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初等科國語 六/漢字の音と訓

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十五 漢字の音と訓

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私たちは、毎日、本や、新聞や、雜誌ざつしを讀んでゐます。時には綴り方や、手紙を書きます。かうして讀んだり書いたりする文章は、漢字とかなで書き表されます。

 かなは、だいたいきまつた音で讀みますが、漢字にはいろいろな讀み方があります。例へば、「國民學校」の「國」「民」といふ漢字は、「こく」「みん」と讀むほかに、「くに」「たみ」とも讀みます。「こく」「みん」といふ讀み方は、漢字本來の發音で、これを漢字の音といひます。「くに」「たみ」は、漢字の訓と呼ばれるものですが、これこそわが國の昔からのことばで、それを漢字に當てて讀んだものです。
「國」「民」「年」「島」など、そのほか大部分の漢字は一つの音で讀みますが、「木刀」「木目」の「木」は、「ぼく」とも、「もく」とも讀みます。また、「銀行」「行列」の「行」は、「かう」「ぎやう」などと讀み、「宮城」「神宮」「宮内省」の「宮」は、「きゆう」「ぐう」「く」などいろいろの音で讀みます。これは、もともと支那各地で、いろいろな音が行はれてゐたのが、自然わが國へもはいつて、それぞれの讀みならはしとなつたのです。
「國」「民」「靴」「杖」などの訓は、一つですが、「生まれる」「生える」「生きる」「生る」のやうに、「生」を「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」と、いろいろに讀みます。これは、「うまれる」「はえる」「いきる」「なる」といつたわが國のことばを、漢字の「生」に當てて讀んだもので、それらの讀み方が、自然「生」の字の訓となつたのです。このやうに、訓にも、音のやうに二つ以上ある場合があります。

 音と訓を持つた漢字を、二字以上組み合はせて、ことばが書き表された場合には、どの漢字もすべて音で讀むか、または訓で讀むのが普通です。「先生」「遠足」「飛行機」「高射砲」などは、音ばかりで讀む例で、「神樣」「笑顔」「物干竿」などは、訓ばかりで讀む場合です。

 ところで「山川」「父母」のやうに、「さんせん」「ふぼ」、あるひは「やまかは」「ちちはは」と、音でも訓でも讀める場合があります。また、ことばによつては、「重箱」「記念日」のやうに、上を音、下を訓で讀んだり、「手本」「道順」のやうに、上を訓、下を音で讀んだりする場合も、まれにはあります。

 漢字には、このやうに音と訓があり、中には、音訓にいろいろ種類があつて、意味の違ひや、文のおもしろみを出してゐるのです。漢字を音で讀むか訓で讀むか、どの音で讀み、どの訓で讀むかは、すべて、讀みならはしによつてきまるのです。殊に、人の姓名や、地名などには、おのおの特別な讀み方があります。

 私たちが漢字を讀む時には、このやうにいろいろな漢字の音と訓とに注意して、その場合に應じた、正しい讀み方をするやうにしなければなりません。