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シリヤの聖イサアク全書/第八十六説教

<< 心(こころ)が霊界(れいかい)に進歩(しんぽ)する為(ため)、神(かみ)の照管(しょうかん)に依(よ)り我(われ)等(ら)に喚起(かんき)せらるゝ天使(てんし)的(てき)行動(こうどう)。 >>


神(かみ)の仁(じん)慈(じ)に依(よ)り人(ひと)に入(い)りて霊魂(れいこん)を生命(せいめい)にみちびく第一(だいいち)の意思(いし)は此(こ)の人性(じんせい)の出発(しゅつぱつ)に関(かん)して心中(しんちゅう)に落(おち)る意思(いし)なり。此(この)思(し)想(そう)に従(したが)ひ自(し)然(ぜん)に世(よ)を軽(かろ)んずべくして、人(ひと)を生命(せいめい)にみちびく種々(しゅじゅ)様々(さまざま)なる善(よ)き行動(こうどう)は之(これ)により始(はじ)まらん。人(ひと)に伴(ともな)ふ神聖(しんせい)なる力(ちから)の人(ひと)に生命(せいめい)を顕(あらは)さんと欲(ほつ)するときは、此(これ)を人(ひと)に置(お)くこと、恰(あたか)も或(あ)る基礎(きそ)の如(ごと)くなるべし。ゆゑに人(ひと)は我(わ)が述(の)べたる此(この)意思(いし)を浮(うき)世(よ)の関係(かんけい)又(また)は空論(くうろん)を以(もつ)て之(これ)を己(おの)れに消滅(しょうめつ)せずして静黙(せいもく)を以(もつ)て之(これ)を成長(せいちょう)せしめ、直覚(ちょくかく)を以(もつ)て之(これ)を守(まも)りて、之(これ)が為(ため)に占領(せんりょう)せらるゝならば、此(こ)の意思(いし)は人(ひと)をみちびきて何人(なんびと)も言(ことば)にて形容(けいよう)する能(あた)はざる深(ふか)き直覚(ちょくかく)に至(いた)らしめん。サタナが此(この)思(し)想(そう)を嫉(しつ)視(し)し、全力(ぜんりょく)を挙(あ)げて攻撃(こうげき)するは、之(これ)を人(ひと)に滅(ほろぼ)さん為(ため)なり。ゆゑにもし能(よく)するならば、全(ぜん)世界(せかい)の国(くに)をも人(ひと)に與(あた)へて、たゞ人(ひと)を此(かく)の如(ごと)きの思(し)想(そう)より引離(ひきはな)し之(これ)を其(そ)の心(こころ)に消滅(しょうめつ)せしめんとす。予(よ)が言(い)ふ如(ごと)く、もし能(よく)するならば、彼(かれ)は好(この)んで此事(このこと)を為(な)すならん。けだし此(この)思想(しそう)が人(ひと)に存(そん)するときは、人(ひと)の智(ち)は最早(もはや)此(こ)の誘惑(ゆうわく)の地(ち)に立(た)たずして、サタナの人(ひと)に対(たい)する奸計(かんけい)は之(これ)に近(ちか)づく能(あた)はざること彼(か)れ狡獪者(こうかいしゃ)の知(し)る所(ところ)なればなり。しかれども知(し)るべし是(こ)は其(その)想起(そうき)を以(もつ)て我(われ)等(ら)に死(し)の記(き)憶(おく)を喚(かん)起(き)する最初(さいしょ)の思(し)想(そう)を言(い)ふには非(あら)ずして、事(こと)の充満(じゅうまん)につきていふ、即(すなはち)死(し)の離(はな)れざる記(き)憶(おく)を人(ひと)に入(い)れて人(ひと)が之(これ)を思(し)念(ねん)するにより、不(ふ)断(だん)驚嘆(きょうたん)の状態(じょうたい)に立(た)てらるゝものにつきて言(い)ふなり。第一(だいいち)の思(し)想(そう)は或(あ)る肉体(にくたい)上(じょう)に属(ぞく)するものなれども、此(この)後者(こうしゃ)は霊神(れいしん)上(じょう)の直覚(ちょくかく)と奇異(きい)なる恩寵(おんちょう)なり。此(この)直覚(ちょくかく)は清明(せいめい)なる意思(いし)を衣(き)る。ゆゑに之(これ)を有(ゆう)する者(もの)は此(この)世(よ)の事(こと)の穿鑿(せんさく)には更(さら)に立(たち)入(い)らずして己(おの)が肉体(にくたい)の為(ため)に繋(つな)がれざるなり。 至(し)愛者(あいしゃ)よ、此(こ)の真実(しんじつ)なる直覚(ちょくかく)を少時(しょうじ)の間(あいだ)に神(かみ)は人々(ひとびと)に賜(たま)ふならば、こは此(この)世(よ)に於(おい)て相傳(そうでん)授受(じゅじゅ)すべきに非(あらざ)ることは全(まった)く當然(とうぜん)なり。此(この)直覚(ちょくかく)は天然(てんねん)が抗(こう)し得(え)ざる鏈(れん)鎖(さ)となるべくして、此(こ)の瞑想(めいそう)を其(その)心(こころ)に受(うく)る者(もの)は各(かく)自(じ)個々(ここ)の練習(れんしゅう)に比(ひ)すれば更(さら)に最(もっとも)有力(ゆうりょく)なる神(かみ)の恩寵(おんちょう)を以(もつ)て受(う)くるなり。而(しか)して此(この)恩寵(おんちょう)は中等(ちゅうとう)の階段(かいだん)にありて心(こころ)の正(ただ)しきにより悔改(かいかい)を願(ねが)ふ者(もの)に與(あた)へらるゝなり、即(すなはち)此(この)世(よ)より遠(よほ)ざかりて最善(さいぜん)なる生命(いのち)に移(うつ)るに真実(しんじつ)適當(てきとう)するを神(かみ)に知(し)らるゝ者(もの)に神(かみ)の善(ぜん)なる旨(むね)によりて與(あた)へらるゝものなり。然(しか)して此(この)恩寵(おんちょう)は彼(かれ)等(ら)が遁世(とんせい)寂寞(じゃくばく)の室(しつ)に於(おい)て彼(かれ)等(ら)に成長(せいちょう)し且(かつ)止(とど)まらん。我(われ)等(ら)は祈(き)祷(とう)に於(おい)て之(これ)を願(ねが)ひ、之(これ)が為(ため)に長(なが)き儆醒(けいせい)を成(な)して、涙(なみだ)を以(もつ)て主(しゅ)に祈(き)祷(とう)せん、何物(なにもの)にも比(ひ)する能(あた)はざる此(この)恩寵(おんちょう)を我(われ)等(ら)に與(あた)へ給(たま)はん為(ため)なり、さらば此(この)世(よ)の辛(しん)苦(く)の中(うち)にありて復(ま)た弱(よ)わることあらざらん。これぞ人(ひと)に於(おい)て義(ぎ)の充満(じゅうまん)を行(おこな)ふ生命(いのち)の始(はじ)めなる。

関連項目

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