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太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス

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今般改曆ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候條此旨相達候事

(別紙)
詔書寫

朕惟フニ我邦通行ノタル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早アリ終ニ推ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ屬シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽ハ太陽ノ躔度ニ從テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早ノ變ナク四歲每ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰ニ比スレハ最モ密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ挨タサルナリ依テ自今舊ヲ廢シ太陽ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ體セヨ

明治五年壬申十一月九日
今般太陰曆ヲ廢シ太陽曆御頒行相成候ニ付來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
新曆鏤板出來次第頒布候事
一ケ年三百六十五日十ニケ月ニ分チ四年每ニ一日ノ閏ヲ置候事
時刻ノ儀是迄晝夜長短ニ隨ヒ十二時ニ相分チ候處今後改テ時辰儀時刻晝夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ午前幾時ト稱シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト稱候事
時鐘ノ儀來ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事
但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱來候處以後何時ト可稱事
諸祭典等舊曆月日新曆月日ニ相當シ施行可致事
太陽曆
一年三百六十五日
閏年三百六十六日四年ニ置之
一 月 大 三十一日 其一日 卽舊曆 壬申 十二月三日
二 月 小 二十八日閏年二十九日 其一日 癸酉 正月四日
三 月 大 三十一日 其一日   二月三日
四 月 小 三十日 其一日   三月五日
五 月 大 三十一日 其一日   四月五日
六 月 小 三十日 其一日   五月七日
七 月 大 三十一日 其一日   六月七日
八 月 大 三十一日 其一日   閏六月九日
九 月 小 三十日 其一日   七月十日
十 月 大 三十一日 其一日   八月十日
十一月小 三十日 其一日   九月十二日
十二月大 三十一日 其一日   十月十二日
時刻表
午前
零時 卽午後
十二時
子刻
一時     子半刻 二時     丑刻 三時     丑半刻
四時     寅刻 五時     寅半刻 六時     卯刻 七時     卯半刻
八時     辰刻 九時     辰半刻 十時     巳刻 十一時   巳半刻
十二時   午刻  
午後 一時     午半刻 二時     未刻 三時     未半刻 四時     申刻
五時     申半刻 六時     酉刻 七時     酉半刻 八時     戊刻
九時     戊半刻 十時     亥刻 十一時   亥半刻 十二時   子刻

右之通被定候事

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。