登場人名
エスカラス、ヹローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベンヺーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
├キャピューレット家の下人。
グレゴリー ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの侍童。他の侍童。警吏一人。
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。
其他ヹローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、
番衆、侍者等。
(本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。但し爰に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。)
〈[#改丁]〉
ロミオとヂュリエット
序詞
序詞役出る。
序詞役 威權相如く二名族が、
處は花のヹローナにて、
古き怨恨を又も新たに、
血で血を洗ふ市内鬪爭。
かゝる怨家の胎内より薄運の二情人、
惡縁慘く破れて身を宿怨と共に埋む。
死の影の附纒ふ危き戀の履歴、
子等が非業に果てぬるまでは、
如何にしても解けかねし親々の忿、
是れぞ今より二時間の吾等が演劇、
御心長く御覽ぜられさふらはゞ、
足はぬ所は相勵みて償ひ申さん。
〈[#改ページ]〉
第一幕
第一場 ヹローナ。街上。
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カピューレット家の下人サンプソンとグレゴリーとが劍と楯とを持って出る。
サン やい、グレゴリー、誓言ぢゃ、こちとらは石炭なんぞは擔ぐまいぞよ、假にも。(不面目な賤しい仕事なんぞはすまいぞよ)。
グレ さうとも/\、そんな事をすりゃ、奴隷も同然ぢゃわい。
サン いやさ、俺が癇に障るが最後、すぐにも引ッこ拔いてくれようといふンぢゃ。
グレ さうよなァ、頸根ッ子は、成ろうなら、頸輪(首枷)から引ッこ拔いてゐるがよいてや。(罪人にはならぬがよいてや)。
サン 俺が腹を立ったとなりゃ、忽ち(敵手をば)眞二つにしてくれる。
(以下、口合は邦語に直譯しては通ぜざれば、意を取りて義譯す。後段にも斯かる例しば/\あるべし。)
グレ ところが、其立つまでが手間が取れうて。
サン 何の、すぐ立つわい、モンタギュー家の飼犬を見たゞけでも。
グレ はて、立つと言へば不動ぢゃがや。不動は立往生ぢゃ。出向うて往かけんけりゃ鬪爭にァならぬわい。
サン はて、飼犬を見たゞけでも向うてゆくわい。モンタギューの奴等と見りゃ、男でも女でも關うたことァない。
グレ へッ、關はいで放任っておくのでがな、それが汝の弱蟲の證據ぢゃ。
サン したり。そこで、とかく弱蟲の女子ばかりが玩弄はれまするとけつかる。いや、俺は、野郎をば抛り出し、女郎をば制裁はう。
グレ 鬪戰は、主人衆や吾等男共のすることぢゃ。
サン いざ鬪爭となりゃ、そんな斟酌は要らんこっちゃ。男共を叩きみじいたら、女共をもやっつけてくれう。
グレ やっつける?
サン それ、彼奴等の「額」を打破ってくれうわい。意味は如何樣にも取らっせいよ。
グレ それは先方の感じ次第ぢゃ。
サン はて、身に沁々と感じようわい、俺も隨分と評判の女たらしぢゃに依って。
グレ へん、魚でなうて幸福ぢゃわい、汝が魚なら、女たらしでは無うて總菜の鹽大口魚と來てけつからう。……(一方を見て)拔けよ(劍を)、モンタギューの奴等が來たわい。
此時モンタギュー家の下人、エブラハムとバルターザーとが一方へ出る。
サン さ、拔いたわ、鬪爭を買はっせい、尻押をせう。
グレ 何ぢゃ! 尻に帆を掛ける?
サン 心配すない。
グレ 何の、汝を!
サン 此方の非分にならぬやうに、先方から發端けさせい。
グレ 行違ふ途端に睨みつけてくれう、如何思やがらうと關ふものかえ。
サン うんにゃ、如何爲やがらうと關ふものかえ。俺は指の爪を噛んでくれう、それで默ってゐりゃ恥さらしぢゃ。
雙方行違ふ。サンプソン指の爪を噛んで見する。
エブラ お手前は吾等に對うて指の爪を噛まっしゃったな?
サン 如何にも爪を噛みまする。
エブラ 吾等に對うて噛まっしゃるのか?
サン (グレゴリーを顧みて)然と言うても、理分か?
グレ いゝや。
サン (エブラに對ひて)いゝや、足下たちに對うて噛みはせんが、噛む。
グレ こりゃ鬪爭を賣らっしゃるのぢゃな?
エブラ 鬪爭! いや、決して。
サン 鬪爭なら敵手にならう。汝等には負けんぞ。
エブラ 勝ちもすまい。
サン むゝ。……
と詰る。此時上手よりモンタギューの親族ベンヺーリオー出る。
グレ (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝つわいと言はっせい。(下手を見やりて)あそこへ殿の親族の一人が來せた。
サン うんにゃ、勝つわい。
エブラ 譃を吐け。
サン 拔け、男なら。グレゴリー、えいか、頼むぞよ、しっかり。
サンプソンとエブラハムと劍を拔いて戰ふ。ベンヺーリオー此體を見て駈け來り、劍を拔き、割って入る。
ベンヺ 待った/\! 藏めい劍を。こゝな向不見が。
カピューレット長者の甥チッバルト下手より出る。
チッバ やア、下司下郎を敵手にして汝は劍を拔かうでな? ベンヺーリオー、こちを向け、命を取ってくれう。
ベンヺ いや、これは和睦させうためにしたことぢゃ。劍を藏めい、でなくば、其劍を以て予と共に、こいつらを引分けておくりゃれ。
チッバ 何ぢゃ、拔いてゐながら、和睦ぢゃ! 和睦といふ語は大嫌ひぢゃ、地獄ほどに、モンタギューの奴等ほどに、汝ほどにぢゃ。卑怯者め、覺悟せい!
突いてかゝる。ベンヺーリオー餘義なく敵手になる。此途端、兩家の關係者、双方より出で來り、入亂れて鬪ふ。市民及び警吏長等棍棒を携へて出で來る。
警吏長 棍棒組よ、戟組よ! 打て/\! 打据ゑいカピューレットを! モンタギューを打据ゑい!
カピューレット長者寢衣のまゝにて、其妻カピューレット夫人はそれを止めつゝ、出る。
カピ長 此騷動は何事ぢゃ? やア/\、予が長い劍を持て、長い劍を。
カピ妻 杖をば、杖をば! 何の爲に長い劍を?
カピ長 えい、劍ぢゃといふに。見いあれを、モンタギューの長者めが來をって、俺に見よがしに刃を揮りをる。
モンタギュー長者白刃を堤げ、其妻モンタギュー夫人それを止めつゝ、出る。
モン長 おのれ、カピューレットめ!……とめるな、放せ。
モン妻 鬪はう爲になら、一歩でも出させますな。
領主の公爵エスカラス、從者多勢を引連れて出る。
領主 やア、平和を亂す暴人ども、同胞の血を以て刃金を穢す不埓奴……聽きをらぬな?……やア/\、汝等、邪まなる嗔恚の炎を己が血管より流れ出る紫の泉を以て消さうと試むる獸類ども、嚴罰を怖るゝならば、其血腥い手から兇暴の劍を抛ち、怒れる領主が宣言を聽け。カピューレットよ、モンタギューよ、汝等二人の由も無き爭論が原となって、同胞の鬪諍既に三度に及び、市内の騷擾一方ならぬによって、當ヹローナの故老共、其身にふさはしき老實の飾を脱棄て、何十年と用ひざりしため、古び錆びついたる戟共を同じく年老いたる手々に把り、汝等が心に錆びつきし意趣の中裁に力を費す。爾後再び公安を亂るに於ては汝等が命は無いぞよ。今日は餘の者共は皆立退れ、カピューレットは予に從ひ參れ。モンタギュー、其方は、此午後に、尚ほ申し聞かすこともあれば、裁判所フリータウンへ參向せい。更めて申すぞ、命が惜しくば、皆立退れ。
モンタギュー夫婦とベンヺーリオーだけ殘りて皆入る。
モン長 此舊い爭端をば何者が新しう發きをったか? 甥よ、おぬしは最初から傍にゐたか?
ベン𢌞|ふりまは}}し、徒らに虚空をば斫りまする程に、風は習々と音を立てゝ彼れが不覺を嘲る風情。かくて互ひに衝いつ撃っつの折から、おひ/\多人數馳加はり、左右に別れて戰ふ處へ、領主が見えさせられ、左右なく引別と相成りました。
モン妻 おゝ、ロミオは何處に?(ベンヺーリオーに)今日そなた逢はしましたか? 此騷動に關係うてゐなんだは、ま、何よりも喜ばしい。
ベンヺ さア、今朝、東の金の窓から朝日影のまだ覗きませぬ頃、胸の悶を慰めませうと、郊外に出ましたところ、市からは西に當る、とある楓の杜蔭に、見れば、其樣な早朝に、御子息が歩いてござる、近づけば、それと見て取り、忽ちのうちに杜の繁みへ。人目を避くるは相身互ひ、浮世を煩う思ふ折には、身一つでさへも多いくらゐ、強ち同志を追はずともと、只もう己が心の後をのみ追うて、人目を避くる其人をば此方からも避けました。
モン長 げに、幾朝も/\、未乾ぬ露に涙を置添へ、雲には吐息の雲を加へて、彷徨いてゐるのを見掛けたとか。されども遠い東方の、曙姫の寢所から、あの活々した太陽が小昏い帳を開けかくれば、重い心の倅めは其明るさから迯戻り、窓を閉ぢ、日を嫌うて、我れから夜をば製りをる。良い分別をして此病の根を絶たねば、一定、忌はしい不祥の基。
ベンヺ で叔父上には其根を御ぞんじでござりますか?
モン長 いや、知りもせねば、知らせもせぬわい。
ベンヺ 質問して御覽じたことがござりますか?
モン長 予はもとより、親しい誰れ彼れにも探らせたれども、倅めは、只もう其胸の内に、何事をも祕し隱して、いっかな餘人には知らせぬゆゑ、探ることも發見すことも出來ぬ有樣――それが身の爲にならぬのは知れてあれど――可憐けな蕾の其うるはしい花瓣が、風にも開かず、日光にもまだ照映えぬうちに、意地惡の螟蛉めにあさましう食まれてしまふやうに。彼れが愁歎の源さへ知れゝば、直にも療治したう思ふのぢゃが。
此時ロミオ物思ひ顏にて一方へ出る。
ベンヺ あれ、あそこへロミオどのが。お避しなされませ。私が聞質して見ませう。どうしても拒まッしゃらうかも知れぬが。
モン長 それが首尾よう自白けさせる役に立てばよいが。……奧、さ、參らう。
モンタギュー夫婦入る。ロミオ近づく。
ベンヺ や、お早うござる。
ロミオ そんなに早うござるか?
ベンヺ 今九時を打ったばかり。
ロミオ あゝ/\、味氣無い時間は長い。……今急いで去んだは予の父でござったか?
ベンヺ いかにも。どういふ味氣ない事があって、時を長いとは被言る?
ロミオ 得れば時が短うなるが、其物が得られぬゆゑ。
ベンヺ 戀ぢゃな?
(此あたりも、一問、一答こと/″\く口合式の警句にして、到底、原語通りには譯しがたきゆゑ、義譯とす。)
ロミオ 人の爲に……
ベンヺ 戀人の爲に?
ロミオ 戀ひ焦るゝ效もなく、其人の爲に蔑視まれて。
ベンヺ やれ/\、柔和しらしう見ゆる彼の戀めが、そんな酷いことや手荒いことをしますか?
ロミオ あゝ/\! 戀めは始終目隱しをしてゐて、目は無けれども存分其的をば射とめをる!……え、何處で食事をしようぞ?……(四下を見𢌞して)あゝ/\! こりゃまア何といふ淺ましい騷擾? いや、其仔細はお言やるには及ばぬ、殘らず聞いた。是れ皆憎いが原とは言へ、可愛いにも深い/\縁がある……すれば是りゃ憎みながらの可愛さ! 可愛いながらの憎さといふもの! 無から出た有ぢゃ! 悲しい戲れ、沈んだ浮氣、目易い醜さ、重い羽毛、白い煤、冷い火、健康な病體、醒めた眠! あゝ、有りのまゝとは同じでない物! 恰ど其樣な切ない戀を感じながら、戀の誠をば感ぜぬ切なさ!……何で笑ふンぢゃ?
(斯くの如き對照式の綺語――技巧的な比喩語――を竝ぶることはシェークスピヤの青年期にはイギリス文壇の流行なりしなり。以下にも同例多し。)
ベンヺ 何の、泣いてゐるぢゃ。
ロミオ 泣くとは、何故に?
ベンヺ その歎きを思ひやって。
ロミオ はて、それは深切の爲過し。いっそ迷惑。おのが心痛ばかりでも心臟が痛うなるのに、足下までが泣いてくりゃると、一段と胸が迫る。足下の同情は多過ぎる予の悲痛に、只悲痛を添へるばかり。戀は溜息の蒸氣に立つ濃い煙、激しては眼の裡に火花を散らし、窮しては涙の雨を以て大海の水量をも増す。さて其外では、何であらうか? 性根の亂れぬ亂心……息の根をも杜むる苦い物。……命を砂糖漬にする程の甘い物。さらば。
ベンヺ まったり! 一しょに行かう。予を棄てゝ行くとはひどい。
ロミオ とうに棄てゝしまうた身ぢゃ。予は爰にはゐぬ、これはロミオでは無い、ロミオは何處か他所にゐよう。
ベンヺ いや、眞實の白状をなされ、こなたが戀ひ慕ふ人とは誰れぢゃ?
ロミオ 白状せいとは、予に拷問の苦痛をさせうとてか?
ベンヺ 拷問! 何の、只まッすぐに自白なされといふのぢゃ。
ロミオ はて、それは病人の遺言を白状と呼ぶやうなもの、わるい上にわるい異名! が、白状せう、予には戀女がある。
ベンヺ 戀と睨んだ時に、それ程は見拔いてゐた。
ロミオ ても偉い射手ぢゃの! そして其女は誰れが目にも立つ美人。
ベンヺ 目に立つ的ならば、射落すことは容易からう。
ロミオ はて、其覘は外れた。戀愛神の弱弓では射落されぬ女ぢゃ。處女神の徳を具へ、貞操の鐵の鎧に身を固めて、戀の稚い孱弱矢なぞでは些小の手創をも負はぬ女。言寄る語に圍まれても、戀する眼に襲はれても、いっかな心を動かさぬ、賢人を墮落さする黄金にも前垂をば擴げぬ。おゝ、限りない美しさには富みながら、其美しさは只一代限り、死ねば種までも盡くるとは、貧乏い/\運命!
ベンヺ では其女は嫁入はせぬと誓うたのぢゃな?
ロミオ いかにも。其物吝みが甚い損失。折角の美しさも、其偏屈ゆゑに餓死をして、其美しさを子孫には能う傳へぬ。美しうて、賢うて、予を思ひ死さする程に賢過ぎた美人ゆゑ、恐らくは冥利が盡き、よもや天國へは登れまい。彼女が戀はせぬと誓うたゝめ、予は斯うして物を言うてゐるものゝ、生きながら死んでゐるのぢゃ。
ベンヺ ま、予の言ふことを聽いて、其女をばお忘れなされ。
ロミオ おゝ! 教へてくれい、どうしたら忘れられるか?
ベンヺ もッと目に自由を與へて、あちこちの他の美人を見たらよからう。
ロミオ 他のと較ぶれば彌〻彼女をば絶美ぢゃと言はねばならぬことになる。美人の額に觸るゝ彼の幸福な假面どもは、孰れも黒々と製ってはあれど、それが却って其底の白い面を思出さする。目を失した男が、其失した目といふ寶をば忘れぬ例。如何な拔群な美人をお見せあっても、それは只其拔群な美をも拔く拔群な美人を思出さす備忘帳に過ぎぬであらう。さらば。忘るゝ法を教ふることは足下の力では出來ぬ。
ベンヺ 教へかたの不足は其中に償はう、借りたまゝでは死ぬまいぞ。
第二場 同處。街上。
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カピューレット長者を先に、年若き貴公子パリス(下人一人從いて)出る。
カピ長 モンタギューとても右同樣の懲罰にて謹愼を仰附けられた。したが、吾々老人に取っては、平和を守ることはさまで困難しうはあるまいでござる。
パリス 何れも名譽の家柄であらせらるゝに、久しう確執をなされたはお氣の毒な儀でござった。時に、吾等が申入れた事の御返答は?
カピ長 先度申した通りを繰返すまでゞござる。何分にも世間知らず、まだ十四度とは年の變移目をば見ぬ女、せめてもう二夏の榮枯を見せいでは、適齡とも思ひかねます。
パリス 姫よりも若うて、見事、母親になってゐるのがござるのに。
カピ長 いや、速う成るものは速う壞るゝ。末の頼みを皆枯し、只一粒だけ殘った種子、此土で頼もしいは彼兒ばかりでござる。さりながら、パリスどの、先づ言寄って女の心をば動かしめされ。彼女の諾否が肝腎、吾等の意志は添物、女が諾く上は吾等の承諾は其取捨の外には出ませぬ。今宵、家例に因り、宴會を催しまして、日頃別懇の方々を多勢客人に招きましたが、貴下が其組に加はらせらるゝは一段と吾家の面目にござる。今宵、陋屋にて、地を蹈む明星が群れ輝き、暗天をさへも明う照らすを御覽あれ。譬へば、緩漫い冬の後へに華かな春めが來るのを見て、血氣壯な若い手合が感ずるやうな樂しさ、愉快さを、蕾の花の少女らと立交らうて、今宵我家で領せられませうず。悉く聽き、悉く視て、さて後に最ち價値のあるのを取らッしゃれ。熟と觀らるゝと、女も其一人として數には入ってゐても、勘定には入らぬかも知れぬ。さゝ、一しょにござれ。……(下人に)やい、汝は𢌞|かけまは}}って(書附を渡し)爰に名前の書いてある人達を見附けて、今宵我邸で懇に御入來をお待ち申すと言へ。
カピューレット長者とパリスと入る。
下人 こゝに名前の書いてある人達を見附けい! えゝと、靴屋は尺で稼げか、裁縫師は足型で稼げ、漁夫は筆で稼げ、畫工は網で稼げと書いてあるわい。こゝに名前の書いてある人達を見附けて來いと言附かったが、書手が如何樣な名前を書きをったやら、こりゃ一向に見附からぬわい。學者の處へ往かにゃならぬ。……(一方を見て)お、ちょうどよい。
ベンヺーリオー先にロミオ從いて出る。
ベンヺ 馬鹿な! そこがそれ、火は火で壓へられ、苦は苦で減ぜられる例ぢゃ。逆に囘轉ると目が眩うたのが癒り、死ぬる程の哀愁も別の哀愁があると忘れらるゝ。新しい毒を目に染ませて舊い毒を拔くがよい。
ロミオ それには車前草が一ち好からう。
ベンヺ それとは?
ロミオ 脛の傷には。
ベンヺ ローミオー、貴下は氣が狂うたのか?
ロミオ 氣は狂はぬが、狂人よりも辛い境界……牢獄に鎖込められ、食を斷たれ、笞たれ、苛責せられ……(下人の近づいたのを見て)や、機嫌よう。
下人 はい、御機嫌ようござりませ。旦那は能う讀まッしゃりますか?
ロミオ いかにも……不幸に逢ふて、身の不運を解むわい。
下人 はて、その樣な事は書が無くても知れましょ。いや、眼で讀むものをば讀まッしゃりますかと聞きますのぢゃ。
ロミオ さア、其文字や其言語を知ってをればなう。
下人 正直なことを言はっしゃる。御機嫌ようござらっしゃりませ!
ロミオ まて/\、讀めるわい。
下人より書附を受取りて讀む。
マーチノー殿、同じく夫人及び令孃方。アンセルム伯、同じく美しき令妹達。ヸオー殿後室。
プラセンシオー殿、同じく可憐なる姪御達。マーキューシオー、同じく舍弟ヷレンタイン。
叔父御カピューレット殿、同じく夫人、同じく令孃達。麗しき姪のローザライン。リヸヤ。
ヷレンシオー殿、同じく令甥チッバルト。リューシオー及び快活なるヘレナ。
書附を下人に返しながら。
美人揃ぢゃ。何處へ集るのぢゃ此手合は?
下人 えゝ、あの……
ロミオ え、あの夜會にか?
下人 手前方へ。
ロミオ 手前方とは?
下人 主人方へ。
ロミオ いかさま、それを眞先に問ふべきであった。
下人 問はっしゃらいでも申しませう。手前主人はカピューレット長者でござります。若し貴下がモンタギュー家の方でござらっしゃらぬならば、來せて酒杯を取らッしゃりませ。御機嫌ようござりませう!
ベンヹローナで評判のあらゆる美人達と同席するは良い都合ぢゃ。そこへ往て、昏まぬ目で、予が見する或顏とローザラインのとをお見比べあったら、白鳥と思うてござったのが鴉のやうにも見えうぞ。
ロミオ 信仰の堅い此眼に、假にも其樣な不信心が起るならば、涙は炎とも變りをれ! 何度溺れても死にをらぬ此明透る異端め、譃を言うた科で火刑にせられをれ! 何ぢゃ、予の戀人よりも美しい! 何もかも見通しの太陽でも、現世創って以來、又とは彼女程の女をば見なんだのぢゃ。
ベンヺ さ、傍に誰れも居ず、右の目にも左の目にもローザラインばかりを懸較べておゐやった時には、美しうも見えつらうが、其水晶の秤皿に、今宵予が見する或目ざましい美人を懸けて、さて後に、其戀姫どのと貫目を較べて御覽じたなら、今は最ち善う見ゆるのが最早善うは見えまいぞや。
ロミオ それを見たうは無けれど、自分のゝ美麗さを見ようために、一しょに往かう。
第三場 同處。カピューレットの一室。
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カピューレット夫人を先に、乳母從いて出る。
カピ妻 乳母よ、女は何處にゐます? 呼んでくりゃれ。
乳母 はれま、十二の年の清淨潔白を賭けますがな、ござれと善う言うておいたに。……(奧に向ひて)もしえ、羊兒さん! もしえ、姫鳥さん!……鶴龜々々!……あのお兒は何處へ往かッしゃったか!……もしえ、ヂュリエットさま!
ヂュリ 何え! 呼びゃるのは誰れぢゃ?
乳母 お母さまぢゃ。
ヂュリ はい、母さま。何御用?
カピ妻 用とは斯うぢゃ。乳母や、ちっとの間退席してたも、内密の話ぢゃによって。……いや/\、乳母、戻りゃ、一通り聽いておいて貰うたはうがよかった。知っての通り、女の齡も喃、既おひ/\適齡ぢゃ。
乳母 はい/\、存じてをりますとも、孃さまの年齡なら、何時間と言ふことまで。
カピ妻 まだ眞實の十四にはなりませぬ。
乳母 ならっしゃりませぬとも、此齒を十四本賭けますがな……と言うても、其十四本が、ほんに/\、もう只四本しかござりませぬわい。……初穗節(八朔)までは最早幾日でござりますえ?
カピ妻 二週間と零餘が幾らか。
乳母 零餘が如何あらうと、一年三百六十日の中で、初穗節の夜になれば、恰どお十四にならッしゃります。スーザンと孃とは……南無あみだぶ……同い齡でござりました。スーザンは神樣のお傍に居りまする、私には過ぎた奴でござりましたが。……それはさうと、只今申しました通り、初穗節の夜になると、恰どお十四にならッしゃります、大丈夫でござります、はい、善う記えて居りまする。地震があってから恰ど最早十一年目……忘れもしませぬ……一年三百六十日の中で、はい、其日に乳離れをなされました。妾が乳首へ苦艾を塗って鳩小舍の壁際で日向ぼっこりをして……殿樣と貴下はマンチュアにござらしゃりました……いや、まだ/\耄きゃしませぬ。それはさうと、只今も申しました通り、妾の乳の尖所の苦艾を嘗めさっしゃると、苦いので、阿呆どのがむづかって、乳をなァ憎がって! すると鳩小舍が、がた/\/\。わしに出て行けといふにゃ及ばんと思うてゐたのに。……それから既十一年、其時になァ單身立をさっしゃりましたぢゃ、いや、眞の事、彼方此方と駈𢌞らッしゃって、恰ど其前の日に小額に怪我さッしゃって……其時亡夫が……南無安養界! 面白い人でなァ……孃を抱起して「これ、俯向に轉倒ばしゃったな? 今に一段怜悧者にならッしゃると、仰向に轉倒ばっしゃらう、なァ、孃?」と言ふとな、ま、いかなこと、此お兒がいの、ふいと啼止っしゃって、「唯」ぢゃといの。(笑ふ)戲談が今となって眞の事になったと思ふと! ほんに/\、千年生きたとても、これが忘れられることかいな。「仰向に轉倒ばっしゃらう、なァ、孃」と言ふと、阿呆どのが啼止って、「唯」ぢゃといの。(笑ふ)
カピ妻 もうよう、もうよい、お默り。
乳母 はい/\、默りまする、でもな、笑はいではをられませぬ、啼くのを止めて、「唯」と言はッしゃったと思ふと。でもな、眞實に小額の處に雛鷄のお睾丸程の大きな腫瘤が出來ましたぞや、危いことよの、それで甚う啼入らッしゃった。亡夫が「これ、俯向に轉倒ばしゃったか? 今に適齡にならッしゃると仰向に轉倒ばッしゃらう、なァ、孃?」といふとな、啼止って「唯」ぢゃといの。(笑ふ)。
ヂュリ そして汝も默りゃ。默ってたも、と言へば。
乳母 はい/\、もうしまひました。南無冥加あらせたまへ! 多勢育てた嬰兒の中で最ち可憐であったはお前ぢゃ。其お前の御婚禮を見ることが出來れば、予の本望でござります。
カピ妻 さ、其婚禮の事を話さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮がしたいか、どうぢゃ?
ヂュリ 其樣な名譽事は、わしゃまだ夢にも思ふてゐぬ。
乳母 ま、名譽事といの! わしばかりが乳を献げたので無かったなら、其智慧は乳から入ったとも言ひませうずに。
カピ妻 ならば、今、よう思ふて見や、そもじよりも年下の姫御前で、とうに、此ヹローナで、母親におなりゃったのもある。わしも、今思へば、そもじと同じ程の年齡に嫁入って、そもじを生けました。摘まんで言へば、斯うぢゃ、あのパリス殿がそもじを内室にしたいといの。
乳母 ま、あのよな! 姫さまえ、あのよなお方、世界中の女衆が……ほんに奇麗な、蝋細工見たやうな。
カピ妻 此ヹローナに夏が來ても、あのやうな花は咲かぬ。
乳母 ほんとに花ぢゃ、眞實の活きた花ぢゃ。
夫人 どうぞいの、あのやうなお方を可愛しいと思はぬか? 今宵の宴會には彼方も見ゆる筈、パリス殿の顏といふ一卷の書を善う讀んで、美の筆で物してある懷しい意味をば味はや。顏中のどこも/\釣合が善う取れて、何一つ不足はないが、萬一にも、呑込めぬ不審があったら、傍註ほどに物を言ふ眼附を見や。したが、此戀の一卷に只一つ足らはぬことゝいふは、表紙がまだ附かず、美しう綴ぢても無い。魚はまだ沖中にぢゃ。總じて内の美を韜むは外の美の身の譽れ、金玉の物語を金の鈎子に抱かすれば、誰が目にも立派な寶物。彼君の有たせます限りの物がそもじのとなることゆゑ、嫁入しやればとて、其方に何の損も無いのぢゃ。
乳母 損どころかいな! 女子は男ゆゑに肥りますわいの。
カピ妻 さ、ちゃッと言や、パリス殿をお好きゃることが出來るか?
ヂュリ さア、好いても見ませう、見て好かるゝものなら。とはいへ、わたしの目の矢頃は、母さまのお許しをば限りにして、それより強うは射込まぬやうにいたしませう。
下人 お方さま、お客人も渡らせられ、御膳部も出ました、貴下をばお召、姫さまをばお尋ね、乳母どのはお庖厨で大小言、何もかも大紛亂。小僕めはこれからお給仕に參らにゃなりませぬ。すぐにいらせられませい。
カピ妻 すぐ行こ。(下人入る)……ヂュリエットや、さ、若伯が待ってぢゃ。
乳母 さ、早う往て、嬉しい晝に嬉しい夜をば添へさっしゃれ。
第四場 同處。街上。
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ヺーリオー、おの/\思ひ/\の假裝、他に五六人、いづれも道外たる假面を携へ、炬火持、太鼓係等、多勢ひきつれて出る。
ロミオ 何と、例の通りに斷口上を言うて入場ったものか、但しは無しにせうか?
ベンヺ あのやうな冗繁ことは最早流行。肩飾で目飾をしたキューピッドに彩色した韃靼形の小弓を持もたせて、案山子のやうに、娘達を追𢌞さするのは最早陳い。それから後見に附けて貰うて、覺束無げに例の入場の長白を述べるのも嬉しう無い。先方が如何思はうとも、此方は此方で、思ふ存分に踊りぬいて還らう。
ロミオ (炬火持に對ひ)俺に炬火を與れい。俺には迚も浮かれた眞似は出來ぬ。餘り氣が重いによって、寧そ明いものを持たう。
マーキュ いや/\、ロミオどん、是非とも足下を踊らせねばならぬ。
ロミオ いや/\、滅相な。足下の舞踏靴の底は輕いが、予の心の底は鉛のやうに重いによって、踊ることはおろか、歩きたうもない。
マーキュ はて、足下は戀人ではないか? すればキューピッドの翼でも借りて、鴉や鳶のやうに翔ったがよからう。
ロミオ 彼奴の箭先かゝってゐるゆゑ、翼を借りたとても翔られぬわい、鳶や鴉のやうにも飛べず、悲しい思ひに繋がれてゐるゆゑ、鷹のやうに高うも飛べぬ。戀の重荷に壓伏けらるゝばかりぢゃ。
マーキュ 何ぢゃ、壓伏ける? あの戀に重荷を? さりとは温柔しい者を慘酷しう扱うたものぢゃ。
ロミオ なに、戀を温柔しい? 温柔しいどころか、粗暴な殘忍い者ぢゃ。荊棘のやうに人の心を刺すわい。
マーキュ はて、戀めが殘忍いことをすれば、此方からも殘忍うしたがよい。刺しをったら、此方からも刺して、壓倒したがよい。(從者を顧みて)……面を隱す假面を與れ。
從者より假面を受取り、被らうとして
醜男面に假面は無用ぢゃ!(と假面を抛出しながら)誰れが皿眼で、此見ともない面を見やがらうと儘ぢゃ! 出額が赧うなるばかりぢゃわい。
ベンヺ さア/\、敲戸いて入ったり。入ったらば、直一しょに踊り出さうぞよ。
ロミオ (從者にむかひ)俺には炬火を與れ。氣の輕い陽氣な手合は、舞踏靴の踵で澤山無感覺な燈心草を擽ったがよい。俺は、祖父の訓言通り、蝋燭持をして高見の見物。「好い目が出た時、中止めるは老巧者」ぢゃ。
(舞踏室又は客室の床上に刈り集めたるばかりの燈心草(藺)を敷きしは當時の上流の習はしなり。)
マーキュ へん「黒い鼠」と來りゃ夜警吏の定文句ぢゃが、もしも足下が「黒馬」なら、「沼」からではなく、はて、恐惶ながら、足下が首ッたけ沒ってゐる戀の淵樣から引上げてもやらうに。……(皆々に對ひ)おい、どうした? こりゃ晝の炬火ぢゃわ。(むだな費えぢゃ。)
ロミオ 何の其樣なことが。
マーキュ はて、斯う愚圖ついてゐるのは、晝間炬火を燃けてゐるも同然と言ふのぢゃ。これ、善い意味に取りゃれ。五智に只一度ッきりといふのが分別智ぢゃが、善い意味の事になら、分別智が常に五度も働く。
ロミオ さア、會へ行かうとはわるい意味でもなからう、が、行くのは智慧者の所爲ではない。
マーキュ とは何故に?
ロミオ 昨夜予は夢を見た。
マーキュ 俺も見た。
ロミオ そして足下の夢は?
マーキュ 空想家は囈言や空言を言ふのが癖ぢゃといふことを。
ロミオ 囈言や空言の中にも動かぬ眞理が籠ってゐる。
マーキュ おゝ、それならば、あの、足下は昨夜はマブ媛(夢妖精)とお臥やったな! 彼奴は妄想を産まする産婆ぢゃ、町年寄の指輪に光る瑪瑙玉よりも小さい姿で、芥子粒の一群に車を牽せて、眠ってゐる人間の鼻柱を横切りをる。其車の輻は手長蜘蛛の脛、天蓋は蝗蟲の翼、※〈[#「革+引」、40-5]〉は姫蜘蛛の絲、頸輪は水のやうな月の光線、鞭は蟋蟀の骨、其革紐は豆の薄膜、御者は懶惰な婢の指頭から發掘す彼の圓蟲といふ奴の半分がたも無い鼠裝束の小さい羽蟲、車體は榛の實の殼、それをば太古から妖精の車工と定ってゐる栗鼠と𢌞る、すると敵の首を取る夢やら、攻略やら、伏兵やら、西班牙の名劍やら、底拔の祝盃やら、途端に耳元で陣太鼓、飛上る、目を覺す、おびえ駭いて、一言二言祈をする、又就眠る。乃至は眞夜中に馬の鬣を紛糾らせ、又は懶惰女の頭髮を滅茶滅茶に縺れさせて、解けたら不幸の前兆ぢゃ、なぞと氣を揉まするもマブが惡戲。或ひは娘共が仰向に臥てゐる時分に、上から無上に壓迫けて、つい忍耐する癖を附け、難なく強者にしてのくるも彼奴の業。乃至は……
ロミオ しッ/\、もう止めた、止めた! 足下は意義もないことをばかりお言やる。
マーキュ さもさうず、夢の話ぢゃ。夢は空想の兒で、役に立たぬ腦から生るゝ。そも/\空想は、空氣よりも仄なもので、今は北國の結氷に言寄るかと思へば、忽ち腹を立てゝ吹變って、南の露に心を寄するといふ其風よりも浮氣なものぢゃ。
ベンヺ 其風に似た浮れ話に、大分の時が潰れた。ようせぬと、夜會が果てゝ、時後れになってしまはう。
ロミオ (獨語のやうに)俺はまた早まりはせぬかと思ふ。運の星に懸ってある或怖しい宿命が、今宵の宴に端を開いて、世に倦み果てた我命數を、非業無慚の最期によって、絶たうとするのではないか知らぬ。とはいへ、一生の航路をば一へに神に任した此身!……(一同に對ひ)さ、さ、元氣な人達。
ベンヺ 打て、太鼓を。
第五場 同處。カピューレット邸の廣間。
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樂人共控へてゐる。給仕人共、布巾を携へて出で來り、取散らしたる盃盤をかたづくる。
甲給仕 ポトパンは何處へ往せた? かたづける手傳ひをしをらぬ。かたづけ役の癖に! 拭役の癖に!
乙給仕 饗應の式作法一切を、一人や二人の、洗ひもせぬ手でしてのくるやうでは、穢いことぢゃ。
甲給仕 疊椅子を彼方へ、膳棚もかたづけて。よしか、其皿も頼んだ。おいおい、杏菓子を一片だけ取除いてくりゃ。それから足下、深切があるなら、門番にさう言うて、スーザンとネルを入らせてくりゃ。(奧に向つて〈[#「向つて」はママ]〉)……アントニー! ポトパン!
丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出で來る。
丙 唯、こゝにゐるわい。
甲給仕 足下をば、大廣間で、最前から呼ばってぢゃ、探してぢゃ、尋𢌞してぢゃ。
丁 さう彼方此方に居ることは出來んわ。(一同に對ひ)ささ、働いた働いた。暫時ぢゃ、働いた/\。さうして長生すりゃ持丸長者ぢゃ。
一同かたづけながら入る。
カピューレット長者を先に、ヂュリエット及び同族の者多勢一方より出で、他方より出で來る賓客の男女及びロミオ、マーキューシオー等假裝者の一群を迎ふる。
カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々! 肉刺で患んで居らん婦人は、何れも喜んで舞踏敵手になりませうわい。……(婦人連に對ひ)あァ、はァ、姫御前たち! 舞踏るを否ぢゃと被言る仁があるか? 品取って舞踏らッしゃらぬ仁は、誓文、肉刺が出來てゐるンぢゃらう。何と圖星であらうが?……(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等とても假面を被けて、美人の耳へ氣に入りさうな話を囁いたこともござったが、あゝ、それは既う過去ぢゃ、遠い/\過去ぢゃ。……方々、ようこそ來せられた……(樂人を顧みて)さゝ、樂人共、はじめい。……(一同に對ひ)開いた/\! つゝと開いて、さゝ、舞踏ったり、娘達。
樂を奏しはじむる。男女手を取りあうて舞踏る。
もっと燭火を持て、家來共! 食卓を疊んでしまうて、爐の火を消せ、餘り室内が熱うなったわ。……あゝ、こりゃ思ひがけん好い慰樂であったわい。……(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御、まま腰を下しめされ、貴下も予も最早舞踏時代を過してしまうた。お互ひに假面を着けて以來、もう何年にならうかの?
カピ叔 大丈夫、三十年ぢゃ。
カピ長 何と被言る! まさかに然程ではない、まさかに。リューセンシオーの婚禮以來ぢゃによって、すぐ鼻の先にペンテコスト(祭日)が來たとして、二十五年、あの時に被假面ったのぢゃ。
カピ叔 いや、もそっと經つ、もそっと。彼れの倅がもそっと年を取ってをる。もう三十ぢゃ。
カピ長 確とさやうか? あの倅には、つい二年程前かたまでは、後見人が附いてをった。
此間ロミオは道外假面を被ったるまゝ獨り離れて見てゐる。其中ヂュリエットと一武官と手を取りあうて舞踏りはじむる。
ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家と手を取りあうてござる彼姫は何誰ぢゃ?
給仕 小僕は存じませぬ。
ロミオ おゝ、あの姫の美麗さで、輝く燭火が又一段と輝くわい! 夜の頬に照映ゆる彼の姫が風情は、宛然黒人種の耳元に希代の寶玉が懸ったやう、使はうには餘り勿體無く、下界の物としては餘り靈妙じい! あゝ、あの姫が餘の女共に立交らうてゐるのは、雪はづかしい白鳩が鴉の群に降りたやう。此一舞踏が濟んだなら、姫の居處に目を着け、此賤しい手を、彼の君の玉手に觸れ、せめてもの男冥利にせう。あゝ、俺は今までに戀をしたか? やい、眼よ、せなんだと誓言せい! 今夜といふ今夜までは、眞の美人をば見なんだわい。
此中來賓中のチッバルト此聲を聞咎めたる思入にて前に進む。
チッバ あの聲音はモンタギュー家の奴に相違ない。……(從者に對ひ)予が細刃劍を持て。……何ぢゃ? 下司奴めが、道外假面に面を隱して、此祝典を蹈附にしようとは不埓ぢゃ! カピューレットの正統たる權利を以て、彼奴めをば打殺しても、俺ゃ罪惡とは思はぬわい。
カピ長 はて、甥よ、何としたのぢゃ! おぬしは何で其樣に息卷くのぢゃ?
チッバ 叔父上、あれは敵方のモンタギューでござる。今夜の祝典を辱めん惡意を抱いて來をったのでござる。
カピ長 年若のロミオではないか?
チッバ でござる、そのロミオ奴でござる。
カピ長 まゝ、堪忍して、放任てゝおきゃれ、立派な紳士らしう立振舞うてをる上に、實を言へば、日頃ヹローナが、徳もあり行状もよい若者と自慢の種にしてゐるロミオぢゃ。全市の富に易へても、我家で危害を加へたうない。ぢゃによって、堪忍して見ぬ介をしてゐやれ。これは予の意志ぢゃ、予を重んじておくりゃらば、顏色を麗しうし、其むづかしい貌を止めておくりゃれ。祝宴最中に不似合ぢゃわい。
チッバ いや、不似合でござらん、あんな奴が居るからは。堪忍はなりませぬ。
カピ長 はて、堪忍せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの! せにゃならぬといふに。これさ/\、こゝの主長は乃公では無いか? 汝か? さゝゝ。汝が堪忍ならん! はれやれ、汝は來賓中に大鬪爭を起させうぞよ! 大騷動を爲出來さうわい! えゝ、汝のやうなのが、その!
チッバ でも、これは耻辱でござる。
カピ長 さゝゝ、沒分曉漢ぢゃ。確と然樣か? 其樣なことをすれば身爲になるまい。……すれば、何ぢゃな、では乃公の命令を聽かぬ! はて、今が時ぢゃ。……(來賓の方に向ひて)よう/\、出來た!(又チッバルトに對ひ)向不見にも程があるわさ、さゝ。はて、靜かに、若し……(從者を顧みて)もそっと燭火を持て、燭火を!……(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ! 是非とも靜かにして貰はう。……(來賓に對ひ)陽氣に/\!
チッバ 無理往生の堪忍と持前の癇癪との出逢ひがしらで、挨拶の反が合ぬゆゑ、肉體中が顫動るわい。引退らう。併し今こそ甘ったるう見えてをる汝が今夜の推參に、やがて苦い味を見せてくれうぞ。
チッバルト入る。
此間にロミオは假面のまゝ、巡禮姿のまゝにてヂュリエットに近づき、膝まづきて恭しく其手を取る。
ロミオ 此賤しい手で尊い御堂を汚したを罪とあらば、面を赧うした二人の巡禮、此唇めの接觸を以て、粗い手の穢した痕を滑かに淨めませう。
ヂュリ 巡禮どの、作法に善う合うた御信仰ぢゃに、其樣におッしゃッては、其お手に甚ァい氣の毒。聖者がたにも御手はある、其御手に觸るゝのが巡禮の接吻禮とやら。
ロミオ でも聖者にも唇があり、巡禮にも唇がござりまする。
ヂュリ さア、それはお祈願だけに用ふるもの。
此問答のうちに、二人はやゝ群衆と離るゝ。
ロミオ おゝ、いでさらば、我聖者よ、手の爲す所爲を唇に爲さしめたまへ。唇が祈りまする、聽したまへ、さもなくば、信心も破れ、心も亂れまする。
ヂュリ 切なる祈願の心は酌んでも、動かぬのが聖者の心。
ロミオ では、お動きなされな、祈願の御報をいたゞきます。
斯うして貴孃のお唇で、私の罪が此唇から清められ、拭はれました。
ヂュリ では、其罪は妾の唇へ移りましたのかえ?
ロミオ 何、わたしの罪が移った? おゝ、嬉しうもお咎めなされた! では、其罪を戻して下され。
ヂュリ ても、まア、御均等な。
乳母 姫さま、お母さまがお話がありますといな。
ロミオ あの方の母御とは、何誰ぢゃ?
乳母 はて、お若い方、母御樣は此お邸の内室さまぢゃがな、よいお仁で、御發明な、御貞節な。わしは、今貴下が話してござらしゃった孃さまを育てました。もしえ、あの子を手に入れさッしゃるお仁は、澤山々々貨幣にありつきますぞや。
ロミオ ではカピューレットの女か? おゝ、怖しい勘定狂はせ! 俺の命はこりゃもう敵からの借物ぢゃわ。
此時、ベンヺーリオー近寄りて
ベンヺ さア、歸らう/\。娯樂はもう頂點ぢゃ。
ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ彌〻心が不安になる。
賓客等おひ/\歸り支度をする。
カピ長 あ、いや、方々、お歸り支度をなされな。粗末な點心ながら、只今準備中でござる。(皆々代る/″\長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)……でござるか? はて、然らば、何れも忝なうござった。かたじけなうござる。御機嫌ようござりませ。……(從者に向ひ)もそっと燭火を持て、こゝへ!……(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上は、寢やう/\。あゝ、こりゃ、とんと夜が更けたわ。どりゃ俺も休まう。
一同次第に入る。ヂュリエットと乳母と殘りて、出行く客を見送る。
ヂュリ 乳母、こゝへ來や。あのお方は誰れ?
乳母 タイビリオーさまのお嗣子でござります。
ヂュリ 今戸口から出てゆかうとしてゐるのは誰れ?
乳母 さいな、ペトルーチオーさまの若樣でござりましょ。
ヂュリ あの方は、ありゃ誰れ? その後から行かッしゃる……ありゃ踊らなんだ人ぢゃ。
乳母 存じませぬ。
ヂュリ さ、往て、問うて來や。……
もしも婚禮が濟んだお方なら、墓が予の新床とならうも知れぬ。
乳母 名はロミオと言うて、お邸とは敵どうしのモンタギュー家の若ぢゃといな。
ヂュリ (獨語的に)類無いわが戀が、類ないわが憎怨から生れるとは! とも知らで早う見知り、然うと知った時はもう晩蒔! あさましい因果な戀、憎い敵をば可愛いと思はにゃならぬ。
乳母 何ぢゃいな、それは? 何を言うてござる?
ヂュリ 歌ぢゃ……今がた一しょに舞踏った人に教へて貰うた歌ぢゃ。
乳母 はい/\、只今!……さゝ、參りましょ。お客人は皆もう歸ってしまはッしゃれた。
〈[#改ページ]〉
第二幕
序詞役 扨も老いにたる情慾は方に最期の床に眠りて、
うら若き戀情が其跡を襲ぐべく起出づる。
曾ては憧れて、爲に死なんとまで呻きつる其美女も
今の目には美しとも見えず、ヂュリエット姫に比べては。
かくて戀ひつ戀はれつ、二人は一樣に色に迷へり、
然はあれど、歎顏に、敵の子に言寄る辛さ、
女もまた鉤より戀の甘餌を盜む怖しさ。
敵どしなれば誓約をも世の人並には告げがたく、
姫も同じ思ひながら、逢ふべき傳手は更に少なし。
さもあれ、情火は力を、時は便宜を與へければ、
限なき危さの中に、二人は限なく嬉しく逢へり。
第一場 ヹローナ。カピューレット邸の庭園の石垣に沿へる小逕。
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ロミオ 心臟が此處に殘ってゐるのに、何で歸ることが出來ようぞい? 鈍な土塊め、引返して、おのが中心を搜しをれ。
石垣を攀ぢて庭内へ飛下りる。
ベンヺーリオーとマーキューシオーと出る。
ベンヺ ローミオー! ロミオどの! ローミオー!
マーキュ 彼奴めは怜悧者ぢゃ、一定とうに拔駈して、今頃は(家に)臥てゐるのであらう。
ベンヺ いや/\、此方へ走って來て、此石垣を飛越えた。マーキューシオーどの、呼んで見さっしゃい。
マーキュ いや、序に祈り出して見よう。……(呪文の口眞似にて)ローミオーよ! 浮氣よ! 狂人よ! 煩惱よ! 戀人よ! 溜息の姿にて出現めされ。たッた一句をでも宣言せられたならば、小生は滿足いたす。只「嗚呼」とだけ叫ばっしゃい、たッた一言、戀とか、鳩とか宣言せられい。此方の昔馴染の〻|いよ/\}}祈らねばならぬ。……(又祈祷の口眞似)あはれ、ローザラインの彼の星のやうな眼附、あの高々とした額、あの眞紅の唇、あの可憐しい足、あの眞直な脛、あのぶる/\と顫へる太股乃至其近邊にある處々に掛けて祈りまするぞ。速かに御正體を現せられい。
ベンヺ 聞えたら、腹を立たうぞ。
マーキュ 何の腹を立たう。若し戀女の魔の輪近くへ奇異な魔物を祈り出して、彼女が調伏してしまふまで、それを突立たせておいたならば、それこそ惡戲でもあらうけれど、今のは正直正當な呪文ぢゃ、彼女の名を借りて、ロミオめを祈り出さうとしたまでの事ぢゃ。
ベンヺ こりゃ何でも、木の間に隱れて、夜露と濡れの幕という洒落であらう。戀は盲といふから、闇は恰どお誂へぢゃ。
マーキュ はて、戀が盲なら的を射中てることは出來まい。今頃はロミオめ、枇杷の木蔭に蹲踞んで、あゝ、予の戀人が、あの娘共が内密で笑ふ此枇杷のやうならば、何のかのと念じて居よう。おゝ、ロミオ、若し足下の戀人が、な、それ、開放しの何とやらで、そして足下が彼女の細長林檎であつたなら!〈[#「あつたなら!」はママ]〉 ロミオ、さらば。野天の床では寒うて寢られぬ、下司床で臥よう。さ、往かうか?
ベンヺ では、去う。見附けられまいと爲てゐるものを搜すのは無要ぢゃ。
第二場 同處。カピューレット家の庭園。
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ロミオ 人の痛手を嘲りをる、自身で創を負うたことの無い奴は。……
此時ヂュリエット二階の窓に現るゝ。
や、待てよ! あの窓から洩るゝ光明は? あれは、東方、なればヂュリエットは太陽ぢゃ!……あゝ、昇れ、麗しい太陽よ、そして嫉妬深い月を殺せ、彼奴は腰元の卿の方が美しいのを恨しがって、あの通り、蒼ざめて居る。あの嫉妬家に奉公するのはよしゃれ。彼奴の制服は青白い可嫌な色ぢゃゆゑ、阿呆の外は誰れも着ぬ、脱いでしまや。……おゝ、ありゃ姫ぢゃ。戀人ぢゃ! あゝ、此情を知らせたいなア!……何やら言うてゐる。いや、何も言うてはゐぬ。言はいでもかまはぬ、あの目が物を言ふ。あの目へ返答をせふ。……あゝ、こりゃあんまり厚顏しかった。俺に言うてゐるのでは無い。大空中で最ち美しい二箇の星が、何か用があって餘所へ行くとて、其間代って光ってくれと姫の眼に頼んだのぢゃな。若し眼が星の座に直り、星が姫の頭に宿ったら、何とあらう! 姫の頬の美しさには星も羞耻まうぞ、日光の前の燈のやうに。然るに天へ上った姫の眼は、大空中を殘る隈もなう照らさうによって、鳥どもが晝かと思うて、嘸啼立つることであらう。あれ、頬を掌へもたせてゐる! おゝ、あの頬に觸れようために、あの手袋になりたいなア!
ヂュリ あゝ/\!
ロミオ 物を言うた。おゝ、今一度物言うて下され、天人どの! さうして高い處に光り輝いておゐやる姿は、驚き異んで、後へ退って、目を白うして見上げてゐる人間共の頭上を、翼のある天の使が、徐かに漂ふ雲に騎って、虚空の中心を渡ってゐるやう!
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故卿はロミオぢゃ! 父御をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否ならば、せめても予の戀人ぢゃと誓言して下され。すれば、予ゃ最早カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞かうか? すぐ物を言はうか?
ヂュリ 名前だけが予の敵ぢゃ。モンタギューでなうても立派な卿。モンタギューが何ぢゃ! 手でも、足でも、腕でも、面でも無い、人の身に附いた物ではない。おゝ、何か他の名前にしや。名が何ぢゃ? 薔薇の花は、他の名で呼んでも、同じやうに善い香がする。ロミオとても其通り、ロミオでなうても、名は棄てゝも、其持前のいみじい、貴い徳は殘らう。……ロミオどの、おのが有でもない名を棄てゝ、其代りに、予の身をも、心をも取って下され。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取りませう。言葉を其儘。一言、戀人ぢゃと言うて下され、直にも洗禮を受けませう。今日からは最早ロミオで無い。
ヂュリ や、誰れぢゃ、夜の闇に包まれて、内密事を聞きゃった其方は?
ロミオ 名は何と言うたものか予は知らぬ。なう、我聖者よ、わが名は君の敵ぢゃとあるゆゑ、自分ながら憎うて/\、紙に書いてあるものなら、引破ってしまひたい。
ヂュリ お前の言葉はまだ百言とは聞かなんだが、其聲には記憶がある。ロミオどのでは無いか、モンタギューの?
ロミオ 孰らでもない、卿が嫌ひぢゃと言やるならば。
ヂュリ ま、どうして此處へ? して、まア何の爲に? あの石垣は高いゆゑ容易うは攀られぬに、それにお前の身分は、若し家の者が見附くれば、忽ちお命が無からうずに。
ロミオ あの石垣は、戀の輕い翼で踰えた。如何な鐵壁も戀を遮ることは出來ぬ。戀は欲すれば如何樣な事をも敢てするもの。卿の家の人達とても予を止むる力は有たぬ。
ヂュリ でも見附くれば殺しませうぞえ。
ロミオ あゝ、彼等十人、二十人の劍よりも、それ、その卿の眼にこそ人を殺す力はあれ。唯もう可愛い目をして下され、彼等に憎まれうと何の厭はう。
ヂュリ 予ゃ何樣な事があっても、お前をば見附けさせたうない。
ロミオ 幸ひ夜の衣を被てゐる、見附けらるゝ筈はない。とはいへ卿に愛せられずば、立地に見附けられ、憎まれて、殺されたい、愛されぬ苦みを延さうより。
ヂュリ 誰が案内をしておいでなされた?
ロミオ 戀が案内ぢゃ。尋ねて見い、と眞先に促進めたも戀なれば、智慧を借したも戀、目を借したも戀、予は舵取ではないけれども、此樣な貨を得ようためなら、千里萬里の荒海の、其先の濱へでも冐險しよう。
ヂュリ 夜といふ假面を附けてゐればこそ、でなくば恥かしさに此頬が眞赤にならう、今宵言うたことをついお前に聽かれたゆゑ。予とても、體裁つくり、そなことを言ひはせぬ、と言ひたいは山々なれど、式や作法は、もうおさらば! もし、予を可愛しう思うて下さるか?「唯」と被言るであらうがな。そして、それをまた實と思はう。でも誓言などなされると(却って)心元ない、戀人が誓言を破るのはヂョーヴ神も只笑うてお濟ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、可愛しう思うて下さるが實なら、其通り誠實に言うて下され。それとも、餘まり手輕う手に入ったとお思ひなさるやうならば、故と怖い貌をして、憎さうに否と言はう、たとひお言寄りなされても。さもなくば、世界かけて否とは言はぬ。あゝ、モンタギューどの、このやうに愚からしう言うたなら、わしを蓮葉なともお思ひなさらうが、巧妙に餘所々々しう作りすます人達より、もそッと眞實な女子になって見せう。いゝえ、わしとても、若し戀の祕密を聽かれなんだら、もッと餘所々々しうしたであらう。ぢゃによって、お恕しなされ、斯う速う靡いたをば浮氣ゆゑと思うて下さるな、夜の暗に油斷して、つい下心を知られたゝめぢゃ。
ロミオ 姫よ、あの實を結ぶ樹々の梢の尖々をば白銀色に彩ってゐるあの月を誓語に懸け……
ヂュリ おゝ、𢌞る夜毎に位置の變る不貞節な月なんぞを誓言にお懸けなさるな。お前の心が月のやうに變るとわるい。
ロミオ では、何を誓語に懸けよう?
ヂュリ 誓言には及びませぬ。若し又、誓言なさるなら、わたしが神樣とも思ふお前の身をお懸けなされ、すればお言葉を信じませう。
ロミオ 予の眞心が眞實戀ひ慕ふ……
ヂュリ あゝ、もし、誓言は、およしなされ。嬉しいとは思へども、今宵すぐに約束するのは、粗忽らしうて、無分別で、早急で、あッといふ間に消える稻妻のやうで、嬉しうない。戀しいお人、さよなら! 此戀の莟は、皐月の風に育てられて、又逢ふまでには美しう咲くであらう。さよなら/\! お前の胸にも予の胸にも、なつかしい安息の宿りますやう!
ロミオ すりゃ、これぎりで別れようといふのか?
ヂュリ では、どうせいと被言るのぢゃ?
ロミオ 予の誓言と取換に、卿の眞實の誓言が聽きたい。
ヂュリ わしの誓言は、さう言はれぬ前に、献げてしまうた。もう一度献げらるゝやうであって欲しい。
ロミオ では、取戻したいか? 何の爲に?
ヂュリ 有る限りを改めて獻げうために。とはいへ、それも、畢竟は、戀しいからのこと、献げたいと思ふ心も海、戀しいと思ふ心も海の、其底は測り知られぬ。献ぐれば献ぐる程、尚戀しさの増すばかりで、どちらにも限は無い。
此時、奧にて乳母の聲にて呼ぶ。
奧で何やら、かしましい聲がする。戀しいお方、さよなら……あいあい、乳母、今すぐに!……モンタギューどの、必ず渝らず。ちょと待ってゝ下され、すぐ又戻って來う。
ロミオ おゝ、有難い、かたじけない、何といふ嬉しい夜! が、夜ぢゃによって、もしや夢ではないか知らぬ。現にしては、餘り嬉し過ぎて譃らしい。
ヂュリエット再び階上に現はるゝ。
ヂュリ ロミオどの、もう三言だけ、それで今宵は別れませう。これ、お前の心に虚僞がなく、まこと夫婦にならう氣なら、明日才覺して使者をば上げませうほどに、何日、何處で式を擧ぐるといふ返辭をして下され、すれば、一生の運命をばお前の足下に抛出して、世界の如何な端までも、わしの殿御として隨いてゆきませう。
乳母 (奧にて)姫さま!
ヂュリ あい、今すぐに。……したが、萬一にも正しうないお心を有ってござらば、どうぞ……
乳母 (奧にて)姫さま!
ヂュリ 今すぐに行くわいの。……縁談を斷然止め、予をば勝手に泣かして下され。明日使ひを送げませうぞ。
ロミオ 後の生をも誓言にかけて……
ヂュリ 千たびも萬たびも御機嫌よう。
ロミオ 千たびも萬たびも俺は機嫌がわるうなったわ、卿といふ光明が消えたによって。戀人に逢ふ嬉しさは、寺子共が書物に離るゝ心持と同じぢゃが、別るゝ時の切なさは、澁面つくる寺屋通ひぢゃ。
ロミオそろ/\と退る。
ヂュリエット又階上に現れて、窃と口笛を鳴らす。
ヂュリ hist! ローミオー! hist!……おゝ、こちの雄鷹をば呼返す鷹匠の聲が欲しいなア、囚人の身ゆゑ聲が嗄れて、高々とは能う呼ばぬ。さもなかったなら、木魂姫が臥てゐる其洞穴が裂くる程に、また、あの姫の空な聲が予の聲よりも嗄るゝ程に、ロミオ/\と呼ばうものを。
ロミオ や、俺の名を呼ぶは戀人ぢゃ。あゝ、戀人の夜の聲音は、白銀の鈴のやうにやさしうて、聞けば聞くほどなつかしい!
ヂュリ ローミオー!
ロミオ 戀人か?
ヂュリ 明日、何時頃に使ひを送げうぞ?
ロミオ 九時に。
ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時までが二十年! あれ、忘れた、何でお前を呼返したのやら?
ロミオ 思ひ出しなさるまで、斯うして此處に立ってゐよう。
ヂュリ さうしてゐて欲しいから、わたしゃ尚と忘れませう。一しょにゐたい、といふ事ばかりは忘れずに。
ロミオ 予は又いつまでも斯うして此處に立ってゐよう、卿にも忘れさせ、自分も此家の事の外は皆忘れて。
ヂュリ もう夜が明くる。往んで欲しいとは思へども、小鳥の脚に、氣儘少女が、囚人の鎖のやうに絲を附けて、ちょと放しては引戻し、又飛ばしては引戻すがやうに、お前を往なしたうもあるが、惜しうもある。
ロミオ 卿の小鳥になりたいなア!
ヂュリ お前を小鳥にしたいなア! したが、餘り可愛がって、つい殺してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら! さよなら! あゝ、別れといふものは悲し懷しいものぢゃ。夜が明くるまで、斯うしてさよならを言うてゐたい。
ロミオ 卿の目には安眠が、卿の胸には安心の宿るやう! あゝ、其安眠とも安心ともなって、君の美しい胸や目に宿りたいなア!……これから上人の庵へ往て、今宵の仕合せを話した上、何かと助力を求めよう。
第三場 同處。托鉢僧ロレンス法師の庵室。
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ロレンス法師提籃を携へて出る。
ロレ 灰色目の旦が顰縮面の夜に對うて笑めば、光明の縞が東方の雲を彩り、剥げかゝる暗は、日の神の火の輪の前に、さながら醉人のやうに蹣跚く。どりゃ、太陽が其燃ゆるやうな眼を擧げて今日の晝を慰め、昨夜の濕氣を乾す前に、毒ある草や貴い液を出す花どもを摘んで、吾等の此籃を一杯にせねばならぬ。萬有の母たる大地は其墓所でもあり、又其埋葬地たるものが其子宮でもある、さて其子宮より千差萬別の兒供が生れ、其胸をまさぐりて乳を吸ふやうに、更に何か一種宛靈妙じい殊なる效能のある千種萬種を吸出だす。あゝ、夥しいは草や木や金石どもの其本質に籠れる奇特ぢゃ。地上に存する物たる限り、如何な惡しい品も何等かの益を供せざるは無く、又如何な善いものも用法正しからざれば其性に悖り、圖らざる弊を生ずる習ひ。美徳も法を誤れば惡徳と化し、惡徳も用處を得て威嚴を生ず。此孱弱い、幼稚い蕚の裡に毒も宿れば藥力もある、嗅いでは身體中を慰むれども、嘗むるときは心臟と共に五官を殺す。かゝる敵が、植物界にも、人間界にも、常に陣どって相鬪ふ……仁心と害心とが……而して惡しい方が勝つときは、忽ち毒蟲に取附かれて、其植物は枯果つる。
ロミオ お早うござります。
ロレ 冥加あらせたまへ! 誰れぢゃ、此早朝に、なつかしい其聲音は? ほう、若い癖に早起は、心に煩悶のある證據ぢゃ。老の目は苦勞に覺め勝ち、苦勞の宿る處には兎角睡眠の宿らぬものぢゃが、心に創が無く腦に蟠りのない若い者は、手足を横にするや否や、好い心持に眠らるゝ筈ぢゃに、かう早う起きさしゃったは、こりゃ何か煩悶が無うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、昨夜は床に就かなんだのぢゃな。
ロミオ 其通りでござる、眠なんだ故にこそ嬉しい安心。
ロレ 神よ、罪を赦させられい! さてはローザラインと一しょぢゃな!
ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言るか? 其名前も、其名前に伴ふ悲痛も、予ゃ最早みんな忘れてしまうた。
ロレ それでこそ好い子ぢゃ。すれば、何處におゐやったのぢゃ?
ロミオ 二度と問はれいでも話しませう。仇敵の家で酒宴の最中、だまし撃に予に創を負はした者があったを、此方からも手を負はした。二人の受けた創は貴僧の藥力を借れば治る。なう、上人、予は其敵を憎みはせぬ、かうして頼みに來たのも、互ひの身の爲を思ふからぢゃ。
ロレ はて、明白と素直に被言れ。懺悔が謎のやうであると、赦免も謎のやうなことにならう。
ロミオ されば明白と言はうが、予はカピューレット家のあの美しい娘を又と無い戀人と定めてしまうた。予が定めたれば先方もまた其通りに定めたのでござる。手筈は皆濟んだ、殘るは貴僧に行うて貰ふ神聖な式ばかり。何時、何處で、如何して逢うて、如何言寄って、如何な誓言をしたかは、歩きながら話しませうほどに、先づ承引して下され、今日婚禮さすることを。
ロレ 祖師フランシス上人! こりゃまた何たる變りやうぢゃ! あれほどに戀ひ焦れておゐやつた〈[#「おゐやつた」はママ]〉ローザラインを最早棄てゝおしまやったか? されば若い手合の戀は其心には宿らいで其眼中に宿ると見えた。Jesu Maria! どれほど苦い水が其蒼白い頬をローザラインの爲に洗うたことやら? 幾何の鹽辛水を無用にしたことやら、今は餘波さへもない其戀を味つけうために! 卿の溜息はまだ大空に湯氣と立昇り、卿の先頃の呻吟聲はまだ此老の耳に鳴ってゐる。それ、まだ其頬に古い涙の汚れが拭はれいで殘ってある。卿はやはり卿で、あの愁歎は卿の愁歎であったなら、それは皆ローザラインの爲であったに、なりゃ、其心が變ったか? すれば、此一語を唱へしめ……女は心の移る筈、男心さへも堅固にあらず。
ロミオ 貴僧はローザラインに戀をすなというて、幾たびもお叱りゃったぞよ。
ロレ 戀をすなではない、溺るなと言うたのぢゃ。
ロミオ そして戀を葬れと被言ったぞよ。
ロレ 前のを墓に葬って、別のを掘出せとは曾ぞ言はぬ。
ロミオ なう、叱って下さるな。此度の女は、此方で思へば、彼方でも思ひ、此方で慕へば、彼方でも慕ふ。以前のはさうで無かった。
ロレ おゝ、それは、卿の戀をば、能う會得してもゐぬことを、只口頭で誦む類ぢゃと見拔いてゐた爲でもあらう。したが、こゝな浮氣者、ま、予と一しょに來やれ、仔細あって助力せう、……此縁組が原で兩家の確執を和睦に變へまいものでもない。
ロミオ おゝ、速う。早急に濟まさにゃならぬ。
ロレ いや、賢う徐うぢゃ。馳出す者は蹉躓くわい。
ロレンス先に、ロミオ從ひて入る。
第四場 同處。街上。
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マーキュ ロミオめは何處へ往きをったか? 歸らなんだか昨夜は?
ベンヺ うん、父者の家へは。家來に逢うて聞いた。
マーキュ はて、あの蒼白い情無し女のローザラインめが散々に奴を苦めるによって、果は狂人にもなりかねまいわい。
ベンヺ カピューレットの一族のチッバルトが、ロミオが父者へ宛てゝ、書面をば送ったさうな。
マーキュ 誓文、決鬪状であらう。
ベンヺ ロミオは返事をやるであらう。
マーキュ 字の書ける程の者なら、返事をせいでか?
ベンヺ いや、しかけられたからは、立合はうと返事をせう。
マーキュ あゝ、ロミオの奴め、奴は最早死んでゐるわい! あの眞白な小婦の黒い目でしてやられた、耳は戀歌で射貫される、心臟の眞中央は例の盲小僧の彼の稽古矢で打碎かれる。何して、あのチッバルトと立合ふことなぞが出來うぞい。
ベンヺ え、如何な男ぢゃチッバルトは?
マーキュ 昔話の猫王ぢゃと思うたら當が違はう。見事武士道の式作法に精通遊ばしたお達人さまぢゃ。譜本で歌を唱ふやうに、時も距離も釣合も違へず、一、二と間を置いて、三つと言ふ途端に敵手の胸元へ貫通、絹鈕をも芋刺にしようといふ決鬪師ぢゃ。例の第一條、第二條を口癖にする決鬪師の嫡々ぢゃ。あゝ、百發百中の進み突とござい! 次は逆突? 參ったか突とござる!
ベンヺ え、何突?
マーキュ 白癩、あのやうな變妙來な、異樣に氣取った口吻をしをる奴は斃りをれ、陳奮漢め! 「イエスも照覽あれ、拔群な劍士でござる! いや、拔群な丈夫でござる!」 へん、拔群な淫婦でござるが聞いて呆れるわい。何と、お祖父さん、情無い世の中となったではござらぬか、朝から晩まで流行を仕入蝱共に惱されねばならぬとは? おゝ、又しても bon! bon! ぶん/\!
ベンヺ ロミオが來せた、ロミオが。
マーキュ 鮞を拔かれた鯡の干物といふ面附ぢゃ。おゝ、にしは、にしは、てもまア憫然しい魚類とはなられたな! こりゃ最早ペトラークが得意の戀歌をお手の物ともござらう。ローラなどはロミオが愛姫に比べては山出しの下婢ぢゃ、もっとも、歌だけはローラが遙かに上等のを作って貰うた。はて、ダイドーは自墮落女で、クレオパトラは赤面の乞食女、ヘレンやヒーローは賣女、賤女で、シスビは碧瞳ぢゃ何のかのと申せども、所詮は取るに足らぬ。……なうなう、ロミオの君、えへん、bonjour! これはフランス式の細袴に對してのフランス式の御挨拶でござる。昨夜は、ようも巧々と贋金を掴ませやったの。
ロミオ 二人ともお早うござる。なに、贋金とは?
マーキュ 吾々の目をお拔きゃって。後は言はいでもぢゃ。
ロミオ マーキューシオーどの、恕して下され、實は是非ない所用があったからぢゃ。あんな際には、つい、その、禮を曲ぐることがある習ひぢゃ。
マーキュ ふん、あんな際には、足腰の曲げ方が異ふといふのぢゃな?
ロミオ といふのは、慇懃に挨拶するためといふ意か?
マーキュ 其通り、御深切な解釋ぢゃ。
ロミオ これはまた御丁寧なお言葉ぢゃ。
マーキュ はて、禮法にかけては一代の精華とも崇められてゐる乃公ぢゃ。
ロミオ 精華とは名譽の異名か?
マーキュ いかにも。
ロミオ では、予の舞踏靴は名譽なものぢゃ、此通り孔だらけぢゃによって。
マーキュ 出來た。此上は洒落競べぢゃぞ。これ、足下の其薄っぺらな靴の底は、今に悉く磨り減って、果は見苦しい眞ッ赤な足を出しゃらうぞよ。
ロミオ はて、見ぐるしい眞ッ赤な恥を駄洒落るとは足下のこと。それ、もう、薄っぺらな智慧の底が見えるわ!
マーキュ おい、應援けてくれ、ベンヺーリオー。智慧の息が切れるわ。
ロミオ 鞭を加てい、鞭を、もっと/\。さうで無いと「勝った」と呼ぶぞよ。
マーキュ いや、こんな阿呆らしい拔駈の競爭は最早中止ぢゃ。何故と言へ、足下は最初からぬけてゐるわ。何と、頭拔けた洒落であらうが。
ロミオ 成程、愚鈍者事にかけては、足下は生得頭拔けてゐる。
マーキュ 巧く脱けをったな、咬むぞよ。
ロミオ はて「咬んでたもるな、阿呆鳥どのよ」ぢゃ。
マーキュ 足下の洒落は橙々酢といふ格ぢゃ、藥味にしたら酸ぱからう。
ロミオ ぢゃによって、かうした味の脱けた代物に撒布けてゐるのぢゃ。
マーキュ おゝ、ても善う𢌞るわ、寸から尺に伸びる莫大小口とは足下の口ぢゃ。
ロミオ はて、伸びると言へば、その伸びるとは足下の鼻の下ぢゃ、今天下に並びもない拔作どのとは足下のことぢゃ。
マーキュ (笑って)何と、かう洒落れのめしてゐるはうが、惚れたの、腫れたのと呻吟いてゐるよりは優であらうが? 今日こそは、つッともう人好のする立派なロミオぢゃ、今日こそは正面、側面、何處から見ても正めん贋無しのロミオぢゃ。女の事で愁言言ふは、例へば、彼の弄僕めが、見ともない面をして、例の棒切をおったてゝ……
ベンヺ もう止めた、もう止めた。
マーキュ しかけた一件を、止めいとは如何ぢゃ?
ベンヺ 默ってゐたら、尚ほ其上に、何を爲出さうも知れぬわい。
マーキュ 大ちがひぢゃ、何をしようぞい。事はとうに終んだわ。もう何もする氣は無い。
ロミオ やれ/\、お上品な問答!
(此原詞は“Here's goodly gear.”此意味不分明。乳母とピーターとの來るを見附けての評語とも、マーキューシオーとベンヺーリオーの猥雜な問答を反語的に評したるものと解せらる。こゝには後者を正しと見て、其義に譯しておきたり。)
乳母が先に、下人ピーター大きな扇子を持ちて從いて出る。
マーキュ 船ぢゃ/\!
ベンヺ 二艘々々。男襦袢と女襦袢ぢゃ。
乳母 ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 予の扇子を。
マーキュ ピーターどんや、扇子で面を隱さうちふのぢゃ、扇子の方が美しいからなう。
乳母 殿方、お早うござります。
マーキュ 御婦人、お晩うござります。
乳母 え、晩うござりますとえ。
マーキュ いかにも。それ、その日時計の淫亂な手が午過の標に達いてゐるわさ。
乳母 はれま、此人は! 何たるお人ぢゃお前は?
ロミオ 御婦人、これは事壞しの爲に神樣が造らせられた男ぢゃ。
乳母 ほんに、巧いことを被言る。事壞しの爲に出來た人ぢゃといの! あの、殿方え、ロミオの若樣には何處へゐたら逢はれうかの、御存じなら教へて下され。
ロミオ 予が教へう。したが、其若樣は彌〻逢はッしゃる時分には、尋ねてござる今よりは老けてゐませうぞ。はて、最ち年少のロミオは予ぢゃ。これより粗いのは今はない。
乳母 てもま、巧いことを被言る。
マーキュ 何ぢゃ、最ち粗いのをば甘美い? はて、巧い意味の取りやうぢゃの。賢女々々。
乳母 貴下がロミオさまなら、何處ぞで改めて御密會(御面會)がお願ひ申したうござります。
ベンヺ (笑って)今に、優待といふ積りで、誘惑をはじめかねまい。
マーキュ 慶庵婆だ/\! 來た/\!
ロミオ 來たとは何が?
マーキュ はて、兎ではない、兎にしても脂肪の滿った奴ではなうて、節肉祭式の肉饅頭、食はぬうちから、陳びて、萎びて……
(歌ふ)。やんれ、黴の生えた雌兎、
やんれ、黴の生えた雌兎、
レント祭には相應なれど
黴びた兎ぢゃ二十人でも食へぬ、
食はぬうちから黴びたと聞けば……
ロミオ、父御の館へおぢゃれ。あそこで飮まうぞ。
ロミオ 後から行かう。
マーキュ お媼どん、さらば。さらば/\。
流行の小唄を唱ひながらベンヺーリオーと共にマーキューシオー入る。
乳母 はい、御機嫌よう。……もし/\、あの人は、ま、何といふ無作法な若い衆でござるぞ? あくたいもくたいばかり言うて。
ロミオ あれは自分の饒舌るのを聽くことの好きな男、一月かゝってもやり切れぬやうな事を、一分間で饒舌り立てようといふ男ぢゃ。
乳母 おのれ、わしの事を何とでも言うて見をれ、目に物を見せうぞい。よしんば見かけより強からうと、あんな奴がまだ別に二十人あらうと、大事ない。自力で敵はぬなら、人を頼むわいの。碌でなしの和郎め! 彼奴らに阿呆にされて堪るかいの。彼奴らの無頼仲間ぢゃありゃせぬわい。……(下人に對ひて)汝も傍に立ってゐながら、予が隨意的にされてゐるのを、見てゐるとは何の事ちゃい。
ピータ 誰れもお前を隨意的には爲やせぬがや。若しも其樣なことがあれば、此利劍を引拔かいでかいの。こりゃ拔かんければならん場合ぢゃとさへ思うたら、わしゃ人に負くるこっちゃない。
乳母 えゝ、ほんに/\、悔しうて/\、身體中が顫へるわいの。碌でなしの和郎めが!……(ロミオに對ひて)もし/\、貴下さまえ、最前も申しましたが、妾の姫さまが、貴下を搜して來いとの吩咐でな、其仔細は後にして、先づ言うて置くことがござります、若しも貴下が、世間で言ふやうに、阿呆の極樂へ姫さまを伴れて行かっしゃるやうならば、ほんに/\、世間で言ふ通り、不埓な事ぢゃ。何故と被言りませ、姫さまはまだ齡がゆかッしゃらぬによって、騙さッしゃるやうであれば、ほんにそれは惡いこっちゃ、御婦人を騙さッしゃるは卑怯ぢゃ、非道ぢゃ。
ロミオ お乳母どの、おぬしのお姫さんへ慇懃に傳へて下され。予は飽迄も言うておく……
乳母 はれ、善いお仁や、ほんに其通り申しましょわいな。ほんに、ま、何樣に喜ばッしゃらう。
ロミオ 其通りにとは、何を? まだ何も言やせぬのに。
乳母 飽迄も言うて置く、とおッしゃったと言や、それが立派なお言傳手ぢゃがな。
ロミオ なう、姫に勸めて下され、此晝過に、何とか才覺して懺悔式に來らるゝやう。あのロレンス殿の庵室で、懺悔の式を濟まして婚禮する心なれば。こりゃ骨折賃ぢゃ。
乳母 いえ、めっさうな。一錢も戴きませぬ。
ロミオ まゝ、是非とも。
乳母 では、此晝過に? む、む、其樣にいたしましょ。
ロミオ あ、これ、お待ち。やがて、あの寺の塀外へ、おぬしに渡す爲に、繩梯子のやうに編み合せたものを家來に持たせて遣りませう。それこそは忍ぶ夜半に嬉しい事の頂點へ此身を運ぶ縁の綱。……さよなら。眞實を盡しておくりゃれ、きっと骨折の報はせう。さらば。姫へ宜しう傳へて下され。
乳母 御機嫌やういらせられませい!……あ、もし/\。
ロミオ 何とかお言やったか?
乳母 御家來は口の堅いお人かいな? 二人ぎりの祕密は洩れぬ、三人目が居らねば、と言ひますぞや。
ロミオ 大丈夫ぢゃ、鋼鐡のやうに堅い男ぢゃ。
乳母 それならば。こちの姫さまはな、それは/\憐しうて……ほんに、ほんに、まだ幼うて、分別もないことを言うてゞあった時分は……お、あのな、パリス樣と言うて、お立派な方がな、どうぞして物にせうと氣を揉まっしゃるのぢゃが、あのよな人に逢ふよりは、予ゃ蟾蜍に逢うたはうが優ぢゃ、と言うてな、あの蟾蜍に。予も折々は腹を立っても見ますのぢゃ、パリスどのゝ方が、ずっと好い男ぢゃと言うてな。すると、眞の事ぢゃ、孃は眞蒼な顏にならっしゃる、圖無い白布のやうに。え、ロミオと萬迭香とは、頭字が同じかいな?
ロミオ いかにも。それが、何としたぞ? 兩方ともRぢゃ。
乳母 はれま、人を! そりゃ、犬の名ぢゃがな。Rがお前の……いやいや、何か他の字に相違ないわいの。……何でもな、貴下と萬迭香とが如何とやらしたといふ、何ぢゃ知らんが、面白さうな額言(格言)とやらを作らしゃってぢゃ、貴下が聞かッしゃれば喜ばッしゃらうやうな。
ロミオ 姫に宜しう言うて下され。
乳母 はい/\、申しましょとも。……ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 先へ、そして急歩的と。
第五場 同處。カピューレットの庭園。
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ヂュリ 乳母を出してやった時、時計は九つを打ってゐた。半時間で歸るといふ約束。若しや逢へなんだかも知れぬ。いや/\、さうでは無い。えゝも、乳母めは跛足ぢゃ! 戀の使者には思念をこそ、思念は殘る夜の影を遠山蔭に追退ける旭光の速さよりも十倍も速いといふ。ぢゃによって、戀の神の御輦は翼輕の鳩が牽き、風のやうに速いキューピッドにも双つの翼がある。あれ、もう太陽は、今日の旅路の峠までも達いてゐる。九時から十二時までの長い/\三時間、それぢゃのに、まだ歸って來ぬ。乳母めに、情が燃えてゐたら、若い温かい血があったら、テニスの球のやうに、予が吩咐くるや否や戀人の許へ飛んで行き、また戀人の返辭と共に予の手元へ飛返って來つらうもの。……あゝ、老人といふものは、死んでゞもゐるかのやうに、太儀さうに緩漫と、重くるしう、蒼白う、鉛のやうに……
おゝ、嬉しや、歸って來た。……なう乳母いの、如何ぞいの? あの方に逢やったかや?……侶は彼方へ。
乳母 ピーター。……入口に控へてゐや。
ヂュリ さ、乳母いの。……ま、何で其樣な情ない顏してゐやる? 悲しい消息であらうとも、せめて嬉しさうに言うてたも。若し嬉しい消息なら、それを其樣な顏をして彈きゃるのは、床しい知らせの琴の調べを臺無しにしてしまふといふもの。
乳母 おゝ、辛度! 暫時まァ休まして下され。あゝ/\、骨々が痛うて痛うて! ま、どの位ほッつきまはったことやら!
ヂュリ 予の骨々を其方に與っても、速う其消息が此方へ欲しい。これ、どうぞ聞かしてたも。なう、乳母や、乳母いなう、如何ぢゃぞいの?
乳母 ま、氣忙しい! 暫時の間が待てぬかいな? 息が切れて物が言はれぬではないかいな?
ヂュリ 息が切れて言はれぬと言やる程なら、息は切れてゐぬ筈ぢゃ。何のかのと言譯してゐやるのが肝腎の一言より長いわいの。これ、吉か、凶か? 速う言や。それさへ言うてたもったら、詳細事は後でもよい。速う安心さしてたも、吉か、凶か?
乳母 はて、お前は阿呆らしいお人ぢゃ、あのやうな男を選ばッしゃるとは目が無いのぢゃ。ロミオ! ありゃ不可んわいの。面附こそは誰れよりも見よけれ、脛附が十人並以上ぢゃ、それから手や足や胴やは彼れ此れ言ふが程も無いが、外には、ま、類が無い。行儀作法の生粹ぢゃありやせん〈[#「ありやせん」はママ]〉、でも眞の事、仔羊のやうに、温和しい人ぢゃ。さァ/\/\、小女よ、信心さっしゃれ。……え、もう終みましたかえ、お晝の食事は?
ヂュリ いゝえ/\。其樣な事は、もう夙に知ってゐる。婚禮の事をば何と言うてぢゃ? さ、それを。
乳母 はれ、頭痛がする! あゝ、何といふ頭痛であらう! 頭が粉虀に碎けてしまひさうに疼くわいの。脊中ぢゃ。……そっち/\。……おゝ、脊中が、脊中が! ほんに貴孃が怨めしいわいの、遠い遠い處へ太儀な使者に出さッしやって〈[#「出さッしやって」はママ]〉、如是な死ぬるやうな思ひをさすとは!
ヂュリ ほんに氣の毒ぢゃ、氣分が惡うてはなァ。したが、乳母、乳母や、乳母いなう、何卒言うてたも、戀人が何と被言った?
乳母 さいな、あの方の言はッしゃるには、行儀もよければ深切でもあり、男振はよし、器量人でもあり、流石に身分のある殿方らしう……お母さまは何處にぢゃ?
ヂュリ 母さまは何處にぢゃ? 母樣は家にぢゃ。何處に行かしゃらうぞ? 何を言やるぞい!「あの方が被言るには、身分のある殿方らしう、お母樣は何處にぢゃ?」
乳母 はれ、まア! そのやうに熱くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに/\。それが痛む節々の塗藥になりますかいの? これからは自分で使ひ歩きをばさっしゃったがよい。
ヂュリ まァ、仰山な騷ぎぢゃ!……これの、ロミオが何と被言った?
乳母 お前今日はお參詣に往ても可いといふお許可が出ましたかえ?
ヂュリ あいの。
乳母 では、なう、急いでロレンス樣の庵室まで往かっしゃれ。あそこでお前を内室になさるゝ人が待ってぢゃ。そりゃこそ頬邊へ放埓な血めが上るわ、所詮は何を聞いても直に眞赤にならッしゃらうぢゃまで。速うお寺へ。予はまた別の方へ往て梯子を取って來ねばならぬ、其梯子でお前の戀人が、今宵暗うなるが最後、鳥の巣へ登らッしゃるのぢゃ。予は只もう齷齬とお前を喜ばさうと念うて。したが、やがて夜になると、お前も骨が折れうぞや。さ、予は食事をせう。貴孃は庵室へ速うゆかしゃれ。
ヂュリ 速う其幸福に!……乳母や、きげんよう。
第六場 同處。ロレンス法師の庵室。
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ロレンス法師が先に、ロミオ從いて出る。
ロレ 諸天善神、願はくは此神聖なる式に笑ませられませい、ゆめ後日悲哀を降さしまして御譴責遊ばされますな。
ロミオ アーメン、アーメン! 如何な悲哀が來ようとも、姫の顏を見る嬉しさの其刹那には易られない。神聖い語で二人の手を結び合はして下されば、戀を亡す死の爲に此身が如何樣にならうとまゝ。妻と呼ぶことさへ叶へば、心殘りはない。
ロレ さうした過激の歡樂は、とかく過激の終を遂ぐる。火と煙硝とが抱合へば忽ち爆發するがやうに、勝誇る最中にでも滅び失せる。上なう甘い蜂蜜は旨過ぎて厭らしく、食うて見ようといふ氣が鈍る。ぢゃによって、戀も程よう。程よい戀は長う續く、速きに過ぐるは猶遲きに過ぐるが如しぢゃ。
それ、姫が來せた。おゝ、あのやうな輕い足では、いつまで蹈むとも、堅い石道は磨るまいわい。戀人は、夏の風に戲れ遊ぶあの埓もない絲遊に騎かっても、落ちぬであらう。さほどに輕いものが空な歡樂!
ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父さま、ごきげんよろしう!
ロレ 其お返禮は、二人分、ロミオの口から。
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮が多過よう。
ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日を嬉しい、かたじけないと思ふ心が予と同じに滿腔なら、しかもそれを現す力が予よりも多いなら、今日の出會で二人が感ずる此夢のやうな嬉しさを、床しい天樂のやうな卿の聲で、四邊の空氣も融解くるばかりに、なつかしう奏でゝ下され。
ヂュリ 内實の十分な思想は、言葉の花で飾るには及ばぬ。算へらるゝ身代は貧しいのぢゃ。妾の戀は、分量が大きう/\なったゆゑに、今は其半分をも計算することが出來ぬわいの。
ロレ さゝ、予と一しょにござれ。速う濟してのけう。慮外ながら、尊い教會が二人を一人に合體さするまでは、さし對ひでゐてはなりませぬのぢゃ。
〈[#改ページ]〉
第三幕
第一場 ヹローナ。街上。
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マーキューシオー先に、ベンヺーリオー、侍童、下人等從いて出る。
ベンヺ マーキューシオーどの、もう歸らう。暑くはある、カピューレット家の奴等が出歩いてもゐる、出會したが最後、鬪爭をせねばなるまい。かういふ暑い日には、えて氣ちがひめいた血が騷ぐものぢゃ。
マーキュ おい、酒亭へ入った當座には、劍を食卓の下へ叩きつけて「神よ、願はくは此奴に必要あらしめたまふな」なぞといってゐながら、忽ち二杯目の酒が利いて、何の必要も無いのに、給仕人を敵手に引っこぬく手合があるが、足下が其仲間ぢゃ。
ベンヺ 予がそんな仲間か?
マーキュ さゝ、足下はイタリーで誰れにも負を取らぬ易怒男ぢゃ、直に怒るやうに仕向けられる、仕向けらるれば直怒る。
ベンヺ して何にするんぢゃ?
(此原詞は“And what to?”「して何の爲に?」といふ義。マーキューシオーはそれをわざと“And what two?”の意味に取りて例の駄洒落のキッカケとする。)
マーキュ 何人? いや、足下のやうなのが二人とゐたら、忽ち殺しあうてしまはうから、二人ともゐなくならう。はて、足下なぞは髭の毛一筋の多い少ないが原でも叩き合ふ。或ひは足下の目の色が榛色ぢゃによって、そこで相手が榛の實を噛割ったと言ふだけの事で、鬪爭を買ひかねぬ。その眼でなうて、そんな鬪爭を買ふ眼が何處にあらう? 足下の頭には鷄卵に黄蛋が充實ってゐるやうに、鬪爭が充滿ぢゃ、しかも度々打撲されたので、少許腐爛氣味ぢゃわい。足下は、街中で咳をして足下の飼犬の日向ぼこりを驚かしたと言うて、或男と鬪爭をした。復活祭前に新調胴衣を着たと言うて、或裁縫師と掴み合ひ、新しい靴に古い紐を附けをったと言うて、誰某とも爭論み合うた。それでゐて俺に鬪爭をすまいぞと異見めいたことを被言ゃるのか?
ベンヺ 予が足下ほど鬪爭好と言ふことが實なら、無條件で此命を一時間位は賣ってやってもよいわい。
マーキュ ろはぢゃ! ろッはッは! ろッはッは!(と笑ふ)。
チッバルトを先に、カピューレットの黨人出る。
ベンヺ や、カピューレットのやつらが來をった。
マーキュ へん、かまふものかえ。
チッバ 俺に附着いて來う、彼奴等と談じてくれう。……(ベンヺーリオーらに)諸氏、機嫌よう。一言申したうござる。
マーキュ ただ一言でござるか? 何かお添へなさい。一言兼一撃としたら如何ぢゃ?
チッバ 機會さへ與しゃらば、何時でも敵手になり申さう。
マーキュ 此方から與さねば、其方では機會が出來ぬと被言るか?
チッバ マーキューシオー、足下は平生あのロミオと調子を合せて……
マーキュ 何ぢゃ、調子を合せて? 吾等を樂人扱ひにするのか? 樂人扱ひに爲りゃ、耳を顛覆らする音樂を聞す。準備せい。(劍に手を掛けて)乃公の胡弓は此劍ぢゃ、今に足下を踊らせて見せう。畜生、調子を合す!
ベンヺ こゝは往來ぢゃ、どうぞ閑寂な處で冷靜に談判をするか、さもなくば別れたがよい。衆人が見るわ。
マーキュ 見る爲の眼ぢゃ、見るがえいわ。他が如何思はうと介意ふものかえ。
チッバ 足下とは中直りぢゃ。あそこへ奴が來をった。
マーキュ 奴ぢゃ? へん、ロミオが足下の奴なものか? 何時足下が給服を着せた? はて、先に立って決鬪場へ行きゃれ、ロミオも隨行をせう。それが奴の役なら、ロミオは足下樣のお抱奴ぢゃ。
チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、足下に對する俺が情合からは是限しか言へぬ。……汝は惡漢ぢゃ。
ロミオ チッバルト、足下を愛する仔細があって、怒らねばならぬ其挨拶をもわるうは取らぬ。予は惡漢ではない。さらば、足下は予を知らぬのぢゃ。
チッバ 小僧め、それが無禮の辨解にはならぬぞ。戻って拔劍け。
ロミオ 予は無禮をした覺えはない、いや、其仔細の分るまでは迚も會得のゆかぬ程に予は足下を愛してゐるのぢゃ。カピューレットどの、予は今カピューレットといふ其名前を我名も同樣に大切に思うてゐる、まゝ、堪忍さっしゃれ。
マーキュ おゝ、柔弱い、不面目な、卑劣な降參! 此上は劍あるのみぢゃ。(劍を拔く)。チッバルト、いやさ、猫王どの、お往きゃらうか?
チッバ 何ぞ俺に用があるか?
マーキュ 猫王どの、九箇あるといふ足下の命が只一つだけ所望したいが、其後の擧動次第で殘る八箇も叩き挫くまいものでもない。耳形の𣠽を掴んで其劍をお拔きゃれ、速うせぬと乃公の劍が足下の耳元へお見舞ひ申すぞ。
チッバ 合點だ。
ロミオ マーキューシオー君、まア/\、劍を。
マーキュ さ、突いて來い。
ロミオ 拔劍け、ベンヹローナの街頭で鬪諍をしてはならぬ筈ぢゃ。これさ、チッバルト! マーキューシオー!
此立𢌞りの間にマーキューシオーはチッバルトに突かるゝ。
チッバルト及び其黨人入る。
マーキュ やられた! 畜生、兩方の奴等め! やられたわい。去にをったか、彼奴め無創で?
ベンヺ や、手を負うたか足下は?
マーキュ 唯、唯、引掻かれた/\。はて、これで十分ぢゃ。侍童めは何處にをる? 小奴、はよ往って下科醫者を呼んで來い。
ロミオ これ、氣を確に。手傷は決して重うはない。
マーキュ さうぢゃ。井戸ほどに深くも無ければ、教會の入口程には廣くもない、が十分ぢゃ、役には立つ。明日訪ねてくれい、すれば墓の中から御挨拶ぢゃ。先づ乃公の一生も、誓文、總仕舞が澄んでしまうた。……畜生、兩方の奴等め!……うぬ! 犬、鼠、鼷鼠、猫股、人間を引掻いて殺しをる! 一二三で劍を使ふ駄法螺吹家め! 破落戸、惡黨! 何で眞中へ飛込んだんぢゃ足下は! 足下の腕の下でやられた。
ロミオ みんな爲を思うてしたのぢゃ。
マーキュ おい、ベンヺーリオー、何處ぞ家の中へ伴れて行ってくれ、速うせぬと氣絶しさうぢゃ。畜生、兩方の奴等! とう/\俺を蛆蟲の餌食にしてしまひをった。參った、しっかり參った。畜生、兩方の奴等!
ベンヺーリオーに介抱せられて、マーキューシオー入る。
ロミオ 領主には近親たる信友のマーキューシオーが俺故あのやうな重傷を負ひ、俺はまた只一時程縁者となったあのチッバルト故に汚名を受けた。おゝ、ヂュリエット、卿の艶麗さが俺を柔弱にならせて、日頃鍛うておいた勇氣の鋒が鈍ってしまうた。
ベンヺ おゝ、ロミオ/\、マーキューシオーはお死にゃったぞよ! あの勇敢な魂は氣短に此世を厭うて、雲の上へ昇ってしまうた。
ロミオ けふの此惡運は此儘では濟むまい。これは只不幸の手始、つゞく不幸が此結局をせねばならぬ。
ベンヺ 我武者のチッバルトめが又來をった。
ロミオ なに、無事で、勝誇って? マーキューシオーが殺されたのに! 此上は禮儀も寛大も天外に抛った。燄を眼の忿怨神よ、案内者となってくれい!……(チッバルトに對ひ)やい、チッバルト、先刻足下が俺にくれた「惡漢」の名は今返す、受取れ。マーキューシオーの魂がつい頭上に立迷うて同伴者を求めてゐる、足下か、俺か、兩人ながらか、同伴をせねばならぬぞ。
チッバ 青二才どの、最初同伴って來た足下ぢゃ、冥土へ行くも一しょにお往きゃれ。
ロミオ それは此劍が決めるわ。
二人鬪ふ。チッバルト倒るゝ。
ベンヺ ロミオ、速う! 速う迯げた! あれ、市人が騷ぎはじむる。チッバルトは落命ぢゃ。狼狽へてゐるところでない。捕へられたならば、領主は死罪を宣告せう。速う落ちた、速う/\!
ロミオ おゝ、俺ゃ運命の玩弄物ぢゃわい!
ベンヺ おい、何をしてゐるのぢゃ?
甲市人 マーキューシオーを殺した奴は何方へ逃げました? 人殺しのチッバルトは何方へ逃げました?
ベンヺ そこにゐるのがチッバルトでござる。
甲市人 ござれ、吾等と一しょに。御領主の命でござる、ござれ。
此時、領主公爵、多勢の從者を引連れて出る。モンタギュー長者夫婦、カピューレット長者夫婦、其他多勢出る。
領主 その不埓な爭鬪を始めた者共は何方にをる?
ベンヺ 憚りながら、此不運なる騷擾のあさましき經緯は手前が言上いたしませう。それに倒れをりまする男が御親戚のマーキューシオーどのを殺害しましたるをロミオと申す若人が討取ってござります。
カピ妻 なに、チッバルト! おゝ、わしの甥の、弟の子の! おゝ、御領主! おゝ、甥よ! わが夫! おゝ、大事の/\、親族の血汐が流されてゐる! 公平な御領主さま、モンタギューの血を流して吾等のを償うて下さりませい。おゝ、甥よ/\!
領主 ベンヺーリオーよ、此無慚な鬪諍を始めたのは誰れぢゃ?
ベンヺーリオーが命を召されませう。
カピ妻 此仁はモンタギューの親戚ゆゑ、贔屓心がさもない事を申させまする。此不正な爭鬪には二十人餘も關係うて只一人を殺したに相違ござりませぬ。殿さまに願ひまする、是非ともお成敗の下さりませい。ロミオはチッバルトを殺したからは、生してはおかれませぬ。
領主 ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺したとすれば、マーキューシオーの血を償ふべき者は誰れぢゃ?
モン長 それはロミオではござりませぬ、彼れはマーキューシオーどのゝ親友でござる。倅が曲事は國法によって絶たるべきチッバルトの命を絶ったまでゝござります。
領主 其曲事ゆゑに、即刻追放を申附くる。汝等の偏執に予等までも卷込まれ、其粗暴の鬪諍によって我血族の血汐を流した。わが此不幸を汝等にも悔ます爲、きびしい科料を課さうずるわ。陳辯も分䟽も聽かぬ。涙も祈祷も罪をば贖はぬぞよ。それゆゑに何も申すな。急ぎロミオを退去らせい。さもなうて見附けられなば、其時が即て最期ぢゃ。此死骸を荷ひゆきて、予が命を待て。人殺しを憫むは人を殺すにひとしいわい。
第二場 同處。カピューレットの庭園。
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ヂュリ 驅けよ速う、火の脚の若駒よ、日の神の宿ります今宵の宿へ。フェートンのやうな御者がゐたなら、西へ/\と鞭をあてゝ、すぐにも夜を將れて來うもの、曇った夜を。隙間もなう黒い帳を引渡せ、戀を助くる夜の闇、其闇に町の者の目も閉がれて、ロミオが、見られもせず、噂もされず、予の此腕の中へ飛込んでござらうやうに。戀人は其麗しい身の光明で、戀路の闇をも照らすといふ。若し又戀が盲ならば、夜こそ戀には一段と似合ふ筈。さア、來やれ、夜よ、黒づくめの服を被た、見るから眞面目な、嚴格しい老女どの、速う來て教へてたも、清淨無垢の操を二つ賭けた此勝負に負ける工夫を教へてたも。汝の黒い外套で頬に羽ばたく初心な血をすッぽりと包んでたも、すれば臆病な此心も、見ぬゆゑに強うなって、何するも戀の自然と思ふであらう。夜よ、來やれ、速う來やれ、ローミオー! あゝ、夜の晝とはお前の事ぢゃ。夜の翼に降りたお前は、鴉の背に今降りかゝる其雪の白う見ゆるよりも白いであらう。速う來い、やさしい、懷しい夜の闇、さ、予のロミオを賜もれ。ロミオがお死にゃれば、汝に遣らう程に、細截いて星にせい、したら大空が見かはすばかり美しうなって、世界中の者が夜に惚れ、もう誰れもあの爛々した太陽を拜まぬやうにもなるであらう。おゝ、戀の屋敷は買うたれど、おのが住居にはまだならぬ、身は人に賣ったれど、まだ賞翫はして貰へぬ。あゝ、待つ間がもどかしい、祭の前の晩に氣をいらつ子供のやうに、製へて貰うた晴着はあっても、被ることが成らぬので。……おゝ、あれ、乳母が。きっと消息ぢゃ。ロミオの名をでも告ぐる舌は天人の聲と聞ゆる。……これ、乳母、何の消息ぢゃ? 持ってゐやるは何ぢゃ? ロミオが取って來いと言やった綱かや?
乳母 あい/\、綱ぢゃ。
ヂュリ あゝ、まア! 何事が起ったのぢゃ? 何で其方は手を絞るのぢゃ?
乳母 あゝ、かなしや! 死なしゃった/\/\! もう無效でござります、もう無效でござります。あゝ、かなしや!……逝なしゃった、殺されさっしゃった、死なしゃった!
ヂュリ え、それほどに天が無慈悲か!
乳母 天は如何あらうと、ロミオは無慈悲ぢゃ。おゝ、ロミオどのが、ロミオどのが! ……誰れが思ひがけうぞい? ロミオどのが!
ヂュリ 何で予に氣を揉すのぢゃ? 其樣な怖しい唸り聲は地獄でなうては聞かれぬ筈ぢゃ。ロミオが自害でもなされたか? これ、唯と言って見や、その唯といふ一言が、只一目で人を殺す毒龍の目にもまして、怖しい憂目を見する。其樣な羽目とならば、予の身は最早駄目ぢゃ。これ、お死にゃったが實ならば、唯と言や。さうでなくば否と言や。たった一言二言で此身の生死が決るのぢや〈[#「決るのぢや」はママ]〉。
乳母 其創を見ましたが、此眼で見ましたが……南無さんぼう!……ちょうど此お立派な胸元に。いた/\しい、無慚な、いた/\しい死顏。蒼白う、灰のやうに蒼白うなって、血みどろになって、どこもどこも血が凝りついて。見ると其儘、わしゃ氣を失なうてしまひましたわいの。
ヂュリ おゝ、裂けよ! 此胸よ! 破産した不幸な心よ、一思ひに裂けてしまうてくれい! 目も此上は牢へ入れ、もう自由を見るな! 穢しい塵芥め、元の土塊へ歸りをれ、活きて働くには及ばぬわい、ロミオと一しょに同じ柩車の積荷となりをれ!
乳母 おゝ、チッバルトどの、チッバルトどの、此上もない頼もしいお方であったに! おゝ、お懇なチッバルトどの! お立派なお方! お前が亡くならっしゃるのを生きてゐて見ようとは!
ヂュリ や、こりゃ、風向が變うたわ、如何した暴風雨ぢゃ? ロミオが殺されて、そしてチッバルトもお死にゃったか? 大事な從兄も、尚ほ大事なロミオどのも? もしさうならば、大審判日の喇叭手よ、世は最早絶滅ぢゃと宣告せい! あの二人が逝にゃったなら、生きてゐる甲斐はない!
乳母 チッバルトどのはお死にゃって、ロミオどのは追放ぢゃ。下手人のロミオどのは追放にならッしゃったのぢゃ。
ヂュリ おゝ/\!……あのロミオの手でチッバルトを?
乳母 さよぢゃ/\。あゝ/\、さよぢゃわいの!
ヂュリ おゝ、花の顏に潛む蝮の心! あんな奇麗な洞穴にも毒龍は棲ふものか? 面は天使、心は夜叉! 美しい虐君ぢゃ! 鳩の翼被た鴉ぢゃ! 狼根性の仔羊ぢゃ! 見た目は神々しうて心は卑しい! 外面とは裏表! いやしい聖僧、氣高い惡黨! おゝ、造化主よ、あのやうな可憐しらしい人間の肉體にすら夜叉の魂を宿らせたなら、地獄の夜叉の肉體には何者を住ませうとや? あんな内容にあのやうな表紙を附けた書があらうか? あんな華麗な宮殿に虚僞譎詐が棲はうとは!
乳母 さゝ、頼まれぬ、信ぜられぬ、不正直は男の習ひぢゃ。どれも/\譃吐、誓言破り、ろくでなしの詐僞者ぢゃ。あゝ、彼僮めは何處へ往にをったぞ? 火酒を持て來てくりゃ。此苦しみ、此歎き、此悲しみで、わしゃ齡を取ってしまふわいの。ロミオの奴、恥掻きをれ!
ヂュリ そのやうなことを言ふ汝の舌こそ腐りをれ! 恥を掻かしゃる身分かいの、彼方の額には恥などは恥かしがって能う坐らぬ。あれこそは此世の名譽といふ名譽が、只った一人王樣となって、坐る帝座ぢゃ。おゝ、何といふ獸物ぢゃ予は、かりにも彼の方を惡ういふとは!
乳母 從兄どのを殺した人をお前は善う言はうでな?
ヂュリ 殿御ぢゃ、惡う言うてならうか! あゝ、我夫、どの舌で滑ッこうせうぞ、つい三時が程連添うた妻の口で創だらけにしたお前の名を? とは言ひながら何故殺した汝は、予の從兄を? さア、お前をば從兄めが殺したでもあらうによって。戻れ、おろかな涙め、元の泉へ戻りをれ。悲歎に献ぐる貢を間違へて喜悦に献上せをる。チッバルトが殺したでもあらう我夫は生存へて、我夫を殺したでもあらうチッバルトが死んだのぢゃ。すれば、嬉しいことばかり、予ゃ何で泣くのぢゃ? 最前聞いた一言が、その一言が、チッバルトが死にゃったよりも悲しいのぢゃ。辛い、忘れたい。おゝ、それが切實と思ひ出さるゝ、怖しい罪惡を罪人が忘れぬやうに。「チッバルトは死なしゃれた、そしてロミオは……追放!」……「追放」……其「追放」といふ一言がチッバルトを一萬人も殺してのけた。チッバルトが死にゃったばかりでも可い程の不幸であったものを。若し又不幸は同伴を好み、是非とも他の不幸を同伴って來ねばならぬなら、「チッバルトが死なしゃれた」というた次に、父さまとか、母さまとか、乃至お二人もろともとか、乳母が何故言ひをらぬ。すればまだしも尋常の憂悲歎で濟まうものを。チッバルトがお死にゃった上に、殿りに「ロミオは追放」。追放と聞くからは、父母もチッバルトもロミオもヂュリエットも皆々殺されてしまうたのぢゃ。「ロミオは追放!」其一言が人を殺す力には際も量も限も界も無いわいの。言葉では言ひ盡されぬ不幸ぢゃ。……なう、父樣や母樣は何處にぢゃ。
乳母 チッバルトどのゝ死骸に取着いてお泣きゃってでござります。彼方へ往かしゃるなら案内をしませう。
ヂュリ 涙で創口を洗はしゃるがよい、其涙の乾る頃にはロミオの追放を悔む予の涙も大概盡う。其綱を拾うてたも。……ても憫然な綱よの、汝等は欺されたなう、汝等も予もぢゃ、ロミオが追放になりゃったによって。ロミオは汝等をば寢室への通路にせうとお思やったに、予は志望を能い遂げいで、處女のまゝで世を去るのぢゃ。さ、綱よ。さ、乳母よ。これから婚禮の床へ往かう。ロミオではない死神よ、予は此身を任さうわいの!
乳母 速う居間へゆかしゃれ。お前を喜ばす眞實のロミオを搜して來う。其居處は知ってをる。これの、こちのロミオどのは、今宵こゝへ來やしゃる筈ぢゃ。わしが往て呼んで來う。はて、ロレンスさまの庵室に、ロミオは隱れてござらッしゃります。
ヂュリ おゝ、速う逢うて! そして此指輪を予の勳爵士どのに手渡して、訣別にござるやう傳へてたも。
第三場 同處。ロレンス法師の庵室。
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ロレ ロミオよ、出てござれ、出てござれよ、こりゃ人目を怕れ憚る男。あゝ、卿は憂苦勞に見込まれて、不幸と縁組をお爲やったのぢゃわ。
ロミオ 師の御坊か、消息は何とぢゃ? 殿の宣告は何とあったぞ? まだ知らぬ何樣な不幸が、予と知合にならうといふのぢゃ?
ロレ されば、其可厭友達衆に和子は親しみが多過ぎるわい。お宣告を知らせに來た。
ロミオ 一定、命を召されうでな?
ロレ いや、寛大なお宣告、一命は召されいで、追放にせいとの命令ぢゃ。
ロミオ なに、追放! 慈悲ぢゃ、死罪と言うて下され。謫竄の身となるは死ぬるよりも怖しい。追放と言うて下さるな。
ロレ いや、ヹローナからは追放ぢゃが、世界は廣い、まゝ、落着いてござれ。
ロミオ ヹローナの市を離れては世界は無い、有るものは只煉獄ぢゃ、苛責ぢゃ、地獄ぢゃ。此處から逐はるゝは世界から逐はるゝも同じ事、世界から逐はるゝは殺さるゝも同じ事、すれば追放とは死罪の隱し名ぢゃ。死罪の事を追放といはッしゃるは、黄金の斧鉞で予の首を刎ねておいて、汝は幸福ぢゃと笑うてござるやうなものぢゃ。
ロレ おゝ、罪深や/\! おゝ、作法知らず、恩知らず! これ、卿の罪科は國法では死罪とある、然るに慈悲深い御領主が卿の肩を持ち、御法を曲げ、怖しい死罪の名を追放とは變へさせられた。其難有いお慈悲が分らぬか!
ロミオ 慈悲ではなうて、そりゃ苛責ぢゃ。ヂュリエットがゐやる此處は天國、こゝに住む限りは猫も犬も鼷鼠も、どのやうな屑々物も、姫の顏が見らるゝゆゑ天國にゐるのぢゃが、ロミオにはそれが能はぬ。腐肉に集る蒼蠅でもロミオには優す幸福者ぢゃ、風雅びた分際ぢゃ。彼奴等は可憐しいヂュリエットの手の白玉を掴むことも出來る、また姫の脣から……其上下の脣が、淨い温淑な處女氣で、互ひに密接と合ふのをさへ惡いことゝ思うてか、いつも眞赤になってゐる……其姫の脣から永劫死なぬ天福を窃と盜むことも出來る、ロミオにはそれが能はぬ。ロミオは追放の身の上ぢゃ。蒼蠅でも能うすることをロミオばかりは能うせぬ、彼奴等は自由の身、吾等は追放! これでも足下は追放を死罪でないとおしゃるかいの? 調合した毒はないか、研ぎすました刃はないか、如何に卑しうても大事ない、一思ひに死ぬ法は無いか?……「追放」……「追放」で殺さるゝのは俺ゃ否ぢゃ! おゝ、御坊よ、追放とは墮獄の輩が用ふる語、唸り聲が附物。そのやうな語を聞かせて予を切りさいなむとは酷いわい、つれないわい、それでも高僧か、司悔僧か、教導師か、莫逆と誓うた信友か?
ロレ はてさて、愚な狂人どの、ま、予の言ふことを聽かっしゃれ。
ロミオ きっとまた追放といふことを被言るであらう。
ロレ いや、其語の鋭鋒を防ぐ甲冑を與さう。逆境の甘い乳ぢゃと謂ふ哲學こそは人の心の慰め草ぢゃ、よしや追放の身とならうと。
ロミオ それ、また「追放」と! えゝ、哲學め、腐りをれ! 哲學でヂュリエットが出來、市が移され、領主の宣告が取消さるれば知らぬこと、哲學が何の役に立つ、何にならう? もう聽かぬ。
ロレ おゝ、すれば狂人には耳が無いと見える。
ロミオ 無い筈ぢゃ、賢い人にさへ目が無い世ぢゃ。
ロレ いや、卿の今の身の上について、談じたい事があるのぢゃ。
ロミオ 身に感じておゐやらぬ事を、何で談ずることが出來う。足下が予程に齡が若うて、あのヂュリエットが戀人で、婚禮の式を擧げて只一時も經たぬうちにチッバルトをば殺して、予のやうに戀ひ焦れ、予のやうにあさましう追放された上でなら、予に談ずることも出來うずれ、このやうに頭髮を掻毟って、ま此樣に地上に倒れて、まだ掘らぬ墓穴の尺を取ることも出來うずれ!
ロミオ頭髮を掻毟り仰向に倒れて歎く。此時奧にて戸を叩く音。
ロレ 起ちゃれ。案内がある。ロミオや、速う身を匿しゃれ。
ロミオ 俺ゃ匿れぬ。胸の惱悶の唸きの息が霧のやうに立籠めて追手の目を塞いだら知らぬこと。
ロレ あれ、あの叩くことは!……誰れぢゃな!……速う起ちゃ。捕へられうぞよ。……暫く/\!……立ちゃ/\。
予の書齋へ。……只今々々!……はてさて、愚かにも程があるわ!……はい/\、只今參ります!
けたゝましうお叩きゃるは何人ぢゃ? どこから見えたぞ? 何の御用ぢゃ?
乳母 (内にて)用は入ってから申しまする、ヂュリエットさまからでござります。
ロレ なれば、ようこそ。
戸を開くる、乳母入來る。
乳母 おゝ、御坊さま、御坊さま、姫さまの殿御は何處にござらッしゃります、ロミオさまは何處に?
ロレ それ、そこに地上に、おのが涙に醉うて。
乳母 おゝ/\、こちの姫さまも、ま、ちょうど其通りぢゃがな!
ロレ ても、いたましい悲哀の感應! 氣の毒な境遇!
乳母 こちのも其通りに平伏って、泣面かいて、哭立てゝぢゃ。立たッしゃれ/\。男なら立たッしゃりませ。姫の爲ぢゃ、ヂュリエットどのの爲ぢゃ、起きさッしゃれ、立たしませ。(此時ロミオ唸く。)何で其樣に歎かッしゃるのぢゃ、何で其樣に大業に?
ロミオ (俄に起ち上りて)おゝ、乳母!
乳母 あゝ、もし! これさ、もし! はて、死ぬれば何もかも結局ぢゃがな。
ロミオ 今ヂュリエットと被言ったの? 姫は何としてぢゃ? 姫は予を二人が中の歡樂の其水子を姫の身内の血で汚した怖しい殺人者と思うてはゐやらぬか? 何處にぢゃ? 何としてぢゃ? わしの内密妻は破れた互ひの誓文を何と言うてぢゃ?
乳母 おゝ、何も言はッしゃらいで、泣いてばっかり。寢床の上に倒れさっしゃるかと思ふと、即て又飛び起きてチッバルトと呼ばらっしゃる、かと思ふと、ロミオと呼ばって、又横倒しにならっしゃります。
ロミオ すりゃ、其名前に胸板を射拔かれたやうに思うて、其名前の持主が大事の近親を殺したゆゑ。おゝ、御坊、をしへて下され、此肉體の何のあたりに、予の醜穢しい名は宿ってゐるぞ? さ、をしへて下され、其憎い居所を切裂いてくれう。
ロレ まゝゝ、滅相なことをすまい。これ、男ではないか? 姿を見れば男ぢゃが、其涙は宛然の女子ぢゃ。狂氣めいた其振舞は理性のない獸類同然。男らしうも女らしうも見えて、獸類らしうも見ゆる見ともない振舞! はてさて、呆れ果てた。誓文、予は今少し立派な氣質ぢゃと思うてゐたに。チッバルトを殺した上に、おのが身をも殺さうとや? 自ら墮地獄の罪を犯して、卿ゆゑにこそ生きてゐやるあの姫をも殺さうとや? 何で卿は出生を呪ひ、天を、地を呪ふのぢゃ? 生と天と地と此三つが相合うて出來た身をば、つい無分別に棄てうでな? 馬鹿な、馬鹿な! 姿を、戀を、分別を辱むる振舞といふものぢゃ。譬へば、吝嗇者のやうに貨は夥しう有ってをっても、正しう用ふることを知らぬ、姿をも、戀をも、分別をも、其身の盛飾となるやうには。卿の其氣高い姿は徒の蝋細工同樣、男の勇氣からは外れたものぢゃ。卿の戀の盟約は内容の無い空誓文、なりゃこそ養育まうと誓うた戀をも殺してのけうと爲やるのぢゃ、卿の分別は姿や戀の飾ぢゃが、本體が善うないので不具となり、愚な卒が藥筐の火藥のやうに、扱ひかたがわるいので爆發し、我れと我が武器で身を滅す。こりゃ、しっかりとお爲やらう! つい最前まで戀しさに死ぬる苦しみを爲てござった其戀人のヂュリエットは恙ない。すれば、それが先づ幸福。またチッバルトは卿を殺したでもあらうずに、卿がチッバルトを殺した。それもまた一つの幸福。次に死罪ともあるべき國法は卿の身方となって追放で事濟み。それもまた一つの幸福。天の恩惠は重ね/″\脊に下り、幸福が餘所行姿で言寄りをる。それに何ぢゃ、意地くねの曲った少女のやうに、口先を尖らせて運命を呪ひ、戀を呪ふ。氣を附けゃ、氣を附けゃ、さういふ輩があさましい最期を遂ぐる。さゝ、豫定通り、戀人の許へ往て、居間へ攀ぢ登り、速う慰めてやりめされ。したが、夜番の置かれぬうちに別れませうぞ、マンチュアへ往かれぬやうになってはならぬ。マンチュアに蟄してゐやる間に、わしが機を見て二人が内祝言の顛末を公にし、兩家の確執を調停し、御領主の赦を乞ひ、やがて卿を呼返すことにせう、其折の喜悦は出て行く今の悲痛の千萬倍であらうぞよ。……乳母、先へ往きゃれ。姫によう傳へたもれ、家内中を早う就褥しめさと被言れ、歎きに疲れたれば眠むるは定ぢゃ。ロミオは今直參らるゝ。
乳母 はれま、結構なお教訓ぢゃ、夜すがら此處に居殘っても、聽聞がしたいわいの。てもま、學問は偉いものぢゃな! 殿さん、貴方が來さしますことを姫さまに申しましょ。
ロミオ さういうて、戀人に、叱る準備をさせてたもれ。
乳母 もしえ、この指輪は姫さまから、わしに貴下へ上げませいと言うて。さ、速う、急がしゃれ、甚う夜が深けたによって。
ロミオ おゝ、これで心が安らいだわ!
ロレ さ、速う往きゃれ。さらばぢゃ。貴下の幸運は只此一つに繋る、夜番の置かれぬうちに出立するか、さなくば夜明くる頃姿を窶して此市を遠ざかるか、二つに一つぢゃ。マンチュアに蟄してござれ、忠實な僕を求め、時折、其男して此方の吉左右を知らせう。さ、手を。もう晩い。さらばぢゃ、機嫌よう。
ロミオ 此上も無い歡樂が予を呼ぶのでなかったら、斯う早急に別るゝのは悲しいことであらう。恙なうござりませ。
二人左右に別れて入る。
第四場 同處。カピューレット家の一室。
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カピューレット長者、同じく夫人及びパリス出る。
カピ長 かやうな珍變が起ったによって、女に説き聞す暇もござらなんだ。女もチッバルトを甚う懷しう思うてをったに、また吾等とても同樣ぢゃに。さりながら人は皆死ぬるやうに生れたもの。もう今宵は晩うござる、女は降りては參るまいぢゃまで。貴下がござったればこそ、さもなくば吾等とても、一時も前に、臥床んだでござらう。
パリス かういふ愁傷の最中には祝言の話も出來まい。お内かた、おさらばでござる。娘御によろしう傳へて下され。
カピ妻 心得ました、女の心は明日早う質しましょ。今宵は悲嘆に囚はれて、閉籠めてのみ居まする。
カピ長 いや、なう、パリスどの、女は敢て献じまする。彼れめは何事たりとも吾等の意志には背くまいでござる、いや、其儀は聊も疑ひ申さぬ。……奧よ、其許は寢る前に女に逢うて、婿がねパリスどのゝ深い心入の程を知らせて、よいかの、次の水曜日には……いや、待ちゃれ、けふは何曜日ぢゃ?
パリス 月曜日でござる。
カピ長 月曜日! はゝア! かうッと、水曜日はちと急ぢゃ。木曜日にせう。……女に、木曜日には此殿と祝言さすると被言れ。ようござるか? 此早急に異議はござらぬか? 業々しうはすまい、ほんの近しい輩一兩名、はて、何故と被言れ、近親チッバルトが殺されて間がないことゆゑ、盛宴を催すときは無情な行爲とも思はれうによって。されば、近しい友達をば只五六名限り招くことにしませう。……したが、貴下、木曜日でようござるか?
パリス 吾等は其木曜日が明日であってほしうござる。
カピ長 さらば、先づお歸りあれ。なれば木曜日と定めまする。……卿は寢る前に女に逢うて、當日の準備をさせたがよい。……おさらばでござる。予が居間へ燭火を持て! はれやれ、晩うなったわい、こりゃ軈てお早うと言はねばなるまい。……さゝ、お休みなされ。
パリスと夫婦と左右に分れて入る。
第五場 同處。カピューレットの庭園。
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ロミオとヂュリエットと樓上の窓口に現るゝ。
ヂュリ 去うとや? 夜はまだ明きゃせぬのに。怖ってござるお前の耳に聞えたは雲雀ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎に彼處の柘榴へ來て、あのやうに囀りをる。なア、今のは一定ナイチンゲールであらうぞ。
ロミオ いや/\、旦を知らする雲雀ぢゃ、ナイチンゲールの聲ではない。戀人よ、あれ、お見やれ、意地の惡い横縞めが東の空の雲の裂目にあのやうな縁を附けをる。夜の燭火は燃え盡きて、嬉しげな旦めが霧立つ山の巓にもう足を爪立てゝゐる。速う往ぬれば命助かり、停まれば死なねばならぬ。
ヂュリ あの光明は朝ぢゃない、いえ/\、朝日ではないわいの。ありゃ太陽がお前の爲に、今宵マンチュアへの道案内に炬火持の役さしょとて、急に呼出した光り物ぢゃ。ぢゃによって、大事ない、まだ去しゃるには及ばぬ。
ロミオ 捕はれうと、死罪にならうと、恨はない、卿の望とあれば。あの灰色は朝の眼で無いとも言はう、ありゃ嫦娥の額から照返す白光ぢゃ。また吾等の頭の上で大空高う鳴響くあの奏樂も、雲雀の聲では無いと言はう。去にたいよりも此處に居たいが幾層倍ぢゃ。さ、死よ、來れ、喜んで迎へう! それがヂュリエットの望ぢゃ。さ、戀人、どうぢゃ? もっと話さう。朝ではない。
ヂュリ いや、朝ぢゃ、朝ぢゃ。速う去しませ、速う/\! 聞辛い、蹴立たましい高調子で、調子外れに啼立つるは、ありゃ雲雀ぢゃ。雲雀の聲は懷しいとは虚僞、なつかしい人を引分けをる。蟇と目を交換へたとは事實か? ならば何故聲までも交換へなんだぞ? あの聲があればこそ、抱きあうた腕と腕を引離し、朝彦覺す歌聲で、可愛しいお前を追立てをる。おゝ、速う去しませ、だん/″\明るうなって來る。
ロミオ 明るうなればなる程、暗うなる二人が身の上。
乳母 姫さま!
ヂュリ 乳母か?
乳母 御方樣が只今お居間へ入らせられます。夜は明けた、もし、油斷なう心を配って。
ヂュリ なりゃ、窓よ、日光を内へ、命を外へ。
ロミオ おさらば、おさらば! これを名殘に(と接吻して)降りて去う。
ヂュリ (樓上より)お前もう去しますか? あゝ、戀人よ、殿御よ、わが夫よ、戀人よ! きっと毎日消息して下され。これ、一時も百日なれば、一分も百日ぢゃ。おゝ、そんな風に勘定したら、また逢ふまでには予は老年になってしまはう!
ロミオ さらばぢゃ! かりそめにも機會さへあれば消息を怠ることではない。
ヂュリ おゝ、また逢はれうかいの?
ロミオ 念には及ばぬ。今の此憂苦勞は、後の樂しい昔語ぢゃ。
ヂュリ おゝ、如何せうぞ! 心めが忌しい取越苦勞をさせをる。下にゐやしゃるのを此處から見ると、どうやら墓の底の死人のやう。目の故か知らねども、お前の顏が蒼う見ゆる。
ロミオ 眞實、予の目にも、卿の顏が然う見ゆる。憂悲愁が互ひの血汐を涸らしたのぢゃ。おさらば、おさらば!
ヂュリ おゝ、運命神よ、運命神よ! 皆が汝を浮氣者ぢゃといふ。いかに汝が浮氣であらうと、世に聞えた堅實な人を何とすることも出來まい。いや、やっぱり浮氣がよい、そしたら彼の人を直饜いて予へ返してたもらうによって。
カピ妻 (内にて)女や/\! 起きてかいの?
ヂュリ 誰れぢゃ呼ぶは? 母さまか知らぬ。晩うまで眠らいでか、早うから目を覺してか? 何事があって、見えたやら?
カピ妻 ま、其方、如何ぞしやったか?
ヂュリ 心地がわるうござります。
カピ妻 いつまでも從兄どのゝのことを悔んでゐやるか? これの、涙で洗うたら墓から出て來やると思うてか? 出て來やったとても生かすことは出來まい。ぢゃによって、思ひ切りゃ。歎くは愛情の深い證ぢゃが、餘りに深う歎くは分別の足はぬ證ぢゃ。
ヂュリ でも此樣な不幸は存分に泣いてのけたい。
カピ妻 存分にお泣きゃらうと、不幸な人が歸りはせぬ。
ヂュリ 返らぬことゝ思うても、存分に泣かいではをられぬ。
カピ妻 では、其方は、殺した當の惡黨が尚存へてゐくさるのを、然程にはお泣きゃらぬな?
ヂュリ え、惡黨とはえ?
カピ妻 あのロミオの惡黨。
ヂュリ (傍を向き)惡黨と彼の人では大きな相違ぢゃ!……神樣、あの者を赦させられませ! わたしは眞實赦してゐます。とは言へ、思ひ出すと、悲しうてなりませぬ。
カピ妻 と言ふのも、あの二心の下手人めが生存へてをるからぢゃ。
ヂュリ あい、さうぢゃ、わたしの此手が能う達かぬ遠い處に。わたしの手一つで從兄どのゝ敵が討ちたい。
カピ妻 敵は一定取ってやります。懸念には及ばぬ。すれば、最早泣きゃんな。あの追放人の無頼漢が住んでゐるマンチュアに使を送り、さる男に言ひ含めて尋常ならぬ飮物を彼奴めに飮ませませう、すれば即てチッバルトが冥途の道伴。さうなれば其方の心も慰まう。
ヂュリ ほんにロミオの顏を……死顏を……見るまでは、妾ゃ如何しても心が勇まぬ、從兄がお死にゃったのが、それ程に心に沁みて悲しい。母さま、其毒を持って行く使の男とやらが定ったら、藥は妾が調合せう、ロミオがそれを手に入れたら、直にも安眠しをるやうに。おゝ、彼奴の名を聞くと身が顫る。もどかしいなア、チッバルトを殺しをった彼奴の肉體をば掻毟って、懷しい/\從兄への此眞情を見することも出來ぬか!
カピ妻 方法は自身で工夫しやれ、使者は予が搜しませう。それはさうと、めでたい報道を持って來たぞや。
ヂュリ めでたい事とは耳寄りな、此樣な辛い時に。それは何樣な事でござります?
カピ妻 はて、其方は仁情深い父御をお有ちゃってぢゃ。其方に愁歎を忘れさせうとて、俄にめでたい日をお定めなされた、予も其方も曾ぞ思ひがけぬめでたい日を。
ヂュリ はれま、母樣、それはまた何樣な?
カピ妻 はて、女よ、次の木曜日の朝早う、あの風流な、立派な若殿のパリスどのが、セント・ピーターの會堂で、めでたう其方を花嫁御にお爲やる筈ぢゃ。
ヂュリ そのセント・ピーターの會堂懸けて、いゝや、ピーターどのをも誓言にかけて、何のそれがめでたからう! 嫁入はせぬわいの。何といふ早急ぢゃ。申入も聞かぬうちに婚禮とは何事ぢゃ? 父さまに言うて下され、わたしは嫁入はまだしませぬ。嫁入すれば如何あってもロミオへ往く、憎いと思ふあのロミオへ、パリスどのへ往くよりは。まア、ほんに、思ひがけない!
カピ妻 あれ、父御がわせた。自身で然う言うて、父御がそれを其方から聞いて、何と思はしゃるかを見たがよい。
カピューレット長者先に乳母從いて出る。
カピ長 日が沈むと露が降りるは尋常ぢゃが、甥の日沒には如瀧雨ぢゃ。どうぢゃ! 噴水像どの! え、まだ泣いておぢゃるか? え、いつまでも雨天つゞきか? 其許は只一つの小さい身體で、船にもなれば、海にも風にもなりゃる。先づ目は海ぢゃ、終始涙の滿干がある、身體は船、其鹽辛い浪を走る、溜息は風ぢゃ、涙の浪と共に荒〻荒るゝ、はて、和が急に來なんだら、命の船が顛覆ってしまふわい。……何とぢゃ、卿! 吩咐けた通りをお語りゃったか?
カピ妻 はい、申しましたなれど、有難うはござりますが、望まぬと言うてゐます。阿呆めは墓へ嫁入したがようござります!
カピ長 ま、待たしませ! 如何したと言はします、いさや、どうしたと被言るのぢゃ? え! 望まぬ? 有難いとは思はぬか? 其身の名譽ぢゃと思はぬか? おのれ、嬉しいとも思ひをらぬか、あのやうな、分不相應の貴人を親が婿にしてとらしたをば?
ヂュリ さア、名譽ぢゃとは思はねど、嬉しいとは思ひまする。嫌なものを名譽には能うせねど、其嫌なことも妾を可愛さにして下されたと思へば嬉しい。
カピ長 何ぢゃ、何ぢゃ! 小理窟屋が! 何ぢゃそれは? 「名譽ぢゃ」、「嬉しいと思ひまする」、「嬉しいと思ひませぬ」。しかも尚「名譽ぢゃとは思ひませぬ」はて、こゝな我儘どの、嬉しがったり名譽がったりする間に、其上等な脚節でも調査べておきゃ、次の木曜日にパリスと一しょに會堂へ行くために。さうでないと、簀子の上へ叩き伏せて、引摺って行かうぞよ。おのれ、萎黄病で死んだやうな面をしをって! うぬ/\、碌でなし! おのれ、白蝋面めが!
カピ妻 あさましい! 貴下は氣でも狂うたか?
ヂュリエット父の前に膝まづく。
ヂュリ もうし、父上、膝をついて願ひまする、たった一言堪忍して聽いて下され。
カピ長 くたばりをれ、碌でなしめが! 不孝千萬な奴ぢゃ! こりゃやい、次の木曜日に教會堂へ往きをらう。往かずば、又と此顏を見るな。言ふな、答へるな、返答するな。此指がむづ/\するわい。……奧よ、子をば神が只一人しか賜らなんだのを不足らしう思うたこともあったが、今となっては此奴一人すら多過ぎる、取りも直さず、呪咀ぢゃ、禍厄ぢゃ、うぬ/\、賤婢め!
乳母 はれまア、可愛相に! 其樣に叱らしゃりますは、殿さま、それは貴下が無理でござります。
カピ長 なゝ、なぜぢゃ、賢女どの! 聰明樣、まゝ、お默りなされ。喋々語きたくば、とっとゝ彼方へ往て、冗口仲間と饒舌れ。
乳母 お爲にならぬことは言ひませぬわいの。
カピ長 はい、さやうなら、御機嫌よう!
乳母 物言うては、わるいかいな?
カピ長 默れ、むが/\むが/\と、阿呆め! 其許の御託宣は、冗口仲間と酒でも飮合ふ時に被言れ、こゝには用は無いわ。
乳母 貴下は餘り逆上せてござる。
カピ長 はて、氣ちがひにもなるわさ。晝も夜も、季も節も、念々刻々、働いてゐよが、遊んでゐよが、只一人ゐよが、多勢と共にゐよが、女めが縁邊を苦勞にせなんだ時は無い。やっとの事で、門閥家の、良い領地有の、年の若い、教育も立派な、何樣才徳の具足した男は斯うもありたいもの、と望まるゝ通りに出來上ってゐる婿を搜して、供給へば、見ともない、吠面さかいて、泣偶人め、幸福をば幸福とも思ひをらいで、「嫁入はせぬ」の、「戀は知らぬ」の、「まだ年齡がゆかぬ」の、「赦して下されい」の、と吐しをる。したが、嫁入をせぬとならば、赦してもくれう。好きな處で草食みをれ、此處には住さぬわい。やい、よう思へ、よう考へをれ、戲言は言はぬ乃公ぢゃ。木曜日は今の間、胸に手を置いて思案せい。我子ならば親友の許へ遣る、さなくば首を縊らうと、乞食をせうと、餓ゑて途上死をしをらうとまゝぢゃ、誓文、我子とは思はぬわい、また何一つたりと、汝には與れまいぞよ。よいか、二言は無いぞよ。誓言は破らぬぞよ。
長者入る。ヂュリエット泣倒るゝ。
ヂュリ 大空の雲の中にも此悲痛の底を見透す慈悲は無いか? おゝ、母さま、わたしを見棄てゝ下さりますな! 此婚禮を延して下され、せめて一月、一週間。それも能はぬなら、チッバルトが臥てゐやる薄昏い廟の中に婚禮の床を設けて下され。
カピ妻 わしに物を被言んな、わしは最早何も言ひますまいほどに。好きにしや、もう其方には關ひませぬほどに。
ヂュリ おゝ!……おゝ、乳母や! 如何したらよいであらうぞ? 夫は地上、誓約は天上。何として其誓約が再び地上に戻らうぞ、其夫が地を離れて天から取戻してたもらずば?……慰めてたも、教へてたも。……かなしや/\、此身のやうな孱弱い者を天までが陰謀んで責めさいなむ!……これ、乳母、どうせう? 嬉しいことを言うてたも。何ぞ慰めはないかいの?
乳母 誓文、ござります。ロミオどのは追放の身ぢゃほどに、世界が崩れうと、戻って來て何のかのと言はッしゃらう筈は無い。よしや戻らッしゃるにせい、ほんの窃々の内密沙汰ぢゃ。すれば、かうなってしまうた上は、あの若殿へ嫁入らッしゃるが最ち良い分別ぢゃ。おゝ、ほんに可憐しいお方。彼方に比べてはロミオどのは雜巾ぢゃ。萠黄色の、活々とした美しい眼附、鷲の目よりも立派ぢゃ。ほんに/\、こんどのお配偶こそ貴孃のお幸福であらうぞ、前のよりはずっと優ぢゃ。よし然うでないにせい、前のは最早絶滅ぢゃ、いや、絶滅も同樣ぢゃ、離れて住んでござって、貴孃のまゝにならぬによって。
ヂュリ そりや〈[#「そりや」はママ]〉其方本氣で言やるか?
乳母 はい、本氣でも本心でもござります、でなくば罰が當たれ!
ヂュリ 其通りに!
乳母 えゝ?
ヂュリ なに、あの、其方の慰めで不思議に心が安堵いた。奧へ往て、母樣に言うてたも、父上の御不興を受けたゆゑ、懺悔をして罪を赦して貰はうとて、ロレンスどのゝ庵室へわしが往んだと。
乳母 はい/\、心得ました。それこそ賢い御分別ぢゃ。
乳母入る。ヂュリエットじっと行方を見送って
ヂュリ 罰當りの夜叉め! おゝ、惡魔め! 予に誓約を破らせうとしをるばかりか、前には幾千度も比べ物の無いやうに褒めちぎった予の殿御を其同じ舌で惡口しをる。……去ね、相談敵手にした其方ぢゃが、其方と予とは今からは心は別々。……御坊の許へ往て救ひを乞はう。事が皆破れても、死ぬる力は此身に有る。
〈[#改ページ]〉
第四幕
第一場 ヹローナ。ロレンス法師の庵室。
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ロレ 木曜日と仰せらるゝか? では早急な事ぢゃ。
パリス 舅カピューレットどのが其樣にしたいと被言る。予とてもそれを遲うしたいとは思ひませぬ。
ロレ 姫の心はまだ知らぬと仰せらるゝ。すれば段取が素直でない、吾等は好もしう思ひませぬ。
パリス チッバルトの落命をいみじう歎いてゞあったゆゑ、涙の宿には戀神は笑まぬものと、縁談を差控へてゐたところ、餘り甚う歎いては姫の身が心元ない、獨でゐれば洪水のやうに出る涙も、交らふ者があれば堰止むることも出來るものと、舅御の才覺にて、急に婚禮と事が決った。速うせねばならぬ仔細を、何と會得めされたか?
ロレ (傍を向きて)それは遲うせねばならぬ仔細が、此方に解ってをらなんだらなア!……あれ、御覽ぜ、姫が此庵にわせられた。
パリス 嬉しう逢ひました、我妻。
ヂュリ 妻とも呼ばしませ、婚禮が叶ふなら。
パリス 叶はいでならうか、此次の木曜日には?
ヂュリ 叶はいでならぬことは叶ふ筈ぢゃ。
ロレ こりゃ格言ぢゃわい。
パリス 今日は師の御坊に懺悔をばしよう爲にわせられたか?
ヂュリ はい、というたなら、貴下へ自白をしたことになりませうぞ。
パリス 吾等を思うてゐるといふことを、御坊に打明けて言うて下され。
ヂュリ では、打明けて申しませう、わたしは御坊樣を思うてゐます。
パリス 吾等をも同じやうに思うてゐる、と言うて下されうがな。
ヂュリ さア、言ふにせい、それは背で言うてこそ價値もあれ、面を見合せて言はうより。
パリス やれ、笑止や、卿の面は涙で甚う汚れてゐる。
ヂュリ 涙が何程の事をしませう、生得、見ともない面ぢゃもの。
パリス 其樣なことを被言るのは、われから我面を讒訴するのぢゃ。
ヂュリ 眞の事は讒訴とは言はれぬ、ましてこれは後言ではない、直に面に對うて言うてゐるのぢゃもの。
パリス いや、卿の面は今では予の有ぢゃに、それをば其樣に惡しう被言るのは讒訴ぢゃ。
ヂュリ ほんに然もあらうか、妾の有ではないゆゑ。……(ロレンスに)御坊樣、今お暇でござりますか、改めて晩のお祈祷頃に參りませうか?
ロレ いや、今でも故障は無い。……若殿、憚りぢゃが、暫くの間、こゝを吾等に。
パリス おゝ、かりそめにも勤行のお妨げをしてはならぬ!……ヂュリエットどの、木曜日には朝早うお迎に行きませうぜ。それまでは、おさらば。此聖い接吻を保有っておいて下され。
ヂュリ おゝ、早う扉を閉めて、そしてしめてまうたら、わたしと一しょに泣いて下され。もう絶望ぢゃ! 絶望ぢゃ、絶望ぢゃ!
ロレ あゝ、これ、ヂュリエットや、其の悲歎は善う知ってをる! 何ぼう搾っても予の智慧には能はぬ。次の木曜には、寸分の猶豫もなう、彼の若と婚禮を爲やらねばならぬと聞いた。
ヂュリ いゝえ/\、それを中止にする方便が無いなら、聞いたなぞとおッしゃるな。お前の智慧にも能はぬなら、つい予の覺悟をば良い分別ぢゃと讃めて下され、すれば此懷劒で今直に敢行けう。ロミオとわしの心と心を結び合はせたは神樣、手と手を繋いだはお前。すれば、お前がロミオへの封印代りにした此手を、他し證書の封印に使はうより、又僞りの無い此心を操に背いて他し男に向けうより、此懷劒で手も心も突殺してのけう。ぢゃによって今直にお前の長い年功で良い思案をして下され。さもなくば、此怖しい懷劒を難儀の瀬戸際の行司にして、年の功も智慧の力も如何とも能うせぬ女一人の面目を今こゝで裁決かす、見て下され。さ、早う何となと言うて下され。わしゃ早う死にたい、お前の言ふことが何の役にも立たぬやうなら。
ロレ まア、お待ちゃれ。助かる術を思ひついたわ。必死の厄を脱れうためゆゑ必死の振舞をもせねばならぬ。パリスどのと祝言するよりも寧そ自害せうと程の逞しい意志がおりゃるなら、いゝやさ、恥辱を免れうために死なうとさへお爲やるならば、同じ望のために死ぬるに似た一事をば多分敢行くることが出來う。敢行けう意なら救はるゝ術を授けう。
ヂュリ おゝ、パリスどのと祝言をせう程なら、あの塔の上から飛んで見い、山賊の跳梁る夜道を行け、蛇の棲む叢に身を潛めいとも言はッしゃれ。吼ゆる荒熊と一しょにも繋がれう、墓の中にも幽閉められう、から/\と鳴る骸骨や穢い臭い向脛や黄ばんだ頤のない髑髏が夜々掩ひ被らうと。又昨日今日の新墓で死人の墓衣に苞まって隱れてゐよとも言はッしゃれ。聞いたばかりでも、例は身毛が彌立ったが、大事の操を立つる爲なら、躊躇せいで敢行けう。
ロレ では、待ちゃれ。先づ今日は立歸って、嬉しさうにもてなし、パリスどのとの祝言を承諾しやれ。明日は水曜日ぢゃ。明日は何とかして一人でお臥やれ、乳母をも同じ間には臥かさッしゃるな。床にお入りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此瓶を取って此なる藥水をばお飮みゃれ。すると、即て慄然として眠たいやうな氣持が血管中に行渡り、脈搏も例のやうではなうて、全く止み、生きてをるとは思はれぬ程に呼吸も止り、體温も失する。頬、唇の薔薇も褪せて、蒼白い灰と變る。目の窓もはたと閉づる、生活の日がつい暮れて行く時のやうに。どこも/\硬固って、冷うなって、自在な活動をば失うて、死切ったやうにも見えう。さて、此死切ったらしい相で四十二時經つときは、氣持の好い睡から醒むるやうに、自然と起きさッしゃらう。然るに、翌朝、あの新郎殿が卿を迎ひにとて來するころは、卿は恰ど死んでゐる。すれば、當國の風習通りに、顏は故と隱さいで、最良い晴衣を着せ、柩車に載せて、カピューレット家代々の古い廟舍へ送られさッしゃらう。其間に、予の消息で、ロミオが此計畫を知り、卿が覺めさッしゃる前に、此方へ來ることとならう。予も共々目覺まで番をして、其夜の中にロミオが卿をばマンチュアへ伴れて行う。卿の心さへ變らずば、女々しい臆病心の爲に、敢行くる勇氣さへ弛まなんだら、此度の耻辱は脱れられうぞ。
ヂュリ 下され、さ、それを。早うそれを! おゝ、何の臆病心!
ロレ まゝ、歸らしめ。(藥瓶を渡し)さらば、逞しう覺悟して、首尾よう事を爲遂げさッしゃれ。予はまた一法師に、卿の殿御への書面を持たせ、急いでマンチュアまで遣りませう。
ヂュリ 戀よ、予に力をくれい! 力さへあれば事は成らう。……御坊さま、さらば。
第二場 同處。カピューレット邸の一室。
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カピューレット長者を先に、同じく夫人、乳母、并びに下人甲、乙、從いて出る。
カピ長 こゝに書いてあるだけの客人を招待せい。……
甲の下人入る。乙の下人に向ひ
やい、汝は料理人の老練な奴を二十人ばかり雇うて來い。
乙下人 御懸念なされますな、先づ指を嘗めさせて見て雇ひまする。
カピ長 それはまた如何した理由ぢゃ?
乙下人 はて、うぬが指を能う嘗めぬやうな奴は不可ぬ料理人でござります。それゆゑ指を能う嘗めぬ奴は採用げませぬ。
カピ長 往け/\。……
必定、何かと行屆かぬがちであらうわい。え、こりゃ、女はロレンス御坊の許へ往たか?
乳母 さよでござります。
カピ長 うゝ、御坊の庇で、ちと料簡も直りをらうわい。氣儘な、沒分曉的の賤婦めぢゃ。
乳母 あれ、孃が嬉しさうな顏して、お懺悔から歸らしゃれた。
カピ長 どうぢゃ、剛情張が? どこを漫歩いて? 何處にゐたのぢゃ?
ヂュリ 父さまの命令に省いた不孝の罪を悔むことを習うた處に。(膝まづきて)かうして地に平伏して父さまの赦を乞へいと、あのロレンスどのが言はれました。どうぞ堪忍して下され! これからは善う命令を聽きまする。
カピ長 それ、パリスどのを呼びにやって、速う此事を知らせい。明日は朝の間に此縁結びを濟さうわい。
ヂュリ その若にロレンスどのゝ庵室で逢うたゆゑ、女の謹愼に障らぬ限りの、ふさはしい會釋をしておきました。
カピ長 はて、それは重疉々々。よし/\。起ちゃ/\。(ヂュリエットを扶け起し)さうなうてはならぬ筈ぢゃ。……ま、ともかくも若に逢はうわ、さうぢゃ、はて、速う往て彼の人を伴れて來いといふに。……さてはや、實に高徳のあの上人、此市中の者で、誰れ一人、彼の人の庇を蒙らぬものはないわい。
ヂュリ 乳母や、一しょに部屋へ來て、明日被ねばならぬ最ち似合ふ晴衣を手傳うて撰んでくりゃ。
カピ妻 木曜日までは急ぐに及ばぬ。まだ澤山間があるがな。
カピ長 乳母よ、往け一しょに。……明日教會へ往くことにせう。
カピ妻 では、準備をする暇もあるまい。もう即て夜ぢゃ。
カピ長 なにさ/\、乃公が馳驅奔走るわさ、さすれば、大丈夫、どうにかなるわさ。卿は、ヂュリエットの許へ往て、着る物を手傳うてやりゃ。乃公は今夜は寢むまい。はて、任せておきゃ。今夜ほどは女房役をせうわい。……(奧に向ひて)こりゃ、誰れかゐぬか!……皆出拂うてしまうた。むゝ、自身でパリスどのゝ邸へ往て、明朝の準備をさせて來う。心がおそろしう輕うなったわい、あの我儘者めが改心しをったによって。
第三場 同處。ヂュリエットの居間。
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ヂュリエットを先に乳母從いて出る。
ヂュリ あい、其晴着が最ち佳い。それはさうと、乳母や、今宵は予をどうぞ一人で寢かしてくりゃ。知ってゐやる通りの、執拗れた、此罪深い心を、神樣に赦して貰ふため、いろ/\とお祷をせねばならぬ。
カピ妻 え、何と、忙しうおぢゃるなら、手傳ひませうか?
ヂュリ いゝえ、母樣、明日の式に相應しい入用な品程は既う撰出しておきました。それゆゑ、妾にはお介意なう、乳母はお傍で夜中お使ひ下されませ。かうした早急な取込ゆゑ、嘸お手が足りますまい。
カピ妻 では、機嫌よう、床に就いてお休み、それが何よりも大切ぢゃほどに。
ヂュリ さやうなら!……又いつ逢はるゝやら。……おゝ、總身が寒け立って、血管中に沁み徹る怖ろしさに、命の熱も凍結えさうな! 寧そ皆を呼戻さうか? 乳母!……えゝ、乳母が何の役に立つ? 怖しい此一場は、一人で如何あっても勤めにゃならぬ。……さア、來い、瓶よ。
とはいへ、若し此藥に、何の效力も無かったなら? すれば、明日の朝となって、結婚を爲ようでな? いや/\。……それは此劍が(と懷劍を取り上げ)させぬ。……やい、其處にさうしてゐい。(と懷劍を下に置く)。……萬一、此藥が毒藥であったら? ロミオどのと縁組させておきながら、此の婚禮をさすときは、宗門の恥となるによって、それで予を殺さうといふ深い陰謀の毒藥ではあるまいものでもない。いや/\、よもや其樣なこともあるまい、不斷から上人と人に崇められた彼法師ぢゃ。……したが、墓の中に臥てゐる時分、まだロミオがお來やらぬうちに、若し目が覺めたら何とせう? さア、それが怖しい! 其窖で呼吸が塞ってはしまやせぬか? 其穢い穴の中へは清い空氣は些程も通はぬゆゑ、ロミオどのが來する頃には予ゃ死んでしまうてゐねばなるまい。若し生きてゐるやうなら……時も時、處も處、墓も墓、年を經た埋葬所、何百年の其間の先祖の骨が填充ってあり、まだ此間埋めたばかりの彼のチッバルトも血まぶれの墓衣のまゝで、定めて腐りかけてゐるであらうし、また眞夜中の幾時かは幽靈も出るといふ……えゝ、どうしょう、目が覺めたら?……厭らしい其臭と、聞けば必然狂亂になるといふ彼曼陀羅華を根びくやうな、凄い氣味のわるい聲を聞いたら……おゝ、早まって覺めた時分に、其樣な怖しい、畏いものに取卷かれたら、氣が違はいでをられうか? 先祖の衆の手や足やを偶と玩具にはしはすまいか? 手傷だらけのチッバルトを血みどろの墓衣から引出しゃせぬか? 狂氣の餘り、世に聞えた或親族の骨を取上げ、棍棒のやうに揮𢌞してゐるのが見ゆるやうぢゃ! あ、あれ、待ってたべ、チッバルト!……ロミオ、わしぢゃ! これはお前を思うて飮むのぢゃ。
と藥水を飮干すとやがて眩暈したる思入にて、寢臺の上、帳の内へ倒れ込む。
第四場 同處。カピューレット邸の廣間。
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カピューレット夫人と乳母と出る。
カピ妻 待ちゃ、乳母、此鍵を持って往て、もそっと藥味を取って來てたも。
乳母 お庖厨では、棗や榲桲を與れいと呼んでゐます。
カピ長 さゝゝゝゝ、働け/\! 二番鷄が啼いたぞ、深夜鐘が鳴ったわ、もう三時ぢゃ。こりゃアンヂェリカ、燒饅頭はよいかの? 費用は介意ふな、費用は。
乳母 またしてもお干渉を爲やしゃります、さゝ、お就褥なされませ。誓文、明日は病人にならしゃりませうぞえ、此夜寢やしゃらぬと。
カピ長 うんにゃ、ちょっともぢゃ。はて、其前には、もそっと些細な事で、幾たびも夜明しをしたものぢゃが、曾ぞ病氣なぞになったことは無いわい。
カピ妻 さいの、其時分には甚い鼠捕りであったさうな。したが、わたしが不寢の番をするゆゑ、今は其樣な鼠をば捕らすことぢゃない。
カピ長 妬きをるわい、妬きをるわい!……
下人三四人、炙串、薪、籃などを携へて出る。
甲下人 料理番のでござります、が、何ぢゃやら存じませぬ。
カピ長 急げ/\。
やい、もそっと枯れた薪を取って來い。ピーターに聞け、すると、在處をば教へるわい。
乙下人 眼がござりますから、薪位は見附けまする、へい、ピーターには及びませぬ。
カピ長 南無三、やりをるわい。おもしろい下司野郎め! 何ぢゃ、薪を見る眼ぢゃ? 乃公ゃまた薪目くらかと思うた。……はれやれ、夜が明けたわ。今に彼の若が樂人共を將て來するであらう、さうせうと被言ったによって。
もう來せたわ、……(奧に向ひて)乳母……奧よ! こりゃ、やい!……こりゃ乳母、乳母といへば!
さゝ、ヂュリエットを起して、着飾らせい。俺は往てパリスどのに挨拶せう。……さゝ、急げ/\。婿どのは最早來せたわ。急げ急げ。
第五場 同處。ヂュリエットの居間。
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ヂュリエット前の場の儘に寢床に倒れ臥してゐる。床には帳がかけてある。乳母出る。
乳母 孃さま! これさ、孃さま! ヂュリエットさま! ぐっすりと睡入ってぢゃな、定? はて、仔羊さんえ! はて、姫さまえ! ま、こゝなお寢坊さんえ! はて、可憐さん! これの、お姫さま! 戀人さんえ! はてま、花嫁御さんえ! えゝも、うんとも言はっしゃらぬ。もう三文がた眠ようでな? なりゃ一週間がたも眠やっしゃれ、明日の晩となると眠らるゝことではない、あの若がお前を眠かさぬと根を据ゑてぢゃ。……南無三寶、ほんにまア善う眠込んでござることぢゃ! でも是非起さにゃならぬ。……孃さま孃さま/\! 其床の中へあの若が這入らしゃってもよいかや? そしたら飛起きさっしゃらうがな。何と然うであらうがな?(寢床の帳を開く)。ま、支度まで爲やしゃれて! 着衣したまゝで! それでまた寢たのかいな! どうしても起さにゃなりませぬわい!(ゆすぶりながら)姫さま! 姫さま!……あゝ、かなしや! はれ、誰れぞ來て下され、たれぞ! 姫さまが死なしゃってぢゃ! おゝ、悲しや/\、生れなんだが優であったものを! 速う火酒を持って來て下され! 殿さまえ、奧さま!
カピ妻 ま、何といふ騷ぎぢゃ?
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 如何したのぢゃ?
乳母 あれを、あれを! おゝ、悲しや/\!
カピ妻 (立寄りて)おゝ、おゝ! 女よ、我子よ、これ、生きてたも、目を開いてたも、其方が死にゃると、予も一しょに死にますわいの。誰れぞ來て下され! 人を呼びゃ、人を。
カピ長 どうしたものぢゃ、さ、速うヂュリエットを、殿御が來せたに。
乳母 姫さまは亡くならしゃった、死なしゃりました、亡くならッしゃった。あら、かなしや/\!
カピ妻 あら、悲しや、女は死にました、死にました、死にましたわいなう!
カピ長 やッ! どれ、どこに。……やれ、悲しや! こりゃ冷いわ、血が沈んで、節々が固硬って、こりゃ此唇から息が離れてから最早久しい。廣い野邊にも又と無い其花に、時ならぬ霜が降りたがやうに、死んで行く女、ヂュリエット!
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 おゝ、なさけなや/\!
カピ長 女を奪うて泣かせをる死神めに、此舌を縛られて、物を言ふことが能はぬわい。
ロレンス法師とパリス、樂人らを引連れて出る。
ロレ さゝ、嫁御寮の教會行の身支度は整ひましたかの?
カピ長 いかにも、往きて再び還らぬ支度が。おゝ、婿どの、いざ婚禮の前の夜に、死神めが貴下の妻を寢取りをった。あれ、あのやうに花の相の色も褪せたわ。死神が吾等の婿、死神が吾等の嗣子、此上は吾等も死んで何もかも彼奴に與れう、命も財産も何もかも死神めに與れませうわい。
パリス 今朝、面を見る嬉しさをば、久しう待焦れてをったに、此樣な樣を見ようとは!
カピ妻 憎や、かなしや、あさましや、怨めしや! 休む間もなう𢌞り行く長い年月の間にも、又と、こんな情ない日があらうかいの! 只一人の、可愛い一人の、大事の/\祕藏兒をば、樂みとも慰めとも思うてゐたを、取ってゆかれてしまうたと思へば、もう二度とは逢はれぬ處へ!
乳母 おゝ、悲しや! おゝ、かなしや/\/\! こんな情ない、こんなあさましい日には、わしゃ曾ぞ遭うたことがない! おゝ、こんな! こんな! こんな! こんな怨めしい! こんな忌はしい惡日は、わしゃ曾ぞ/\。おゝ、悲しや/\!
パリス 欺されて、中を裂かれて、侮辱されて、賤蔑まれて、殺されてしまうたのぢゃ。憎い死神めに欺されたのぢゃ。慘酷い/\汝めには滅されたのぢゃ! おゝ、戀人よ! 我命よ! いや/\、命とは言はれぬ、死んでしまうてゐやる我戀人!
カピ長 さげすまれ、困められ、憎まれて、何の罪もなうて殺されてしまうたのぢゃ! あさましい惡日め、何で汝は吾家へは來をったぞ、此めでたい式を殺さうとて、此めでたい式を殺さうとて! おゝ、女よ! おゝ、女よ! 女どころかい、我靈魂よ! 其方は死にゃった! あゝ、あゝ! 女は死んでしまうた、女が死ねば俺の樂みも最早絶えたわ。
ロレ しづまりめされ! 如何したものぢゃ! 起ってしまうた騷ぎは、騷げばとて治るものではない。そも/\此娘御は天と貴下の兩有ぢゃ、今や天の獨有となったは娘御の爲には幸福。貴下の有分は死が取るといへば與らぬわけにはゆかぬが、天の分は永劫不滅ぢゃ。娘御の出世を願ひ、其昇進をば此世の天國とも思はしゃった貴下が、只今娘御が雲の上の眞の天國へ昇進せられたのを、何として歎かしゃるぞ! おゝ、安らかにならしゃれたを、其樣に取亂して悲嘆かしゃるは、正しう愛さっしゃる所以で無い。婚して壽なるは必ずしも良縁ならず、婚して夭折す、却って良縁。さ、涙を乾かして、迷迭香を死骸に揷ましゃれ。そして習慣通り、最ち佳い晴衣を着せて、教會へ送らっしゃれ。涙を禁めあへぬは痴な情の自然なれども、理性の眼からは笑草でござるぞよ。
カピ長 婚儀の爲にと準備した一切が役目を變へて葬儀の用。祝ひの樂は哀しい鐘の音、めでたい盛宴が法事の饗應、樂しい頌歌は哀れな挽歌、新床に撒く花は葬る死骸の用に立つ。何事も、皆うらはら。
ロレ 先づ奧に入らせられい。……内室も一しょに入らせられい。……パリスどのにも。……何れも亡姫の隨行をして墓場へ行く準備をなされ。こりゃ何か仔細あって天のお咎め、此上、天意に逆うて、ゆめ/\御赫怒をば招かせらるゝな。
皆々入る。樂人らと乳母と殘る。
甲樂人 こりゃ最早樂器をしまうて歸ってもよいであらう。
乳母 ほんに、御苦勞でござったが、ま、しまはッしゃれ/\。して見ようもない「事」になったのぢゃわいの。
甲樂人 成程、御道理でござります、したが、今に如何にかなる「琴」でござりませう。
ピータ 樂人さん、おゝ、樂人さん、「心の慰め、心の慰め」。乃公を陽氣にさせてくれる氣なら、頼む、聽かせてくれ、例の「心の慰め」を。
甲樂人 何故「心の慰め」をでござります?
ピータ はて、樂人さん、何故と言うて、今、乃公の心の中では「予の心は悲哀に……」が始まってゐる最中ぢゃ。ぢゃによって、何か可笑し悲哀い奴をば聽かせてくりゃ、乃公は怏々してかなはぬによって。
甲樂人 いや、滅相な、そんな氣分ぢゃござりませぬ。
ピータ 否ぢゃと被言るか?
甲樂人 さやう。
ピータ よいわ、今に見い、身體中に鳴響くやうに支拂うてくれうぞ。
甲樂人 何を支拂はッしゃります?
ピータ 金ぢゃ無いぞ、輕蔑をぢゃ。太鼓持扱ひにしてくれるわ。
甲樂人 すれば、此方も卿をば從僕扱ひにしてくれう。
ピータ すれば、其從僕さまのお帶劍を汝等の賤頭へ上せてくれう。(短き鈍劍を拔いて揮り𢌞し)これ、大概で大言を止めぬと、其太鼓面をはりまげて地ん中へめりこますぞよ、は如何だ?
甲樂人 それ、そのめったりはったりが音樂(律呂)と謂ふものぢゃ。
乙樂人 もし/\、もう好い加減に其鈍劍を藏はっしゃれ、駄洒落も最早ぬきにさっしゃれ。
ピータ 何ぢゃ、劍を藏うて洒落を拔け? よし! すれば、名劍を藏うて名洒落で打挫いでくれう。さ、男らしう試合うて見い。
(歌ふ)鋭き悲愁に心傷み
我胸堪難く沈める時、
其時音樂の銀の調は……
何故「銀の調」ぢゃ? 何故「音樂の銀の調」ぢゃ?……猫腸絃子どん、さ、何とぢゃ?
甲樂人 はて、銀は好い音色を出すからでござります。
ピータ 中等ぢゃな!……三絃胡弓子どん、足下は?
乙樂人 銀の調と言ふのは、はて、樂人は賃銀を儲くるからぢゃ。
ピータ これも中等ぢゃ!……提琴柱子どん、足下は?
丙樂人 予ゃ如何言うてよいか知らぬ。
ピータ ほい、眞平御免なれぢゃ。足下は唄方であったものを。乃公が代って言はう。そも/\「音樂の銀の調」と謂っぱ、はて、とかく樂人は金貨には能うありつかぬからぢゃ。
(歌ふ)其時音樂の銀の調は
たちまち欝結れし憂思を解く。
甲樂人 何といふ煩い奴ぢゃ彼奴は!
乙樂人 はッつけ野郎め!……さ、奧へ往て、會葬者の來るまで待ってゐて食事にありつかう。
〈[#改ページ]〉
第五幕
第一場 マンチュア。街上。
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ロミオ 頼もしらしい夢の告が實ならば、やがて喜ばしい消息があらう。わが胸の主(戀の神)もいと安靜かに鎭座めされた、されば例になく嬉しうて/\、日がな一日心が浮かるゝ。俺が死んでゐると、姫が來て、俺の脣に接吻して命の息を吹込んでくれたと見た……死んだ者が思案するとは不思議な夢!……すると、即て蘇生って帝王となった夢。あゝ/\! 戀の影坊師でさへ此位嬉しいとすると、遂げられた眞の戀は、まア、どんなに樂しからうぞ?
ロミオの下人バルターザー長靴の旅裝にて出る。
や、ヹローナからの音信ぢゃ! どうぢゃ、バルターザー! 御坊からの消息は無かったか? 姫は如何ぢゃ、父上は御無事か? ヂュリエットは何としておゐやる? 先づ、それを聞かう、姫さへ安穩なら何事も大事ないわい。
バル すれば、何事も大事ござりませぬ、姫さまは御安穩にカピューレット家代々のお墓所にお休み、朽ちぬ靈魂は天使がたと御一しょにござります。手前は姫さまが御親類がたのお廟所へ入らせらるゝを見るや否や、驛馬に飛乘ってお知らせに參りました。此樣な惡しいお使も命置かせられた役目ゆゑでござります、御免なされませい。
ロミオ そりゃ實か?……おのれ、怨めしい運星めら!……俺の宿を知ってゐような。筆と紙とを手に入れて、そして驛馬をも傭うてくれ。今宵のうちに出發たうわ。
バル まゝ、お耐へなされませい、甚うお色も蒼ざめて、物狂ほしげな御樣子、ひょんな事でも遊ばしさうな。
ロミオ 馬鹿な、何の、そんな事を! 俺には介意はいで吩咐くることをせい。御坊からの書状は無かったか?
バル いえ、ござりませぬ。
ロミオ よし/\。早う往て、馬どもを傭うてくれ、やがて會はう。
バルターザー入る。ロミオ獨殘る。
はて、ヂュリエット、今宵は一しょに臥ようぞ。……そこで、其方法ぢゃが……おゝ、害心よ、ても速う入って來をるなア、絶望した者の胸へは!……思ひ出すは彼藥種屋……たしか此邊に住んでゐる筈……いつぞや見た折は、身に襤褸を着て、藥草類を撰ってをったが、顏は痩枯れ、眉毛は蔽い被り、鋭い貧に躯を削られて、殘ったは骨と皮。貧しい店前には※〈[#「(口+口)/田/一/黽」、202-2]〉の甲、鰐の剥製、不恰好な魚の皮を吊して、周圍の棚には空箱、緑色の土の壺、及び膀胱、黴びた種子、使ひ殘りの結繩、乾枯びた薔薇などを口實ほどに取散らして貧羸らしう飾った店附。其貧しさを見るまゝに、思はず獨語って、此マンチュアで毒を賣れば、直にも命を取らるれども、若しも毒が欲しければ賣りさうなのは此奴め、と思うたが、今日ある知らせであったまで。むゝ、あの貧人から是非毒を買めうわい。……何でも此の邊であった。祭日ゆゑ貧乏店が閉ってある。……いや、なう/\! 藥種屋はおりゃるか?
藥種屋 かしましう呼ばッしゃるは誰ぢゃ?
ロミオ ま、こゝへ來やれ。かう見たところ不如意さうな。こりゃ此處に四十兩ある、予に毒藥を一匁ほど賣ってくりゃれ、直に血管に行渡って世に饜果てた飮主を立地に死なすやうな、又、射出された焔硝が怖しい大砲の胴中から激しう急に走り出るやうに、息をば此體内から逐出してくれる毒が欲しい。
藥種屋 されば、其樣な大毒藥をば貯へてはをりまするが、マンチュアの御法度では、賣ったりゃ、命がござりませぬ。
ロミオ 其樣に貧しうあさましう暮してゐても、汝は死ぬるのが怖しいか? 飢は頬に、逼迫は眼に、侮辱貧窮は背に懸ってある。無情い此浮世に法度はあっても、つゆ汝の爲にはならぬ。ならば、貧を守るにも及ばぬ。法度を犯して之を取りゃれ。
藥種屋 意は好みませねど、貧苦めがお言葉に從ひまする。
ロミオ 此方も其貧苦にこそ拂へ、意には拂はぬわい。
藥種屋 (藥瓶を渡しながら)これをばお好みの飮料に入れて飮ませられい。たとひ二十人力おじゃらしませうとも、立地に片附かッしゃりませう。
ロミオ 此黄金を遣すぞ、これこそは人の心の大毒藥ぢゃ、汝が賣りかぬる此些末なる藥種よりも此濁世では遙に怖しい人殺しをするもの。汝では無うて予こそは毒を賣るのぢゃ。さらば。食物を買めて些と肉を附けたがよい。……(行きかけて藥瓶を見て)毒ではない興奮劑よ、さア一しょに、ヂュリエットの墓へ來い、あそこで汝を使はにゃならぬ。
第二場 ヹローナ。ロレンス法師の庵室。
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ヂョン フランシス宗の御僧はゐさしますか! なう/\、御坊!
ロレ あれはヂョン坊の聲ぢゃ。……さてようこそお戻りゃったマンチュアから。してロミオは何と被言った? 若し筆に物せられたならば、其書面を見せやれ、
ヂョン いやの、同伴者に連立たうとて、同門跣足の或御坊を尋ねて、町で或病家をお見舞やってゐるのに逢うたところ、町の檢疫の役人衆に兩人ながら時疫の家にゐたものぢゃと疑はれて、戸外へ出ることを禁められた、それゆゑマンチュアの急用も其場で止められてしまうたわいの。
ロレ すれば誰が持って往んだぞ、ロミオへの予の書状は?
ヂョン はて、屆けることを能うせなんだのぢゃ。……これ、此通り持って戻った。……此庵へ屆けうと思うてもな、皆が傳染を怖がりをるによって、使の男さへも雇へなんだわいの。
ロレ はれ、それは物怪の不運の! 眞實、重大な容易ならぬ用向の其書面、それが等閑になった上は、どのやうな一大事が出來うも知れぬ。御坊よ、早う往て、何處ぞで、鐵梃を才覺して、急いで此處へ持って來て下され。
ヂョン うゝ、すれば、往て持來う。
ロレ 此上は、そっと墓所まで往かねばならぬ。此三時が間に、ヂュリエットは目を覺さう。始終をロミオに知らせなんだとお知りゃったら嘸予を怨むであらう。したが、マンチュアへは改めて書送り、ロミオがお來やるまでは、姫を庵室にかくまっておかう。不便や、生きた骸となって、死人の墓の中に埋れてゐやる!
第三場 同處。墓場。(此裡にカピューレット家代々の廟所ある體)。深夜。
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パリス先に、侍童從いて、草花と炬火とを携へて出で來る。
パリス 侍童よ、其炬火をおこせ。彼方へ往て、つッと離れてゐい。……いや、それを消せ、人目に掛りたうない。あの水松の下で、長々と横になって、此洞めいた地の上に直と耳を附けてゐい、穴を掘るので、土が緩んで、和いでゐるによって、踏めば直に足音が聞えう。したら、人が來たといふ知らせに、口笛を吹かうぞ。その花もおこせ。吩附けたやうにせい、さ。
侍童 (傍を向きて)こんな墓原に一人立ってゐるのは怖らしい、が、ま、やって見よう。
パリス (廟の前へ進みて)なつかしい花の我妹子、花を此新床の上に撒いて……あゝ、天蓋は石や土塊……其撒いた草花に夜毎に香る水を注がう。若しそれが盡きたなら、歎きに搾る予が涙を。和女への夜毎の手向は、かうして花を撒いて泣くことぢゃわい。
此時、侍童あなたにて口笛を吹く。
むゝ、侍童めが何か來たと知らせをる。いま/\しい、何者であらう、今頃此邊へ彷徨うて、俺が眞情の囘向をば妨げをる。や、炬火を持って來るわ!……夜よ、ちっとの間、俺を包んでくれい。
パリス退る。
ロミオ先に、バルターザー炬火、鶴嘴等を携へて出る。
ロミオ 其鶴嘴と鐵梃を此方へ。こりゃ、此書状をば、明日早う父上へ屆けてくれ。其炬火をこちへ。さて、確と申附くる、如何な事を見聞せうとも、悉く立離れ、予が仕事の妨碍をばすまいぞよ。予が廟へ降りるは、姫の面を見ようがためでもあるが、それよりも姫が身に着けた貴い指輪を或大切な用に使はうため取外して來るのが主な目的ぢゃによって、早う往ね。若し疑うて立戻り、予が所行を窺ひなど致さうなら、天も照覽あれ、汝が四肢五體を寸々に切裂き、飽くことを知らぬ此墓を肥すべく撒き散らさうぞよ。時刻が時刻ゆゑ、俺の心は殘忍、兇暴、餓ゑたる虎、鳴渡る荒海よりも猛しいぞよ。
バルタ はい/\、立去りまする、お妨碍は仕りませぬ。
ロミオ それでこそ予への忠節。これを取れ。(と金子を與へ)末長うめでたう暮せ。さらばぢゃ。
バルタ (傍を向きて)あゝは言はせられるが、ま、此邊にかくれてゐよう。お顏の色も心懸り、お心の中も疑はしい。
ロミオ (廟の前に進みて)汝、死の母胎め、世に又とない珍羞を貪り食ひをった憎い胃の腑め、汝の腐った顎をば、まッ此のやうに押開いて、(と廟の扉を抉ぢあけながら)汝への面當に、無理に食餌を填充まう。
パリス ありゃ追放された高慢なモンタギューめぢゃ。彼奴が從兄を殺したゆゑ、美しい戀人が、愁歎の餘りにお死にゃったといふこと。こゝへ來をったは、死骸に侮辱を加へよう爲でがな。捉へてくれう。……やい、モンタギューめ、破廉恥な所行を止めい。怨を死骸にまで及ぼさうとは、墮地獄の人非人め、引立つる、尋常に從いて來い。生けてはおかぬぞ。
ロミオ いかにも、生きてをられぬ身ぢゃ。なればこそ此墓へは來た。いやなう、若、命知らずの者に手出しをなさるな。早うお迯げなされ。此亡者達の事を思うて怖れたがよい。予を腹立たせて、又の罪惡を犯させて下さるな。おゝ、速う去なしゃれ。眞實、予は自分よりも足下を可愛しう思うてゐる、予は自殺をしようと覺悟して此處へ來た者であるに依って。さゝ、速う去なしゃれ。生存へて、後日、自分は、狂人の仁情で、危い所を助かったとお言ひなされ。
パリス どう頼まうとも聽かぬわい。重罪人として引立つるは。
ロミオ では俺を怒らす氣か? ならば、覺悟せい!
二人劍を拔いて戰ふ。
侍童 大變ぢゃ、戰うてぢゃ! 速う夜番の衆を呼んで來よう。
侍童入る。此中にパリス手を負うて倒るゝ。
パリス おゝ、しまうた!……仁情があるなら廟を開いてヂュリエットと一しょに埋めてくれい。
ロミオ おゝ、承引したぞ。……面を檢べて見よう。……マーキューシオーの親戚のパリス殿ぢゃ! 馬に騎って來る途中、家來めが何とか言うた、心が亂れてゐて善う聽いてはゐなんだが? ヂュリエットと此パリスとが婚禮をする筈であったとか言うた。いや、さうは言はなんだか? 夢か? 今がたパリスが、ヂュリエットの事を言うたゆゑ、それで此樣なことを思ふのか? 此心が狂うたか?……おゝお手をおこしゃれ、薄運の名簿の裡に、俺と並べ書にせられた足下ぢゃ! 予が今埋めて進ぜよう名譽の墓に。墓か? いや/\、こりゃ墓ではない、明り窓ぢゃ、なア、足下。はて、ヂュリエットが居るゆゑに、其艶麗さで、此窖が光り輝く宴席とも見ゆるわい。……死人どのよ、死人の手で埋められて、其處で臥やれ。
パリスの死骸を廟の中に横たへる。
人は動もすれば、其最期に心が浮かるゝ! それを看護人が死ぬる前の電光と命んでゐる。おゝ、これが電光と言はれようか?……おゝ、戀人よ! 我妻よ! 卿の息の蜜を吸ひ盡した死神も、卿の艶麗さには能い勝たいでか、其蒼白い旗影はなうて美の旗章の鮮な此唇、此兩頬。……おゝ、チッバルト、足下も其處にゐるか、血に染みたまゝで? まだ嫩若い足下を眞二つにした其同じ手で、當の敵を切殺して進ぜるが、せめてもの追善ぢゃ。從兄どの、赦してくれい。……あゝ、戀しい、懷しい、ヂュリエット、何として今尚ほ斯うも艶麗ぢゃ? 若しや形のない死神が卿の色香に迷うて、あの骨ばかりの怪物めが、己が嬖妾にしようために、此黒闇に蓄うておくのではないか知らぬ。それが氣懸りゆゑ、俺ゃもう決して此暗の館を離れぬ。卿の侍女の蛆共と一しょに俺ゃ永久も此處にゐよう。おゝ、今こゝで永劫安處の法を定め、憂世に饜き果てた此肉體から薄運の軛を振落さう。……眼よ、見よ、これが最後ぢゃぞ! 腕よ、抱け、これが最後ぢゃ! おゝ、息の戸の脣よ、人の命を長永に買占むる死の證文に天下晴れた接吻の奧印せよ!……(毒藥の瓶を取り出し)さ、來い、苦い、飮みぐるしい案内者よ! やい、命知らずの舵手よ、苦しい海に病み疲れた此小船を、速う巖礁角へ乘上げてくれ!……さ、戀人に!(と飮む)。おゝ、眞實な彼藥種屋、效力は忽ち……かう接吻して俺ゃ死ぬるわ。
ヂュリエットへ臥し重なるやうにして息絶る。
此時、一方へロレンス法師が提燈、鶴嘴、鋤等を携へて出で來る。
ロレ 南無やフランシス上人、護らせられい! はれ、けったいな、今宵此老脚が幾たび墓穴に蹉躓いたことやら!……誰れぢゃ、そこにゐるのは?
バルタ 怪しうは無い者、貴僧を善う存じてをる者でござる。
ロレ ほい、其許か! さらば問はうが、あしこのあの炬火は、ありゃ何でおじゃる、蛆蟲や目も無い髑髏を空しう照すあの光は? かう見たところ、カペル家の廟舍の前ぢゃが。
バルタ 其通りにござります。あそこに主人が居られまする、御坊の可憐しう思はせらるゝ。
ロレ とは誰れぢゃ?
バルタ ロミオさまでござります。
ロレ え、こゝへ參られて久しいか?
バルタ 半時餘りになりまする。
ロレ なりゃ墓穴まで一しょにおじゃれ。
バルタ いや、僕は能い行きませぬ。主人は僕をば既往んだとのみ思うてをられます。若しも此處に止まって樣子など窺はうならば、斬殺してのけうと、怖しい見脈で嚇されました。
ロレ ならば、此處にござれ。予が獨で往かう。はて、氣懸になって來たわ。おゝ、こりゃ何か不祥な事が出來したのでは無いか知らぬまでい。
バルタ 最前、此水松の蔭で居眠ってゐますうちに、夢うつゝに、主人とさる人とが戰うて、主人が其人をば殺したと見ました。
ロレ ローミオー! あら、あら、何事ぢゃ此血汐は、これ、此廟舍の入口の石を染めた此血汐は? 主もない此劍は? 此樣な平和の場所に血まぶれにして棄てゝあるは、こりゃ何としたことであらう?
と廟の中へ進み入る。
や、ローミオー! おゝ、色は蒼白!……外にも誰やら? や、パリスどのまで? 剩さへ血汐に浸って?……あゝ/\、何といふ無慚な時刻ぢゃ、如是あさましい事をば一時に爲出來すとは!……や、姫が身動爲やる。
此時ヂュリエット目を開く。
ヂュリ おゝ、嬉しや御坊樣か! 殿御は何處にぢゃ? 行き處は記えてゐる、おゝ、さうぢゃ、そこへ予は來てゐるのぢゃ?
奧にて多勢の人聲する。
ロレ 人聲がする。……こりゃ姫よ、ま、早う出てござれ、そこは死や疫癘や無理な睡眠の宿ぢゃほどに。人間以上の力の爲に折角の計畫が皆敗れた、さ、早うござれ。和女の殿御は、それ、其處に胸元にお死にゃってぢゃ。パリスどのもぢゃ。さゝ、尼御達の仲間中へ、頼うで和女を入れておかう。あれ、夜番が來るわ、委細の事は後で/\。さゝ、ヂュリエット、ござれ/\。予ゃもう此處には能うをらぬわ。
ヂュリ さ、速う去しゃれ、予は去ぬほどに。……こりゃ何ぢゃ? 戀人が手に握りゃったは盃か? さては毒を飮んで非業の最期をお爲やったのぢゃな。……まア、あたじけない! 皆な飮んでしまうて、隨いて行かう予の爲に只一滴をも殘しておいてはくれぬ。……お前の脣を吸はうぞ。毒がまだ殘って居たら、それこそは假の命から實の命へ囘らする大妙藥!……まだ温い、お前の脣!
とロミオの死骸に接吻する。
此時奧にて又多勢の人聲する。
番甲 (奧にて)案内せい。どちらぢゃ。
ヂュリ や、人聲? なりゃ、片時も早う。……おゝ、嬉しや、短劍!(ロミオが佩びたる短劍を取りて)さ、鞘はこゝに。(と胸を貫き)そこに居附いて、予を死なせてくれ。
と息絶ゆる。
夜番の者甲、乙、丙、其他多勢パリスの侍童を案内者にして出る。
侍童 こゝぢゃ。あの炬火が燃えてをる處がそれぢゃ。
番甲 此邊は血だらけぢゃ。墓場の界隈を探さっしゃい。さゝ、見つけ次第に、かまうたことは無い、引立てめさ。
はれ、無慚な! こゝに若殿が殺されてござる、のみならず、既う二日も葬られてござったヂュリエットどのが、つい今がた死なっしゃれたやうに血を流して、温いまゝで。……誰れぞ早う御領主樣へ。カピューレットどのゝ邸へも走った。モンタギューどのを起して來い。他の者は、探せ/\。
夜番頭の甲のみ殘りて皆々入る。
不運な人達が臥ておりゃる地盤だけは善う見えるが、此不運の眞の原因は、よう査べて見ぬうちは分らぬわい。
夜番の乙、外一二人バルターザーを引立てゝ出る。
番乙 これはロミオどのゝ家來でおりゃる。墓場で見付けました。
番甲 殿さまの渡らせらるゝまで、逃さぬやうに護ってござれ。
他の夜番の者丙、ロレンス法師を引立てゝ出る。
番丙 これなる老僧は、顫へながら溜息を吐き、涙を流してをりまする。只今墓場から參るところを取押へて、これなる鋤と鶴嘴とを取上げました。
番甲 甚う胡散な。その僧をも留めておかっしゃい。
領主、多勢の從者を引連れて出る。
領主 朝まだきに如何なる珍事が出來したのぢゃ、予が夢を驚かして呼出だすは?
カピューレット長者夫婦、其他出る。
カピ長 何とした事ぢゃ、街上にて人々の叫き立つるは?
カピ妻 往來の人々は、或ひはロミオと呼び、或ひはヂュリエット、或ひはパリスと呼びかはして、聲々に叫き立て、吾屋の廟屋へと急ぎまする。
領主 吾等の耳を驚かす變事とは何事ぢゃ?
番甲 申上げまする、こゝにパリス樣が殺されて居させられます、またロミオにも、また其以前に死去りました筈のヂュリエットにも、體温のあるまゝ、新しく殺されてをられまする。
領主 あくまでも手を盡して此虐殺の所因を査べい。
番甲 これにをりまする老僧、また殺されましたるロミオの僕一人、何れも墓を發きまするに屈竟の道具をば携へてをりまする。
カピ長 やゝ、これは! おゝ、我妻よ、あれ、見さしませ、愛女の體内から血が流るゝ! えゝ、此劍は住家をば間違へをったわ。こやつが住むべきモンタギューが腰なる宿は裳脱の殼で、無慚や、愛女の胸が鞘!
カピ妻 おゝ、悲しや! 此慘しい死樣は、老いゆく此身をば墓へ急がす死鐘ぢゃ。
モンタギュー長者、其他出る。
領主 さ、こゝへ、モンタギュー。時ならず早う起出でめされたが、目に入るものは、時ならず早う臥た息子どのゝ寐姿ぢゃ。
モン長 なう、情なや、我君! 我子の追放を歎悲の餘りに衰へて、妻は昨夜相果ました。尚此上にも老人をさいなむは如何なる不幸ぢゃ。
領主 あれ、あれをお見ゃれ〈[#「お見ゃれ」はママ]〉。
モン長 おゝ、汝、不所存者めが! 父を押退けて先へ墓へ入らうとは、何といふ作法知らずぢゃ、汝!
領主 暫時叫喚の口を閉ぢよ、先づ此疑惑を明かにして其源流を取調べん。然る後、われ將た卿等の悲歎を率ゐて、敵の命をも取遣はさん。先づそれまでは悲歎を忍んで、此不祥事の吟味を主とせい。……嫌疑の徒輩を引出せ。
ロレ 手前こそは、力量は最ち不足ながら、時も處も手前に不利でござるゆゑ、此怖しい殺人の第一番の嫌疑者でござりませう。只今此處にて呪はるべくもあり、恕さるべくもある手前の所行を告發もし、辯解も仕りませう。
領主 さらば、汝が存じをる限りを疾く申せ。
ロレ 手短に申しませう、管々しう申さうには命が覺束なうござりまする。……そこにお死にゃったるロミオこそはヂュリエットが正しい夫、またそこにお死にゃったるヂュリエットこそはそのロミオが貞節なる宿の妻、二人を嫁したは手前。また二人が内祝言の日はチッバルトどのゝ大厄日、非業の最期が因となって新婿どのには當市お構ひの身の上となり、ヂュリエットどのゝ悲歎の種、さうとは知らずチッバルトどのをお歎きゃるとのみ思召され、其歎を除かうとてパリスどのへ無理強ひの婚禮沙汰、其時姫が庵室へわせられ、此二度の祝言を脱るゝ手段を教へてくれい、然なくば此處で自害すると半狂亂の面持、是非なく、自得の法により、眠劑を授けましたところ、案の如くに效力ありて、死せるにひとしき其容態、手前其間に書状して、藥力の盡るは今宵、姫をば假の墓所より、來りて救ひ出されよ、とロミオ方へ申し遣りしに、使僧ヂョンと申す者、不慮の事にて抑留められ、夜前其書を持歸ってござりまするゆゑ、目覺めなば嘸當惑、と姫を救ひ出さんため、只一人にて參りしは、窃に庵室にかくまひおき、後日機を見て、ロミオへ送り屆けん存念、然るに參り見れば、姫の目覺むる少しき前方、非業の最期はパリスどのとロミオどの。其中、姫の目覺め〈[#「目覺め」は底本では「目覺め」]〉しゆゑ、天の爲せる業は是非に及ばず、ともかく出てござれ、と勸むるうちに、近づく人聲、予駭き逃出ましたが、絶望の餘にや、姫は續いて參りもせず、やがて自害を致したと相見えまする。手前が存じをりまするは是限り。内祝言の儀は乳母が善う承知の筈。何事にまれ、予が不埓と御檢斷遊ばれうならば、餘命幾何もなき老骨、如何な御嚴刑にも處せられませう。
領主 予は常に足下をば正しい僧と信じてをったわ。……ロミオの僕は何處にをる? 彼れは此儀に對して何と申すぞ?
バルタ 僕めは、ヂュリエット樣お死去の事をば、マンチュアの主人方へ傳へましたるところ、主人は直に驛馬にて、彼處から御廟所まで參られ、墓へ入られまする前に、此書面を朝早う親御樣へ渡してくれいと申され、速かに此處を立去らずば殺してしまふぞと嚇されました。
領主 其書面見ようわ。これへ。……して、夜番を呼起した伯の侍童とやらは何處に居る?……こりや〈[#「こりや」はママ]〉、其方の主人は此處へは何しにわせたぞ?
侍童 御方の墓へ撒うとて花を持ってわせられました。遠くへ離れてゐいと仰せられましたゆゑ、僕はさやう致しました。やがて燈火を持った人がわせて、墓を發かうと爲やしゃるやいな、御主人は劍を拔かしゃれました。それで僕は走出して夜番の衆を呼びました。
領主 此書面にて僧が申條の證は立ったり、情事の顛末、女が死去の報告また貧窮なる藥種屋より毒藥を買求めてそれを持參し、此處なる女の墓の中にて自殺なさん底意まで、明白と相成ったわ。……仇敵同士は何れにあるぞ? カピューレット! モンタギュー!……見い、是皆汝等が相憎惡の懲罰、天は故と子供等を愛しあはせ、以て汝等が歡樂をば殺させられたわ。予將た汝等の確執を等閑に視過したる罪によって、近親を二人までも失うた。御罰に漏れたる者はない。
カピ長 おゝ、モンタギューどの、御手をば與へさせられい。これをこそ愛女への御結納とも思ひまする、他に望とてはござらぬわい。
モン長 いや、こなたよりはまだ參らするものがおぢゃる。吾等純金にて姫の像を建て申し、此ヹローナが同じ呼名で知らるゝ限り、貞節なヂュリエットどのゝ黄金の像をば上無き記念と崇めさせん。
カピ長 女と並べてロミオどのゝ黄金の像をも建て申そう、互ひの不和の憫然な犧牲!
領主 物悲しげなる靜けさをば此朝景色が齎する。日も悲しみてか、面を見せぬわ。いざ、共に彼方へ往て、盡きぬ愁歎を語り合はん。赦すべき者もあれば、罰すべき者もある。哀れなる物語は多けれども、此ロミオとヂュリエットの戀物語に優るはないわい。
〈[#改ページ]〉
ロミオとヂュリエット (完)
この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。
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原文:
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この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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翻訳文:
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この著作物は、1935年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。
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