一、我國山嶽崇拜の根本思想

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出羽三山史
[#地から1字上げ]委員 阿部正己

    第一編 出羽國夷征時代

     一 我國山嶽崇拜の根本思想

 人智未だ開けざる時には、天地間の自然現象は不可解なる神靈の力であるとして信仰することは、洋の東西を問はず何れの人種でも一度びはこの道程にあつたことは當然である。即ち天地山川を始めとして萬有悉く神として祭つたので自然萬有崇拜である。この自然崇拜は人智開くるに隨つて漸次消滅しつゝあるが、猶後世に至つても殘存するものあつて、その顯著なるは我國及び支那に於ける山嶽に神又は佛を配祀して崇拜するもの之れである。
 先史時代人種の自然崇拜は最も盛んであつて、今之を述ぶることは略すが、其後有史時代に至り各地方に英雄起りて、附近を征討して一國家を創設した。その國家創成に當りて國民を統制する一方法として舊來の信仰心を利用善導して人心を收攪した、之れが政教一致である。東洋の先進文化國は印度支那であつて、東洋諸國はその啓發を受け、我國は直接支那の文化によりて開發された、依て我國と支那との關係を述ぶるに先立つて、支那開創の信仰状態を見るに、支那開創の伏羲神農の時代は徴すべきもの無いが、堯舜禹の時代に至りて稍々明かになつて來た、その記録は即ち書經である。書經の舜典に天地間の萬象を崇拜して猶自然崇拜が盛んに行はれてゐる。
 (書經舜典)
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肆[#(ニ)]類[#(シ)][#二]于上帝[#(ヲ)][#一] ※[#「示+煙のつくり」、上p2-4][#(シ)][#二]于六宗[#(ヲ)][#一] 望[#(ン)][#二]于山川[#(ヲ)][#一] 編[#(ス)][#二]于群神[#(ヲ)][#一]
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 この字義は肆は遂ぐる意、類※[#「示+煙のつくり」]望編は何れも祭ること、上帝は天、六宗は寒暑日月星水、山川は名山大川、群神は在地の諸神である。
 以上の萬有崇拜の中で山嶽崇拜を最も重視し、國王は一ケ年中期月を定めて四方の山嶽を周りて祭祀を行ふのである。
 (同書)
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歳二月東[#(ニ)]巡守[#(シ)] 至[#二]于岱宗[#一]柴[#(シ)] 望[#二]秩[#(シ)]山川[#一](中略) 五月南[#(ニ)]巡守[#(シ)] 至[#(リ)][#二]于南嶽[#(ニ)][#一] 如[#レ]岱禮[#(シ)] 八月西[#(ニ)]巡守[#(シ)] 至[#(リ)]于西嶽[#(ニ)][#一]如[#(シ)][#レ]初[#(ノ)] 十有一月朔巡守[#(シ)] 至[#(リ)][#二]于北嶽[#(ニ)][#一]如[#レ]西禮[#(シ)] 歸[#二]格[#(シ)]于藝祖[#(ニ)][#一]用[#(フ)][#レ]特[#(ヲ)]
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 岱山は山東省泰山、南嶽は湖南省衡山、西嶽は陝西省華山、北嶽は山西省恒山であつて、國王は一ケ年中月を定めて四方の山に詣りて柴を焚いて祭祀を行ひ、最後に都に還りて先祖の廟に報告し、牲牛を供へて祭典を行ふ。堯舜の時には四嶽の崇拜であるが、周代に至りては河南省の嵩山を加へて五嶽を崇拜した。嵩山は周の都洛陽の近くにありて四嶽の中央である。高山崇拜の理由を檢するに高山は天と關係ありとするよりできたことで、天は萬物を司どり、高山は天に最も近く天の廣大無邊の功徳を受け繼ぎて萬物の生育を司どると信じたのである。五嶽の中でも泰山は東方に在りて萬物の始まり、陰陽の交代、人間の生命の長短を司どり、最も能く天徳を發揮するによりて、一名天孫と唱へ五嶽の長であるとした。
 (周禮春官)
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大宗伯以[#二]血祭[#一]祭[#二]社稷[#一] 五祀《タヒ》[#二]五嶽[#一]
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 (説苑)
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五嶽者何謂也 泰山東嶽也 霍山[#(ハ)]南嶽也 華山[#(ハ)]西嶽也 常山[#(ハ)]北嶽也 嵩高山[#(ハ)]中嶽也 五嶽何以視[#二]三公[#一] 能[#(ク)]大[#(ニ)]布[#二]雲雨[#一]焉 能[#(ク)]大[#(ニ)]歛雲雨[#一]焉 雲觸[#レ]石而出 膚寸而合 不[#二]崇朝[#一]而雨[#二]天下[#一] 施徳博大 故視[#(タクラブル)][#二]三公[#一]也
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 (風俗通)
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東方泰山 詩云泰山巖巖魯邦所[#二]瞻尊[#一] 曰[#二]岱宗[#一] 岱者長也 萬物之始 陰陽交代 雲觸[#レ]石而出 膚寸而合 不[#二]崇朝[#一]而※[#「彳+扁」、第3水準1-84-34][#(ク)]雨[#二]天下[#一] 其惟泰山乎 故爲[#二]五嶽之長[#一]
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 (博物志)
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泰山一曰[#二]天孫[#一] 言爲[#二]天帝孫[#一]也 主召[#二]人魂魄[#一] 東方萬物始成[#(ル)] 知[#二]人生命之長短[#一]
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以上は支那の山嶽崇拜の根本思想であつて、爾後社會の復雜[#「複雜」か]なるに伴つて崇拜觀念も多少の變化を見るだけである。
 我國は古くより支那及び朝鮮と密接なる關係を結び、大陸人種の移住は有史後にも屡々見る所である。之等の人種移動は支那文化を齎らして我國の啓蒙に資し、我國の天孫降臨の古傳説の如きは、支那の天並に高山崇拜に起因するものと思ふ。朝鮮は最も天日崇拜にして人類萬物は皆其所生でありとする。三國の開創を皆天日と關係を結んでゐるのは其根本思想に共通する所あるに依ることである。
 支那古代の山嶽崇拜は自然の山を崇拜したのであつて、山を人格化したもので無い、山靈即ち山ノ神を尊んだのである。我國開創の古傳説として最も尊重されてゐる天孫降臨、即ち天照大神が天孫瓊瓊杵尊を高天原より日向の高千穗峯に降臨せしめられたのは、支那の泰山天孫説の一段の進化にして、天孫と瓊瓊杵等と高千穗峯との天神地の融合である。又日本書紀異本に、伊弉諾尊は軻遇突智命を斬りて五段と爲し、此れ各々化して五|山祗《ノヤマツミ》と成る、首は大山祗、身は中山祗、手は麓山祗《ハヤマツミ》、腰は正勝山祗《マサカツヤマツミ》、足は※[#「酋+隹」、上p4-3]山祗《シキヤマツミ》と爲るとあり、祗《ツミ》とは山ノ神である。之れは天分れて五嶽と爲り、各天の功徳を分け備えたことを暗示したものである。日本書紀は後世に編纂されたのであれば、支那傳來の思想によりて説述されたこと多いと思ふ。