フランダースの犬

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 むかしむかしのお話です。ベルギーのフランドル(フランダース)地方の小さな村に、おじいさんとネロという少年が住んでいました。ネロのお父さんとお母さんはネロが2歳の時に病気で亡くなったので、おじいさんに引き取られました。ネロは、ベルギー南部のアルデンヌ地方に生まれた男の子。

 おじいさんは、村の人たちから集めたミルクを町まで売りに行って、生活を立てていました。しかし、どんなに頑張ってもミルクとパンだけの貧しい暮らしばかりで、とてもお金になりません。

 ネロも年を取ったおじいさんのお手伝いを一生懸命しました。

 そんなある日、アントワープからの帰り道、草むらに倒れている犬を見つけました。

「おじいさん、犬が倒れているよ。」

「家に連れて帰ってかんびょうしてあげよう・・・。」

 かわいそうに思ったネロは犬を家へ連れて帰りました。この大きな犬の名は、パトラッシュといいました。

 パトラッシュの前の飼い主は、意地悪な金物屋でした。山のように荷物を積んだ荷車を、パトラッシュに引かせ、むちで叩いて働かせていたのです。そして、パトラッシュがつかれて倒れ、動かなくなると、そのまま置きっぱなしにして捨てて帰ってしまったのです。

 おじいさんとネロは自分の食べる番を半分食べさせたり、藁の上に寝かせて看病したりしました。

 やがてパトラッシュは元気になりました。

 朝になって、パトラッシュは荷車の梶棒の間へ飛び込みました。おじいさんはベルトを付けてあげました。

 ネロとパトラッシュがいつものように、せっせとおじいさんの仕事を手伝ってくれるので、おじいさんの仕事はとても楽になりました。おじいさんと二人で楽しい毎日を送っているネロの胸に、お母さんの懐かしい想い出とともに1つの情景が浮かんで来ました。

 そして仕事が終わると、ネロと一緒に野原を駆け回ったり、近所の犬と遊んだりしました。

 ネロが6歳になったある日、長い間の無理が重なり、おじいさんは病気になり、倒れてしまいました。

 ネロとパトラッシュはおじいさんの枕元で「おじいさん、心配しないで。パトラッシュと一緒に働くから大丈夫だよ。」

 その日から、ミルク運びはネロとパトラッシュの仕事になりました。小さなネロが仕事しているのを見て、村人たちや町の人たちは感心しました。

 それから何年かがたちました。

 ネロはときどき教会の中へ入っていきます。そしてため息をつきながら教会から出てくるのです。

 この教会には、美しい絵が何枚も飾ってあります。ネロが見たかったのは、ルーベンスという有名な画家の絵です。

 ところがこの絵はカーテンで覆われており、お金を払わないと見せてもらえないのです。

「絵を見たかったらお金を持っていきなさい。」

 絵を描くことが大好きなネロはどうしても絵を見たくてたまりません。でも、ネロにはお金がないので、ルーベンスの絵を見ることをあきらめるしかありませんでした。

 ネロにはパトラッシュのほかに、もう一人友達がいました。アロアという名前の、村一番の大金持ちの住む家です。アロアは、ネロより三年年下でした。

 ある日、アロアは仲良しのネロに木炭でアロアの絵を描いていました。

「ネロ、かわいく書いてね。」

「もちろんだよ、アロア。ちゃんといい絵が書けるよ。」

 そこへ、アロアのお父さんが来て「ネロ、絵なんか書いているんじゃない。おじいさんの手伝いをしたらどうなんだ。この絵はわしがもらうぞ。ほら、これをあげよう。」

 そういって、金貨を一枚差出しました。ところが、ネロはいやがって、「お金はいりません。でも、絵は差し上げます。」といってしまったのです。

「わかった。じゃあもらっておくよ。アロア、なぜおまえは、あんな貧乏人と遊ぶんだ? もうネロと会うのはやめなさい。」

「そんなのはやめて! そんなことするなんてひどいわ!」

「黙れ! アロアは家に帰りなさい!」

 ネロはアロアのお父さんに仲良しのアロアと遊ぶことを止められました。ネロの小さな心は、悲しみでいっぱいでした。アロアと遊びたいときは、どうしてもアロアのお父さんに見つからないように注意しなければなりませんでした。そのうえ、アロアの家のミルク運びの仕事はどうしてもできません。

「もし、あの金貨があれば、ルーベンスの絵も見られたんだけどなあ。僕は絵の勉強をして、きっとお金持ちになってみせるぞ。」

 そのころ、アロアの家では、お父さんがお母さんと相談している最中でした。

「これからは、アロアをネロと遊ばせないように気を付けろ!」

「それはやめて下さい。ネロは優しくて気立てのいい子ですわ。仕事もまじめにしていますし。アロアのうちは大金持ちだから、いつかアロアがネロと一緒になれたら、幸せになるでしょうよ。」

「余計なことを言うな。あいつは貧乏人で、それに、絵なんか書いて、そんなやつが、アロアと幸せになんかできるか。これからは、もう二度とアロアをネロと会わせてはいかんのだ。もし難しいなら、アロアを修道院に連れて行って、ネロと会えないようにするしかないからな。」

 気が優しいアロアのお母さんは、頑固なアロアのお父さんの言いつけ通りにするしかありませんでした。

 それから何日かたちました。ネロが運河の近くで絵を描いていると、アロアが来ました。

「ネロ、私のお誕生会に来てくれるんでしょ。でも、お父さんが会ってはいけないというの。」

「そしたら、いつかアロアがネロのこと好きじゃなくなっちゃうよ。」

「そんなこといって、アロアのこと好きじゃないのね。もう知らない。さよなら。」

 でも、本当は、アロアもネロのことが大好きだったのです。

 そんなある日、アントワープの町で、18歳未満の子供の絵画コンクールがクリスマスイブの日に開かれることになったのです。コンクールに入賞すると、絵の学校へ行くことができるのです。絵の応募は12月1日で、入選者の発表は12月24日のクリスマスイブ。一等の賞金は200フラン。その金があれば、暮らしに心配はいらないし、もう誰も、ネロのことを貧乏な子だとは思わないでしょう。

 ネロはミルク運びの仕事を終えると、お金をためてやっと絵を描く紙を買いました。

 ネロは夜遅くまで一生懸命絵を描き続けました。木こりのおじいさんが倒れた木に座って、考え込んでいる絵です。

 やがて季節は冬になりました。それから何日かかって、やがて素晴らしい絵が完成しました。

 次の朝町まで絵を出しに行きました。ネロは受付の女性にそっと手渡しました。

 帰り道、雪の中に人形が落ちていました。

「かわいい人形だ。誰が落としたかがわかるまで、アロアに預かってもらおう。」

 ネロとパトラッシュはアロアのお屋敷へ行きました。

「あら、ネロ。こんなに遅く、どうしたの。」

「アロア、雪の中で見つけたんだ。誰が落としたかがわからないので、君に預かってもらおうと思って持ってきたんだ。」

 ネロは人形をさーっとアロアの手に乗せ、人形を手渡しました。

 その日の晩、アロアの家の風車小屋が火事になりました。村人たちが次々に駆け付け、消防車もやってきて、水をくみ必死に火を消しています。ネロも火を消す手伝いをしようとしました。それを見つけたアロアのお父さんは、いきなりネロを殴り付け、

「暗くなってから、お前がここをうろついていたのを見ていた人がいる。自分だけ相手にされないと思ってお前が火を付けたんだろう。」

「違います。僕は火なんか付けてません!」

「いや、そうに決まっている。ならば、こうしてやる!」

「やめて下さい!」

 しかし、ネロがいくら弁解しても、アロアのお父さんはネロの言うことを聞いてくれません。アロアのお父さんは、嫌いなネロを疑い、村人たちにネロが火を付けたのだと、言いふらしました。

 決してネロのせいではないのです。

 村人たちは、ネロがそんなことをするはずがないのを知っていましたが、アロアのお父さんに嫌われたくはないので、ネロに冷たくするようになりました。

 だんだんと、ミルク運びを頼む人が少なくなり、家はますます貧しくなりました。仕事から帰っても、ネロをかばってくれる人はほとんどいなくなりました。

「大丈夫。パトラッシュ、もう少しの辛抱だよ。僕が立派な絵描きになって、僕の絵が入選すれば、みんなの気持ちも変わるだろうよ。」

 クリスマスが近づき、寒さは厳しく、雪はたいそう積もりました。ネロとパトラッシュは、二人きりになりました。

 そして、悲しいことは、まだ続きました。クリスマスが身近に迫った晩、おじいさんが亡くなりました。

「おじいさん、死なないで!」

 ネロはおじいさんに飛びついて泣き続けました。

 仕事が終わると、帰りを待っていてくれたあの優しいおじいさんは、もうこの世にいません。

 おじいさんのお葬式を済ますと、ネロには食べ物を買うお金も無くなり、家賃も払えません。ネロにはもう帰る家さえ無くなろうとしていました。ネロは大家さんの所へ行きました。

「ネロ。家賃はいつ払うんだ。」

「あの、おじいさんのお葬式でお金はすっかりなくなってしまったのです。家賃を少しだけ待って、働いてクリスマスの日までは必ず払いますから。」

「クリスマスには払えるのかね。ろくな仕事も無いくせに。払えなかったら出て行くんだぞ。家の中のものは家賃の代わりになるから、持ち物を置いて、そのまま出て行ってくれ。」

 その夜、ネロとパトラッシュは、寄り添って、最後の夜を過ごしました。

 夜が明けると、ネロはパトラッシュを連れて、家を出ていきました。

「パトラッシュ、もうここにはいられないんだよ。さあ行こう。」

 ネロとパトラッシュは雪の中をアントワープの教会へと向かいます。今日はコンクールの発表の日でした。

 ネロとパトラッシュは、このところ、水しか飲んでいなかったのです。ネロはある家の前に行き、立ち止まって中をのぞきました。それは、おじいさんが元気だったころ、よくやってきたことのある人たちでした。ネロはここで食べ物をもらおうとしましたが、みんなに断られてしまいました。

「もし、僕の絵が一等に選ばれたら、僕たちの住む家を探して、お前においしいものをいっぱい食べさせてあげるからね。」

 ネロとパトラッシュはコンクールの結果発表の会場に向かいました。会場には大勢の人たちが集まっていました。中に入ると、正面に優勝した作品が飾られています。ところが、ネロの絵は、どこにも飾られていませんでした。

「ああ、もうダメだ…。もう何もかもおしまいだ…。こんな吹雪の中で僕たちは命を失ってしまうのか。ネロのお父さんやお母さんが生きていたころは、こんなにつらい思いをすることはなかったのに。ぼく、もうお別れだ…。さようなら…。」

 大事な未来を無くしたネロは、もう行くところも無く、夢も希望もありません。こうなると、ネロとパトラッシュはもう死んだ方がましだと思っていました。いくら泣いても、どうにもなりません。

 ネロとパトラッシュがなんとか村へ引き返そうとした、まさにそのとき!!

 突然パトラッシュが雪をほり始め、何かを加えました。財布です。財布には、アロアの父の名が刻んでおり、中にはお金が入っていました。

「これはアロアのお父さんの財布だ。早く届けてあげよう。」

 ネロとパトラッシュは、アロアの家に急ぎました。

 ネロが家のドアをノックすると、アロアのお母さんが困った顔で出てきました。

「まあ。ネロなの。かわいそうに。今ね、お父さんがお財布を落としてしまって、この家は大変なの。中に2000フランというお金が入っていたのよ。財布を落とした理由は、きっとネロに意地悪をしたバチが当たったんだわ。お父さんが帰ってきたら、財布を落とした理由を必ず言っておきますからね。

 ネロ、こんなに冷たくなって寒かったでしょう。中へ入って暖まりなさい。今度からは、お父さんがネロにアロアと遊ぶのは二度とダメだなんて言わせないわ。ネロはうちのお客様よ。」

 アロアのお母さんは、続けました。

「ところで、財布はどこにあったのよ。」

「村はずれのキリスト像の近くです。パトラッシュが見つけたんです。」

「わかったわ。とりあえず、お父さんが帰って来る前に、家のどこかに隠れてなさい。いいというまで動いちゃダメだよ。」

「ちょっとその前に、お願いがあるんです。パトラッシュだけを預かってもらえませんか。」

 そういうと、ネロはアロアのお母さんを振り切って、外へ駆け出して行きました。

「ネロ、待ってー!」

 アロアのお母さんが追いかけますが、もうすでにネロの姿は見えませんでした。

 しばらくして、アロアのお父さんが帰ってきました。

「ダメだった。見つからない。わしはもうダメだ! 我が家はもう絶望になるか!」

「お父さん、これ、パパの嫌いなネロが届けてくれたのよ。パトラッシュが見つけたんですって。財布を落とした理由は、ネロに意地悪をした天罰なんだわ。」

 訳を知ったアロアのお父さんは、

「なんだって!? バチが当たった? 今までネロにひどい仕打ちをし、さんざん悪い噂を流したというのに、ネロが、わしを救ってくれたというのか! わしは、恥ずかしい…。あんなにいい子を嫌ったりして、わしが、悪かった…。申し訳ない…。」

 アロアのお父さんは、心から反省しました。

 アロアは、お父さんにこんなことを聞きました。

「クリスマスにネロをうちに来てもらっていい?」

「ああ、いいとも。もちろんだとも。」

「お父さん、ネロとパトラッシュが居なくなってるわ。」

「明日の朝になったら、ネロを迎えにいこう。」

 その頃、ネロは暗い雪道をまっしぐらに走り、最後の力を振り絞るように、アントワープの町の教会に来ていました。

 しばらくしてふと気が付きますと、パトラッシュが来ました。そのとき、ルーベンスの絵を覆っていったカーテンが落ちて、ネロの見たかったルーベンスの絵に月の光が落ちました。

 とうとうネロとパトラッシュは、ルーベンスの絵を見ることができたのです!

「おお、これが僕の見たかった絵だ! なんてすばらしい絵なんだろう!」

 クリスマスの朝になりました。

 牧師様が、抱き合ったまま冷たくなって死んでいるネロとパトラッシュをみつけました。

 そこへ、アロアと、お父さんとお母さん、村人たちが駆け込んできました。アロアのお父さんも、ネロに意地悪したことを後悔して、泣きました。

「すまなかった、ネロ。許してくれ。わしが悪かった。」

 アロアのお母さんも、涙を流してこう言いました。

「ああ、かわいそうに。どうしてこんなことに。なんでもっと早く気づいてあげられなかったの。」

「ネロ、起きて。コゼツさんが、ネロのことをわかって下さったのよ。今日から一緒に暮らせるのに。なのに、どうして天国へ行ってしまったの。」

 知らせを聞いて、絵の展覧会の人たちも駆け付けてきました。絵の展覧会で、審査員の人たちは、こう言いました。

「気の毒なことをしてしまった。ネロが描いた絵は、受付の手違いで、他の所に置かれていたんだ。だから、君の絵が一等に選ばれなかったんだよ。申し訳ない。」

 村人たちは、ネロとパトラッシュを、ひとつのお墓に葬り、銅像も作ることにしました。

 鳴り響く鐘の音が、町から村へ、そして野原へと響き渡り、一面の雪の原が、太陽の光に輝いていました。

 ネロとパトラッシュが、二度と離れることなく一緒にいられるように、と。

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