初等科國語 六/塗り物の話

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十六 塗り物の話[編集]

「工場を見せていただきたいのですが。」
「さあ、どうぞこちらへおいでください。」

主人に案内された塗り物の工場は、薄暗い土藏の中である。障子をもれて來る窓際の明かりで、職人が、白木のぼんのところどころへ、黑い、やはらかな膏藥かうやくのやうなものを、細い竹べらでつめてゐる。

「何をつめてゐるのですか。」
「こくそといふものですよ。米の粉と、おがくづとを、うるしでねり合はせたもので、木地に、すき間や、きずをなくすために、かうしてつめてゐるのです。」

左手で、盆をくるくるまはしながら、熟練した手早さで、職人は、一つ一つのすき間へ、こくそをつめて行く。

 次の部屋へはいると、こくそをつめた白木の盆がうづ高く積んである。そのかげで、職人の手が動いてゐる。その手は、盆を一枚一枚、はけでさび色に塗つて行く。

「これはさび漆といふものです。さび土と漆と、まぜ合はせて作つたものです。さび土は、その土地特有のもので、これがなかなか塗り物には大切なものです。」

職人は、話しながらも、仕事の手はちつともゆるめない。

 急な階段をのぼつて二階へ行くと、そこにも、だまつて塗り物を塗つてゐる人たちがゐた。

 この人たちは、下塗りのできた盆の内側へ、黑い漆を塗つて行く。さうして、時々、くじやくの羽で穗先を作つた細い筆で、漆にまじつたごみを取つてゐる。

「下塗りは下の部屋でしますが、中塗りと上塗りは、二階の方がいいのです。塗り物には、ほこりが禁物ですから。」

主人の話は、中塗りのことになる。

「下塗りができあがると、その上へ、このやうに中塗りをします。盆のやうに簡單なものでも、表と裏と同時に塗ることはできません。まづ、このやうに内側を塗つて、それを乾かしてから外側を塗るのです。なかなか手數のかかる仕事です。」

さういへば、そばに積まれた中塗りの盆は、内側ばかりが塗つてあつて、外側はまださび色のままである。

「このまま自然に乾かすのですか。」
「いや、さうたやすくはいきません。このむろの中をごらんなさい。」

といひながら、主人は戸を開いた。上下二段にわかれた戸だなで、中にはわくが仕掛けてある。

「このわくへ、塗つた物をはさみます。わくは心棒で支へ、時計仕掛で靜かに回轉させながら、漆がまんべんなく行き渡るやうにして乾かします。この時計仕掛が發明されない前は、夜中でも起きて、心棒を手でまはさなければならなかつたのです。」

なるほど、室の横側には、重い分銅ふんどうのついた仕掛があつて、時計が時を刻むのと同じやうに、目に見えないくらゐゆつくりした動きで、わくが回轉してゐる。

「漆はよく天氣を知つてゐて、雨か晴かは、その乾き具合ですぐわかるほどです。漆が乾く時には水分を吸収しますが、乾いてしまつたら水分を受けつけません。乾かさうと思へば、半日ぐらゐでも乾きますが、早く 乾かし過ぎると、あとでちぢんで、しわができたり、干割れがしたりします。だから、夏でも冬でも、できるだけ温度と濕度しつどに變りのない土藏が選ばれ、更に、室の中で乾かす必要があるのです。」  

 主人の話に感心しながら、上塗りの部屋へはいる。

 下塗りと中塗りができた上へ、上漆をかけて最後の仕あげをする仕方は、中塗りと同樣どうやうで、ここでも同じやうな工程がくり返されてゐる。

「これで一通り工場の御案内は終りました。これから、製品陳列ちんれつ室で、できあがつた品物を見ていただきたいと思ひます。」

 さて、みなさん。私は陳列室へはいつて、いろいろな塗り物の並んでゐるのを見ましたが、みなさんの周圍には、どんな塗り物があるか氣をつけてごらんなさい。さうして、それらが一つ一つ、このやうにしてできあがつたのだといふことを、よく考へてください。