火をうしなふがごとくなるに、​異國​​いこく​のゑびすきたり、​魔法​​まほう​をひろめ、佛神︀をないがしろにやぶりすて、日ほんを​魔界​​まかい​となさん事、なげかしいかな、くちをしいかなと、智あるものはあさ夕にこれをわびなげく所に、寸土尺地も手足をためさせず、​斷滅​​だんめつ​にをよび、六十餘州の大小の神︀祇、三世のしよ佛、ことくよろこびおぼしめして、天下たいへい國​土​​ど​​安穏​​あんおん​、御代​長久​​ちやうきう​、萬​刧​​ごう​まん年、​未來​​みらい​​際​​さい​のあひだ​守護​​しゆご​をくわへ、ばんみん君臣のとくをいたゞき、延喜聖代の御世とも申べき者︀哉

寬永十六〈己卯〉稔八月吉祥︀日

 
吉利支丹物語卷第下
 


 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。