丹波流酒造り唄

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丹波流酒造り唄[編集]

丹波杜氏が伝承する酒造り唄の歌詞

秋洗い唄[編集]

伊丹の秋洗い唄 (2017.10.5 伊丹市立図書館ことば蔵にて録音)

寒や北風 今日は南風  明日は浮名の たつみ風

寒や北かぜ かわいや子供  賽のかわらで 石を積む

賽の河原で 石積みゃくだく  くだきゃ又積む 又くだく

今日の寒さに 洗番はどなた  可愛いゝ殿さの 声がする

可愛いゝ殿さの 洗番の時は  水も湯となれ 風吹くな

可愛いや殿さは 今日は何なさる  足がだるかろ ねむたかろ

足もだるない ねむともないが  私ゃあなたの ことばかり

可愛い殿さに 百日させて  うちで炬燵に あたらりょか

酒屋百日 乞食よりおとり  乞食や夜もねる らくもする

乞食や夜もねる らくもするけれど  門にたつのが 辛うござる

酒屋おやじは 大名くらし  五尺六尺 たてならべ

殿さ酒屋へ ゆかしゃるなれば  おくりましょか 生瀬まで

朝も早うから 井筒にもたれ  やつれせぬかと 水かがみ

丹波通い路 雪ふりつもる  家で妻子は 泣いている

家で妻子が 泣くのは道理  私しゃ他国で 泣いている

丹波出てから 早今日は二十日  思い出します 妻や子を

丹波出る時 涙で出たが  今は丹波の 風もいや

丹波たけたけ 云うてやけれど  丹波たくよな 鍋はない

丹波たくよな 鍋あるけれど  丹波たくよな たけはない

丹波与作と 重い井さまは  恋に焦れて 泣き別れ

安倍の保名の 子別れよりも  今朝の別れが 辛うござる

寒や北風 六甲颪  灘の本場で 桶洗い

桶の洗いは 造りのはじめ  男心で 浄めます

白いお米を 男の意気で  洗い浄めて 蒸し上げる

洗い浄めて 蒸し上げまして  造りかもする 灘の酒

丹波杜氏は 見上げたものよ  酒も造れば 身も造る

※丹波杜氏組合編『酒造り唄』(昭和47年11月1日 P.16 )

酛すり唄(山卸し唄)[編集]

伊丹の酛すり唄

目出度目出度の 若松様よ  枝がさかえて 葉もしげる

枝がさかえて お庭がくらい  暗きゃおろしゃれ 一の枝

一の枝打ちゃ 二の枝がまねく  もちとおろしゃれ 三の枝

目出度目出度が 重なるときは  鶴がご門に 巣をかける

鶴がご門に すをかけますりゃ  亀がお庭で 舞をまう

亀はお庭で 何と言うて遊ぶ  酒屋ご繁昌と 言うて遊ぶ

ここの御蔵は めでたいお蔵  黄金の切窓 ぜにすだれ

まだもめでたい つばめのとりが  扠首(さす)のや中に すをかけた

岩にから松 千葉のつゝじ  竹のふたまた 世もふしぎ

竹の切株 たまりし水は  すまずにごらず 出ず入らず

竹にすゞめは 品よくとまる  とめてとまらぬ 色のみち

竹に雀は 仙台さんのご紋  中で小鳥が 痴話をする

色の道から 出て来た私  色でしくじりゃ 是非もない

色でしくじる 紺屋の染子  浅黄そめよとて 紺そめた

紺が色なら 浅黄も色よ  わしとお前と ねるも色

色で身をうる 西瓜でさえも  中に苦労(黒)の 種がある

色でまよわせ 味では泣かせ  ほんにお前は 唐辛子

色は白ても うどんやはいやぢゃ  わたしゃあなたの そばがよい

まだも白ても おとふはいやぢゃ  四角四面で 水くさい

色は黒ても 浅草海苔は  白いおままの 肌にそう

色は黒ても 味見ておくれ  わたしゃ大和の つるし柿

夏が来たかよ 五月の蝉は  小松かゝえて 腰つかう

秋が来たかよ 竜田の紅葉  日にち毎日 水かがみ

色でやせたわ 親達知らぬ  薬のめのめ 煎薬を

薬のむとも 煎薬いやぢゃ  様のお手から 粉くすりを

様よ来るなら 柴折を明けて  千葉椿を 折らぬよに

千葉椿が 折れてもままよ  春はめもふく 花も咲く

まだもくるなら 今夜来ておくれ  おかん聾で 明きめくら

逢うてうれしや 別れの辛さ  逢て別れが なけりゃよい

逢うて別れて 松原ゆけば  松のつゆやら 涙やら

涙こぼせば 痴話ぢゃと言うてぢゃ  痴話で涙が こぼされよか

涙こぼして 筆とりあげて  書くはいとまの 去り状かく

いとま去り状は 三下り半よ  心のこせば 七下り

いとまおくれよ 今日ここで  明日は黒日で 日が悪い

丹波流[編集]

秋洗い唄[編集]

明日は黒日で 日が悪かろと  いとまやる身ぢゃ かまやせぬ※

いとまやるとて 拳骨くれた  これが暇か いとござる

いとまもろたら 他人ぢゃけれど  人がわる言うや 腹が立つ

腹の立つときゃ モンツ(茶椀)で酒を  のんで暫く ねるがよい

まだも立つときゃ この子をお抱き  仲のよいとき 出来た子ぢゃ

(※“暇やる身ぢゃかまやせぬ”をうけて次の歌い方がある) かまやせぬとは 人前ばかり  昼はおもかげ 夜は夢

夢かうゝつか 枕の下で  思う殿さの 声がする

声はすれども 姿は見えぬ  様は草葉のきりぎりす

様が草葉の きりぎりすなら  私は野に啼く ほとゝぎす

気色のわるい あのきりぎりす  思い切れ切れ きれと鳴く

(また、次の歌い方がある) めでためでたの 若松様よ  知行まします 五万石

五万石とります 岡崎さまは  城の下まで 船がつく

船がつくのは 昔のことで  今は世が世で どじょがすむ

どじょがつくのは 秋さか頃よ  春は雪汁 鯉がつく

肥えた鯉鮒 みみずで釣るが  都女郎衆は 金で釣る


※丹波杜氏組合編『酒造り唄』(昭和47年11月1日 P.22~28 )

酛掻き唄[編集]

伊丹の酛掻き唄

初夜の鐘なら 千里もうなれ なるなうなるな 明六つの鐘

鐘がなるのか 撞木がなるか 鐘と撞木の 間がなる

鐘と撞木の 間がなりゃしよまい 撞木あたりて 鐘がなる

夜中起きして 酛かくときは 親のうちでの 事おもう

親のうちでの 朝寝のばちで 今は初夜置き 夜中起き

ねむいねむたい こうねむとては 永の冬中が つとまりょか

とろりとろりと ねむたいときは 馬に千駄の 金もいや

馬に千駄の 金さえあれば わしもこのよに 身はすてぬ

仕舞唄[編集]

お日はちりちり 山端にかかる わしの仕事は 小山ほど

わしの仕事は 小山ほどあれど もやはお日さんは くれかかる

お日がくれたら 明りをつけて 親の名づけの 妻を待つ

親のなづけの 妻さえあれば わしもこのよに 身はすてぬ

なにもこのよに 身はすてなよと 後に言葉を のこされた

仕舞うていにやるか 有馬の駕籠衆 大多田河原を たよたよと

おたて河原を たよたよ越えて 間の小川の 数知れぬ

松になりたや 有馬の松に 藤にまかれて 寝とうござる

藤にまかれて 寝たいとは言うたが 今の小藤は いやでする

有難いのは 有馬の薬師 様のご病気が 湯でなおる

様のご病気が 湯で治ったら お礼参りは 二人連れ

病なけれど 有馬の町の 湯女や湯壺が 見とうござる

湯女や湯壺が 見たいとは言うたが 病なければ 見とうない

有馬湯でもつ 湯は湯女でもつ 名来山口 紙でもつ

名来山口 紙ではもつが 神も仏も ありはせぬ

名来山口 仏はないが 如何な店にも 紙ばかり

行けばゆき当る 小浜の菊屋 半期奉公が しとうござる

半期奉公が したいとは言うたが 今の菊屋は いやでする

今年初めて 中山寺の 石の唐櫃に 錠がおりた

親が見たけりゃ 中山寺の 五百羅漢の 堂へまいれ

五百羅漢の お堂まで来たが 親に似たよな 顔はない

親に似たよな 顔はあるけれど さすが仏ぢゃ 物言わぬ

池田大和屋 金五郎さまの 井戸の井筒は金ぢゃそな

井戸の井筒が 金かとおもや 今は木ぢゃげな 栗の木ぢゃ

池田本町 茶椀屋の娘 だれが落として わったやら

伊丹三本松 尾のない狐 わしも一度は だまされた

伊丹三本松 烏がどめく 銭もないのに かおかおと

池田北の口 夏でもさむい 袷やりたや 足袋そえて

池田伊丹は 上で皮晒す 下で江戸行の 酒造る

山家なれども 池田は名所 月に十夜二の 市がたつ

月に十夜二の 市はたつけれど さすが山家ぢゃ 女郎がない

女郎がないのは 昔の池田 今はまとばに 女郎がある

池田川には 筏をながす わしは妻故 名を流す

わしの殿さは 筏の船頭 袖がぬれます さす棹で

池田川には 白波が立つ あれが越さりょか 渡らりょか

池田伊丹の 慣いかなれど 如何な店でも よしすだれ

池田伊丹は 名所がござる くもが米つく これ名所

風呂上り(前唄)[編集]

三本櫂(風呂上り唄、朝の揺物の後唄)[編集]

朝の揺物(前唄)[編集]

雑唄[編集]

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。