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中論

白文

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 不生亦不滅 不常亦不斷

 不一亦不異 不來亦不出

 能説是因縁 善滅諸戲論

 我稽首禮佛 諸説中第一

問曰。何故造此論。答曰。有人言萬物從大自在天生。有言從韋紐天生。有言從和合生。有言從時生。有言從世性生。有言從變生。有言從自然生。有言從微塵生。

有如是等謬故墮於無因邪因斷常等邪見。種種説我我所。不知正法。佛欲斷如是等諸邪見令知佛法故。

先於聲聞法中説十二因縁。又爲已習行有大心堪受深法者。以大乘法説因縁相。所謂一切法不生不滅不一不異等。

畢竟空無所有。如般若波羅蜜中説。佛告須菩提。菩薩坐道場時。觀十二因縁。如虚空不可盡。

佛滅度後。後五百歳像法中。人根轉鈍。深著諸法。求十二因縁五陰十二入十八界等決定相。不知佛意但著文字。

聞大乘法中説畢竟空。不知何因縁故空。即生疑見。若都畢竟空。云何分別有罪福報應等。如是則無世諦第一義諦。

取是空相而起貪著。於畢竟空中生種種過。龍樹菩薩爲是等故。造此中論

 不生亦不滅 不常亦不斷

 不一亦不異 不來亦不出

 能説是因縁 善滅諸戲論

 我稽首禮佛 諸説中第一

以此二偈讃佛。則已略説第一義。

問曰。諸法無量。何故但以此八事破。答曰法雖無量。略説八事則爲總破一切法。不生者。諸論師種種説生相。

或謂因果一。或謂因果異。或謂因中先有果。或謂因中先無果。或謂自體生。或謂從他生。或謂共生。或謂有生。或謂無生。

如是等説生相皆不然。此事後當廣説。生相決定不可得故不生。不滅者。若無生何得有滅。以無生無滅故。餘六事亦無問曰。不生不滅已總破一切法。

何故復説六事。答曰。爲成不生不滅義故。有人不受不生不滅。而信不常不斷。若深求不常不斷。即是不生不滅。

何以故。則不應無。先有今無是即爲斷。若先有性是則爲常。是故説不常不斷。即入不生不滅義。有人雖聞四種破諸法。

猶以四門成諸法。是亦不然。若一則無縁。若異則無相續。後當種種破。是故復説不一不異。有人雖聞六種破諸法。猶以來出成諸法。

來者。言諸法從自在天世性微塵等來。出者。還去至本處。復次萬物無生。何以故。世間現見故。世間眼見劫初穀不生。

何以故。離劫初穀。今穀不可得。若離劫初穀有今穀者。則應有生。而實不爾。是故不生。問曰若不生則應滅。答曰不滅。

何以故。世間現見故。世間眼見劫初穀不滅。若滅今不應有穀而實有穀。是故不滅。問曰。若不滅則應常。答曰不常。

何以故。世間現見故。世間眼見萬物不常。如穀芽時種則變壞。是故不常。問曰若不常則應斷。答曰不斷。

何以故。世間現見故。世間眼見萬物不斷。如從穀有芽。是故不斷。若斷不應相續。問曰。若爾者萬物是一。答曰不一。

何以故。世間現見故。世間眼見萬物不一。如穀不作芽芽不作穀。若穀作芽芽作穀者。應是一。而實不爾。是故不一。問曰若不一則應異。答曰不異。

何以故。世間現見故。世間眼見萬物不異。若異者。何故分別穀芽穀莖穀葉。不説樹芽樹莖樹葉。是故不異。

問曰。若不異應有來。答曰無來何以故。世間現見故。世間眼見萬物不來。如穀子中芽無所從來。

若來者。芽應從餘處來。如鳥來栖樹。而實不爾。是故不來。問曰。若不來應有出。答曰不出。

何以故。世間現見故。世間眼見萬物不出。若有出。應見芽從穀出。如蛇從穴出。而實不爾。是故不出。

問曰。汝雖釋不生不滅義。我欲聞造論者所説。答曰

 諸法不自生 亦不從他生

 不共不無因 是故知無生

現代語訳

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<1> 生ずることなく、滅することなく、常住でもなく、断滅でもなく

同一でもなく、異なることなく、来ることなく、去ることもない。

善く諸々の戯論[1]を滅する、これらの因縁を説いた、

諸々の説法者たちの中で第一である、仏陀に私は敬礼する。


<2> 諸法は自ら生ずるのでもなく、他より生ずるのでもなく、

共に生ずるのでもなく、原因なく生ずるのでもない。それゆえ「不生」であると知る。

脚注

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  1. prapanca

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 

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