古事記槪論

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古事記概論

 古事記槪論といふ以上は古事記の全體に渉る思想又は少くとも根本的なる思想を述べなければならぬ。固と史書である。之れに對して槪論をいふは頗る難事である。若し古事記の大要を抄譯せんとならば決して難事でない。其の根本思相を得んには餘程の努力を要する。佘は決して成功せりとは思はない。唯本年昭和十年一月より六月至る迄、月にー囘、ー時間、併せて六囘六時間。赤羽工兵大隊の招聘に應じ「古事記を中心として見たる日本精神」と題し、講述する所あつた。古事記の考證、字句の講義などは國學者の能くなす所である。吾が輩敢てしない。日本精神といふ以上に於ては當然吾輩の仕事である。考慮深沈、而して後大體此種の如き結果到達した。けれども余が疎懶なる、思ひ付いて直ちに之を筆記するとをしない爲め、往々して忘れた處がある。自分ながら遺慽に思ふて居る。

一古事記の文章は日本の同化力を象徵する[編集]

 古事記は漢文の旣に發達せる後に書かれたものである。元明天皇和銅五年に成つたとして聖德太子の十七條憲法制定を去ること百八年。繼體天皇六年百濟五經博士段楊爾の來たのは更に其の前、九十二年。日本書紀の出來たのは和銅五年から數へて九年目。乃ち漢文全盛の時代に於て書かれた者。而して其の文體は一種特別だ。乃ち日本語で書いたのだが文字がないから漢字を借りた。而も漢字の意味を借り、又場合に由りては音を借りた。又漢文の轉倒を借りて「てにをは」關係を明かにせんとした。例へば

天地初發之時。於髙天原成神名。天之御中主神。次髙御產巢日神。次神產巢日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。

とあるの見ると。「於高天原」と「隱身」とは漢文の轉倒を借りたのである。「成神名」は漢文としては讀めない。唯漢文の意味を借りた文である。而も一字の成で「なりませる」と讀ませるのだから隨分無理だ。產を「むす」といふのは意味を借りて固有名詞に用ゐたのである。又

次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時。如葦牙。因萠騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。云々」

「而」を「て」と讀むは「しかして」と連續するのを略したのである。其の當時漢文を讀むものは「而」を「しかして」と讀んで居たのであらう。少くとも「しかして」の意として居たのである。久羅下那洲多陀用幣琉は純然音を借りたのである。又

於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命ニ柱神。修理固成是多陀用幣琉之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立天浮橋而。指下其沼矛。以畫者。鹽許袁呂許袁呂邇畫鳴而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋。於其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命日。汝身者如何成。答日。吾身者成成不成合處ー處在。

 文章としては不十分のものだ。何んとなれば著者の思ふが如くに讀んで吳れろといふことは出來ない。今日の讀み方は恐らく著者の讀まれんことを希望して居る者とは異ふだらう。幾通りも讀まれる。唯著者の思ふが如くに解釋することは出來る。ポツリポツリと字を投じ漢文の轉倒を用ひて己の思ひを示めした。其點に於ては巧妙なる者だ。恰度支那の古文がポツリポツリと字を下して居るやうなものだ。後世の漢文は冗漫で言葉通りに字を下すが、古文は出來る限り省いて了ふ。其れで居て意味が分る。古事記の文章は古色蒼然として居る。尤も古事記許りでない。出雲風土記、播磨風土記などの文も同型である。

 此の如き文體が日本に出來たといふのは日本の同化力を示めす者といはねばならぬ。日本の國體は佛敎を同化し、儒教を同化し、耶蘇敎を同化し,共産主義を同化し了らんとして居る。排すべきを排し、採るベきを採る。日本の此の包含的なる、而も確乎たる國體の上に之を行ひ得るのは卽ち古事記の文體が漢文でなく、日本語であつて漢字漢文を驅使するのと同じ動機であるのである。日本最古の歷史、卽ち日本の聖典が此の文體で書かれて居るといふことは日本の自主獨立的なる氣分を示めすものと謂はねばならない。

 言葉は日本にては言靈といふ位ー種靈妙不可思議なる者とされて居た。古代は言葉に因りて凡てのことが傅へられた。ヴェダの聖歌、日本の歷史,神話、猶太の傅說何れも複雑なるものであるが、耳から耳へと傅はつたものだ。言語を尊重する理由は此に在る。文字なき時代は言語は實に思想代表の絕對機關であつた。

ヨハネ傳に曰く。

太初に言あり。言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り。前の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき、(......)

言は神といふ。言を以てー種靈妙の力ありとなしたのは明かである。又ヨハネの第一の書に

太初より有りし所のもの、我らが聞きしところ,目にて見し所,つらつら見て手觸りし所のもの、卽ち生命の言につきて云云

とある。萬葉集に

そらみつ日本の國は皇神の嚴しき國、言靈の幸はふ國と語り繼ぎ、言ひ繼げり。云云
敷島の日本の國は事靈の佐くる國云云

 如何に古人が言語を靈妙視したるかを知るべきだ。是の故に其の國語を廢するは國民プライドの根柢を奪ふことになり、重大問題だ。日本の歷史が耳で聞けば日本の言葉、目で見れば一種特有の文體で書かれてあるといふことは日本の自主獨立的態度を象徴したりといふべきである。

二 生々思想と宇宙發展の次第[編集]

 外國語の自然(Nature)は拉典語の「生む」Nascorから出たもので、生々發展を意味する。外國にても宇宙は生々發展の狀態にあるといふ觀念は昔しからあつたのである。日本人も昔しから此の觀念を有つて居たのである。古事記の開卷第一に天地の初發の時に成りませる神の名は云云とあるのは卽ち之を示めすものである。殊に其の次ぎに葦牙の如く萌え騰る物に因りて成せる神の名はとあるのは葦牙の如く自然に生々せる物を其體として神が生れ出たといふので最も善く生々觀を窺ふことが出來る。神自身が生々的過程(becoming process,Werden Vorgang)に由りて發生したのである。宇宙は不斷の生々的過程にあるのである。

 生々が根本的過程をなして存在することは古代の一般思想であつた。「成りませる神」といふもの頗る多い。「生ませる」といふと「成ませる」といふは自然と人爲との差があるが「生みませる」を「なりませる」と訓んだ所もある。男女ニ神が生んだとすれば人爲的だが身體各部の上に生成したりと見れば自然的である。卽ち自然的生々の觀念を窺ふことが出來る。例へば伊邪那美神が火之迦具土神を生みたまへるに因りて美蕃登炙かえて病臥せられし時のこと

多具理に生ませる神の名は金山毘古神。次ぎ金山毘賣神。次ぎに尿に成りませる神の名は波邇夜須毘神。次ぎに波邇夜須毘賣神。次ぎに尿に成りませる神の名は彌都波能賣神。次ぎ和久產巢日神。

とあるは明かに生々的過程を標徵するものである。又男神十拳劎を拔いて其の子迦具土神の頸を斬りたまひし時

其の御刀の前に着ける血、走つて湯律石村に就いて成りませる神の名は石拆神。云云次ぎに石筒之男神。云云次ぎに御刀の本に著ける血も亦走つて湯律石村就いて成りませる神の名は甕速日神。云云次ぎに御刀の手の上に集まれる血が手の俣より漏れ出でヽ、成りませる神の御名は闇游加美神云云

も同樣である。更に殺す所の迦具土神の

頭に成りませる神の名は正鹿山津見神。次ぎ胸に成りませる神の名は淤縢山津見神。次ぎに腹に成りませる神の名は奥山津見神。次ぎに陰に成りませる神の名は闇山律見神。次ぎに左の手に成りませる神の名は志藝山津見神。次ぎに右の手に成りませる神の名は戶山津見神。次ぎに左の足に成りませる神の名は原山律見神。次ぎ右の足になりませる神の名は戶山律見神。

も同樣である。此種のことは未だ澤山ある。殊に男神が豫母都志許賣逐はれ黑き御鬉を投げ棄て給ひしかば蒲子を生ぜりといひ、櫛より笋を生ぜりといへるが如きは其の著るしき者である。最後に女神自ら男神を追ひ來り千引石を黃泉比良坂に塞ぎ、其の石を中に置きて相ひ對立し應答があつた。女神は一日に千人を絞殺せんと言ひ、男神は然らば一日に千五百の產屋を立てんといふ。是れから一日千人死し千五百人生るといふ。是れも亦生々思想の結果といふべきである男神、女神の軍に追はれて逃れ去り黃泉比良坂の坂本に到れる時、其の坂本の桃子三個を取りて待ち擊ち給ひしかば悉く逃げ返へつたといふ。此れは桃の陽を示めしたものであらう。桃は桃太郞に由つて一種の神祕的傳說を有するものなるが桃太郞の男性的なる所と相ひ對して然か感ぜさるを得ない。

 而も古事記に依りて見れば此の生々的過程の內から次ぎ次ぎ神が現はれ來り伊邪那岐、伊邪那美の男女ニ神に至つた。二神は天神の命を以て國土を經營し大八洲を創立し給ふた。乃ち生々的過程なるものは單なる變遷ではなく、理想實現であるのである。英語のEvolutionの原義に近いものである。普通此字を進化論と譯し。容觀的偶然的の意味に解釋されて居るが、原語の意味はcvolvo=cx+volvoで內に在る者が外に展開されるの意味である。卽ち先天的內在的にある理想が實現する意味に解釋すべきである。乃ち日本人の生々觀は簡單なる活動觀ではなく理想實現の生々觀であるのである。

 更に日本古代の生々觀を證明すべき者は神の名に生々の意味あるものあると是れである。髙御產巢日神と神產巢日神とである。產巢(むす)は「苔むす」の「むす」で卽ち生產發生を意味する者である。更に之を分析すれば「むす」の「む」は「うむ」の「む」である。英語の子宮(womb)と發音が似て居る。堀秀成及びヴント流にすると何等か關係があるかも知れないが明かでない。

註に曰く。堀秀成とヴントとを同列にするは吾輩も似合はないやうだがー理あるのだ。堀秀成は音韻に付いて感情的綜合的判斷を下したもの。ヴントは勿論硏究的態度を取れる者。其の著民族心理學(Volkerpsychologie)言語の部に見ゆ。兩者共に言語の意味を發揮せんとした。此點に於てー致して居る。堀秀成の書は三十餘年前余ら全部筆寫して余が家に藏して居る。

 生々は自然である。神爲又は人爲とは違ふ。へブライに於ては唯一の神あり是れが一切を創造したのである。今其の創造の過程を取りて之を日本のそれと比較するは興味あることである。創世的の冒頭に曰く。

始めに神天地を創造たまへり。地は定形なく嚝空くして黑暗淵の面に在り、神の靈水の面を覆ひたりき。神光あれと言ひたまひければ光ありき。神光を善と觀たまへり。神光と暗を分ちたまへり。神光を晝と名け暗を夜と名けたまへり。夕あり朝ありき。是れ首めの日なり。神言たまひけるは水の中に穹蒼ありて水と水とを分つべし。神穹蒼を作て穹蒼の下と穹蒼の上の水とを判ちたまへり。卽ち斯くなりぬ。神穹蒼を天と名けたまへり。夕あり朝ありき。是れ二日なり。神言たまひけるは天の乙の水はー處に集まり乾ける土顯はるべしと。卽ち斯くなりぬ。神乾ける土を地と名け水の集まれるを海と名けたまへり。神之れを善と觀たまへり。神言ひたまひけるは地は靑草と實蔵とを生ずる革蔬と其の類に從ひ果を結びみづから核をもつ所の果を結ぶ樹を地に發出すべしと。卽ち斯くなりぬ。云云

 此れから晝夜が別れ、日月星が生じ、魚鳥育し、家畜發し、人も亦見はれる。何れも神の所爲である。日本の創造は之れと異なり、大體が自然である。共の點は異なるけれども又似た所がある。

註に曰く。服部中庸は宣長の說に從ひ、一切萬物の生々を以てニ神の產靈(むすび)に歸した。曰く。此の一物(日本書紀に天地初判。一物在於虛中。狀貌難言とあるもの)の虛空に初めて生れるより始めて次笫に笫十圆の如くに成り了るまでこれ皆悉く髙御產巢日神、神產巢日神の產靈によりて生成るなり。其の產靈はいともいとも靈く奇く妙なるものにしてさらに世の尋常の理を以て測り知るべき限にあらず。云云と。哲學的宗敎的の見解であつて興味ある者であるが彼れ等の特見であって一般論ではない。

卽ち兩者共に天地が初めて開けたとするのはー致して居る。次ぎに國稚くして浮き脂の如くして久羅下那洲多陀用幣琉といふは「地は定形なく曠空くして黑暗、淵の面に在り云云」と似たり。共に液體狀態を想定して居る。次ぎに吾國にては其の中から神の發生する者ありとなせるが辦太は神の靈水の面を覆ふとして居る。次ぎに豐雲野神は豐は「多きと」雲は「こもると」野は「ぬ」で「たまること」にて泥土の一方に凝集せる意である。宇比地邇神、須比知邇神。涅土とは浮き脂の如くなる物の潮と土と混りて未た分れざるを云ひ,沙土とは其の潮と土と漸く分れたるをいふ。古事記傳角𣏾神活代神。「つぬぐひ」とは神の御形の生り初めたまへる山なり。 葦などの生り初るを「つのぐむ」とはいふは此の神の名と全く同じ。云云活𣏾は生活動を初る由の御名なり。同上意富斗能地神。大斗乃辨神。此ニ柱の御名は彼地と成べき物の凝成て國處の成れる由にて、其男女の尊稱を附たるなり。同上淤母陀琉神。不足處なく具りとゝのへるを云同上凡そ此等の意味を以てへブライの其れと比較すると興味がある。

 斯の如き一致は偶然であり、心理的自然である。佛敎に於ても勿論似たものがある。長阿含經に曰く。

水變爲天地

と。祕藏寶鑰曰く。

夫虛寥廊。含萬像。越大氣。大氣巨叡。泳澄孕千品。受一水。誠知一爲百千母。

と。圓悟心要に曰く。

天地未形。生佛未分。湛然凝寂。爲萬物之本。

と。唯吾が國にせよ。へブライにせよ。天地の發生より次第に人間に至る所。其處に國民の大なる自負心がある。へブライは唯一の神を信じて萬事を其の行爲に歸し、終に宗敎國民となり了つた。吾が國は之を自然に歸し、後に發生せる神々の偉大なる行爲を認めた。之れがため現世的國民となり了つた。へブライは古に古に溯りて神の大なるあり、吾が國は後に向つて現世を發達せんとする。斯く相ひ異なるにせよ。ニ國民共に其の神話的傅說の正大なるを見るのである。

彼の支那の如きは神話としては極めて貧弱であり、其の上天皇地皇人皇の傳說はあるが以上の如き正大なるものはない。希臘の神話に於ても吾人は天地の創造より諸神の發生に至るを見る。而も吾が國と同様宇宙の自然的生々を認め、其の結果として一切が創造せらるとなすのである。けれども希臘に於ては之を以て民族の由來を說明するの觀念が甚だ乏しい。古事記の如く代表的で自主的精神を示めす者がない。(へシオドス(Hesiodos)の詩、Theogenie(神の系譜)及びー般にホメーロスの詩は古來の傅說であつて又後世希臘の神話を論ずる者の資源である)而してホメーロスの詩は國民的自負心の對象ではあるが詩其者としての大作であるのみで、國家の由來を說明する者としての神話の自負すべき者がない。少くとも其の書物がないのである。是れ亦吾が國と大に同からざる所である。

三 正系的思想の發揮[編集]

 生々主義の發展と共に正系的思想の發揮が古事記の根本たることは明かである。へブライの神話も亦此意味あることは固よりである。否寧ろ其の點に於て詳細精確なるものありいふべきである。然るに自ら全知全能なりと稱する所のエホバが代々の司配者に顯はれ、訓戒指導するがために、へブライの全歷史は殆んど此の唯一神の活動の舞臺の如くに見へる。然るに日本に於ては代々の神人其者の活動が主となるのであつて、太卜を以て天神の意を問ふ以外に於て天神の顯示訓戒等のことはない。是れが又獨太の宗敎國民と日本の現世國民との異なる處である。

 古事記に據れば萬世ー系の系統は極めて明瞭である。世々の神人は社會活動の中心である。絕對的の權威を以て君臨せらる。支那古代の神話的時代に於て何等中心的民族なく混々沌々として萬后の相ひ軋櫟するとは全く其の意味を異にする。乃ち古事記ー書は日本國體の基礎を定める所の書であるといふべきである。神の系譜であり、天皇の系譜であり、乃至は人民の一般的系譜であるのである。

古事記は大國主神を述ぶること頗る詳かである。大國主神は素盞嗚尊の系統である。兄弟八十神。皆稻羽の八上比賣に婚せんとの意があつた。而して大國主神が帒を負はせられ從者せられたこと、蓬と和邇の傳說、八上比賣、八十神に歸せずして、大國主神に歸し、八十神怒りて之を殺さんと畫策せること、等敍して詳かである。卽ち大國主神が大八洲に於る唯ーの勢カ家であつたことは明かである。

古事記の書き方は頗る面白い。大國主神を敍し了つて行を更め

天照大神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穂國者。我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。言因賜而。天降也。

と言ふて居る。正さに是れ靑天の霹靂。正義の聲。天祖以來經營し給ひし國である。天孫の統治ますますのが至當である。高天原に於て種々評議發動後、最後に天尾羽張神及び其の子建御雷神を遺はし給ふた。ニ神出雲の國之き、大國主神に問ふて言はく。

天照大御神、髙木神之命以。問使之。汝之宇志波祁流。葦原中國者。我御子之所知國。言依賜。故汝心奈何。
(天照大御神と髙木神(髙皇産靈尊)との命である。問はしめらる。汝がうしはける葦原の中つ國は我御子の知らさん國と仰せられしが汝は何んと思ふ。)

「うしはく」と「しらす」に就いては前者は私的、後者は公的の差がある。兩者全然區別なしとの說もあるが後世の使用例は一して公私の別あらざるはなしと謂ふべきだ。今其の繁を恐れて玆に略する。英語governとreignとの差がある。日本の天皇はしろしめされつゝあるのである。うしはけるのでない。故天皇の政治は赤き淨き直き心を以て公物として天下を統御せられ給ふのである。人民を指して公民といふも之れがためである。大日本帝國は皇室の御物であるといふのは比の觀念に抵觸するものである。最後に古事記は各民族の系統を明かにして居る。例へば

此三柱の綿津見神は阿曇連等の祖神といつく神なり。(同上)
此三柱の神は胷形の君等がいつく三前の大神なり。(譯文)などの類だ。而して大國主神に「僕が子等百八十神」とあるは同神の一族である。而してー書據れば髙御産巢日神は子一千五百座を有すとある。乃ち氏族(Clan)であつて氏族制度が社會制度たると同時に國家制度であつたのである。孝德天皇大化ニ年、郡縣制を行ひ、民族制度は國家より離れたが各人は其の家族に屬すると同時に氏神を尊崇すること以前の如く以て今日に至つて居る。今日の日本人は宗敎の如何を問はず、其の祖神の氏子として、之れを尊祟して居るのである。各家庭は氏神を祭り、同時に氏神の因りて出る所の天照大神を祭りつゝあるのである。

四 天の御柱とは何か[編集]

 伊邪那岐伊邪那美二神が淤能碁呂嶋に天降りまし天の御柱を見立て、八尋殿を見立てといふことがある。此の天の御柱とは何ぞや。余は之を以て宗敎的の者なりとするのである。日本書紀には

ニ神於是降居彼島。因欲共爲夫婦產出洲國。便以礅馭盧嶋。爲國中之柱。

としてある。本居宣長は「趣異なるが如くなれども彼の嶋の成れるは此殿の柱を立つべき基の成れるにて其の基も卽ち柱なればたゞ同じことなりといふて居るが、嶋を以て柱となすといふのと、嶋の中に柱を立てたといふのとは明かに違つて居る。古事記通玄解(吳來安撰)に曰く。

天之御柱。天之中標也。猶傘之柄處也。於今。北極星居所正下也。

と。大八洲經營の中心、目標地の意となすのである。書紀一書には

化作八尋殿。又化竪天柱。

とある。卽ち八尋殿以外に、天柱を竪てられたとするのである。穂積重胤日本書紀傳の說も亦大同小異である。其の他多くの說があるが所謂大同小異で別に擧げる必要もないやうだが聊か參考のため一ニを採錄する。舊事本紀は磤馭慮島に指立てたる天瓊矛を以て國中の天柱として居る。

以天瓊矛指立於磤馭慮島之上以爲國中之天柱

日本紀略正書は日本紀と同じく、磤馭慮島を以て國中の柱として居る。卽ち全國の中心である。

便以磤馭慮島爲國中之柱
天之御柱は八尋殿の柱なり。(村上忠順古事記標註)

 天之御柱は八尋殿の柱となるべきものである。上古の建築ではまづ中央の柱を地に掘立てたのである。婚姻に先立つて新夫婦の住むべき家を新築したことは萬葉集にも見えてゐるが後世結婚した新婦を新造といふのもこの風習が言語上殘つてゐるのである。(次川潤、古事記新譯)

 「見立て」の「見」は自ら其場にあつて事を成す意の接頭語である。卽ちよく見とゞけて立てる意である。見送る見極める、見取るなども同じ。親しくその事をする意である。(同上)

 彼矛を大地の鎭固の柱としたまへるなり。是を以てかの漂へる物凝結して漸々に締り堅まり此國土は如此に成就るなり。これにより神宮及天皇の御殿の中央に柱を立てゝ齋柱天之御柱、心の御柱など稱へて重きものとし後世まで人家に大極柱といひて立てるにて顯宗天皇の播磨の縮見屯倉が新室壽の御言に「築立柱者此家長之御心之鎭也」と詔る如くこの柱を家主の心を鎭る表物とせるは全く瓊矛を立て大地を堅め給へる神業に習へることを知るべし。然れば人は國中の御柱の動き無きが如く其の心を鎭め治めて假にも動き移らふことなく平かに安らかに在るべきとぞ。(久保季兹 神代敎義解)

又釋日本紀には

私記日。問。何故謂之國中哉。〇答。言以此島爲國中之柱。或說。此島正値天地之中故云國中者。甚非也。〇又問。此柱何物哉。〇答。古說曰。天神所賜遨矛旣探得磤馭盧島畢。卽以其矛衝立此岛爲國柱也。卽其矛化爲小

山也。今如此紀者。以磤馭盧島爲國柱也。其實以此小山爲之。今又衣古說耳。(釋ロ本紀)

國中の柱といふのは全國の中心又は根本目標といふ様な意味である。此觀念は餘程進歩したる者である。政治的統制的の意味に於てする者で、今日にても何等か中心を立てゝ一種の團體を作るものであるが其れと全然同じ觀念である。其れを餘つて素朴的な宗敎儀式が行はれるといふことは思想の混淆、時代の錯誤である。天の御柱に就いては一層原始的なる意味を發見しなければならぬと思ふ。

瓊矛が島となり、島が中心であるなどいふのは要するに詰らぬ話で唯附けたりとして置いて宜いものだ。心の鎭めなどいふが此れも今日の思想で中心を立つるのであるから其の意味があるのは勿論であるが、唯其れ丈ではない樣だ。神社には皆地中に掘り立てたる柱があるが其れが中心であるから天之御柱も亦此れだといふのも要する今日の思想である。今日の思想に於ては極めて簡單で明白である。又中心といふ思想のあるのは勿論であるが其れ丈ではあるまいと思ふ。乃ち古事記に由りて見ると「天の御柱」は夫婦の道をなす所以の大切なるものである。卽ち宗敎的に見ても亦社會的見ても根本的なるものである。

古事記に據れば男神、女神に問ふ。汝が身は如何に成れるかと。女神答へて曰ふ。吾が身は成り成りて成り合はざる處ー處ありと。男神曰ふ。我が身は成り成りて成り餘れる處ー處ありと。故に吾が身の成り餘れる處を以て汝が身の成り合はざる處に刺し塞ぎて國土を生成せんに。如何んと。女神答へて曰く。善しと。男神曰ふ。然らば吾れ汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひてみとのまぐはひせなと。此く云ひ終りて、汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はんと約し竟りて廻る時に、女神より先づ「愛する男よ」といへり、後
に男神「愛する女よ」といふ。言ひ竟りて男神、女神に吿げて曰ふ。女人先づ言ふは良からずと。

此の後に古事記には直ちに

雖然。久美度邇興而。生子水蛭子。此子者。入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。

とある。卽ち天の御柱を廻る大禮の中、女人の先き言ふ丈は誤つて居たが「くみどに興して」といふのである。「くみど」は「こもりど」で寢室である。寢室に行いたのである。して見れば「くみど」と天の御柱とは全然別のものであり、又別の處に在るものと思はれる。然らば天御柱は八尋殿と如何なる關係あるかといふに先づ柱を立つるといふは底津石根に宮柱布刀斯理といふと同様の言ひ方であらう。宣長は「かゝれば今ニ柱の神の廻り賜ふも彼の八尋殿の御柱どもの中にもその中央に立てる御柱なりけんかし」といふて居るがさうだらう。卽ち八尋殿の外に獨立せるのではないだらう。

 其れ丈のことではその御柱と其れに伴ふ儀式とを解釋することは出來ない。そこで吾人は男女の結婚に關し、それに類する習慣の世界に存せる者を見なければならぬ。余は嘗てクリッフォード、ハウァードの性の崇拜(Sex Worship)に於て男根が柱として象徴せられて居る數多の例證を讀んだ。今其の一二例を引用して見ると。

陽莖の形を精密に表はした像は、古代に於ては甚だ普通なるものであつた。此れ等はあらゆる形及び種々の大さに造られ、石膏製のもの多く、木、石、象牙、製のものもあつた。時には勃起せざる狀にも造らるゝがこは一般に其の形小にして婦人が御守として帶びたのであつた。此の如き御守は今猾印度の生殖器崇拜者中に行はれ、其の多くは形小く、金銀象牙水晶又は聖き木材にて製せられ、腕胸及び頭布に着けるのである。されど此れ等の陽莖像中最も普通なるは直立の形を表はせるもので、其の形の陽莖が最も能く造物主の神性を示めすと認められたのである。此像を家の守護神として用ゐる時には凡そ實物大に造り、宗敎上の祭禮及び寺院にて用ゐる時は特に大きく之を造り時としてはニ三十呎の高に達せしめ他の部分も之れに應じて大きくした。

………

(ヴィナス祭の時)多くの信者が此陽像を以て神其者と同一視したことは今日多數の人が聖母及び十字架上の聖像に對すると全く同じく、其の恭敬崇信は等しく深厚誠實なるものであった。男性造物主の前に跪きて子を祈った女は、聖母及び天父に對して福を祈る婦人比して其の熱誠貞實に於て何等異る所がなかつた。

………

リンガの禮拜は印度に於ては重要にして缺く可らざる宗敎的儀式で規定の儀式に從って如法に之を行ふ時は、十六條の要件を守るべき入念の式である。信者は先づ沐浴して身を淸淨にし、淸めたるバタ、蜂蜜、甘蔗の汁を以てリンガを洗ひ、花香、燈火、果實等諸種の食物を供へ、繰り返し祈禱の辭を述べ,其の像の邊に步み、又其の前に身を屈めなどする。

………

村々にては、其の地の最も目立ちたる所に高さニ三呎のリンガを其の村全體

の魔除として立てる。其の村の娘や妻たる者は、早朝恒河の水を以て之に注ぎ、花冠を以て之を飾り、其の身を之に擦ると共に一定の呪文を唱し子寶を授からんことを願ふ。(以上出口氏の譯文に據る)

 其の前に身を屈めて、子寶を得んとする處など注意すべきである。之を廻りて「みとのまぐはひ」をなすと同じ思想の樣である。又其の形狀に就いては、

此種の陽的表象中には柱狀をなす者が多い。直立せる大陽莖が如何にして因襲的なる柱狀と變じたかを知ることは困難でない。卽ち大陽莖は常に柱狀をなすが故に、普通の柱狀の木又は石が其の表象として用ひらるゝに至つたのである。而して柱狀は容易に、迅速に又多額の费用を要せずして製することが出來、又明瞭に其の目的となるものを表示するが故に陽的表象中最も普通にして最も多數なる者の一となつたことは敢て怪しむに足らぬ。(同上)

 卽ち柱形となつて居たといふ點は注意すべきだ。日本に於ては柱を廻つて男女の大禮が行はれた。相ひ同じといふても宜いと思ふ。斯くして私は天の御柱を立つるは此種の宗敎的意味に於てする者ではないかと思ふ。寺の女房を大黑といひ、大黑天の頭巾は男根を示めし居ること及び家の中央の柱を大黑柱といひ、更に神社の中心の柱は地中より立つることなどは併せて考ふべきだ。

 道德上より之を見るに支那には男性を尊ぶ所の儒敎と女性を尙ぶ所の老敎とがあつた。前者は陽を主とし、後者は陰を主とする。佘は思ふ。前者は男根崇拜を代表せる敎義であり、後者は女根崇拜を代表する敎義である。前者は表面的であり、後者は裏面的であると。天の御柱を立つる所の日本の道徳は儒敎に類して居る。故に先づ男性を尙ぶことを敎へて居る。女神が男神に先き立つて言へるがために不良の子が生れたといふ。此れにて日本道德の大綱は定まつたるものといふべきである。

五 禊祓のこと[編集]

 川に入て身體を淨むるはヨハネがイエスをジョルダン河に沈めたのに由りてへブライにもあつたことが分る。洗禮は其の遺風である。印度人も亦穢れを惡みガンデス河に投じで淨める。所によつては其の水は極めて不潔なるも、河其者を以て神聖となし居るのである。マレイ人が宗敎の祭日に於て川に入るも亦是れである。フイリッピンに於ても亦此風がある。佛敎の灌頂が其の遺風なることはいふ迄もない。支那に於ては堯天下を許由に讓らんとす。由が聞いて耳を洗ふたといふ。川にて身體を洗ふことが同時に精神を潔くすることになつて居るのである。日本に於いては男神、女神の死せる室に入りて歸り

吾はいなしこめ、しこめき穢き國にいたりありけり。故に吾は御身の禊ぎせな

と詔りたまひ筑紫日向の橘小門の阿波岐が原に坐して禊祓せられたことがある。禊祓は日本の根本的なる觀念の一つである。何事によらず穢れを惡む。生々を尙ぶ所の日本人としては死を惡むこと亦太甚だしい。天若日子が死んだ。父母妻子等悲んで喪屋を作りて居る。阿遲志貴髙日子根神が弔問に來た。其の容貌天若日子に類せるを見て、父母妻子誤つて死せずとなした。髙日子根神怒りて何んぞ吾を穢き死人に比するといひて十掬の劎を拔いて共の喪屋を切り伏せた。そして後世終に觸穢の習慣すら生ずるに至つた。而して神社に於ては六月十ニ月の兩度、晦日を以て大祓を行ふて居る。淸淨潔白を好むの至りである。

註曰く。穢れは身心兩方面に涉りて存在する者である。而して穢れを來

たす所の原因と之を淸むる原因とある。卽ち男神が小門に於て先づ初めに 「上つ瀨は瀨速し、下つ瀨は瀨弱し」と詔ひ、初めて中つ瀨に於て滌ぎ給ふた時成りませる御神の名は八十禍津日神。次ぎに大禍津日神。此のニ神は其穢きと繁かりし國に到りし時汚垢に因りて成りませる神である。次ぎに其の禍を直ほさんとして成りませる神の名は神直毘神。次ぎに大直毘神。云云であつたといふ。古事記の此文に據れば善惡ニ神あり。惡神は穢れを作り,善神は之を祓はんとするものである。若し廣義に之を解釋すれば人間の身心を惡るくする所の活動と善くするの活動とがある此の解釋は人の哲學的根性を最も善く滿足せしむるもので宣長の如きも旣に之れを用ひて居る。 今日の解釋にすれば徼菌は身體の惡神であり、ホルモンは善神である。從來の神道家が身體の惡るいのは自然に直るものであるといふたのは暗に之れに合して居る。兎に角古代に於て此種の思想の存在して居たことは注意すべきである。

六 古事記を讀む態度[編集]

 左氏傳を讀む時は、吾人は引き締められ壓搾機を以て壓搾せられる樣な感がする。左氏の文章が緊り居るがためである。古事記を讀む時の感は全然之れと違つて居る。汪洋蕩々である。バイブルを讀む時は記事の極めて詳密なるため技巧的繁脞的の感がする。古事記を讀む時の感は全然之れと違つて居る。素朴的易簡的である。

 古事記は其の當時に於て極めて眞面目であり、極めて自然的である。男女ニ神の天の御柱を廻り給ふ時の會話の如き、大國主神、及び其の嫡后等の歌の如き顏を外向けて過ぐべきことも古人に取つては平氣であつたのである。君臣の分は定まり、親子の情は濃かであつたが自然主義が殆んど古人を支配しつゝ、あつたが如くである。同母のものの結婚は禁ぜられて居たがヘブライでも亦同じだ。其の他於ては凡てが殆んど何等の制裁なかりし者の如くである。野蠻人又は古代に於てはトーテム制を始め支那の禮の如く、文明人よりも遙かに繁脞なる裁制があるが、日本の古代は極めて簡單であつた。自然の有のまゝといふても宜い樣なものだ。而も大なる弊害はなかりし者の如く日本には何等の敎訓もなかつたが支那から輸入して之を敎へたのである。國粹論者例へば伊勢貞丈の如きは日本には道が自ら行はれて居て其の必要がなかつたのであるといふて居る。貞丈の言は瘦我慢の樣だが亦一理あるといふべきだ。之を言語上より見るに鹽許袁呂許袁呂にコヲロコヲロに畫き鳴らしていひ、內は富良富良ホラホラ外は須夫須夫スブスブといへるが如き今日の人から見ると不眞面目の樣だが古人に在つては平々凡々の常事であつたのである。

 吾人は古事記を讀んで、今日の文明人がー面は極めて嚴格なる生活をなしながらー面には極めて自由放縱なるとは其の趣きを異にし內外貫平々亘々たるを見る。古事記を讀んで低級なりとなすは誤りである。今日の人の表裏を平均すれば則ち古人と同樣である。文明とは表連の明かなるをいふが如くである。吾人は古事記を讀んで原始的なれども朗かなる心持を感得することとが出來る。

昭和十一年十月十一日印刷 古事記槪論
昭和十一年十月十五日發行

定價金十五錢


編者   巢園學舍出版部
 柬京市豐島區西巢鴨二ノ二六三九番地
  著作者  遠藤隆吉
 柬京市豐島區西巢鴨二ノ二六三九番地
發行者  髙柳忠二
 柬京市小石川區柳町二六番地
印刷者  淺原茂樹

發行所 柬京市豐島區西巢鴨二丁目二六三九番地
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