登場人名
エスカラス、ヹローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベンヺーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
├キャピューレット家の下人。
グレゴリー ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの侍童。他の侍童。警吏一人。
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。
其他ヹローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、
番衆、侍者等。
(本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。但し爰に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。)
〈[#改丁]〉
ロミオとヂュリエット
序詞
序詞役出る。
序詞役 威權相如く二名族が、
處は花のヹローナにて、
古き怨恨を又も新たに、
血で血を洗ふ市内鬪爭。
かゝる怨家の胎内より薄運の二情人、
惡縁慘く破れて身を宿怨と共に埋む。
死の影の附纒ふ危き戀の履歴、
子等が非業に果てぬるまでは、
如何にしても解けかねし親々の忿、
是れぞ今より二時間の吾等が演劇、
御心長く御覽ぜられさふらはゞ、
足はぬ所は相勵みて償ひ申さん。
〈[#改ページ]〉
第一幕
第一場 ヹローナ。街上。[編集]
カピューレット家の下人サンプソンとグレゴリーとが劍と楯とを持って出る。
サン やい、グレゴリー、誓言ぢゃ、こちとらは石炭なんぞは擔ぐまいぞよ、假にも。(不面目な賤しい仕事なんぞはすまいぞよ)。
グレ さうとも/\、そんな事をすりゃ、奴隷も同然ぢゃわい。
サン いやさ、俺が癇に障るが最後、すぐにも引ッこ拔いてくれようといふンぢゃ。
グレ さうよなァ、頸根ッ子は、成ろうなら、頸輪(首枷)から引ッこ拔いてゐるがよいてや。(罪人にはならぬがよいてや)。
サン 俺が腹を立ったとなりゃ、忽ち(敵手をば)眞二つにしてくれる。
(以下、口合は邦語に直譯しては通ぜざれば、意を取りて義譯す。後段にも斯かる例しば/\あるべし。)
グレ ところが、其立つまでが手間が取れうて。
サン 何の、すぐ立つわい、モンタギュー家の飼犬を見たゞけでも。
グレ はて、立つと言へば不動ぢゃがや。不動は立往生ぢゃ。出向うて往かけんけりゃ鬪爭にァならぬわい。
サン はて、飼犬を見たゞけでも向うてゆくわい。モンタギューの奴等と見りゃ、男でも女でも關うたことァない。
グレ へッ、關はいで放任っておくのでがな、それが汝の弱蟲の證據ぢゃ。
サン したり。そこで、とかく弱蟲の女子ばかりが玩弄はれまするとけつかる。いや、俺は、野郎をば抛り出し、女郎をば制裁はう。
グレ 鬪戰は、主人衆や吾等男共のすることぢゃ。
サン いざ鬪爭となりゃ、そんな斟酌は要らんこっちゃ。男共を叩きみじいたら、女共をもやっつけてくれう。
グレ やっつける?
サン それ、彼奴等の「額」を打破ってくれうわい。意味は如何樣にも取らっせいよ。
グレ それは先方の感じ次第ぢゃ。
サン はて、身に沁々と感じようわい、俺も隨分と評判の女たらしぢゃに依って。
グレ へん、魚でなうて幸福ぢゃわい、汝が魚なら、女たらしでは無うて總菜の鹽大口魚と來てけつからう。……(一方を見て)拔けよ(劍を)、モンタギューの奴等が來たわい。
此時モンタギュー家の下人、エブラハムとバルターザーとが一方へ出る。
サン さ、拔いたわ、鬪爭を買はっせい、尻押をせう。
グレ 何ぢゃ! 尻に帆を掛ける?
サン 心配すない。
グレ 何の、汝を!
サン 此方の非分にならぬやうに、先方から發端けさせい。
グレ 行違ふ途端に睨みつけてくれう、如何思やがらうと關ふものかえ。
サン うんにゃ、如何爲やがらうと關ふものかえ。俺は指の爪を噛んでくれう、それで默ってゐりゃ恥さらしぢゃ。
雙方行違ふ。サンプソン指の爪を噛んで見する。
エブラ お手前は吾等に對うて指の爪を噛まっしゃったな?
サン 如何にも爪を噛みまする。
エブラ 吾等に對うて噛まっしゃるのか?
サン (グレゴリーを顧みて)然と言うても、理分か?
グレ いゝや。
サン (エブラに對ひて)いゝや、足下たちに對うて噛みはせんが、噛む。
グレ こりゃ鬪爭を賣らっしゃるのぢゃな?
エブラ 鬪爭! いや、決して。
サン 鬪爭なら敵手にならう。汝等には負けんぞ。
エブラ 勝ちもすまい。
サン むゝ。……
と詰る。此時上手よりモンタギューの親族ベンヺーリオー出る。
グレ (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝つわいと言はっせい。(下手を見やりて)あそこへ殿の親族の一人が來せた。
サン うんにゃ、勝つわい。
エブラ 譃を吐け。
サン 拔け、男なら。グレゴリー、えいか、頼むぞよ、しっかり。
サンプソンとエブラハムと劍を拔いて戰ふ。ベンヺーリオー此體を見て駈け來り、劍を拔き、割って入る。
ベンヺ 待った/\! 藏めい劍を。こゝな向不見が。
カピューレット長者の甥チッバルト下手より出る。
チッバ やア、下司下郎を敵手にして汝は劍を拔かうでな? ベンヺーリオー、こちを向け、命を取ってくれう。
ベンヺ いや、これは和睦させうためにしたことぢゃ。劍を藏めい、でなくば、其劍を以て予と共に、こいつらを引分けておくりゃれ。
チッバ 何ぢゃ、拔いてゐながら、和睦ぢゃ! 和睦といふ語は大嫌ひぢゃ、地獄ほどに、モンタギューの奴等ほどに、汝ほどにぢゃ。卑怯者め、覺悟せい!
突いてかゝる。ベンヺーリオー餘義なく敵手になる。此途端、兩家の關係者、双方より出で來り、入亂れて鬪ふ。市民及び警吏長等棍棒を携へて出で來る。
警吏長 棍棒組よ、戟組よ! 打て/\! 打据ゑいカピューレットを! モンタギューを打据ゑい!
カピューレット長者寢衣のまゝにて、其妻カピューレット夫人はそれを止めつゝ、出る。
カピ長 此騷動は何事ぢゃ? やア/\、予が長い劍を持て、長い劍を。
カピ妻 杖をば、杖をば! 何の爲に長い劍を?
カピ長 えい、劍ぢゃといふに。見いあれを、モンタギューの長者めが來をって、俺に見よがしに刃を揮りをる。
モンタギュー長者白刃を堤げ、其妻モンタギュー夫人それを止めつゝ、出る。
モン長 おのれ、カピューレットめ!……とめるな、放せ。
モン妻 鬪はう爲になら、一歩でも出させますな。
領主の公爵エスカラス、從者多勢を引連れて出る。
領主 やア、平和を亂す暴人ども、同胞の血を以て刃金を穢す不埓奴……聽きをらぬな?……やア/\、汝等、邪まなる嗔恚の炎を己が血管より流れ出る紫の泉を以て消さうと試むる獸類ども、嚴罰を怖るゝならば、其血腥い手から兇暴の劍を抛ち、怒れる領主が宣言を聽け。カピューレットよ、モンタギューよ、汝等二人の由も無き爭論が原となって、同胞の鬪諍既に三度に及び、市内の騷擾一方ならぬによって、當ヹローナの故老共、其身にふさはしき老實の飾を脱棄て、何十年と用ひざりしため、古び錆びついたる戟共を同じく年老いたる手々に把り、汝等が心に錆びつきし意趣の中裁に力を費す。爾後再び公安を亂るに於ては汝等が命は無いぞよ。今日は餘の者共は皆立退れ、カピューレットは予に從ひ參れ。モンタギュー、其方は、此午後に、尚ほ申し聞かすこともあれば、裁判所フリータウンへ參向せい。更めて申すぞ、命が惜しくば、皆立退れ。
モンタギュー夫婦とベンヺーリオーだけ殘りて皆入る。
モン長 此舊い爭端をば何者が新しう發きをったか? 甥よ、おぬしは最初から傍にゐたか?
ベン𢌞|ふりまは}}し、徒らに虚空をば斫りまする程に、風は習々と音を立てゝ彼れが不覺を嘲る風情。かくて互ひに衝いつ撃っつの折から、おひ/\多人數馳加はり、左右に別れて戰ふ處へ、領主が見えさせられ、左右なく引別と相成りました。
モン妻 おゝ、ロミオは何處に?(ベンヺーリオーに)今日そなた逢はしましたか? 此騷動に關係うてゐなんだは、ま、何よりも喜ばしい。
ベンヺ さア、今朝、東の金の窓から朝日影のまだ覗きませぬ頃、胸の悶を慰めませうと、郊外に出ましたところ、市からは西に當る、とある楓の杜蔭に、見れば、其樣な早朝に、御子息が歩いてござる、近づけば、それと見て取り、忽ちのうちに杜の繁みへ。人目を避くるは相身互ひ、浮世を煩う思ふ折には、身一つでさへも多いくらゐ、強ち同志を追はずともと、只もう己が心の後をのみ追うて、人目を避くる其人をば此方からも避けました。
モン長 げに、幾朝も/\、未乾ぬ露に涙を置添へ、雲には吐息の雲を加へて、彷徨いてゐるのを見掛けたとか。されども遠い東方の、曙姫の寢所から、あの活々した太陽が小昏い帳を開けかくれば、重い心の倅めは其明るさから迯戻り、窓を閉ぢ、日を嫌うて、我れから夜をば製りをる。良い分別をして此病の根を絶たねば、一定、忌はしい不祥の基。
ベンヺ で叔父上には其根を御ぞんじでござりますか?
モン長 いや、知りもせねば、知らせもせぬわい。
ベンヺ 質問して御覽じたことがござりますか?
モン長 予はもとより、親しい誰れ彼れにも探らせたれども、倅めは、只もう其胸の内に、何事をも祕し隱して、いっかな餘人には知らせぬゆゑ、探ることも發見すことも出來ぬ有樣――それが身の爲にならぬのは知れてあれど――可憐けな蕾の其うるはしい花瓣が、風にも開かず、日光にもまだ照映えぬうちに、意地惡の螟蛉めにあさましう食まれてしまふやうに。彼れが愁歎の源さへ知れゝば、直にも療治したう思ふのぢゃが。
此時ロミオ物思ひ顏にて一方へ出る。
ベンヺ あれ、あそこへロミオどのが。お避しなされませ。私が聞質して見ませう。どうしても拒まッしゃらうかも知れぬが。
モン長 それが首尾よう自白けさせる役に立てばよいが。……奧、さ、參らう。
モンタギュー夫婦入る。ロミオ近づく。
ベンヺ や、お早うござる。
ロミオ そんなに早うござるか?
ベンヺ 今九時を打ったばかり。
ロミオ あゝ/\、味氣無い時間は長い。……今急いで去んだは予の父でござったか?
ベンヺ いかにも。どういふ味氣ない事があって、時を長いとは被言る?
ロミオ 得れば時が短うなるが、其物が得られぬゆゑ。
ベンヺ 戀ぢゃな?
(此あたりも、一問、一答こと/″\く口合式の警句にして、到底、原語通りには譯しがたきゆゑ、義譯とす。)
ロミオ 人の爲に……
ベンヺ 戀人の爲に?
ロミオ 戀ひ焦るゝ效もなく、其人の爲に蔑視まれて。
ベンヺ やれ/\、柔和しらしう見ゆる彼の戀めが、そんな酷いことや手荒いことをしますか?
ロミオ あゝ/\! 戀めは始終目隱しをしてゐて、目は無けれども存分其的をば射とめをる!……え、何處で食事をしようぞ?……(四下を見𢌞して)あゝ/\! こりゃまア何といふ淺ましい騷擾? いや、其仔細はお言やるには及ばぬ、殘らず聞いた。是れ皆憎いが原とは言へ、可愛いにも深い/\縁がある……すれば是りゃ憎みながらの可愛さ! 可愛いながらの憎さといふもの! 無から出た有ぢゃ! 悲しい戲れ、沈んだ浮氣、目易い醜さ、重い羽毛、白い煤、冷い火、健康な病體、醒めた眠! あゝ、有りのまゝとは同じでない物! 恰ど其樣な切ない戀を感じながら、戀の誠をば感ぜぬ切なさ!……何で笑ふンぢゃ?
(斯くの如き對照式の綺語――技巧的な比喩語――を竝ぶることはシェークスピヤの青年期にはイギリス文壇の流行なりしなり。以下にも同例多し。)
ベンヺ 何の、泣いてゐるぢゃ。
ロミオ 泣くとは、何故に?
ベンヺ その歎きを思ひやって。
ロミオ はて、それは深切の爲過し。いっそ迷惑。おのが心痛ばかりでも心臟が痛うなるのに、足下までが泣いてくりゃると、一段と胸が迫る。足下の同情は多過ぎる予の悲痛に、只悲痛を添へるばかり。戀は溜息の蒸氣に立つ濃い煙、激しては眼の裡に火花を散らし、窮しては涙の雨を以て大海の水量をも増す。さて其外では、何であらうか? 性根の亂れぬ亂心……息の根をも杜むる苦い物。……命を砂糖漬にする程の甘い物。さらば。
ベンヺ まったり! 一しょに行かう。予を棄てゝ行くとはひどい。
ロミオ とうに棄てゝしまうた身ぢゃ。予は爰にはゐぬ、これはロミオでは無い、ロミオは何處か他所にゐよう。
ベンヺ いや、眞實の白状をなされ、こなたが戀ひ慕ふ人とは誰れぢゃ?
ロミオ 白状せいとは、予に拷問の苦痛をさせうとてか?
ベンヺ 拷問! 何の、只まッすぐに自白なされといふのぢゃ。
ロミオ はて、それは病人の遺言を白状と呼ぶやうなもの、わるい上にわるい異名! が、白状せう、予には戀女がある。
ベンヺ 戀と睨んだ時に、それ程は見拔いてゐた。
ロミオ ても偉い射手ぢゃの! そして其女は誰れが目にも立つ美人。
ベンヺ 目に立つ的ならば、射落すことは容易からう。
ロミオ はて、其覘は外れた。戀愛神の弱弓では射落されぬ女ぢゃ。處女神の徳を具へ、貞操の鐵の鎧に身を固めて、戀の稚い孱弱矢なぞでは些小の手創をも負はぬ女。言寄る語に圍まれても、戀する眼に襲はれても、いっかな心を動かさぬ、賢人を墮落さする黄金にも前垂をば擴げぬ。おゝ、限りない美しさには富みながら、其美しさは只一代限り、死ねば種までも盡くるとは、貧乏い/\運命!
ベンヺ では其女は嫁入はせぬと誓うたのぢゃな?
ロミオ いかにも。其物吝みが甚い損失。折角の美しさも、其偏屈ゆゑに餓死をして、其美しさを子孫には能う傳へぬ。美しうて、賢うて、予を思ひ死さする程に賢過ぎた美人ゆゑ、恐らくは冥利が盡き、よもや天國へは登れまい。彼女が戀はせぬと誓うたゝめ、予は斯うして物を言うてゐるものゝ、生きながら死んでゐるのぢゃ。
ベンヺ ま、予の言ふことを聽いて、其女をばお忘れなされ。
ロミオ おゝ! 教へてくれい、どうしたら忘れられるか?
ベンヺ もッと目に自由を與へて、あちこちの他の美人を見たらよからう。
ロミオ 他のと較ぶれば彌〻彼女をば絶美ぢゃと言はねばならぬことになる。美人の額に觸るゝ彼の幸福な假面どもは、孰れも黒々と製ってはあれど、それが却って其底の白い面を思出さする。目を失した男が、其失した目といふ寶をば忘れぬ例。如何な拔群な美人をお見せあっても、それは只其拔群な美をも拔く拔群な美人を思出さす備忘帳に過ぎぬであらう。さらば。忘るゝ法を教ふることは足下の力では出來ぬ。
ベンヺ 教へかたの不足は其中に償はう、借りたまゝでは死ぬまいぞ。
第二場 同處。街上。[編集]
カピューレット長者を先に、年若き貴公子パリス(下人一人從いて)出る。
カピ長 モンタギューとても右同樣の懲罰にて謹愼を仰附けられた。したが、吾々老人に取っては、平和を守ることはさまで困難しうはあるまいでござる。
パリス 何れも名譽の家柄であらせらるゝに、久しう確執をなされたはお氣の毒な儀でござった。時に、吾等が申入れた事の御返答は?
カピ長 先度申した通りを繰返すまでゞござる。何分にも世間知らず、まだ十四度とは年の變移目をば見ぬ女、せめてもう二夏の榮枯を見せいでは、適齡とも思ひかねます。
パリス 姫よりも若うて、見事、母親になってゐるのがござるのに。
カピ長 いや、速う成るものは速う壞るゝ。末の頼みを皆枯し、只一粒だけ殘った種子、此土で頼もしいは彼兒ばかりでござる。さりながら、パリスどの、先づ言寄って女の心をば動かしめされ。彼女の諾否が肝腎、吾等の意志は添物、女が諾く上は吾等の承諾は其取捨の外には出ませぬ。今宵、家例に因り、宴會を催しまして、日頃別懇の方々を多勢客人に招きましたが、貴下が其組に加はらせらるゝは一段と吾家の面目にござる。今宵、陋屋にて、地を蹈む明星が群れ輝き、暗天をさへも明う照らすを御覽あれ。譬へば、緩漫い冬の後へに華かな春めが來るのを見て、血氣壯な若い手合が感ずるやうな樂しさ、愉快さを、蕾の花の少女らと立交らうて、今宵我家で領せられませうず。悉く聽き、悉く視て、さて後に最ち價値のあるのを取らッしゃれ。熟と觀らるゝと、女も其一人として數には入ってゐても、勘定には入らぬかも知れぬ。さゝ、一しょにござれ。……(下人に)やい、汝は𢌞|かけまは}}って(書附を渡し)爰に名前の書いてある人達を見附けて、今宵我邸で懇に御入來をお待ち申すと言へ。
カピューレット長者とパリスと入る。
下人 こゝに名前の書いてある人達を見附けい! えゝと、靴屋は尺で稼げか、裁縫師は足型で稼げ、漁夫は筆で稼げ、畫工は網で稼げと書いてあるわい。こゝに名前の書いてある人達を見附けて來いと言附かったが、書手が如何樣な名前を書きをったやら、こりゃ一向に見附からぬわい。學者の處へ往かにゃならぬ。……(一方を見て)お、ちょうどよい。
ベンヺーリオー先にロミオ從いて出る。
ベンヺ 馬鹿な! そこがそれ、火は火で壓へられ、苦は苦で減ぜられる例ぢゃ。逆に囘轉ると目が眩うたのが癒り、死ぬる程の哀愁も別の哀愁があると忘れらるゝ。新しい毒を目に染ませて舊い毒を拔くがよい。
ロミオ それには車前草が一ち好からう。
ベンヺ それとは?
ロミオ 脛の傷には。
ベンヺ ローミオー、貴下は氣が狂うたのか?
ロミオ 氣は狂はぬが、狂人よりも辛い境界……牢獄に鎖込められ、食を斷たれ、笞たれ、苛責せられ……(下人の近づいたのを見て)や、機嫌よう。
下人 はい、御機嫌ようござりませ。旦那は能う讀まッしゃりますか?
ロミオ いかにも……不幸に逢ふて、身の不運を解むわい。
下人 はて、その樣な事は書が無くても知れましょ。いや、眼で讀むものをば讀まッしゃりますかと聞きますのぢゃ。
ロミオ さア、其文字や其言語を知ってをればなう。
下人 正直なことを言はっしゃる。御機嫌ようござらっしゃりませ!
ロミオ まて/\、讀めるわい。
下人より書附を受取りて讀む。
マーチノー殿、同じく夫人及び令孃方。アンセルム伯、同じく美しき令妹達。ヸオー殿後室。
プラセンシオー殿、同じく可憐なる姪御達。マーキューシオー、同じく舍弟ヷレンタイン。
叔父御カピューレット殿、同じく夫人、同じく令孃達。麗しき姪のローザライン。リヸヤ。
ヷレンシオー殿、同じく令甥チッバルト。リューシオー及び快活なるヘレナ。
書附を下人に返しながら。
美人揃ぢゃ。何處へ集るのぢゃ此手合は?
下人 えゝ、あの……
ロミオ え、あの夜會にか?
下人 手前方へ。
ロミオ 手前方とは?
下人 主人方へ。
ロミオ いかさま、それを眞先に問ふべきであった。
下人 問はっしゃらいでも申しませう。手前主人はカピューレット長者でござります。若し貴下がモンタギュー家の方でござらっしゃらぬならば、來せて酒杯を取らッしゃりませ。御機嫌ようござりませう!
ベンヹローナで評判のあらゆる美人達と同席するは良い都合ぢゃ。そこへ往て、昏まぬ目で、予が見する或顏とローザラインのとをお見比べあったら、白鳥と思うてござったのが鴉のやうにも見えうぞ。
ロミオ 信仰の堅い此眼に、假にも其樣な不信心が起るならば、涙は炎とも變りをれ! 何度溺れても死にをらぬ此明透る異端め、譃を言うた科で火刑にせられをれ! 何ぢゃ、予の戀人よりも美しい! 何もかも見通しの太陽でも、現世創って以來、又とは彼女程の女をば見なんだのぢゃ。
ベンヺ さ、傍に誰れも居ず、右の目にも左の目にもローザラインばかりを懸較べておゐやった時には、美しうも見えつらうが、其水晶の秤皿に、今宵予が見する或目ざましい美人を懸けて、さて後に、其戀姫どのと貫目を較べて御覽じたなら、今は最ち善う見ゆるのが最早善うは見えまいぞや。
ロミオ それを見たうは無けれど、自分のゝ美麗さを見ようために、一しょに往かう。
第三場 同處。カピューレットの一室。[編集]
カピューレット夫人を先に、乳母從いて出る。
カピ妻 乳母よ、女は何處にゐます? 呼んでくりゃれ。
乳母 はれま、十二の年の清淨潔白を賭けますがな、ござれと善う言うておいたに。……(奧に向ひて)もしえ、羊兒さん! もしえ、姫鳥さん!……鶴龜々々!……あのお兒は何處へ往かッしゃったか!……もしえ、ヂュリエットさま!
ヂュリ 何え! 呼びゃるのは誰れぢゃ?
乳母 お母さまぢゃ。
ヂュリ はい、母さま。何御用?
カピ妻 用とは斯うぢゃ。乳母や、ちっとの間退席してたも、内密の話ぢゃによって。……いや/\、乳母、戻りゃ、一通り聽いておいて貰うたはうがよかった。知っての通り、女の齡も喃、既おひ/\適齡ぢゃ。
乳母 はい/\、存じてをりますとも、孃さまの年齡なら、何時間と言ふことまで。
カピ妻 まだ眞實の十四にはなりませぬ。
乳母 ならっしゃりませぬとも、此齒を十四本賭けますがな……と言うても、其十四本が、ほんに/\、もう只四本しかござりませぬわい。……初穗節(八朔)までは最早幾日でござりますえ?
カピ妻 二週間と零餘が幾らか。
乳母 零餘が如何あらうと、一年三百六十日の中で、初穗節の夜になれば、恰どお十四にならッしゃります。スーザンと孃とは……南無あみだぶ……同い齡でござりました。スーザンは神樣のお傍に居りまする、私には過ぎた奴でござりましたが。……それはさうと、只今申しました通り、初穗節の夜になると、恰どお十四にならッしゃります、大丈夫でござります、はい、善う記えて居りまする。地震があってから恰ど最早十一年目……忘れもしませぬ……一年三百六十日の中で、はい、其日に乳離れをなされました。妾が乳首へ苦艾を塗って鳩小舍の壁際で日向ぼっこりをして……殿樣と貴下はマンチュアにござらしゃりました……いや、まだ/\耄きゃしませぬ。それはさうと、只今も申しました通り、妾の乳の尖所の苦艾を嘗めさっしゃると、苦いので、阿呆どのがむづかって、乳をなァ憎がって! すると鳩小舍が、がた/\/\。わしに出て行けといふにゃ及ばんと思うてゐたのに。……それから既十一年、其時になァ單身立をさっしゃりましたぢゃ、いや、眞の事、彼方此方と駈𢌞らッしゃって、恰ど其前の日に小額に怪我さッしゃって……其時亡夫が……南無安養界! 面白い人でなァ……孃を抱起して「これ、俯向に轉倒ばしゃったな? 今に一段怜悧者にならッしゃると、仰向に轉倒ばっしゃらう、なァ、孃?」と言ふとな、ま、いかなこと、此お兒がいの、ふいと啼止っしゃって、「唯」ぢゃといの。(笑ふ)戲談が今となって眞の事になったと思ふと! ほんに/\、千年生きたとても、これが忘れられることかいな。「仰向に轉倒ばっしゃらう、なァ、孃」と言ふと、阿呆どのが啼止って、「唯」ぢゃといの。(笑ふ)
カピ妻 もうよう、もうよい、お默り。
乳母 はい/\、默りまする、でもな、笑はいではをられませぬ、啼くのを止めて、「唯」と言はッしゃったと思ふと。でもな、眞實に小額の處に雛鷄のお睾丸程の大きな腫瘤が出來ましたぞや、危いことよの、それで甚う啼入らッしゃった。亡夫が「これ、俯向に轉倒ばしゃったか? 今に適齡にならッしゃると仰向に轉倒ばッしゃらう、なァ、孃?」といふとな、啼止って「唯」ぢゃといの。(笑ふ)。
ヂュリ そして汝も默りゃ。默ってたも、と言へば。
乳母 はい/\、もうしまひました。南無冥加あらせたまへ! 多勢育てた嬰兒の中で最ち可憐であったはお前ぢゃ。其お前の御婚禮を見ることが出來れば、予の本望でござります。
カピ妻 さ、其婚禮の事を話さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮がしたいか、どうぢゃ?
ヂュリ 其樣な名譽事は、わしゃまだ夢にも思ふてゐぬ。
乳母 ま、名譽事といの! わしばかりが乳を献げたので無かったなら、其智慧は乳から入ったとも言ひませうずに。
カピ妻 ならば、今、よう思ふて見や、そもじよりも年下の姫御前で、とうに、此ヹローナで、母親におなりゃったのもある。わしも、今思へば、そもじと同じ程の年齡に嫁入って、そもじを生けました。摘まんで言へば、斯うぢゃ、あのパリス殿がそもじを内室にしたいといの。
乳母 ま、あのよな! 姫さまえ、あのよなお方、世界中の女衆が……ほんに奇麗な、蝋細工見たやうな。
カピ妻 此ヹローナに夏が來ても、あのやうな花は咲かぬ。
乳母 ほんとに花ぢゃ、眞實の活きた花ぢゃ。
夫人 どうぞいの、あのやうなお方を可愛しいと思はぬか? 今宵の宴會には彼方も見ゆる筈、パリス殿の顏といふ一卷の書を善う讀んで、美の筆で物してある懷しい意味をば味はや。顏中のどこも/\釣合が善う取れて、何一つ不足はないが、萬一にも、呑込めぬ不審があったら、傍註ほどに物を言ふ眼附を見や。したが、此戀の一卷に只一つ足らはぬことゝいふは、表紙がまだ附かず、美しう綴ぢても無い。魚はまだ沖中にぢゃ。總じて内の美を韜むは外の美の身の譽れ、金玉の物語を金の鈎子に抱かすれば、誰が目にも立派な寶物。彼君の有たせます限りの物がそもじのとなることゆゑ、嫁入しやればとて、其方に何の損も無いのぢゃ。
乳母 損どころかいな! 女子は男ゆゑに肥りますわいの。
カピ妻 さ、ちゃッと言や、パリス殿をお好きゃることが出來るか?
ヂュリ さア、好いても見ませう、見て好かるゝものなら。とはいへ、わたしの目の矢頃は、母さまのお許しをば限りにして、それより強うは射込まぬやうにいたしませう。
下人 お方さま、お客人も渡らせられ、御膳部も出ました、貴下をばお召、姫さまをばお尋ね、乳母どのはお庖厨で大小言、何もかも大紛亂。小僕めはこれからお給仕に參らにゃなりませぬ。すぐにいらせられませい。
カピ妻 すぐ行こ。(下人入る)……ヂュリエットや、さ、若伯が待ってぢゃ。
乳母 さ、早う往て、嬉しい晝に嬉しい夜をば添へさっしゃれ。
第四場 同處。街上。[編集]
ヺーリオー、おの/\思ひ/\の假裝、他に五六人、いづれも道外たる假面を携へ、炬火持、太鼓係等、多勢ひきつれて出る。
ロミオ 何と、例の通りに斷口上を言うて入場ったものか、但しは無しにせうか?
ベンヺ あのやうな冗繁ことは最早流行。肩飾で目飾をしたキューピッドに彩色した韃靼形の小弓を持もたせて、案山子のやうに、娘達を追𢌞さするのは最早陳い。それから後見に附けて貰うて、覺束無げに例の入場の長白を述べるのも嬉しう無い。先方が如何思はうとも、此方は此方で、思ふ存分に踊りぬいて還らう。
ロミオ (炬火持に對ひ)俺に炬火を與れい。俺には迚も浮かれた眞似は出來ぬ。餘り氣が重いによって、寧そ明いものを持たう。
マーキュ いや/\、ロミオどん、是非とも足下を踊らせねばならぬ。
ロミオ いや/\、滅相な。足下の舞踏靴の底は輕いが、予の心の底は鉛のやうに重いによって、踊ることはおろか、歩きたうもない。
マーキュ はて、足下は戀人ではないか? すればキューピッドの翼でも借りて、鴉や鳶のやうに翔ったがよからう。
ロミオ 彼奴の箭先かゝってゐるゆゑ、翼を借りたとても翔られぬわい、鳶や鴉のやうにも飛べず、悲しい思ひに繋がれてゐるゆゑ、鷹のやうに高うも飛べぬ。戀の重荷に壓伏けらるゝばかりぢゃ。
マーキュ 何ぢゃ、壓伏ける? あの戀に重荷を? さりとは温柔しい者を慘酷しう扱うたものぢゃ。
ロミオ なに、戀を温柔しい? 温柔しいどころか、粗暴な殘忍い者ぢゃ。荊棘のやうに人の心を刺すわい。
マーキュ はて、戀めが殘忍いことをすれば、此方からも殘忍うしたがよい。刺しをったら、此方からも刺して、壓倒したがよい。(從者を顧みて)……面を隱す假面を與れ。
從者より假面を受取り、被らうとして
醜男面に假面は無用ぢゃ!(と假面を抛出しながら)誰れが皿眼で、此見ともない面を見やがらうと儘ぢゃ! 出額が赧うなるばかりぢゃわい。
ベンヺ さア/\、敲戸いて入ったり。入ったらば、直一しょに踊り出さうぞよ。
ロミオ (從者にむかひ)俺には炬火を與れ。氣の輕い陽氣な手合は、舞踏靴の踵で澤山無感覺な燈心草を擽ったがよい。俺は、祖父の訓言通り、蝋燭持をして高見の見物。「好い目が出た時、中止めるは老巧者」ぢゃ。
(舞踏室又は客室の床上に刈り集めたるばかりの燈心草(藺)を敷きしは當時の上流の習はしなり。)
マーキュ へん「黒い鼠」と來りゃ夜警吏の定文句ぢゃが、もしも足下が「黒馬」なら、「沼」からではなく、はて、恐惶ながら、足下が首ッたけ沒ってゐる戀の淵樣から引上げてもやらうに。……(皆々に對ひ)おい、どうした? こりゃ晝の炬火ぢゃわ。(むだな費えぢゃ。)
ロミオ 何の其樣なことが。
マーキュ はて、斯う愚圖ついてゐるのは、晝間炬火を燃けてゐるも同然と言ふのぢゃ。これ、善い意味に取りゃれ。五智に只一度ッきりといふのが分別智ぢゃが、善い意味の事になら、分別智が常に五度も働く。
ロミオ さア、會へ行かうとはわるい意味でもなからう、が、行くのは智慧者の所爲ではない。
マーキュ とは何故に?
ロミオ 昨夜予は夢を見た。
マーキュ 俺も見た。
ロミオ そして足下の夢は?
マーキュ 空想家は囈言や空言を言ふのが癖ぢゃといふことを。
ロミオ 囈言や空言の中にも動かぬ眞理が籠ってゐる。
マーキュ おゝ、それならば、あの、足下は昨夜はマブ媛(夢妖精)とお臥やったな! 彼奴は妄想を産まする産婆ぢゃ、町年寄の指輪に光る瑪瑙玉よりも小さい姿で、芥子粒の一群に車を牽せて、眠ってゐる人間の鼻柱を横切りをる。其車の輻は手長蜘蛛の脛、天蓋は蝗蟲の翼、※〈[#「革+引」、40-5]〉は姫蜘蛛の絲、頸輪は水のやうな月の光線、鞭は蟋蟀の骨、其革紐は豆の薄膜、御者は懶惰な婢の指頭から發掘す彼の圓蟲といふ奴の半分がたも無い鼠裝束の小さい羽蟲、車體は榛の實の殼、それをば太古から妖精の車工と定ってゐる栗鼠と𢌞る、すると敵の首を取る夢やら、攻略やら、伏兵やら、西班牙の名劍やら、底拔の祝盃やら、途端に耳元で陣太鼓、飛上る、目を覺す、おびえ駭いて、一言二言祈をする、又就眠る。乃至は眞夜中に馬の鬣を紛糾らせ、又は懶惰女の頭髮を滅茶滅茶に縺れさせて、解けたら不幸の前兆ぢゃ、なぞと氣を揉まするもマブが惡戲。或ひは娘共が仰向に臥てゐる時分に、上から無上に壓迫けて、つい忍耐する癖を附け、難なく強者にしてのくるも彼奴の業。乃至は……
ロミオ しッ/\、もう止めた、止めた! 足下は意義もないことをばかりお言やる。
マーキュ さもさうず、夢の話ぢゃ。夢は空想の兒で、役に立たぬ腦から生るゝ。そも/\空想は、空氣よりも仄なもので、今は北國の結氷に言寄るかと思へば、忽ち腹を立てゝ吹變って、南の露に心を寄するといふ其風よりも浮氣なものぢゃ。
ベンヺ 其風に似た浮れ話に、大分の時が潰れた。ようせぬと、夜會が果てゝ、時後れになってしまはう。
ロミオ (獨語のやうに)俺はまた早まりはせぬかと思ふ。運の星に懸ってある或怖しい宿命が、今宵の宴に端を開いて、世に倦み果てた我命數を、非業無慚の最期によって、絶たうとするのではないか知らぬ。とはいへ、一生の航路をば一へに神に任した此身!……(一同に對ひ)さ、さ、元氣な人達。
ベンヺ 打て、太鼓を。
第五場 同處。カピューレット邸の廣間。[編集]
樂人共控へてゐる。給仕人共、布巾を携へて出で來り、取散らしたる盃盤をかたづくる。
甲給仕 ポトパンは何處へ往せた? かたづける手傳ひをしをらぬ。かたづけ役の癖に! 拭役の癖に!
乙給仕 饗應の式作法一切を、一人や二人の、洗ひもせぬ手でしてのくるやうでは、穢いことぢゃ。
甲給仕 疊椅子を彼方へ、膳棚もかたづけて。よしか、其皿も頼んだ。おいおい、杏菓子を一片だけ取除いてくりゃ。それから足下、深切があるなら、門番にさう言うて、スーザンとネルを入らせてくりゃ。(奧に向つて〈[#「向つて」はママ]〉)……アントニー! ポトパン!
丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出で來る。
丙 唯、こゝにゐるわい。
甲給仕 足下をば、大廣間で、最前から呼ばってぢゃ、探してぢゃ、尋𢌞してぢゃ。
丁 さう彼方此方に居ることは出來んわ。(一同に對ひ)ささ、働いた働いた。暫時ぢゃ、働いた/\。さうして長生すりゃ持丸長者ぢゃ。
一同かたづけながら入る。
カピューレット長者を先に、ヂュリエット及び同族の者多勢一方より出で、他方より出で來る賓客の男女及びロミオ、マーキューシオー等假裝者の一群を迎ふる。
カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々! 肉刺で患んで居らん婦人は、何れも喜んで舞踏敵手になりませうわい。……(婦人連に對ひ)あァ、はァ、姫御前たち! 舞踏るを否ぢゃと被言る仁があるか? 品取って舞踏らッしゃらぬ仁は、誓文、肉刺が出來てゐるンぢゃらう。何と圖星であらうが?……(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等とても假面を被けて、美人の耳へ氣に入りさうな話を囁いたこともござったが、あゝ、それは既う過去ぢゃ、遠い/\過去ぢゃ。……方々、ようこそ來せられた……(樂人を顧みて)さゝ、樂人共、はじめい。……(一同に對ひ)開いた/\! つゝと開いて、さゝ、舞踏ったり、娘達。
樂を奏しはじむる。男女手を取りあうて舞踏る。
もっと燭火を持て、家來共! 食卓を疊んでしまうて、爐の火を消せ、餘り室内が熱うなったわ。……あゝ、こりゃ思ひがけん好い慰樂であったわい。……(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御、まま腰を下しめされ、貴下も予も最早舞踏時代を過してしまうた。お互ひに假面を着けて以來、もう何年にならうかの?
カピ叔 大丈夫、三十年ぢゃ。
カピ長 何と被言る! まさかに然程ではない、まさかに。リューセンシオーの婚禮以來ぢゃによって、すぐ鼻の先にペンテコスト(祭日)が來たとして、二十五年、あの時に被假面ったのぢゃ。
カピ叔 いや、もそっと經つ、もそっと。彼れの倅がもそっと年を取ってをる。もう三十ぢゃ。
カピ長 確とさやうか? あの倅には、つい二年程前かたまでは、後見人が附いてをった。
此間ロミオは道外假面を被ったるまゝ獨り離れて見てゐる。其中ヂュリエットと一武官と手を取りあうて舞踏りはじむる。
ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家と手を取りあうてござる彼姫は何誰ぢゃ?
給仕 小僕は存じませぬ。
ロミオ おゝ、あの姫の美麗さで、輝く燭火が又一段と輝くわい! 夜の頬に照映ゆる彼の姫が風情は、宛然黒人種の耳元に希代の寶玉が懸ったやう、使はうには餘り勿體無く、下界の物としては餘り靈妙じい! あゝ、あの姫が餘の女共に立交らうてゐるのは、雪はづかしい白鳩が鴉の群に降りたやう。此一舞踏が濟んだなら、姫の居處に目を着け、此賤しい手を、彼の君の玉手に觸れ、せめてもの男冥利にせう。あゝ、俺は今までに戀をしたか? やい、眼よ、せなんだと誓言せい! 今夜といふ今夜までは、眞の美人をば見なんだわい。
此中來賓中のチッバルト此聲を聞咎めたる思入にて前に進む。
チッバ あの聲音はモンタギュー家の奴に相違ない。……(從者に對ひ)予が細刃劍を持て。……何ぢゃ? 下司奴めが、道外假面に面を隱して、此祝典を蹈附にしようとは不埓ぢゃ! カピューレットの正統たる權利を以て、彼奴めをば打殺しても、俺ゃ罪惡とは思はぬわい。
カピ長 はて、甥よ、何としたのぢゃ! おぬしは何で其樣に息卷くのぢゃ?
チッバ 叔父上、あれは敵方のモンタギューでござる。今夜の祝典を辱めん惡意を抱いて來をったのでござる。
カピ長 年若のロミオではないか?
チッバ でござる、そのロミオ奴でござる。
カピ長 まゝ、堪忍して、放任てゝおきゃれ、立派な紳士らしう立振舞うてをる上に、實を言へば、日頃ヹローナが、徳もあり行状もよい若者と自慢の種にしてゐるロミオぢゃ。全市の富に易へても、我家で危害を加へたうない。ぢゃによって、堪忍して見ぬ介をしてゐやれ。これは予の意志ぢゃ、予を重んじておくりゃらば、顏色を麗しうし、其むづかしい貌を止めておくりゃれ。祝宴最中に不似合ぢゃわい。
チッバ いや、不似合でござらん、あんな奴が居るからは。堪忍はなりませぬ。
カピ長 はて、堪忍せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの! せにゃならぬといふに。これさ/\、こゝの主長は乃公では無いか? 汝か? さゝゝ。汝が堪忍ならん! はれやれ、汝は來賓中に大鬪爭を起させうぞよ! 大騷動を爲出來さうわい! えゝ、汝のやうなのが、その!
チッバ でも、これは耻辱でござる。
カピ長 さゝゝ、沒分曉漢ぢゃ。確と然樣か? 其樣なことをすれば身爲になるまい。……すれば、何ぢゃな、では乃公の命令を聽かぬ! はて、今が時ぢゃ。……(來賓の方に向ひて)よう/\、出來た!(又チッバルトに對ひ)向不見にも程があるわさ、さゝ。はて、靜かに、若し……(從者を顧みて)もそっと燭火を持て、燭火を!……(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ! 是非とも靜かにして貰はう。……(來賓に對ひ)陽氣に/\!
チッバ 無理往生の堪忍と持前の癇癪との出逢ひがしらで、挨拶の反が合ぬゆゑ、肉體中が顫動るわい。引退らう。併し今こそ甘ったるう見えてをる汝が今夜の推參に、やがて苦い味を見せてくれうぞ。
チッバルト入る。
此間にロミオは假面のまゝ、巡禮姿のまゝにてヂュリエットに近づき、膝まづきて恭しく其手を取る。
ロミオ 此賤しい手で尊い御堂を汚したを罪とあらば、面を赧うした二人の巡禮、此唇めの接觸を以て、粗い手の穢した痕を滑かに淨めませう。
ヂュリ 巡禮どの、作法に善う合うた御信仰ぢゃに、其樣におッしゃッては、其お手に甚ァい氣の毒。聖者がたにも御手はある、其御手に觸るゝのが巡禮の接吻禮とやら。
ロミオ でも聖者にも唇があり、巡禮にも唇がござりまする。
ヂュリ さア、それはお祈願だけに用ふるもの。
此問答のうちに、二人はやゝ群衆と離るゝ。
ロミオ おゝ、いでさらば、我聖者よ、手の爲す所爲を唇に爲さしめたまへ。唇が祈りまする、聽したまへ、さもなくば、信心も破れ、心も亂れまする。
ヂュリ 切なる祈願の心は酌んでも、動かぬのが聖者の心。
ロミオ では、お動きなされな、祈願の御報をいたゞきます。
斯うして貴孃のお唇で、私の罪が此唇から清められ、拭はれました。
ヂュリ では、其罪は妾の唇へ移りましたのかえ?
ロミオ 何、わたしの罪が移った? おゝ、嬉しうもお咎めなされた! では、其罪を戻して下され。
ヂュリ ても、まア、御均等な。
乳母 姫さま、お母さまがお話がありますといな。
ロミオ あの方の母御とは、何誰ぢゃ?
乳母 はて、お若い方、母御樣は此お邸の内室さまぢゃがな、よいお仁で、御發明な、御貞節な。わしは、今貴下が話してござらしゃった孃さまを育てました。もしえ、あの子を手に入れさッしゃるお仁は、澤山々々貨幣にありつきますぞや。
ロミオ ではカピューレットの女か? おゝ、怖しい勘定狂はせ! 俺の命はこりゃもう敵からの借物ぢゃわ。
此時、ベンヺーリオー近寄りて
ベンヺ さア、歸らう/\。娯樂はもう頂點ぢゃ。
ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ彌〻心が不安になる。
賓客等おひ/\歸り支度をする。
カピ長 あ、いや、方々、お歸り支度をなされな。粗末な點心ながら、只今準備中でござる。(皆々代る/″\長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)……でござるか? はて、然らば、何れも忝なうござった。かたじけなうござる。御機嫌ようござりませ。……(從者に向ひ)もそっと燭火を持て、こゝへ!……(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上は、寢やう/\。あゝ、こりゃ、とんと夜が更けたわ。どりゃ俺も休まう。
一同次第に入る。ヂュリエットと乳母と殘りて、出行く客を見送る。
ヂュリ 乳母、こゝへ來や。あのお方は誰れ?
乳母 タイビリオーさまのお嗣子でござります。
ヂュリ 今戸口から出てゆかうとしてゐるのは誰れ?
乳母 さいな、ペトルーチオーさまの若樣でござりましょ。
ヂュリ あの方は、ありゃ誰れ? その後から行かッしゃる……ありゃ踊らなんだ人ぢゃ。
乳母 存じませぬ。
ヂュリ さ、往て、問うて來や。……
もしも婚禮が濟んだお方なら、墓が予の新床とならうも知れぬ。
乳母 名はロミオと言うて、お邸とは敵どうしのモンタギュー家の若ぢゃといな。
ヂュリ (獨語的に)類無いわが戀が、類ないわが憎怨から生れるとは! とも知らで早う見知り、然うと知った時はもう晩蒔! あさましい因果な戀、憎い敵をば可愛いと思はにゃならぬ。
乳母 何ぢゃいな、それは? 何を言うてござる?
ヂュリ 歌ぢゃ……今がた一しょに舞踏った人に教へて貰うた歌ぢゃ。
乳母 はい/\、只今!……さゝ、參りましょ。お客人は皆もう歸ってしまはッしゃれた。
〈[#改ページ]〉
第二幕
序詞役 扨も老いにたる情慾は方に最期の床に眠りて、
うら若き戀情が其跡を襲ぐべく起出づる。
曾ては憧れて、爲に死なんとまで呻きつる其美女も
今の目には美しとも見えず、ヂュリエット姫に比べては。
かくて戀ひつ戀はれつ、二人は一樣に色に迷へり、
然はあれど、歎顏に、敵の子に言寄る辛さ、
女もまた鉤より戀の甘餌を盜む怖しさ。
敵どしなれば誓約をも世の人並には告げがたく、
姫も同じ思ひながら、逢ふべき傳手は更に少なし。
さもあれ、情火は力を、時は便宜を與へければ、
限なき危さの中に、二人は限なく嬉しく逢へり。
第一場 ヹローナ。カピューレット邸の庭園の石垣に沿へる小逕。[編集]
ロミオ 心臟が此處に殘ってゐるのに、何で歸ることが出來ようぞい? 鈍な土塊め、引返して、おのが中心を搜しをれ。
石垣を攀ぢて庭内へ飛下りる。
ベンヺーリオーとマーキューシオーと出る。
ベンヺ ローミオー! ロミオどの! ローミオー!
マーキュ 彼奴めは怜悧者ぢゃ、一定とうに拔駈して、今頃は(家に)臥てゐるのであらう。
ベンヺ いや/\、此方へ走って來て、此石垣を飛越えた。マーキューシオーどの、呼んで見さっしゃい。
マーキュ いや、序に祈り出して見よう。……(呪文の口眞似にて)ローミオーよ! 浮氣よ! 狂人よ! 煩惱よ! 戀人よ! 溜息の姿にて出現めされ。たッた一句をでも宣言せられたならば、小生は滿足いたす。只「嗚呼」とだけ叫ばっしゃい、たッた一言、戀とか、鳩とか宣言せられい。此方の昔馴染の〻|いよ/\}}祈らねばならぬ。……(又祈祷の口眞似)あはれ、ローザラインの彼の星のやうな眼附、あの高々とした額、あの眞紅の唇、あの可憐しい足、あの眞直な脛、あのぶる/\と顫へる太股乃至其近邊にある處々に掛けて祈りまするぞ。速かに御正體を現せられい。
ベンヺ 聞えたら、腹を立たうぞ。
マーキュ 何の腹を立たう。若し戀女の魔の輪近くへ奇異な魔物を祈り出して、彼女が調伏してしまふまで、それを突立たせておいたならば、それこそ惡戲でもあらうけれど、今のは正直正當な呪文ぢゃ、彼女の名を借りて、ロミオめを祈り出さうとしたまでの事ぢゃ。
ベンヺ こりゃ何でも、木の間に隱れて、夜露と濡れの幕という洒落であらう。戀は盲といふから、闇は恰どお誂へぢゃ。
マーキュ はて、戀が盲なら的を射中てることは出來まい。今頃はロミオめ、枇杷の木蔭に蹲踞んで、あゝ、予の戀人が、あの娘共が内密で笑ふ此枇杷のやうならば、何のかのと念じて居よう。おゝ、ロミオ、若し足下の戀人が、な、それ、開放しの何とやらで、そして足下が彼女の細長林檎であつたなら!〈[#「あつたなら!」はママ]〉 ロミオ、さらば。野天の床では寒うて寢られぬ、下司床で臥よう。さ、往かうか?
ベンヺ では、去う。見附けられまいと爲てゐるものを搜すのは無要ぢゃ。
第二場 同處。カピューレット家の庭園。[編集]
ロミオ 人の痛手を嘲りをる、自身で創を負うたことの無い奴は。……
此時ヂュリエット二階の窓に現るゝ。
や、待てよ! あの窓から洩るゝ光明は? あれは、東方、なればヂュリエットは太陽ぢゃ!……あゝ、昇れ、麗しい太陽よ、そして嫉妬深い月を殺せ、彼奴は腰元の卿の方が美しいのを恨しがって、あの通り、蒼ざめて居る。あの嫉妬家に奉公するのはよしゃれ。彼奴の制服は青白い可嫌な色ぢゃゆゑ、阿呆の外は誰れも着ぬ、脱いでしまや。……おゝ、ありゃ姫ぢゃ。戀人ぢゃ! あゝ、此情を知らせたいなア!……何やら言うてゐる。いや、何も言うてはゐぬ。言はいでもかまはぬ、あの目が物を言ふ。あの目へ返答をせふ。……あゝ、こりゃあんまり厚顏しかった。俺に言うてゐるのでは無い。大空中で最ち美しい二箇の星が、何か用があって餘所へ行くとて、其間代って光ってくれと姫の眼に頼んだのぢゃな。若し眼が星の座に直り、星が姫の頭に宿ったら、何とあらう! 姫の頬の美しさには星も羞耻まうぞ、日光の前の燈のやうに。然るに天へ上った姫の眼は、大空中を殘る隈もなう照らさうによって、鳥どもが晝かと思うて、嘸啼立つることであらう。あれ、頬を掌へもたせてゐる! おゝ、あの頬に觸れようために、あの手袋になりたいなア!
ヂュリ あゝ/\!
ロミオ 物を言うた。おゝ、今一度物言うて下され、天人どの! さうして高い處に光り輝いておゐやる姿は、驚き異んで、後へ退って、目を白うして見上げてゐる人間共の頭上を、翼のある天の使が、徐かに漂ふ雲に騎って、虚空の中心を渡ってゐるやう!
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故卿はロミオぢゃ! 父御をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否ならば、せめても予の戀人ぢゃと誓言して下され。すれば、予ゃ最早カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞かうか? すぐ物を言はうか?
ヂュリ 名前だけが予の敵ぢゃ。モンタギューでなうても立派な卿。モンタギューが何ぢゃ! 手でも、足でも、腕でも、面でも無い、人の身に附いた物ではない。おゝ、何か他の名前にしや。名が何ぢゃ? 薔薇の花は、他の名で呼んでも、同じやうに善い香がする。ロミオとても其通り、ロミオでなうても、名は棄てゝも、其持前のいみじい、貴い徳は殘らう。……ロミオどの、おのが有でもない名を棄てゝ、其代りに、予の身をも、心をも取って下され。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取りませう。言葉を其儘。一言、戀人ぢゃと言うて下され、直にも洗禮を受けませう。今日からは最早ロミオで無い。
ヂュリ や、誰れぢゃ、夜の闇に包まれて、内密事を聞きゃった其方は?
ロミオ 名は何と言うたものか予は知らぬ。なう、我聖者よ、わが名は君の敵ぢゃとあるゆゑ、自分ながら憎うて/\、紙に書いてあるものなら、引破ってしまひたい。
ヂュリ お前の言葉はまだ百言とは聞かなんだが、其聲には記憶がある。ロミオどのでは無いか、モンタギューの?
ロミオ 孰らでもない、卿が嫌ひぢゃと言やるならば。
ヂュリ ま、どうして此處へ? して、まア何の爲に? あの石垣は高いゆゑ容易うは攀られぬに、それにお前の身分は、若し家の者が見附くれば、忽ちお命が無からうずに。
ロミオ あの石垣は、戀の輕い翼で踰えた。如何な鐵壁も戀を遮ることは出來ぬ。戀は欲すれば如何樣な事をも敢てするもの。卿の家の人達とても予を止むる力は有たぬ。
ヂュリ でも見附くれば殺しませうぞえ。
ロミオ あゝ、彼等十人、二十人の劍よりも、それ、その卿の眼にこそ人を殺す力はあれ。唯もう可愛い目をして下され、彼等に憎まれうと何の厭はう。
ヂュリ 予ゃ何樣な事があっても、お前をば見附けさせたうない。
ロミオ 幸ひ夜の衣を被てゐる、見附けらるゝ筈はない。とはいへ卿に愛せられずば、立地に見附けられ、憎まれて、殺されたい、愛されぬ苦みを延さうより。
ヂュリ 誰が案内をしておいでなされた?
ロミオ 戀が案内ぢゃ。尋ねて見い、と眞先に促進めたも戀なれば、智慧を借したも戀、目を借したも戀、予は舵取ではないけれども、此樣な貨を得ようためなら、千里萬里の荒海の、其先の濱へでも冐險しよう。
ヂュリ 夜といふ假面を附けてゐればこそ、でなくば恥かしさに此頬が眞赤にならう、今宵言うたことをついお前に聽かれたゆゑ。予とても、體裁つくり、そなことを言ひはせぬ、と言ひたいは山々なれど、式や作法は、もうおさらば! もし、予を可愛しう思うて下さるか?「唯」と被言るであらうがな。そして、それをまた實と思はう。でも誓言などなされると(却って)心元ない、戀人が誓言を破るのはヂョーヴ神も只笑うてお濟ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、可愛しう思うて下さるが實なら、其通り誠實に言うて下され。それとも、餘まり手輕う手に入ったとお思ひなさるやうならば、故と怖い貌をして、憎さうに否と言はう、たとひお言寄りなされても。さもなくば、世界かけて否とは言はぬ。あゝ、モンタギューどの、このやうに愚からしう言うたなら、わしを蓮葉なともお思ひなさらうが、巧妙に餘所々々しう作りすます人達より、もそッと眞實な女子になって見せう。いゝえ、わしとても、若し戀の祕密を聽かれなんだら、もッと餘所々々しうしたであらう。ぢゃによって、お恕しなされ、斯う速う靡いたをば浮氣ゆゑと思うて下さるな、夜の暗に油斷して、つい下心を知られたゝめぢゃ。
ロミオ 姫よ、あの實を結ぶ樹々の梢の尖々をば白銀色に彩ってゐるあの月を誓語に懸け……
ヂュリ おゝ、𢌞る夜毎に位置の變る不貞節な月なんぞを誓言にお懸けなさるな。お前の心が月のやうに變るとわるい。
ロミオ では、何を誓語に懸けよう?
ヂュリ 誓言には及びませぬ。若し又、誓言なさるなら、わたしが神樣とも思ふお前の身をお懸けなされ、すればお言葉を信じませう。
ロミオ 予の眞心が眞實戀ひ慕ふ……
ヂュリ あゝ、もし、誓言は、およしなされ。嬉しいとは思へども、今宵すぐに約束するのは、粗忽らしうて、無分別で、早急で、あッといふ間に消える稻妻のやうで、嬉しうない。戀しいお人、さよなら! 此戀の莟は、皐月の風に育てられて、又逢ふまでには美しう咲くであらう。さよなら/\! お前の胸にも予の胸にも、なつかしい安息の宿りますやう!
ロミオ すりゃ、これぎりで別れようといふのか?
ヂュリ では、どうせいと被言るのぢゃ?
ロミオ 予の誓言と取換に、卿の眞實の誓言が聽きたい。
ヂュリ わしの誓言は、さう言はれぬ前に、献げてしまうた。もう一度献げらるゝやうであって欲しい。
ロミオ では、取戻したいか? 何の爲に?
ヂュリ 有る限りを改めて獻げうために。とはいへ、それも、畢竟は、戀しいからのこと、献げたいと思ふ心も海、戀しいと思ふ心も海の、其底は測り知られぬ。献ぐれば献ぐる程、尚戀しさの増すばかりで、どちらにも限は無い。
此時、奧にて乳母の聲にて呼ぶ。
奧で何やら、かしましい聲がする。戀しいお方、さよなら……あいあい、乳母、今すぐに!……モンタギューどの、必ず渝らず。ちょと待ってゝ下され、すぐ又戻って來う。
ロミオ おゝ、有難い、かたじけない、何といふ嬉しい夜! が、夜ぢゃによって、もしや夢ではないか知らぬ。現にしては、餘り嬉し過ぎて譃らしい。
ヂュリエット再び階上に現はるゝ。
ヂュリ ロミオどの、もう三言だけ、それで今宵は別れませう。これ、お前の心に虚僞がなく、まこと夫婦にならう氣なら、明日才覺して使者をば上げませうほどに、何日、何處で式を擧ぐるといふ返辭をして下され、すれば、一生の運命をばお前の足下に抛出して、世界の如何な端までも、わしの殿御として隨いてゆきませう。
乳母 (奧にて)姫さま!
ヂュリ あい、今すぐに。……したが、萬一にも正しうないお心を有ってござらば、どうぞ……
乳母 (奧にて)姫さま!
ヂュリ 今すぐに行くわいの。……縁談を斷然止め、予をば勝手に泣かして下され。明日使ひを送げませうぞ。
ロミオ 後の生をも誓言にかけて……
ヂュリ 千たびも萬たびも御機嫌よう。
ロミオ 千たびも萬たびも俺は機嫌がわるうなったわ、卿といふ光明が消えたによって。戀人に逢ふ嬉しさは、寺子共が書物に離るゝ心持と同じぢゃが、別るゝ時の切なさは、澁面つくる寺屋通ひぢゃ。
ロミオそろ/\と退る。
ヂュリエット又階上に現れて、窃と口笛を鳴らす。
ヂュリ hist! ローミオー! hist!……おゝ、こちの雄鷹をば呼返す鷹匠の聲が欲しいなア、囚人の身ゆゑ聲が嗄れて、高々とは能う呼ばぬ。さもなかったなら、木魂姫が臥てゐる其洞穴が裂くる程に、また、あの姫の空な聲が予の聲よりも嗄るゝ程に、ロミオ/\と呼ばうものを。
ロミオ や、俺の名を呼ぶは戀人ぢゃ。あゝ、戀人の夜の聲音は、白銀の鈴のやうにやさしうて、聞けば聞くほどなつかしい!
ヂュリ ローミオー!
ロミオ 戀人か?
ヂュリ 明日、何時頃に使ひを送げうぞ?
ロミオ 九時に。
ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時までが二十年! あれ、忘れた、何でお前を呼返したのやら?
ロミオ 思ひ出しなさるまで、斯うして此處に立ってゐよう。
ヂュリ さうしてゐて欲しいから、わたしゃ尚と忘れませう。一しょにゐたい、といふ事ばかりは忘れずに。
ロミオ 予は又いつまでも斯うして此處に立ってゐよう、卿にも忘れさせ、自分も此家の事の外は皆忘れて。
ヂュリ もう夜が明くる。往んで欲しいとは思へども、小鳥の脚に、氣儘少女が、囚人の鎖のやうに絲を附けて、ちょと放しては引戻し、又飛ばしては引戻すがやうに、お前を往なしたうもあるが、惜しうもある。
ロミオ 卿の小鳥になりたいなア!
ヂュリ お前を小鳥にしたいなア! したが、餘り可愛がって、つい殺してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら! さよなら! あゝ、別れといふものは悲し懷しいものぢゃ。夜が明くるまで、斯うしてさよならを言うてゐたい。
ロミオ 卿の目には安眠が、卿の胸には安心の宿るやう! あゝ、其安眠とも安心ともなって、君の美しい胸や目に宿りたいなア!……これから上人の庵へ往て、今宵の仕合せを話した上、何かと助力を求めよう。
第三場 同處。托鉢僧ロレンス法師の庵室。[編集]
ロレンス法師提籃を携へて出る。
ロレ 灰色目の旦が顰縮面の夜に對うて笑めば、光明の縞が東方の雲を彩り、剥げかゝる暗は、日の神の火の輪の前に、さながら醉人のやうに蹣跚く。どりゃ、太陽が其燃ゆるやうな眼を擧げて今日の晝を慰め、昨夜の濕氣を乾す前に、毒ある草や貴い液を出す花どもを摘んで、吾等の此籃を一杯にせねばならぬ。萬有の母たる大地は其墓所でもあり、又其埋葬地たるものが其子宮でもある、さて其子宮より千差萬別の兒供が生れ、其胸をまさぐりて乳を吸ふやうに、更に何か一種宛靈妙じい殊なる效能のある千種萬種を吸出だす。あゝ、夥しいは草や木や金石どもの其本質に籠れる奇特ぢゃ。地上に存する物たる限り、如何な惡しい品も何等かの益を供せざるは無く、又如何な善いものも用法正しからざれば其性に悖り、圖らざる弊を生ずる習ひ。美徳も法を誤れば惡徳と化し、惡徳も用處を得て威嚴を生ず。此孱弱い、幼稚い蕚の裡に毒も宿れば藥力もある、嗅いでは身體中を慰むれども、嘗むるときは心臟と共に五官を殺す。かゝる敵が、植物界にも、人間界にも、常に陣どって相鬪ふ……仁心と害心とが……而して惡しい方が勝つときは、忽ち毒蟲に取附かれて、其植物は枯果つる。
ロミオ お早うござります。
ロレ 冥加あらせたまへ! 誰れぢゃ、此早朝に、なつかしい其聲音は? ほう、若い癖に早起は、心に煩悶のある證據ぢゃ。老の目は苦勞に覺め勝ち、苦勞の宿る處には兎角睡眠の宿らぬものぢゃが、心に創が無く腦に蟠りのない若い者は、手足を横にするや否や、好い心持に眠らるゝ筈ぢゃに、かう早う起きさしゃったは、こりゃ何か煩悶が無うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、昨夜は床に就かなんだのぢゃな。
ロミオ 其通りでござる、眠なんだ故にこそ嬉しい安心。
ロレ 神よ、罪を赦させられい! さてはローザラインと一しょぢゃな!
ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言るか? 其名前も、其名前に伴ふ悲痛も、予ゃ最早みんな忘れてしまうた。
ロレ それでこそ好い子ぢゃ。すれば、何處におゐやったのぢゃ?
ロミオ 二度と問はれいでも話しませう。仇敵の家で酒宴の最中、だまし撃に予に創を負はした者があったを、此方からも手を負はした。二人の受けた創は貴僧の藥力を借れば治る。なう、上人、予は其敵を憎みはせぬ、かうして頼みに來たのも、互ひの身の爲を思ふからぢゃ。
ロレ はて、明白と素直に被言れ。懺悔が謎のやうであると、赦免も謎のやうなことにならう。
ロミオ されば明白と言はうが、予はカピューレット家のあの美しい娘を又と無い戀人と定めてしまうた。予が定めたれば先方もまた其通りに定めたのでござる。手筈は皆濟んだ、殘るは貴僧に行うて貰ふ神聖な式ばかり。何時、何處で、如何して逢うて、如何言寄って、如何な誓言をしたかは、歩きながら話しませうほどに、先づ承引して下され、今日婚禮さすることを。
ロレ 祖師フランシス上人! こりゃまた何たる變りやうぢゃ! あれほどに戀ひ焦れておゐやつた〈[#「おゐやつた」はママ]〉ローザラインを最早棄てゝおしまやったか? されば若い手合の戀は其心には宿らいで其眼中に宿ると見えた。Jesu Maria! どれほど苦い水が其蒼白い頬をローザラインの爲に洗うたことやら? 幾何の鹽辛水を無用にしたことやら、今は餘波さへもない其戀を味つけうために! 卿の溜息はまだ大空に湯氣と立昇り、卿の先頃の呻吟聲はまだ此老の耳に鳴ってゐる。それ、まだ其頬に古い涙の汚れが拭はれいで殘ってある。卿はやはり卿で、あの愁歎は卿の愁歎であったなら、それは皆ローザラインの爲であったに、なりゃ、其心が變ったか? すれば、此一語を唱へしめ……女は心の移る筈、男心さへも堅固にあらず。
ロミオ 貴僧はローザラインに戀をすなというて、幾たびもお叱りゃったぞよ。
ロレ 戀をすなではない、溺るなと言うたのぢゃ。
ロミオ そして戀を葬れと被言ったぞよ。
ロレ 前のを墓に葬って、別のを掘出せとは曾ぞ言はぬ。
ロミオ なう、叱って下さるな。此度の女は、此方で思へば、彼方でも思ひ、此方で慕へば、彼方でも慕ふ。以前のはさうで無かった。
ロレ おゝ、それは、卿の戀をば、能う會得してもゐぬことを、只口頭で誦む類ぢゃと見拔いてゐた爲でもあらう。したが、こゝな浮氣者、ま、予と一しょに來やれ、仔細あって助力せう、……此縁組が原で兩家の確執を和睦に變へまいものでもない。
ロミオ おゝ、速う。早急に濟まさにゃならぬ。
ロレ いや、賢う徐うぢゃ。馳出す者は蹉躓くわい。
ロレンス先に、ロミオ從ひて入る。
第四場 同處。街上。[編集]
マーキュ ロミオめは何處へ往きをったか? 歸らなんだか昨夜は?
ベンヺ うん、父者の家へは。家來に逢うて聞いた。
マーキュ はて、あの蒼白い情無し女のローザラインめが散々に奴を苦めるによって、果は狂人にもなりかねまいわい。
ベンヺ カピューレットの一族のチッバルトが、ロミオが父者へ宛てゝ、書面をば送ったさうな。
マーキュ 誓文、決鬪状であらう。
ベンヺ ロミオは返事をやるであらう。
マーキュ 字の書ける程の者なら、返事をせいでか?
ベンヺ いや、しかけられたからは、立合はうと返事をせう。
マーキュ あゝ、ロミオの奴め、奴は最早死んでゐるわい! あの眞白な小婦の黒い目でしてやられた、耳は戀歌で射貫される、心臟の眞中央は例の盲小僧の彼の稽古矢で打碎かれる。何して、あのチッバルトと立合ふことなぞが出來うぞい。
ベンヺ え、如何な男ぢゃチッバルトは?
マーキュ 昔話の猫王ぢゃと思うたら當が違はう。見事武士道の式作法に精通遊ばしたお達人さまぢゃ。譜本で歌を唱ふやうに、時も距離も釣合も違へず、一、二と間を置いて、三つと言ふ途端に敵手の胸元へ貫通、絹鈕をも芋刺にしようといふ決鬪師ぢゃ。例の第一條、第二條を口癖にする決鬪師の嫡々ぢゃ。あゝ、百發百中の進み突とござい! 次は逆突? 參ったか突とござる!
ベンヺ え、何突?
マーキュ 白癩、あのやうな變妙來な、異樣に氣取った口吻をしをる奴は斃りをれ、陳奮漢め! 「イエスも照覽あれ、拔群な劍士でござる! いや、拔群な丈夫でござる!」 へん、拔群な淫婦でござるが聞いて呆れるわい。何と、お祖父さん、情無い世の中となったではござらぬか、朝から晩まで流行を仕入蝱共に惱されねばならぬとは? おゝ、又しても bon! bon! ぶん/\!
ベンヺ ロミオが來せた、ロミオが。
マーキュ 鮞を拔かれた鯡の干物といふ面附ぢゃ。おゝ、にしは、にしは、てもまア憫然しい魚類とはなられたな! こりゃ最早ペトラークが得意の戀歌をお手の物ともござらう。ローラなどはロミオが愛姫に比べては山出しの下婢ぢゃ、もっとも、歌だけはローラが遙かに上等のを作って貰うた。はて、ダイドーは自墮落女で、クレオパトラは赤面の乞食女、ヘレンやヒーローは賣女、賤女で、シスビは碧瞳ぢゃ何のかのと申せども、所詮は取るに足らぬ。……なうなう、ロミオの君、えへん、bonjour! これはフランス式の細袴に對してのフランス式の御挨拶でござる。昨夜は、ようも巧々と贋金を掴ませやったの。
ロミオ 二人ともお早うござる。なに、贋金とは?
マーキュ 吾々の目をお拔きゃって。後は言はいでもぢゃ。
ロミオ マーキューシオーどの、恕して下され、實は是非ない所用があったからぢゃ。あんな際には、つい、その、禮を曲ぐることがある習ひぢゃ。
マーキュ ふん、あんな際には、足腰の曲げ方が異ふといふのぢゃな?
ロミオ といふのは、慇懃に挨拶するためといふ意か?
マーキュ 其通り、御深切な解釋ぢゃ。
ロミオ これはまた御丁寧なお言葉ぢゃ。
マーキュ はて、禮法にかけては一代の精華とも崇められてゐる乃公ぢゃ。
ロミオ 精華とは名譽の異名か?
マーキュ いかにも。
ロミオ では、予の舞踏靴は名譽なものぢゃ、此通り孔だらけぢゃによって。
マーキュ 出來た。此上は洒落競べぢゃぞ。これ、足下の其薄っぺらな靴の底は、今に悉く磨り減って、果は見苦しい眞ッ赤な足を出しゃらうぞよ。
ロミオ はて、見ぐるしい眞ッ赤な恥を駄洒落るとは足下のこと。それ、もう、薄っぺらな智慧の底が見えるわ!
マーキュ おい、應援けてくれ、ベンヺーリオー。智慧の息が切れるわ。
ロミオ 鞭を加てい、鞭を、もっと/\。さうで無いと「勝った」と呼ぶぞよ。
マーキュ いや、こんな阿呆らしい拔駈の競爭は最早中止ぢゃ。何故と言へ、足下は最初からぬけてゐるわ。何と、頭拔けた洒落であらうが。
ロミオ 成程、愚鈍者事にかけては、足下は生得頭拔けてゐる。
マーキュ 巧く脱けをったな、咬むぞよ。
ロミオ はて「咬んでたもるな、阿呆鳥どのよ」ぢゃ。
マーキュ 足下の洒落は橙々酢といふ格ぢゃ、藥味にしたら酸ぱからう。
ロミオ ぢゃによって、かうした味の脱けた代物に撒布けてゐるのぢゃ。
マーキュ おゝ、ても善う𢌞るわ、寸から尺に伸びる莫大小口とは足下の口ぢゃ。
ロミオ はて、伸びると言へば、その伸びるとは足下の鼻の下ぢゃ、今天下に並びもない拔作どのとは足下のことぢゃ。
マーキュ (笑って)何と、かう洒落れのめしてゐるはうが、惚れたの、腫れたのと呻吟いてゐるよりは優であらうが? 今日こそは、つッともう人好のする立派なロミオぢゃ、今日こそは正面、側面、何處から見ても正めん贋無しのロミオぢゃ。女の事で愁言言ふは、例へば、彼の弄僕めが、見ともない面をして、例の棒切をおったてゝ……
ベンヺ もう止めた、もう止めた。
マーキュ しかけた一件を、止めいとは如何ぢゃ?
ベンヺ 默ってゐたら、尚ほ其上に、何を爲出さうも知れぬわい。
マーキュ 大ちがひぢゃ、何をしようぞい。事はとうに終んだわ。もう何もする氣は無い。
ロミオ やれ/\、お上品な問答!
(此原詞は“Here's goodly gear.”此意味不分明。乳母とピーターとの來るを見附けての評語とも、マーキューシオーとベンヺーリオーの猥雜な問答を反語的に評したるものと解せらる。こゝには後者を正しと見て、其義に譯しておきたり。)
乳母が先に、下人ピーター大きな扇子を持ちて從いて出る。
マーキュ 船ぢゃ/\!
ベンヺ 二艘々々。男襦袢と女襦袢ぢゃ。
乳母 ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 予の扇子を。
マーキュ ピーターどんや、扇子で面を隱さうちふのぢゃ、扇子の方が美しいからなう。
乳母 殿方、お早うござります。
マーキュ 御婦人、お晩うござります。
乳母 え、晩うござりますとえ。
マーキュ いかにも。それ、その日時計の淫亂な手が午過の標に達いてゐるわさ。
乳母 はれま、此人は! 何たるお人ぢゃお前は?
ロミオ 御婦人、これは事壞しの爲に神樣が造らせられた男ぢゃ。
乳母 ほんに、巧いことを被言る。事壞しの爲に出來た人ぢゃといの! あの、殿方え、ロミオの若樣には何處へゐたら逢はれうかの、御存じなら教へて下され。
ロミオ 予が教へう。したが、其若樣は彌〻逢はッしゃる時分には、尋ねてござる今よりは老けてゐませうぞ。はて、最ち年少のロミオは予ぢゃ。これより粗いのは今はない。
乳母 てもま、巧いことを被言る。
マーキュ 何ぢゃ、最ち粗いのをば甘美い? はて、巧い意味の取りやうぢゃの。賢女々々。
乳母 貴下がロミオさまなら、何處ぞで改めて御密會(御面會)がお願ひ申したうござります。
ベンヺ (笑って)今に、優待といふ積りで、誘惑をはじめかねまい。
マーキュ 慶庵婆だ/\! 來た/\!
ロミオ 來たとは何が?
マーキュ はて、兎ではない、兎にしても脂肪の滿った奴ではなうて、節肉祭式の肉饅頭、食はぬうちから、陳びて、萎びて……
(歌ふ)。やんれ、黴の生えた雌兎、
やんれ、黴の生えた雌兎、
レント祭には相應なれど
黴びた兎ぢゃ二十人でも食へぬ、
食はぬうちから黴びたと聞けば……
ロミオ、父御の館へおぢゃれ。あそこで飮まうぞ。
ロミオ 後から行かう。
マーキュ お媼どん、さらば。さらば/\。
流行の小唄を唱ひながらベンヺーリオーと共にマーキューシオー入る。
乳母 はい、御機嫌よう。……もし/\、あの人は、ま、何といふ無作法な若い衆でござるぞ? あくたいもくたいばかり言うて。
ロミオ あれは自分の饒舌るのを聽くことの好きな男、一月かゝってもやり切れぬやうな事を、一分間で饒舌り立てようといふ男ぢゃ。
乳母 おのれ、わしの事を何とでも言うて見をれ、目に物を見せうぞい。よしんば見かけより強からうと、あんな奴がまだ別に二十人あらうと、大事ない。自力で敵はぬなら、人を頼むわいの。碌でなしの和郎め! 彼奴らに阿呆にされて堪るかいの。彼奴らの無頼仲間ぢゃありゃせぬわい。……(下人に對ひて)汝も傍に立ってゐながら、予が隨意的にされてゐるのを、見てゐるとは何の事ちゃい。
ピータ 誰れもお前を隨意的には爲やせぬがや。若しも其樣なことがあれば、此利劍を引拔かいでかいの。こりゃ拔かんければならん場合ぢゃとさへ思うたら、わしゃ人に負くるこっちゃない。
乳母 えゝ、ほんに/\、悔しうて/\、身體中が顫へるわいの。碌でなしの和郎めが!……(ロミオに對ひて)もし/\、貴下さまえ、最前も申しましたが、妾の姫さまが、貴下を搜して來いとの吩咐でな、其仔細は後にして、先づ言うて置くことがござります、若しも貴下が、世間で言ふやうに、阿呆の極樂へ姫さまを伴れて行かっしゃるやうならば、ほんに/\、世間で言ふ通り、不埓な事ぢゃ。何故と被言りませ、姫さまはまだ齡がゆかッしゃらぬによって、騙さッしゃるやうであれば、ほんにそれは惡いこっちゃ、御婦人を騙さッしゃるは卑怯ぢゃ、非道ぢゃ。
ロミオ お乳母どの、おぬしのお姫さんへ慇懃に傳へて下され。予は飽迄も言うておく……
乳母 はれ、善いお仁や、ほんに其通り申しましょわいな。ほんに、ま、何樣に喜ばッしゃらう。
ロミオ 其通りにとは、何を? まだ何も言やせぬのに。
乳母 飽迄も言うて置く、とおッしゃったと言や、それが立派なお言傳手ぢゃがな。
ロミオ なう、姫に勸めて下され、此晝過に、何とか才覺して懺悔式に來らるゝやう。あのロレンス殿の庵室で、懺悔の式を濟まして婚禮する心なれば。こりゃ骨折賃ぢゃ。
乳母 いえ、めっさうな。一錢も戴きませぬ。
ロミオ まゝ、是非とも。
乳母 では、此晝過に? む、む、其樣にいたしましょ。
ロミオ あ、これ、お待ち。やがて、あの寺の塀外へ、おぬしに渡す爲に、繩梯子のやうに編み合せたものを家來に持たせて遣りませう。それこそは忍ぶ夜半に嬉しい事の頂點へ此身を運ぶ縁の綱。……さよなら。眞實を盡しておくりゃれ、きっと骨折の報はせう。さらば。姫へ宜しう傳へて下され。
乳母 御機嫌やういらせられませい!……あ、もし/\。
ロミオ 何とかお言やったか?
乳母 御家來は口の堅いお人かいな? 二人ぎりの祕密は洩れぬ、三人目が居らねば、と言ひますぞや。
ロミオ 大丈夫ぢゃ、鋼鐡のやうに堅い男ぢゃ。
乳母 それならば。こちの姫さまはな、それは/\憐しうて……ほんに、ほんに、まだ幼うて、分別もないことを言うてゞあった時分は……お、あのな、パリス樣と言うて、お立派な方がな、どうぞして物にせうと氣を揉まっしゃるのぢゃが、あのよな人に逢ふよりは、予ゃ蟾蜍に逢うたはうが優ぢゃ、と言うてな、あの蟾蜍に。予も折々は腹を立っても見ますのぢゃ、パリスどのゝ方が、ずっと好い男ぢゃと言うてな。すると、眞の事ぢゃ、孃は眞蒼な顏にならっしゃる、圖無い白布のやうに。え、ロミオと萬迭香とは、頭字が同じかいな?
ロミオ いかにも。それが、何としたぞ? 兩方ともRぢゃ。
乳母 はれま、人を! そりゃ、犬の名ぢゃがな。Rがお前の……いやいや、何か他の字に相違ないわいの。……何でもな、貴下と萬迭香とが如何とやらしたといふ、何ぢゃ知らんが、面白さうな額言(格言)とやらを作らしゃってぢゃ、貴下が聞かッしゃれば喜ばッしゃらうやうな。
ロミオ 姫に宜しう言うて下され。
乳母 はい/\、申しましょとも。……ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 先へ、そして急歩的と。
第五場 同處。カピューレットの庭園。[編集]
ヂュリ 乳母を出してやった時、時計は九つを打ってゐた。半時間で歸るといふ約束。若しや逢へなんだかも知れぬ。いや/\、さうでは無い。えゝも、乳母めは跛足ぢゃ! 戀の使者には思念をこそ、思念は殘る夜の影を遠山蔭に追退ける旭光の速さよりも十倍も速いといふ。ぢゃによって、戀の神の御輦は翼輕の鳩が牽き、風のやうに速いキューピッドにも双つの翼がある。あれ、もう太陽は、今日の旅路の峠までも達いてゐる。九時から十二時までの長い/\三時間、それぢゃのに、まだ歸って來ぬ。乳母めに、情が燃えてゐたら、若い温かい血があったら、テニスの球のやうに、予が吩咐くるや否や戀人の許へ飛んで行き、また戀人の返辭と共に予の手元へ飛返って來つらうもの。……あゝ、老人といふものは、死んでゞもゐるかのやうに、太儀さうに緩漫と、重くるしう、蒼白う、鉛のやうに……
おゝ、嬉しや、歸って來た。……なう乳母いの、如何ぞいの? あの方に逢やったかや?……侶は彼方へ。
乳母 ピーター。……入口に控へてゐや。
ヂュリ さ、乳母いの。……ま、何で其樣な情ない顏してゐやる? 悲しい消息であらうとも、せめて嬉しさうに言うてたも。若し嬉しい消息なら、それを其樣な顏をして彈きゃるのは、床しい知らせの琴の調べを臺無しにしてしまふといふもの。
乳母 おゝ、辛度! 暫時まァ休まして下され。あゝ/\、骨々が痛うて痛うて! ま、どの位ほッつきまはったことやら!
ヂュリ 予の骨々を其方に與っても、速う其消息が此方へ欲しい。これ、どうぞ聞かしてたも。なう、乳母や、乳母いなう、如何ぢゃぞいの?
乳母 ま、氣忙しい! 暫時の間が待てぬかいな? 息が切れて物が言はれぬではないかいな?
ヂュリ 息が切れて言はれぬと言やる程なら、息は切れてゐぬ筈ぢゃ。何のかのと言譯してゐやるのが肝腎の一言より長いわいの。これ、吉か、凶か? 速う言や。それさへ言うてたもったら、詳細事は後でもよい。速う安心さしてたも、吉か、凶か?
乳母 はて、お前は阿呆らしいお人ぢゃ、あのやうな男を選ばッしゃるとは目が無いのぢゃ。ロミオ! ありゃ不可んわいの。面附こそは誰れよりも見よけれ、脛附が十人並以上ぢゃ、それから手や足や胴やは彼れ此れ言ふが程も無いが、外には、ま、類が無い。行儀作法の生粹ぢゃありやせん〈[#「ありやせん」はママ]〉、でも眞の事、仔羊のやうに、温和しい人ぢゃ。さァ/\/\、小女よ、信心さっしゃれ。……え、もう終みましたかえ、お晝の食事は?
ヂュリ いゝえ/\。其樣な事は、もう夙に知ってゐる。婚禮の事をば何と言うてぢゃ? さ、それを。
乳母 はれ、頭痛がする! あゝ、何といふ頭痛であらう! 頭が粉虀に碎けてしまひさうに疼くわいの。脊中ぢゃ。……そっち/\。……おゝ、脊中が、脊中が! ほんに貴孃が怨めしいわいの、遠い遠い處へ太儀な使者に出さッしやって〈[#「出さッしやって」はママ]〉、如是な死ぬるやうな思ひをさすとは!
ヂュリ ほんに氣の毒ぢゃ、氣分が惡うてはなァ。したが、乳母、乳母や、乳母いなう、何卒言うてたも、戀人が何と被言った?
乳母 さいな、あの方の言はッしゃるには、行儀もよければ深切でもあり、男振はよし、器量人でもあり、流石に身分のある殿方らしう……お母さまは何處にぢゃ?
ヂュリ 母さまは何處にぢゃ? 母樣は家にぢゃ。何處に行かしゃらうぞ? 何を言やるぞい!「あの方が被言るには、身分のある殿方らしう、お母樣は何處にぢゃ?」
乳母 はれ、まア! そのやうに熱くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに/\。それが痛む節々の塗藥になりますかいの? これからは自分で使ひ歩きをばさっしゃったがよい。
ヂュリ まァ、仰山な騷ぎぢゃ!……これの、ロミオが何と被言った?
乳母 お前今日はお參詣に往ても可いといふお許可が出ましたかえ?
ヂュリ あいの。
乳母 では、なう、急いでロレンス樣の庵室まで往かっしゃれ。あそこでお前を内室になさるゝ人が待ってぢゃ。そりゃこそ頬邊へ放埓な血めが上るわ、所詮は何を聞いても直に眞赤にならッしゃらうぢゃまで。速うお寺へ。予はまた別の方へ往て梯子を取って來ねばならぬ、其梯子でお前の戀人が、今宵暗うなるが最後、鳥の巣へ登らッしゃるのぢゃ。予は只もう齷齬とお前を喜ばさうと念うて。したが、やがて夜になると、お前も骨が折れうぞや。さ、予は食事をせう。貴孃は庵室へ速うゆかしゃれ。
ヂュリ 速う其幸福に!……乳母や、きげんよう。
第六場 同處。ロレンス法師の庵室。[編集]
ロレンス法師が先に、ロミオ從いて出る。
ロレ 諸天善神、願はくは此神聖なる式に笑ませられませい、ゆめ後日悲哀を降さしまして御譴責遊ばされますな。
ロミオ アーメン、アーメン! 如何な悲哀が來ようとも、姫の顏を見る嬉しさの其刹那には易られない。神聖い語で二人の手を結び合はして下されば、戀を亡す死の爲に此身が如何樣にならうとまゝ。妻と呼ぶことさへ叶へば、心殘りはない。
ロレ さうした過激の歡樂は、とかく過激の終を遂ぐる。火と煙硝とが抱合へば忽ち爆發するがやうに、勝誇る最中にでも滅び失せる。上なう甘い蜂蜜は旨過ぎて厭らしく、食うて見ようといふ氣が鈍る。ぢゃによって、戀も程よう。程よい戀は長う續く、速きに過ぐるは猶遲きに過ぐるが如しぢゃ。
それ、姫が來せた。おゝ、あのやうな輕い足では、いつまで蹈むとも、堅い石道は磨るまいわい。戀人は、夏の風に戲れ遊ぶあの埓もない絲遊に騎かっても、落ちぬであらう。さほどに輕いものが空な歡樂!
ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父さま、ごきげんよろしう!
ロレ 其お返禮は、二人分、ロミオの口から。
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮が多過よう。
ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日を嬉しい、かたじけないと思ふ心が予と同じに滿腔なら、しかもそれを現す力が予よりも多いなら、今日の出會で二人が感ずる此夢のやうな嬉しさを、床しい天樂のやうな卿の聲で、四邊の空氣も融解くるばかりに、なつかしう奏でゝ下され。
ヂュリ 内實の十分な思想は、言葉の花で飾るには及ばぬ。算へらるゝ身代は貧しいのぢゃ。妾の戀は、分量が大きう/\なったゆゑに、今は其半分をも計算することが出來ぬわいの。
ロレ さゝ、予と一しょにござれ。速う濟してのけう。慮外ながら、尊い教會が二人を一人に合體さするまでは、さし對ひでゐてはなりませぬのぢゃ。
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第三幕
第一場 ヹローナ。街上。[編集]
マーキューシオー先に、ベンヺーリオー、侍童、下人等從いて出る。
ベンヺ マーキューシオーどの、もう歸らう。暑くはある、カピューレット家の奴等が出歩いてもゐる、出會したが最後、鬪爭をせねばなるまい。かういふ暑い日には、えて氣ちがひめいた血が騷ぐものぢゃ。
マーキュ おい、酒亭へ入った當座には、劍を食卓の下へ叩きつけて「神よ、願はくは此奴に必要あらしめたまふな」なぞといってゐながら、忽ち二杯目の酒が利いて、何の必要も無いのに、給仕人を敵手に引っこぬく手合があるが、足下が其仲間ぢゃ。
ベンヺ 予がそんな仲間か?
マーキュ さゝ、足下はイタリーで誰れにも負を取らぬ易怒男ぢゃ、直に怒るやうに仕向けられる、仕向けらるれば直怒る。
ベンヺ して何にするんぢゃ?
(此原詞は“And what to?”「して何の爲に?」といふ義。マーキューシオーはそれをわざと“And what two?”の意味に取りて例の駄洒落のキッカケとする。)
マーキュ 何人? いや、足下のやうなのが二人とゐたら、忽ち殺しあうてしまはうから、二人ともゐなくならう。はて、足下なぞは髭の毛一筋の多い少ないが原でも叩き合ふ。或ひは足下の目の色が榛色ぢゃによって、そこで相手が榛の實を噛割ったと言ふだけの事で、鬪爭を買ひかねぬ。その眼でなうて、そんな鬪爭を買ふ眼が何處にあらう? 足下の頭には鷄卵に黄蛋が充實ってゐるやうに、鬪爭が充滿ぢゃ、しかも度々打撲されたので、少許腐爛氣味ぢゃわい。足下は、街中で咳をして足下の飼犬の日向ぼこりを驚かしたと言うて、或男と鬪爭をした。復活祭前に新調胴衣を着たと言うて、或裁縫師と掴み合ひ、新しい靴に古い紐を附けをったと言うて、誰某とも爭論み合うた。それでゐて俺に鬪爭をすまいぞと異見めいたことを被言ゃるのか?
ベンヺ 予が足下ほど鬪爭好と言ふことが實なら、無條件で此命を一時間位は賣ってやってもよいわい。
マーキュ ろはぢゃ! ろッはッは! ろッはッは!(と笑ふ)。
チッバルトを先に、カピューレットの黨人出る。
ベンヺ や、カピューレットのやつらが來をった。
マーキュ へん、かまふものかえ。
チッバ 俺に附着いて來う、彼奴等と談じてくれう。……(ベンヺーリオーらに)諸氏、機嫌よう。一言申したうござる。
マーキュ ただ一言でござるか? 何かお添へなさい。一言兼一撃としたら如何ぢゃ?
チッバ 機會さへ與しゃらば、何時でも敵手になり申さう。
マーキュ 此方から與さねば、其方では機會が出來ぬと被言るか?
チッバ マーキューシオー、足下は平生あのロミオと調子を合せて……
マーキュ 何ぢゃ、調子を合せて? 吾等を樂人扱ひにするのか? 樂人扱ひに爲りゃ、耳を顛覆らする音樂を聞す。準備せい。(劍に手を掛けて)乃公の胡弓は此劍ぢゃ、今に足下を踊らせて見せう。畜生、調子を合す!
ベンヺ こゝは往來ぢゃ、どうぞ閑寂な處で冷靜に談判をするか、さもなくば別れたがよい。衆人が見るわ。
マーキュ 見る爲の眼ぢゃ、見るがえいわ。他が如何思はうと介意ふものかえ。
チッバ 足下とは中直りぢゃ。あそこへ奴が來をった。
マーキュ 奴ぢゃ? へん、ロミオが足下の奴なものか? 何時足下が給服を着せた? はて、先に立って決鬪場へ行きゃれ、ロミオも隨行をせう。それが奴の役なら、ロミオは足下樣のお抱奴ぢゃ。
チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、