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万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第二

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巻第二ふたまきにあたるまき


相聞したしみうた


難波なにはの高津の宮にあめの下知ろしめしし天皇すめらみことみよ


〔磐姫〕皇后おほきさきの天皇をしぬばしてよみませる御歌四首よつ

0085 君が旅行ゆき長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

     右ノ一首ノ歌ハ、山上憶良臣ガ類聚歌林ニ載セタリ。

     古事記ニ曰ク、輕太子、輕大郎女ニタハケヌ。カレ其ノ

     太子、伊豫ノ湯ニ流サル。此ノ時衣通王、恋慕ニ堪

     ヘズシテ追ヒ徃ク時ノ歌ニ曰ク、

 0090 君がゆき日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

     此ニ山多豆ト云ヘルハ、今ノ造木ミヤツコギ也。右ノ一首ノ

     歌ハ、古事記ト類聚歌林ト、説ク所同ジカラズ。

     歌主モ亦異レリ。レ日本紀ヲカムガフルニ曰ク、

     難波高津宮ニ御宇アメノシタシロシメシシ大鷦鷯オホサザキ天皇、廿二年

     春正月、天皇皇后ニ語リタマヒテ曰ク、八田皇女

     ヲメシイレテ、妃ト為サム。時ニ皇后聴シタマハズ。

     爰ニ天皇ミウタヨミシテ、以テ皇后ニ乞ハシタマフ、

     云々。三十年秋九月乙卯朔乙丑、皇后、紀伊国ニ

     遊行イデマシテ、熊野岬ニ到リ、其処ノ御綱葉ヲ取リテ

     還リタマフ。是ニ天皇、皇后ノ在サヌコトヲ伺ヒ

     テ、八田皇女ヲ娶リテ、宮ノ中ニ納レタマフ。時

     ニ皇后、難波ノワタリニ到リ、天皇ノ八田皇女ヲ

     シツト聞カシタマヒテ、大ニコレヲ恨ミタマフ、

     云々。亦曰ク、遠ツ飛鳥宮ニ御宇シシ雄朝嬬稚子

     宿禰天皇、二十三年春三月甲午朔庚子、木梨輕皇

     子ヲ太子ト為ス。容姿佳麗カホキラキラシ。見ル者自ラヅ。

     同母妹イロモ輕太娘皇女モ亦艶妙ナリ、云々。遂ニ竊ニ

     タハケヌ。乃チ悒懐少シム。廿四年夏六月、御羮オモノ

     ノ汁リテ以テ氷ヲ作ス。天皇アヤシミタマフ。其

     ノ所由ユヱウラシメタマフニ、卜者マウサク、内ノ乱

     有ラム、盖シ親親相姦カ、云々。仍チ大娘皇女ヲ

     伊豫ニ移ストイヘルハ、今案ルニ、二代二時此歌

     ヲ見ズ。

0086 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しきて死なましものを

0087 在りつつも君をば待たむ打靡くが黒髪に霜の置くまでに

     或ルマキノ歌ニ曰ク

 0089 居明かして君をば待たむぬば玉のが黒髪に霜は降るとも

     右ノ一首ハ、古歌集ノ中ニ出デタリ。

0088 秋の田の穂のに霧らふ朝霞あさかすみいづへの方にが恋やまむ


近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の鏡女王かがみのおほきみに賜へる御歌おほみうた一首ひとつ

0091 妹があたり継ぎても見むに大和なる大島のに家らましを

鏡女王のこたまつれる歌一首

0092 秋山のの下がくり行く水のこそまさらめ思ほさむよは


内大臣うちのおほまへつきみ藤原のまへつきみの、鏡女王をつまどひたまふ時、鏡女王の内大臣に贈りたまへる歌一首

0093 玉くしげ帰るを否み明けてゆかば君が名はあれどが名し惜しも

内大臣藤原の卿の、鏡女王に報贈こたへたまへる歌一首

0094 玉くしげ三室みむろの山のさなかづらさ寝ずは遂に有りかてましも


内大臣藤原の卿の釆女うねべ安見児やすみこたる時よみたまへる歌一首

0095 はもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり


久米禅師くめのぜむし石川郎女いしかはのいらつめつまどふ時の歌五首いつつ

0096 美薦みこも苅る信濃しなぬ真弓吾が引かば貴人うまひとさびて否と言はむかも 禅師

0097 美薦苅る信濃の真弓引かずしてくる行事わざを知ると言はなくに 郎女

0098 梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも 郎女

0099 梓弓弓弦つらを取りけ引く人は後の心を知る人ぞ引く 禅師

0100 東人あづまひと荷前のさきの箱のの緒にも妹が心に乗りにけるかも 禅師


大伴宿禰おほとものすくね巨勢郎女こせのいらつめを娉ふ時の歌一首

0101 玉葛たまかづら実ならぬ木には千早ぶる神そくちふ成らぬ木ごとに

巨勢郎女が報贈こたふる歌一首

0102 玉葛花のみ咲きて成らざるはが恋ならもは恋ひふを


明日香の清御原きよみはらの宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の藤原夫人ふじはらのきさきに賜へる御歌おほみうた一首

0103 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後

藤原夫人の和へ奉れる歌一首

0104 我が岡のおかみに乞ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ


藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


大津皇子の、伊勢の神宮かみのみやしぬくだりて上来のぼります時に、大伯皇女おほくのひめみこのよみませる御歌二首ふたつ

0105 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けてあかとき露にが立ち濡れし

0106 二人ゆけど行き過ぎがたき秋山をいかでか君が独り越えなむ


大津皇子の、石川郎女に贈りたまへる御歌一首

0107 足引の山のしづくに妹待つとが立ち濡れぬ山のしづくに

石川郎女が和へ奉れる歌一首

0108 を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを


大津皇子、石川女郎いしかはのいらつめしぬひたまへる時、津守連通つもりのむらじとほるが其の事をうらひ露はせれば、皇子のよみませる御歌一首

0109 大船おほぶねの津守がうららむとは兼ねてを知りて我が二人寝し


日並皇子ひなみのみこみことの石川女郎に贈り賜へる御歌一首 女郎、アザナヲ大名児ト曰フ

0110 大名児を彼方をちかた野辺ぬへに苅るかやつかのあひだもあれ忘れめや


吉野よしぬの宮にいでませる時、弓削皇子ゆげのみこの額田王に贈りたまへる御歌一首

0111 いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉ゆづるはの御井の上より鳴き渡りゆく

額田王のこたへ奉れる歌一首

0112 古に恋ふらむ鳥は霍公鳥ほととぎすけだしや鳴きしが恋ふるごと

吉野よりこけせる松が折取りておくりたまへる時、額田王の奉入たてまつれる歌一首

0113 み吉野の山松が枝はしきかも君が御言を持ちて通はく


但馬皇女たぢまのひめみこの、高市皇子の宮にいませる時、穂積皇子をしぬひてよみませる御歌一首

0114 秋の田の穂向きの寄れる片依りに君に寄りなな言痛こちたかりとも


穂積皇子にのりこちて、近江の志賀の山寺に遣はさるる時、但馬皇女のよみませる御歌一首

0115 おくれ居て恋ひつつあらずは追ひかむ道の隈廻くまみしめ結へ我が


但馬皇女の、高市皇子の宮に在せる時、穂積皇子にしぬひたまひし事既形あらはれて後によみませる御歌一首

0116 人言ひとごとを繁み言痛み生ける世に未だ渡らぬ朝川渡る


舎人皇子とねりのみこ舎人娘子とねりのいらつめに賜へる御歌一首

0117 大夫ますらをや片恋せむと嘆けどもしこ益荒雄ますらをなほ恋ひにけり

舎人娘子が和へ奉れる歌一首

0118 嘆きつつ大夫ますらをのこの恋ふれこそ髪結もとゆひぢて濡れけれ


弓削皇子ゆげのみこ紀皇女きのひめみこしぬひてよみませる御歌四首よつ

0119 吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなく有りこせぬかも

0120 吾妹子わぎもこに恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花ならましを

0121 夕さらば潮満ち来なむ住吉すみのえの浅香の浦に玉藻苅りてな

0122 大船のつる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ他人ひとの子故に


三方沙弥みかたのさみが、園臣生羽そののおみいくはひて、幾だもあらねば、臥病やみふせるときの作歌うた三首

0123 けばれ束かねば長き妹が髪このごろ見ぬに掻上かかげつらむか 三方沙弥

0124 人皆は今は長みと束けと言へど君が見し髪乱りたりとも 娘子

0125 橘の蔭踏む路の八衢やちまたに物をそ思ふ妹に逢はずて 三方沙弥


石川女郎が、大伴宿禰田主おほとものすくねたぬしに贈れる歌一首

0126 遊士みやびをあれは聞けるを宿貸さずあれを帰せりおその風流士みやびを

     大伴田主ハ、字仲郎ナカチコト曰リ。容姿佳艶、風流秀絶。

     見ル人聞ク者、歎息ナゲカズトイフコトシ。時ニ石川

     女郎イラツメトイフモノアリ。自ラ雙栖ノ感ヒヲ成シ、恒ニ

     独守ノ難キヲ悲シム。ココロハ書寄セムト欲ヘドモ、

     未ダ良キタヨリニ逢ハズ。爰ニ方便ヲ作シテ、賎シキ

     嫗ニ似セ、己レ堝子ナベヲ提ゲテ、ネヤノ側ニ到ル。

     哽音跼足、戸ヲ叩キトブラヒテ曰ク、東ノ隣ノ貧シキ

     、火ヲ取ラムト来タルト。是ニ仲郎、暗キウチニ冒

     隠ノ形ヲ識ラズ、慮外ニ拘接マジハリノ計ニ堪ヘズ。念ヒニ

     任セテ火ヲ取リ、跡ニ就キテ帰リ去ヌ。明ケテ後、

     女郎既ニ自ラ媒チセシコトノ愧ヅベキヲ恥ヂ、復タ

     心契チギリノ果タサザルヲ恨ム。因テ斯ノ歌ヲ作ミ、以テ

     贈リテ諺戯タハブレリ。

大伴宿禰田主が報贈こたふる歌一首

0127 遊士にあれはありけり宿貸さず帰せしあれそ風流士にある

石川女郎がまた大伴宿禰田主に贈れる歌一首

0128 が聞きし耳によく似つ葦のうれ足痛あなやむ我が背自愛つとめぶべし

     右、中郎ノ足ノニ依リ、此ノ歌ヲ贈リテ問訊トブラヘリ。


大津皇子の宮のまかたち石川女郎が大伴宿禰宿奈麻呂すくなまろに贈れる歌一首

0129 古りにしおみなにしてやかくばかり恋に沈まむ手童たわらはのごと


長皇子の皇弟いろどのみこおくりたまへる御歌一首

0130 丹生にふの川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛こひた吾弟あおといで通ひ来ね


柿本朝臣人麿が石見国いはみのくによりに別れ上来まゐのぼる時の歌二首、また短歌みじかうた

0131 石見の つぬ浦廻うらみ

   浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ

   よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも

   鯨魚いさな取り 海辺うみへを指して

   渡津わたづの 荒礒ありその上に か青なる 玉藻沖つ藻

   朝羽振はふる 風こそ来寄せ 夕羽振はふる 波こそ来寄せ

   波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を

   露霜つゆしもの 置きてし来れば

   この道の 八十隈やそくまごとに よろづたび かへり見すれど

   いや遠に 里はさかりぬ いや高に 山も越え

   夏草の 思ひしなえて しぬふらむ 妹が門見む 靡けこの山

反し歌二首

0132 石見のや高角たかつぬ山のの間よりが振る袖を妹見つらむか

     或ル本ノ反シ歌

 0134 石見なる高角山の木の間よもが袖振るを妹見けむかも

0133 小竹ささが葉はみ山もさやに乱れどもあれは妹思ふ別れぬれば

     或ル本ノ歌一首、マタ短歌

 0138 石見の つぬの浦みを

    浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ

    よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも

    勇魚いさな取り 海辺を指して

    柔田津にきたづの 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻

    明け来れば 波こそ来寄せ 夕されば 風こそ来寄せ

    波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 靡きが寝し

    敷布しきたへの 妹が手本たもとを 露霜の 置きてし来れば

    この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど

    いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ

    はしきやし が妻の子が 夏草の 思ひ萎えて

    嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山

     反し歌

 0139 石見の竹綱たかつぬ山の木の間よりが振る袖を妹見つらむか

     右、歌体同ジト雖モ、句々相替レリ。因テ此ニ重ネ載ス。


0135 つぬさはふ 石見の海の ことさへく からの崎なる

   海石いくりにそ 深海松ふかみる生ふる 荒礒にそ 玉藻は生ふる

   玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めてへど

   さ寝し夜は 幾だもあらず ふ蔦の 別れし来れば

   肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど

   大舟の 渡の山の もみち葉の 散りのみだりに

   妹が袖 さやにも見えず 妻隠つまごもる 屋上やかみの山の

   雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠ろひ来つつ

   天伝あまつたふ 入日さしぬれ 大夫と 思へるあれ

   敷布の 衣の袖は 通りて濡れぬ

反し歌二首

0136 青駒あをこま足掻あがきを速み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にける

0137 秋山に散らふ黄葉もみちばしましくはな散りみだりそ妹があたり見む


柿本朝臣人麿が依羅娘子よさみのいらつめが、人麿と相別わかるる歌一首

0140 な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてかが恋ひざらむ


挽歌かなしみうた


後の崗本の宮に天の下知ろしめしし天皇すめらみことみよ


有間皇子の自傷かなしみまして松が枝を結びたまへる御歌二首

0141 磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまた還り見む

0142 家にあればに盛るいひを草枕旅にしあれば椎の葉に盛る


長忌寸意吉麻呂ながのいみきおきまろが、結び松を見て哀咽かなしみよめる歌二首

0143 磐代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも

     柿本朝臣人麿ノ歌集ニ云ク、大宝元年辛丑、紀伊国

     ニ幸セル時、結ビ松ヲ見テ作レル歌一首

 0146 後見むと君が結べる磐代の小松がうれをまた見けむかも

0144 磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ

山上臣憶良が追ひてなぞらふる歌一首

0145 鳥翔つばさ成す有りがよひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ


近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の聖躬不豫おほみやまひせす時、大后おほきさきの奉れる御歌一首

0147 天の原振り放け見れば大王おほきみ御寿みいのちは長く天足あまたらしたり

    一書ニ曰ク、近江天皇ノ聖体不豫ニシテ、御病

    ニハカナル時、大后ノ奉献レル御歌一首ナリト。


天皇の崩御かむあがりませる時、〔倭〕大后のよみませる御歌二首

0148 青旗の木旗こはたの上を通ふとは目には見ゆれどただに逢はぬかも

0149 人はよし思ひむとも玉蘰たまかづら影に見えつつ忘らえぬかも


天皇のかむあがりませる時、婦人をみながよめる歌一首 姓氏ハ詳ラカナラズ

0150 うつせみし 神にへねば さかり居て 朝嘆く君

   はなれ居て が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて

   衣ならば 脱く時もなく が恋ひむ 君そ昨夜きそ いめに見えつる


天皇の大殯おほあらきの時の歌四首

0151 かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊にしめ結はましを 額田王

0152 やすみしし我ご大王の大御船待ちか恋ふらむ志賀の辛崎 舎人吉年


大后の御歌一首

0153 鯨魚いさな取り 淡海あふみの海を

   沖けて 榜ぎ来る船 付きて 榜ぎ来る船

   沖つ櫂 いたくなねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ

   若草の つまみことの 思ふ鳥立つ


石川夫人いしかはのおほとじが歌一首

0154 楽浪ささなみの大山守は誰が為か山に標結ふ君もさなくに


山科の御陵みささぎより退散あがれる時、額田王のよみたまへる歌一首

0155 やすみしし 我ご大王の 畏きや 御陵みはか仕ふる

   山科の 鏡の山に よるはも のことごと

   昼はも 日のことごと のみを 泣きつつありてや

   ももしきの 大宮人は き別れなむ


明日香の清御原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


十市皇女のすぎませる時、高市皇子尊のよみませる御歌三首

0156 三諸みもろの神の神杉かむすぎかくのみにありとし見つついねぬ夜ぞ多き

0157 神山かみやま山辺やまへ真麻木綿まそゆふ短か木綿かくのみ故に長くと思ひき

0158 山吹の立ち茂みたる山清水汲みに行かめど道の知らなく


天皇のかむあがりませる時、大后のよみませる御歌一首

0159 やすみしし 我が大王の 夕されば したまふらし

   明け来れば 問ひたまふらし 神岳かみをかの 山の黄葉もみち

   今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも したまはまし

   その山を 振りけ見つつ 夕されば あやに悲しみ

   明け来れば うらさび暮らし 荒布あらたへの 衣の袖は る時もなし

     一書ニ曰ク、天皇ノカムアガリマセル時、太上天皇ノ御製ミヨミマセルオホミウタ二首

 0160 燃ゆる火も取りて包みて袋にはると言はずや面智男雲

 0161 北山にたなびく雲の青雲の星離さかり行き月もさかりて

     天皇ノ崩シシ後、八年九月九日御斎会ヲガミ奉為ツカヘマツレル夜、

     夢裏イメミ賜ヘル御歌一首

 0162 明日香の 清御原の宮に 天の下 知ろしめしし

    やすみしし 我が大王 高光る 日の皇子

    いかさまに 思ほしめせか 神風かむかぜの 伊勢の国は

    沖つ藻も なびかふ波に 潮気のみ 香れる国に

    味凝うまごり あやにともしき 高光る 日の御子


藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


大津皇子のすぎましし後、大来皇女おほくのひめみこの伊勢の斎宮いつきのみやより上京のぼりたまへる時、よみませる御歌二首

0163 神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もさなくに

0164 見まく欲りがする君もさなくに何しか来けむ馬疲るるに


大津皇子のみかばね葛城かづらき二上山ふたがみやまに移しはふりまつれる時、大来皇女の哀傷かなしみてよみませる御歌二首

0165 うつそみの人なるあれや明日よりは二上山を我がが見む

0166 磯の上に生ふる馬酔木あしび折らめど見すべき君がすと言はなくに


日並皇子ひなみのみこみこと殯宮あらきのみやの時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌みじかうた

0167 天地あめつちの 初めの時し 久かたの 天河原あまのがはら

   八百万やほよろづ 千万ちよろづ神の 神集かむつどひ 集ひいまして

   神分かむあがち あがちし時に 天照らす 日女ひるめみこと

   あめをば 知ろしめすと 葦原の 瑞穂の国を

   天地の 寄り合ひの極み 知ろしめす 神の命と

   天雲あまくもの 八重掻きけて 神下かむくだり いませまつりし

   高光る 日の皇子は 飛鳥あすかの 清御きよみの宮に

   かむながら 太敷きまして 天皇すめろきの 敷きます国と

   天の原 石門いはとを開き 神上かむのぼり 上りいましぬ

   我がおほきみ 皇子の命の あめの下 知ろしめしせば

   春花の 貴からむと 望月の たたはしけむと

   天の下 四方よもの人の 大船おほぶねの 思ひ頼みて

   あまつ水 あふぎて待つに いかさまに 思ほしめせか

   由縁つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいま

   御殿みあらかを 高知りまして 朝ごとに 御言問はさず

   日月ひつきの 数多まねくなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 行方知らずも

反し歌二首

0168 久かたのあめ見るごとくあふぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも

0169 あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜渡る月の隠らく惜しも

     或ル本、件ノ歌ヲ以テ後ノ皇子ノ尊ノ殯宮ノ時ノ

     反歌ト為ス。


皇子の尊の宮の舎人等が慟傷かなしみてよめる歌二十三首はたちまりみつ

0171 高光る我が日の皇子の万代よろづよに国知らさまし島の宮はも

0172 島の宮まがりの池の放鳥はなちとり荒びな行きそ君さずとも

     或ルマキノ歌一首

 0170 島の宮勾の池の放鳥人目に恋ひて池にかづかず

0173 高光る我が日の皇子のいましせば島の御門は荒れざらましを

0174 よそに見し真弓の岡も君せばとこつ御門と侍宿とのゐするかも

0175 いめにだに見ざりしものを欝悒おほほしく宮出もするかさ檜隈廻ひのくまみ

0176 天地と共に終へむと思ひつつ仕へまつりし心たがひぬ

0177 朝日照る佐太さだ岡辺おかへに群れ居つつ吾等が泣く涙やむ時もなし

0178 御立たしし島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる

0179 橘の島の宮には飽かねかも佐太の岡辺に侍宿しに往く

0180 御立たしし島をも家と栖む鳥も荒びな行きそ年替るまで

0181 御立たしし島の荒礒を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも

0182 鳥座とくら立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び還り来ね

0183 我が御門千代常磐とことはに栄えむと思ひてありしあれし悲しも

0184 ひむかしたぎ御門みかどさもらへど昨日も今日も召すことも無し

0185 水つたふ礒の浦廻の石躑躅いそつつじく咲く道をまたも見むかも

0186 一日ひとひには千たび参りしひむかしの滝の御門を入りかてぬかも

0187 所由つれもなき佐太の岡辺に君せば島の御階みはしたれか住まはむ

0188 あかねさす日の入りぬれば御立たしし島にり居て嘆きつるかも

0189 朝日照る島の御門に欝悒おほほしく人音ひとともせねば真心まうら悲しも

0190 真木柱まきばしら太き心はありしかどこのが心鎮めかねつも

0191 けころもを春冬かたまけていでましし宇陀うだの大野は思ほえむかも

0192 朝日照る佐太の岡辺に鳴く鳥の夜鳴きかへらふこの年ごろを

0193 やたこらが夜昼と云はず行く路をあれはことごと宮道みやぢにぞする

     右、日本紀ニ曰ク、三年己丑夏四月癸未朔乙未薨セリ。


河島皇子の殯宮あらきのみやの時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女はつせべのひめみこに献れる歌一首、また短歌

0194 飛ぶ鳥の 明日香の川の かみつ瀬に 生ふる玉藻は

   しもつ瀬に 流れらふ 玉藻なす か寄りかく寄り

   靡かひし つまみことの たたなづく 柔膚にきはだすらを

   剣刀つるぎたち 身に添へ寝ねば ぬば玉の 夜床よとこも荒るらむ

   そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ほして

   玉垂たまたれの 越智をちの大野の 朝露に 玉藻はひづち

   夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故

反し歌一首

0195 敷布しきたへの袖交へし君玉垂の越智野に過ぎぬまたも逢はめやも

     右、日本紀ニ云ク、朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑、

     浄大参皇子川嶋薨セリ。


高市皇子の尊の、城上きのへの殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0199 かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き

   明日香の 真神の原に 久かたの あま御門みかど

   畏くも 定めたまひて かむさぶと 磐隠いはがくります

   やすみしし 我がおほきみの きこしめす 背面そともの国の

   真木立つ 不破山越えて 高麗剣こまつるぎ 和射見わざみが原の

   行宮かりみやに 天降あもいまして 天の下 治めたまひ

   す国を 定めたまふと とりが鳴く あづまの国の

   御軍士みいくさを 召したまひて 千磐ちは破る 人をやはせと

   まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら きたまへば

   大御身おほみみに 大刀取り帯ばし 大御手おほみてに 弓取り持たし

   御軍士を あどもひたまひ 整ふる つつみの音は

   いかつちの 声と聞くまで 吹きせる 小角くだの音も

   あた見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに

   差上ささげたる はたの靡きは 冬こもり 春さり来れば

   野ごとに つきてある火の 風のむた 靡くがごとく

   取り持たる 弓弭ゆはずの騒き み雪降る 冬の林に

   旋風つむしかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きのかしこ

   引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱りてきた

   まつろはず 立ち向ひしも 露霜つゆしもの なば消ぬべく

   く鳥の 争ふはしに 度會わたらひの いはひの宮ゆ

   神風に 息吹いぶき惑はし 天雲あまくもを 日の目も見せず

   常闇とこやみに 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を

   神ながら 太敷きいます やすみしし 我が大王の

   天の下 まをしたまへば 万代よろづよに しかしもあらむと

   木綿花ゆふはなの 栄ゆる時に 我が大王 皇子の御門を

   神宮かむみやに 装ひまつりて 遣はしし 御門の人も

   白布しろたへの 麻衣あさころも着て 埴安はにやすの 御門の原に

   あかねさす 日のことごと ししじもの い匍ひ伏しつつ

   ぬば玉の 夕へになれば 大殿おほとのを 振り放け見つつ

   鶉なす い匍ひもとほり さもらへど 侍ひかねて

   春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに

   おもひも いまだ尽きねば ことさへく 百済くだらの原ゆ

   神葬かむはふり 葬りいまして あさもよし 城上の宮を

   常宮とこみやと 定めまつりて 神ながら 鎮まりしぬ

   しかれども 我が大王の 万代と 思ほしめして

   作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむとへや

   あめのごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども

短歌二首

0200 久かたの天知らしぬる君故に日月も知らに恋ひわたるかも

0201 埴安の池の堤の隠沼こもりぬの行方を知らに舎人はまど

     或ル書ノ反歌一首

 0202 哭澤なきさは神社もり神酒みわ据ゑまめども我がおほきみは高日知らしぬ

     右ノ一首ハ、類聚歌林ニ曰ク、檜隈女王、泣澤ノ神社

     ヲ怨メル歌ナリ。日本紀ニ案ルニ曰ク、〔持統天皇〕

     十年丙申秋七月辛丑朔庚戌、後ノ皇子尊薨セリ。


弓削皇子のすぎませる時、置始東人おきそめのあづまひとがよめる歌一首、また短歌

0204 やすみしし 我がおほきみ 高光る 日の皇子

   久かたの あまつ宮に 神ながら 神といませば

   そこをしも あやに畏み 昼はも 日のことごと

   よるはも のことごと 臥し居嘆けど 飽き足らぬかも

反し歌一首

0205 おほきみは神にしませば天雲あまくも五百重いほへが下に隠りたまひぬ

〔又短歌一首〕

0206 楽浪ささなみの志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほえたりける


明日香皇女の城上きのへの殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0196 飛ぶ鳥の 明日香の川の

   上つ瀬に 石橋いはばし渡し 下つ瀬に 打橋渡す

   石橋に ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆればふる

   打橋に ひををれる 川藻もぞ 枯るればゆる

   なにしかも 我がおほきみの 立たせば 玉藻のごと

   やせば 川藻のごとく 靡かひし よろしき君が

   朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや

   うつそみと 思ひし時に

   春へは 花折り挿頭かざし 秋立てば 黄葉もみちば挿頭し

   敷布の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かに

   望月もちつきの いやめづらしみ 思ほしし 君と時々

   出でまして 遊びたまひし 御食みけ向ふ 城上の宮を

   常宮とこみやと 定めたまひて あぢさはふ 目言めことも絶えぬ

   そこをしも あやに悲しみ ぬえとりの 片恋しつつ

   朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて

   夕星ゆふづつの か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば

   慰むる 心もあらず そこ故に むすべ知らに

   音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く

   しぬひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに

   はしきやし 我がおほきみの 形見にここを

短歌二首

0197 明日香川しがらみ渡しかませば流るる水ものどにかあらまし

0198 明日香川明日さへ見むと思へやも我が王の御名忘れせぬ


柿本朝臣人麿が、みまかりし後、泣血哀慟かなしみよめる歌二首、また短歌

0207 あま飛ぶや かるの路は 我妹子わぎもこが 里にしあれば

   ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み

   数多まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと

   大船の 思ひ頼みて 玉蜻かぎろひの 磐垣淵いはかきふち

   こもりのみ 恋ひつつあるに

   渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠がくるごと

   沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎてにしと

   玉梓たまづさの 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて

   言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば

   が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと

   我妹子が 止まず出で見し 輕の市に が立ち聞けば

   玉たすき 畝傍うねびの山に 鳴く鳥の 声も聞こえず

   玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば

   すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

短歌二首

0208 秋山の黄葉もみちを茂み惑はせる妹を求めむ山道やまぢ知らずも

0209 もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ


0210 うつせみと 思ひし時に たづさへて が二人見し

   走出わしりでの 堤に立てる つきの木の こちごちの

   春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど

   頼めりし 子らにはあれど 世間よのなかを 背きしえねば

   蜻火かぎろひの 燃ゆる荒野に 白布しろたへの 天領巾あまひれかく

   鳥じもの 朝いまして 入日なす 隠りにしかば

   我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに

   取り与ふ 物しなければ をとこじもの 脇ばさみ持ち

   我妹子と 二人が寝し 枕付く 妻屋のうちに

   昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし

   嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ

   大鳥おほとりの 羽易はかひの山に が恋ふる 妹はいますと

   人の言へば 岩根さくみて なづみし よけくもぞなき

   うつせみと 思ひし妹が 玉蜻かぎろひの 髣髴ほのかにだにも 見えぬ思へば

短歌二首

0211 去年こぞ見てし秋の月夜つくよは照らせれど相見し妹はいや年さか

0212 衾道ふすまぢ引手ひきての山に妹を置きて山道を往けば生けるともなし

     或ルマキノ歌ニ曰ク

 0213 うつそみと 思ひし時に 手たづさひ が二人見し

    出立いでたちの 百枝ももえ槻の木 こちごちに 枝させるごと

    春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど

    たのめりし 妹にはあれど 世の中を 背きしえねば

    かぎろひの 燃ゆる荒野に 白布の 天領巾隠り

    鳥じもの 朝発ちい行きて 入日なす 隠りにしかば

    我妹子が 形見に置ける 緑児みどりこの 乞ひ泣くごとに

    取りまかす 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち

    吾妹子と 二人が寝し 枕付く 妻屋のうちに

    昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし

    嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ

    大鳥の 羽易はかひの山に が恋ふる 妹はいますと

    人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき

    うつそみと 思ひし妹が 灰而座者

     短歌

 0214 去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る

 0215 衾道を引手の山に妹を置きて山路やまぢ思ふに生けるともなし

0216 家に来て妻屋を見れば玉床たまとこに向かひけり妹が木枕こまくら


志賀津釆女しがつのうねべみまかれる時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0217 秋山の したべる妹 なよ竹の とを依る子らは

   いかさまに 思ひせか 栲縄たくなはの 長き命を

   露こそは あしたに置きて 夕へは ぬといへ

   霧こそは 夕へに立ちて あしたは 失すといへ

   梓弓 音聞くあれも 髣髴おほに見し こと悔しきを

   敷布しきたへの 枕まきて 剣刀つるぎたち 身に添へ寝けむ

   若草の そのつまの子は さぶしみか 思ひてらむ

   悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが

   朝露のごと 夕霧のごと

短歌二首

0218 楽浪ささなみの志賀津の子らがまかりにし川瀬の道を見ればさぶしも

0219 左々数ささなみの大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき


讃岐国さぬきのくに狭岑島さみねのしまにて石中いそへ死人しにひとを視て、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0220 玉藻よし 讃岐の国は

   国柄くにからか 見れども飽かぬ 神柄かみからか ここだ貴き

   天地 日月とともに り行かむ 神の御面みおも

   云ひ継げる 那珂なかの港ゆ 船浮けて が榜ぎ来れば

   時つ風 雲居に吹くに 沖見れば しき波立ち

   見れば 白波騒く 鯨魚いさな取り 海を畏み

   行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど

   名ぐはし 狭岑の島の 荒磯廻ありそみに 廬りて見れば

   波のの 繁き浜辺はまへを 敷布の 枕になして

   荒床あらとこに ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ

   妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず

   欝悒おほほしく 待ちか恋ふらむ しき妻らは

反し歌二首

0221 妻もあらば摘みてげまし狭岑山野ののうはぎ過ぎにけらずや

0222 沖つ波来寄る荒礒を敷布の枕とまきてせる君かも


柿本朝臣人麿が石見国に在りてみまからむとする時、自傷かなしみよめる歌一首

0223 鴨山の磐根しけるあれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ


柿本朝臣人麿がみまかれる時、依羅娘子よさみのいらつめがよめる歌二首

0224 今日今日とが待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも

0225 ただに逢はば逢ひもかねてむ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ


丹比真人たぢひのまひとが柿本朝臣人麿がこころなそらへてこたふる歌

0226 荒波に寄せ来る玉を枕に置きあれここにありと誰か告げけむ

或るまきの歌に曰く

0227 天ざかるひな荒野あらぬに君を置きて思ひつつあれば生けるともなし


寧樂ならの宮に天の下知ろしめしし天皇の代


和銅元年はじめのとし歳次戊申つちのえさる、但馬皇女のすぎたまへる後、穂積皇子の冬日雪落ゆきのふるひ御墓を遥望みさけて、悲傷流涕かなしみよみませる御歌一首

0203 降る雪はあはにな降りそ吉隠よなばり猪養ゐかひの岡のせき為さまくに


四年よとせといふとし歳次辛亥かのとのゐ河邊宮人かはべのみやひとが姫島の松原にて嬢子をとめしにかばねを見て悲嘆かなしみよめる歌二首

0228 妹が名は千代に流れむ姫島の小松のうれに蘿生すまでに

0229 難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも


霊亀りやうき元年歳次乙卯きのとのう秋九月ながつき志貴親王しきのみこすぎませる時、よめる歌一首〔また短歌〕

0230 梓弓 手に取り持ちて 大夫ますらをの 幸矢さつや挟み

   立ち向ふ 高圓山たかまとやまに 春野焼く 野火ぬひと見るまで

   燃ゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道来る人の

   泣く涙 霈霖ひさめに降れば 白布の 衣ひづちて

   立ち留まり あれに語らく 何しかも もとな言へる

   聞けば のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き

   天皇すめろきの 神の御子の 御駕いでましの 手火たびの光そ ここだ照りたる


志貴親王のすぎませる後、悲傷かなしみよめる〔短〕歌二首

0231 高圓の野辺ぬへの秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

0232 御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに

     右ノ歌ハ、笠朝臣金村ノ歌集ニ出デタリ。

     或ル本ノ歌ニ曰ク

 0233 高圓の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ

 0234 御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに