万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第十七
、 大伴の の、 に さされ 帥を兼ねたまふこと旧の如し、 に上りたまふ時、 ら、 に別れて京に へり。是に を み、 を陳べてよめる歌
3890 我が背子を が松原よ見渡せば ども玉藻刈る見ゆ
右の
は、 がよめる。3891 荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か が恋ひざらむ
3892 磯ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ磯の知らなく
3893 昨日こそ船出はせしか 取り の灘を今日見つるかも
3894 淡路島 渡る船の楫間にも は忘れず家をしそ思ふ
3895 玉はやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしそ思ふ
3896 家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば 知らずも
3897 大海の奥処も知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも
3898 大船の上にし れば天雲のたどきも知らずうたがた我が背
3899 海人娘子 り焚く火の しく の松原思ほゆるかも
右の
は、 。
の の夜、独り を て ひを述ぶる歌一首
3900 し 乗りすらし 清き に雲立ち渡る
右の
は、大伴宿禰家持がよめる。
、 の時の梅の花の歌を追ひて める 六首
3901 御冬過ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば折る人もなし
3902 梅の花み山と にありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
3903 春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
3904 梅の花いつは折らじと厭はねど咲きの盛りは惜しきものなり
3905 遊ぶ日の しき庭に梅柳折り してば思ひ無みかも
3906 の百木の梅の散る花の に飛び上がり雪と降りけむ
右、大伴宿禰家持がよめる。
の 、 の を讃むる歌一首、また
3907 の の都は 春されば 花咲き り
秋されば
にほひ 帯ばせる 泉の川の上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し
あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに
反し歌
3908 めて泉の川の 絶えず仕へまつらむ大宮所
右、
がよめる。
の 、 を詠める歌二首
3909 橘は にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
3910 玉に く を家に植ゑたらば山霍公鳥 れず来むかも
右、大伴宿禰書持が奈良の
より兄家持に贈る。
四月の 、和ふる歌三首
初めて咲き、霍公鳥 き る。此の に りて、なぞも志を べざらむ。 の短歌をよみて、 しき を るにこそ
3911 の に れば霍公鳥木の間立ち き鳴かぬ日はなし
3912 霍公鳥何の心そ橘の玉貫く月し来鳴き むる
3913 霍公鳥楝の枝にゆきて ば花は散らむな玉と見るまで
右、
大伴宿禰家持が久迩の京より 書持に ふ。
霍公鳥を ふ歌一首 がよめる
3914 霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
右ハ伝ヘテ云ク、一時交遊集宴セリ。此ノ日
此処ニ霍公鳥喧カズ。仍チ件ノ歌ヲ作ミテ、
思慕ノ意ヲ陳ベリト。但其ノ宴ノ所ト年月ハ、
詳審ラカニスルコトヲ得ズ。
山部宿禰赤人が を詠める歌一首
3915 足引の山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
右ハ年月所処、詳審カニスルコトヲ得ズ。但
聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。
四月の 、独り の に居りてよめる歌六首
3916 橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
3917 霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
3918 橘のにほへる苑に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
3919 青丹よし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
3920 鶉鳴き古しと人は思へれど花橘のにほふこの屋戸
3921 かきつはた衣に摺り付け の ひ猟する月は来にけり
右、大伴宿禰家持がよめる。
の 、 多く零り に積むこと 。時に 橘の 、 藤原豊成朝臣と とを て、 の 中宮西院 に りて、 へ りて雪を ふ。是に して また諸王をば大殿の に はしめ、 をば南の細殿に侍はしめて、 賜ひて す。 したまはく、 諸王卿等(おほきみたち、まへつきみたち)、此の雪を みて、 其の歌を せとのりたまへり。
左大臣橘宿禰の詔を
はる歌一首3922 降る雪の白髪までに に仕へまつれば貴くもあるか
が詔を応はる歌一首
3923 天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
紀朝臣
が詔を応はる歌一首3924 山の そことも見えず も昨日も今日も雪の降れれば
が詔を応はる歌一首
3925 しき年の初めに豊の年 すとならし雪の降れるは
大伴宿禰家持が詔を応はる歌一首
3926 大宮の内にも にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも
藤原豊成朝臣、巨勢奈弖麻呂朝臣、大伴牛養宿禰、
藤原仲麻呂朝臣、三原王、智奴王、船王、邑知王、
小田王、林王、穂積朝臣老、小田朝臣諸人、小野
朝臣綱手、高橋朝臣国足、太朝臣徳太理、高丘連
河内、秦忌寸朝元、楢原造東人。右の
のたち、詔を応はりてよめる歌、 の
に
せりき。 其の歌の しをば記さず。秦忌寸朝元は、左大臣橘の卿の ぶれて は
く、歌を賦み
へずば、 以ちて へとのりたまへり。此に因りて
りき。
大伴宿禰家持、 、 の に けられ、即ち七月に に く。時に 大伴坂上郎女が家持に贈れる歌二首
3927 草枕旅ゆく君を くあれと 据ゑつ が床の に
3928 今のごと恋しく君が思ほえば如何にかも為むするすべの無さ
また越中国に贈る歌二首
3929 旅に にし君しも継ぎて に見ゆ が片恋の繁ければかも
3930 道の中国つ御神は旅ゆきもし知らぬ君を恵みたまはな
が越中守大伴宿禰家持に贈れる歌
3931 君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
3932 須磨ひとの海辺常去らず焼く塩の き恋をも はするかも
3933 ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
3934 なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし
3935 の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
3936 草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ が恋ひ居らむ
3937 草枕旅 にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく
3938 かくのみや が恋ひ居らむぬば玉の夜の紐だに解き けずして
3939 里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし そ悔しき
3940 万代と心は解けて我が背子が みしを見つつ忍びかねつも
3941 鴬の鳴くくら谷に打ち嵌めて焼けはしぬとも君をし待たむ
3942 松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
右ノ件ノ十二首ノ歌ハ、時々ニ便使ニ寄セテ
来贈ル。一度ニ送レルニハ在ラズ。
の の夜、守大伴宿禰家持が に集ひて宴する歌
3943 秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来る かも
右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3944 女郎花咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出 り来ぬ
3945 秋の夜は 寒し の妹が 着むよしもがも
3946 霍公鳥鳴きて過ぎにし岡 から秋風吹きぬよしもあらなくに
右の三首は、
大伴宿禰池主がよめる。3947 今朝の 秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
3948 天ざかる に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
右の二首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3949 天ざかる夷にある我をうたがたも紐解き放けず思ほすらめや
右の一首は、掾大伴宿禰池主。
3950 家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3951 の鳴きぬる時は女郎花咲きたる野辺を行きつつ見べし
右の一首は、
。一首 大原高安真人ノ作。年月審ラカナラズ。但聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。
3952 妹が家に の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
右の一首、伝へ
むは なり。3953 雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の に
3954 馬 めていざ打ち行かな の清き に寄する波見に
右の二首は、守大伴宿禰家持。
3955 ぬば玉の夜は更けぬらし玉くしげ 山に月かたぶきぬ
右の一首は、
。
大目秦忌寸八千島が館に宴する歌一首
3956 奈呉の海人の釣する船は今こそは 打ちて て榜ぎ出め
右、館ノ客屋ハ居ナガラニシテ蒼海ヲ望ム。
仍テ主人八千島此歌ヲ作メリ。
れる を む歌一首、また
3957 天ざかる 夷治めにと 大王の のまにまに
出でて
し 我を送ると 青丹よし 奈良山過ぎて泉川 清き河原に 馬
め 別れし時にくて 還り来む 平らけく ひて待てと
語らひて
し日の極み 玉ほこの 道をた遠み山川の
りてあれば 恋しけく 長きものを見まく欲り 思ふ間に 玉づさの 使の
れば嬉しみと
が待ち問ふに の とかもしきよし の 何しかも 時しはあらむを
はたすすき 穂に
る秋の 萩の花 にほへる屋戸を 言フハ、斯ノ人、 花草花樹ヲ ミテ多ク寝院ノ庭ニ植ヱタリ。故レ花薫フ庭ト謂ヘリ。朝庭に 出で立ち
し 夕庭に 踏み平らげず佐保の内の 里を往き過ぎ 佐保山ニ
セリ。故レ佐保ノウチノサトヲユキスギト謂ヘリ。足引の 山の
に 白雲に 立ち棚引くと に告げつる3958 くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
3959 かからむとかねて知りせば越の海の の波も見せましものを
右、天平十八年
の 、越中守大伴宿禰家持が遥かに弟の喪を聞き
みてよめるなり。
へるを歓ぶ歌二首
3960 庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を が待たなくに
3961 白波の寄する磯廻を榜ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
右、天平十八年八月、掾大伴宿禰池主が大帳使に
附きて、
に き、同じ年の 、本のに
れり。 宴して の せり。時に降りて、
に積むこと なり。 の船、入海に
に浮かぶ。爰に守大伴宿禰家持が二つのものを
て、聊か を ぶ。
の 、忽ち病ひに沈み、 みうせなむとす。 をよみて、 を ぶる 、また短歌
3962 大王の のまにまに の 心振り起こし
足引の 山坂越えて 天ざかる 夷に下り来
息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに
うつせみの 世の人なれば 打ち靡き 床に
い伏し痛けくし 日に
に増さる たらちねの 母の命の大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと
待たすらむ 心
しく しきよし 妻の命も明けくれば 門に寄り立ち
を 折り返しつつ夕されば 床打ち払ひ ぬば玉の 黒髪敷きて
いつしかと 嘆かすらむそ
も も 若き子どもはをちこちに 騒き泣くらむ 玉ほこの 道をた
みも 遺るよしも無し 思ほしき 言 て遣らず
恋ふるにし 心は燃えぬ 玉きはる 命惜しけど
為むすべの たどきを知らに かくしてや
すらに 嘆き伏せらむ3963 は数なきものか春花の散りの ひに死ぬべき思へば
3964 山川の を遠み しきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
右、越中国の守の館にて、病に臥し悲傷みて、
此の歌をよめり。
二月の 、守大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈れる悲しみの歌二首
忽に病ひに沈み、累旬痛苦す。百神を祷ひ恃みて、且消損を得れども、由ほ身体
み れ、筋力 くして、未だ謝を展るに堪へず。係恋弥よ深し。 春の朝春の花、春の苑に ひ、春の暮春の鴬、春の林に く。此の節候に りて、琴樽 びつべし。乗興の感有りと雖も、策杖の労に耐へず。独り帷幄の裏に臥して、聊か寸分の歌をよみて、 しく机下に奉り、玉頤を解かむことを犯す。其の詞に曰く、3965 春の花今は盛りににほふらむ折りて さむ もがも
3966 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折り挿頭さむ
天平二十年二月二十九日、大伴宿禰家持。
の二日、 大伴宿禰池主が守大伴宿禰家持に ふる歌二首
忽に芳音を
す。翰苑雲を凌ぎ、兼て を る。詞林錦を舒べ、 ひ めて能く恋緒をのぞく。春の朝の和気、固より楽しむべく、春の暮の風景、最も むべし。紅桃灼々とし、戯蝶花を回りて舞ひ、翠柳依々として、嬌鴬葉に隠りて歌ふ。楽しきかも。淡交席を促して、意を得て言を忘る。楽しきかも、 しきかも。幽襟 しむに足れり。 りきや、蘭蕙叢を隔て、琴樽 はるること無けむと。空しく令節を過さば、物色人を らむ。怨むる所此に有り。然黙止することを能はず。俗語に云く、藤を以て錦に続ぐと云へり。聊か談咲に擬するのみ。3967 に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
3968 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
の二日、掾大伴宿禰池主。
三月の 、守大伴宿禰家持が更に贈れる歌一首、また短歌
含弘の徳、恩を蓬体に垂れ、不貲の思、陋心に報へ慰めしむ。来眷を載荷し、喩ふる所に堪ふること無し。但稚き時、遊藝の庭に渉らず、横翰の藻、自ら彫虫に乏し。幼年山柿の門に逕らず、裁歌の趣、詞を叢林に失ふ。爰に藤を以て錦に続ぐといふ言を
くす。更に石を将て瓊に同じくする詠を す。 に俗愚懐癖、黙止すること能はず。 数行を捧げて、式て嗤咲に酬ふ。其の詞に曰く、3969 の のまにまに しなざかる 越を治めに
出でて来し ますら我すら
の 常し無ければ打ち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば
悲しけく ここに思ひ出
なけく そこに思ひ出嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを
足引の 山来
りて 玉ほこの 道の遠けば間使も 遣るよしも無み 思ほしき 言も通はず
玉きはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに
り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに
春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折り挿頭さず
春の野の 茂み飛び
く 鴬の 声だに聞かず娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の
春雨に にほひ
づちて 通ふらむ 時の盛りをいたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を
うるはしみ この夜すがらに
も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつそ居る3970 足引の山桜花一目だに君とし見てば 恋ひめやも
3971 山吹の茂み飛び漏く鴬の声を聞くらむ君は しも
3972 出で立たむ力を無みと り居て君に恋ふるに もなし
の 、大伴宿禰家持。
の三日、遊覧する七言の 一首、また
上巳の名辰、暮春の麗景、桃花
を照して、紅を分つ。柳の色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて曠く江河の畔を り、酒を訪ひて迥かに野客の家に過ぐ。既にして琴樽性を得、蘭契光を和らぐ。嗟乎、今日恨むる所は、徳星已に少きか。若し寂含の章を かずは、何を以てか逍遥の趣を べむ。忽に短筆に課して、聊かに四韻を勒すなり。余春の媚日怜賞すべし
上巳の風光覧遊するに足れり
柳陌江に臨みてゲン服を
にし桃源海に通ひて仙舟を
ぶ桂を酌みて三清湛へ
羽爵人を
して九曲流るに酔ひ陶心彼我を忘れ
酩酊処として淹しく留らざること無し
三月の
、大伴宿禰池主。
掾大伴宿禰池主が ふる歌二首、また短歌
昨日短懐を述べ、今朝耳目を
す。更に賜書を承り、且不次を奉る。死罪々々謹み す。下賎を れず、頻に徳音を恵む。英雲星気、逸調人に過ぎたり。智水仁山、既に琳瑯の光彩を み、潘江陸海、自ら詩書の廊廟に坐す。思ひを非常に騁せ、情を有理に け、七歩に章を成し、数篇紙に満つ。巧に愁人の重患を遣り、能く恋者の積思を除く。山柿の歌泉、此に比ぶるに きが如し。彫龍の筆海、粲然として看ることを得。方に僕の幸有ることを知りぬ。敬みて和ふる歌、其の詞に云く、3973 大王の 命畏み 足引の らず
天ざかる 夷も治むる
や なにか物 ふ青丹よし
来通ふ 玉づさの 使絶えめやり恋ひ 息づきわたり に 嘆かふ我が背
古ゆ 言ひ継ぎ来らく
は 数なきものそ慰むる こともあらむと 里人の
に告ぐらくには 散り の 間なくしば鳴く
春の野に すみれを摘むと
の 袖折り返し紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて
君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見にゆかな ことはたな知れ
3974 山吹は日に日に咲きぬうるはしと が ふ君はしくしく思ほゆ
3975 我が背子に恋ひすべなかり の に嘆かふ し悲しも
三月の五日、大伴宿禰池主。
守大伴宿禰家持が、また ふる 一首、また短歌
昨暮使を
る。幸なるかも、晩春遊覧の詩を垂れ、今朝信を累ぬ。 きかも、相招望野の歌を賜はる。一たび玉藻を看て、稍欝結を写し、二たび秀句を吟ひて、已に愁緒をのぞく。此の眺翫にあらずは、 か能く心を暢べむ。 下 、禀性 り難く、闇神 くこと靡し。翰を握れば毫を腐し、研に対へば渇を忘る。終日因流して、綴れども能はず。 文章の天骨、習へども得ず。豈字を探り韻を勒して、雅篇に叶和するに堪へむ。抑々鄙里の少児に聞く、古の人言酬いざるは無しと。聊か拙詠を裁りて、敬みて解咲に擬す。 言を賦し韻を勒し、斯の雅作の篇に同じくす。豈石を将て瓊に同じくし、声遊の走曲に唱ふるに殊ならむ。抑小児の濫謡に譬ふ。敬みて葉端に写し、式て乱に擬すに曰く、七言一首
抄春の余日媚景麗し
初巳の和風払ひて自ら軽し
来燕泥を銜えて宇を賀きて入る
帰鴻廬を引きて
かに に赴く聞く君が嘯侶新たに曲を流すことを
禊飲爵を催して河の清きに泛ぶ
此の良宴を追尋せむと欲すれども
還りて知りぬ染懊して脚のレイテイすることを
短歌二首
3976 咲けりとも知らずしあらば もあらむこの山吹を見せつつもとな
3977 葦垣の にも君が寄り立たし恋ひけれこそは夢に見えけれ
三月の五日、大伴宿禰家持が病み
やりてよめる。
恋の を述ぶる歌一首、また短歌
3978 妹も も 心は じ たぐへれど いやなつかしく
相見れば
に 心ぐし 目ぐしもなしにしけやし が奥妻 大王の 命畏み
足引の 山越え野行き 天ざかる 夷治めにと
別れ
し その日の極み あら玉の 年行き返り春花の うつろふまでに 相見ねば
もすべ無みの 袖返しつつ 寝る夜おちず 夢には見れど
うつつにし
にあらねば 恋しけく 千重に積もりぬ近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕
差し交へて 寝ても
ましを 玉ほこの 道はし く関さへに
りてあれこそ よしゑやし よしはあらむそ霍公鳥 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ
卯の花の にほへる山を
のみも 振り放け見つつに い行き乗り立ち 青丹よし 奈良の に
の うら げしつつ 下恋に 思ひうらぶれ
門に立ち
問ひつつ を待つと すらむ妹を 逢ひて早見む3979 あら玉の年返るまで相見ねば心も に思ほゆるかも
3980 ぬば玉の夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり
3981 足引の山来 りて遠けども心しゆけば夢に見えけり
3982 春花のうつろふまでに相見ねば月日 みつつ妹待つらむそ
右、三月の
の 、忽ち恋の を起してよめる。大伴宿禰家持。
、 く を経て、由ほ霍公鳥の を聞かず。因れ恨みてよめる歌二首
3983 足引の山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
3984 玉に貫く花橘を しみしこの我が里に来鳴かずあるらし
霍公鳥は
日、必ず来鳴きぬ。又 の、 希なり。此に因りて大伴宿禰家持が懐
を
けて、此歌を めり。三月二十九日。
山の 一首 此山ハ射水郡ニ在リ
3985 い行き廻れる 玉くしげ 二上山は
春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に
出で立ちて 振り放け見れば
や そこば貴きや 見が欲しからむ すめ神の の山の
の 崎の に 朝凪に 寄する白波
夕凪に 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく
ゆ 今の に かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
3986 澁谿の崎の荒磯に寄する波いやしくしくに古思ほゆ
3987 玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
右、三月の
、 に けてよめる。大伴宿禰家持。
四月の の 、遥かに霍公鳥の を聞きて を述ぶる歌一首
3988 ぬば玉の月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里 みかも
右、大伴宿禰家持がよめる。
秦忌寸八千島の館にて、守大伴宿禰家持を する宴の歌二首
3989 の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
3990 我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置き かば惜し
右、守大伴宿禰家持が正税帳を以ちて
に らむとす。此歌をよみて、 の嘆を陳ぶ。四月二十日。
に べる 一首、また短歌 此海ハ射水郡ノ舊江村ニ在リ
3991 の の 思ふどち 心遣らむと
馬並めて
の 白波の 荒磯に寄する澁谿の 崎
り の 長浜過ぎて川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き
見つれども そこも飽かにと 布施の海に 舟浮け据ゑて
沖へ榜ぎ 辺に榜ぎ見れば 渚には あぢ群騒き
には 花咲き ここばくも 見のさやけきか
玉くしげ 二上山に
ふ蔦の 行きは別れずあり通ひ いや
に 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと3992 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや に見つつ偲はむ
右、守大伴宿禰家持がよめる。四月廿四日。
布勢水海に遊覧びたまへる に す 、また
3993 藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今そ盛りと
足引の 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし
めば打ち靡く 心も
に そこをしも うら恋しみと思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば
射水川
の 朝凪に 潟に漁りし潮満てば
呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き澁谿の 荒磯の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻
片
りに に作り 妹がため 手に巻き持ちてうらぐはし 布勢の水海に 海人船に
掻い きの 袖振り返し ひて 我が榜ぎ行けば
の崎 花散りまがひ 渚には 騒き
さざれ波 立ちても居ても 榜ぎ廻り 見れども飽かず
秋さらば
の時に 春さらば 花の盛りにかもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
3994 白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜 を
右、掾大伴宿禰池主がよめる。四月廿六日追和。
四月の 、掾大伴宿禰池主が館にて、税帳使守大伴宿禰家持を する宴の歌、また 四首
3995 玉ほこの道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも
右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。
3996 我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ は しけむかも
右の一首は、
がよめる。3997 なしとな侘び我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を かさね
右の一首は、守大伴宿禰家持が
ふ。石川朝臣
が橘の歌一首3998 我が屋戸の花橘を花ごめに玉にそ が貫く待たば苦しみ
右の一首、伝へ誦むは
大伴宿禰池主なりき。
守大伴宿禰家持が館にて の歌一首 四月二十六日
3999 に立つ日近づく飽くまてに相見て行かな恋ふる日多けむ
の 一首、また短歌 此山ハ新河郡ニ在リ
4000 天ざかる 夷に名懸かす 越の中 ことごと
山はしも
にあれども 川はしも にゆけどもすめ神の
きいます の その立山になつに 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の
清き瀬に 朝宵ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや
あり通ひ いや
に のみも 振り放け見つつ万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ
音のみも 名のみも聞きて
しぶるがね4001 立山に降り置ける雪を常なつに見れども飽かず ながらならし
4002 片貝の川の瀬清くゆく水の絶ゆることなくあり通ひ見む
四月の二十七日、大伴宿禰家持がよめる。
立山の賦に す 、また
4003 朝日さし に見ゆる ながら 御名に負はせる
白雲の 千重を押し分け
り 高き立山冬夏と
くこともなく に 雪は降り置きて古ゆ 在り来にければ
しかも の神さび玉きはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れども
し峯
み 谷を深みと 落ち つ 清き に朝
らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たな引き雲居なす 心も
に 立つ霧の 思ひ過ぐさず行く水の 音も
けく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは4004 立山に降り置ける雪の常なつに ずてわたるは ながらとそ
4005 落ち激つ片貝川の絶えぬごと今見る人も止まず通はむ
右、掾大伴宿禰池主が和ふ。四月廿八日。
に らむこと 近く、悲しみの ひ難くて、 を述ぶる歌一首、また一絶
4006 かき ふ 二上山に 神さびて 立てる の木
も も じ に しきよし 我が背の君を
朝
らず 逢ひて ひ 夕されば 手携はりて射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば
の風 くし吹けば には 白波高み
呼ぶと は騒く 葦刈ると 海人の は
入江榜ぐ 楫の音高し そこをしも あやに
しみ偲ひつつ 遊ぶ盛りを
の す国なれば御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども
玉ほこの 道ゆく我は 白雲の 棚引く山を
岩根踏み 越え
りなば 恋しけく の長けむそそこ
へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ く玉にもが 手に巻き持ちて 朝宵に 見つつゆかむを 置きて
かば惜し4007 我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きてゆかむ
右、大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈る。四月卅日。
忽に入京述懐の作を見て、生きながら別るる悲しみ、腸を断つこと万回。怨緒 き難し。聊か所心を す 、また
4008 青丹よし 奈良を来離れ 天ざかる にはあれど
我が背子を 見つつし
れば 思ひ遣る 事もありしをの 命畏み 食す国の 事執り持ちて
若草の
り の 朝立ち去なば後れたる
や悲しき 旅にゆく 君かも恋ひむ思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて
見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ
朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はば
しみ山 の神に まつり が乞ひ まく
しけやし 君が を くも 在り り
月立たば 時も
はさず 撫子が 花の盛りに 相見しめとそ4009 玉ほこの道の神たち はせむ が思ふ君をなつかしみせよ
4010 うら恋し我が背の君は撫子が花にもがもな 見む
右、大伴宿禰池主が
ふる 。五月二日。
せる鷹を ひ、 に見て びよめる歌一首、また短歌
4011 の 遠の と 御雪降る 越と名に負へる
天ざかる 夷にしあれば 山
み 川 し野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと
島つ鳥
が伴は 行く川の 清き瀬ごとに篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば
野も
に 鳥 けりと の 友 ひて鷹はしも あまたあれども 矢形尾の
が に 大黒ハ蒼鷹ノ名ナリの 鈴取り付けて 朝猟に つ鳥立て
夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に
すことなくも も可易き これをおきて または在り難し
さ並べる 鷹は無けむと 心には 思ひ誇りて
笑まひつつ 渡る間に
れたる つ翁の言だにも 我には告げず との曇り 雨の降る日を
すと 名のみを りて 三島野を に見つつ
の 山飛び越えて 雲隠り 翔り にきと
帰り来て
れ告ぐれ くよしの そこに無ければ言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ
思ひ恋ひ 息
きあまり けだしくも 逢ふことありやと足引の
に 張り を据ゑてちはやぶる 神の
に 照る鏡 に取り添へ乞ひ祈みて
が待つ時に らが に告ぐらくが恋ふる その つ鷹は 松田江の 浜ゆき暮らし
つなし捕る
の江過ぎて 多古の島 飛び り葦鴨の
く に も 昨日もありつ近くあらば いま二日だみ 遠くあらば
のうちは過ぎめやも
なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとそ に告げつる4012 矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月そ経にける
4013 二上の彼面此面に網さして が待つ鷹を に告げつも
4014 りしひにてあれかもさ山田の がその日に求めあはずけむ
4015 心には ぶことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ
右、射水郡古江の村にて蒼鷹を取獲たり。形容
しくて、雉を ること群に秀れたり。時に
山田史君麿、調試節を失ひ、野猟候に乖く。
風に搏る翅、高く翔り雲に匿る。腐鼠の餌、呼
び留むるに験靡し。是に羅網を張り設けて非常
を窺ひ、神祇に奉幣して虞らざるを恃む。
にに娘子有り。喩して曰く、 苦念を作し
て空に精神を費すこと勿れ。
せる彼の鷹、獲り得むこと
。須叟ありて覚寤して、懐に悦びて、
恨みを却す歌をよみ、式て感信を旌す。守大伴宿禰家持。九月二十六日ニ作メリ。
高市連黒人が歌一首 年月審ラカナラズ
4016 の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ
右、此の歌を伝へ誦むは三國真人
なり。
の 、よめる歌
4017 越ノ俗語ニ東風ヲアユノカゼト謂ヘリ く吹くらし奈呉の海人の釣する小舟榜ぎ隠る見ゆ
4018 風寒く吹くらし奈呉の江に 呼び交し に鳴く
4019 天ざかる夷とも くここだくも繁き恋かも る日もなく
4020 越の海の信濃 浜ノ名ナリ の浜をゆき暮らし長き も忘れて思へや
右の
は、大伴宿禰家持。
の にてよめる歌一首
4021 雄神川紅にほふ娘子らし葦付 水松ノ類 取ると瀬に立たすらし
にて を渡る時よめる歌一首
4022 鵜坂川渡る瀬多みこの が の の水に衣濡れにけり
人を見てよめる歌一首
4023 婦負川の早き瀬ごとに篝さし は鵜川立ちけり
にて を渡る時よめる歌一首
4024 立山の雪し らしも延槻の川の渡り瀬 漬かすも
氣多の に るに、海辺を行く時よめる歌一首
4025 から 越え来れば の海朝凪したり もがも
能登郡にて、香島の津より して、 の村を射して徃く時よめる歌二首
4026 立て 伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代 びそ
4027 香島より熊來をさして榜ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
にて を渡る時よめる歌一首
4028 妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに はへてな
より して、 に還る時、長濱の に泊てて を てよめる歌一首
4029 珠洲の海に朝開きして榜ぎ来れば長濱の浦に月照りにけり
右の件の
は、春の に依りて を る。目に く によめる。大伴宿禰家持。
鴬の を怨む歌一首
4030 鴬は今は鳴かむと片待てば霞たな引き月は経につつ
歌一首
4031 中臣の 言ひ祓へ ふ命も誰がために
右、大伴宿禰家持がよめる。