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さへ國主共備候人の心にはいやしき意地と、心有武士は可笑事に御座候、まして況んや一天下を治させ給ふ御身に於ては、金銀は有生不滅の世寳にて、いつ迄も不滅して天下に融通しめぐる物にて御座候へば、大名以下の心とは格別の違ひ、是第一の御事に御座候、米穀は一年切の物にて、惡年打續候得ば何方よりも入事なく、扨一日半日にても無て不御百姓みたからにて御座候、別て可賞は武門の源なれば、上の善惡田畑の善惡に移り候事稻光りのごとく、しかれば國主より以下の心と、天下一統の御大將の御心とは大に違御座候、此境をもあきらめず、唯銘々の分限を規矩として、天下國家の御政道に御助言申上候御役衆こそ、いと無本意存候得共、諸々の惡事の起るは朕が咎なり、今日を送りかねるより諸々の惡事はおこるものなりと、嵯峨天皇は被仰しとかや、今武家一統の御代にては、將軍樣の御心より諸々の善惡は出候、能々御思案被遊、乍御守行に被趣候はゞ、國土豐に水火の難漸々に絕可申、此御守行と申は奧にあら申上候、惣て人困候へば天地の德薄なり申候、天地の德薄ければ、五穀は不申、千草萬木ともに育不申候、然ば重んぜらるゝとは相見へ不申候

昔大閤秀吉天下をしろしめして以後、兩度まで御藏拂被遊候由、金銀を大分藏に納置は、能士を籠へ押込にひとしきとて、金藏不殘明られ、天下の四民四通に悉被下候事二度に及候由、大閤の御代には朝鮮攻其外金銀大分入用多時すら、如此大勇󠄁を備へ給ふと語傳申候、尤成かな、天下の金銀は將軍の物なり、古より武將の金銀に御手支被遊たるを不聞、さらば御大事のあらん時は、海內の寳はおのづから集る事的然なり、縱ば不足に候へ共、由井丸橋ごときは大望にさへ金には手をつかんずと承傳候、いはんや治國太平の御代に於て、金銀を〆萬民を困め給ふ御小機はいかなる事に候哉、當時諸大名の困窮は如何成故と被思召候哉、日本の金銀は不易日本に御座候へば、只すくむと能通るとの違にて、全此源を御考可遊候事

 御家人の御切米金子にて當年は御渡被遊、大分の難儀申計も無御座候、米にて定候御切米は、いつ迄も米金にて定候、御給金はいつ迄も金子にて御渡被遊候へば、いかほど損益御座候ても、上を恨み奉事無御座候、縱ひ上に御損被遊、金子にて御渡被遊候ても、不定事は天下の御仕置にも有御座間敷奉存候、殊更當年の被遊方、上に御德眼前に御座候へば、御家人下心には奉恨、色にこそ不出共、人情の習御賢察可遊候、上に御德と申は、當春御張紙の直段より町の米相場は高く、當冬御張紙直段高く被遊候へば、其內を御借被遊候に付、明かに御德用相見へ申候、ケ樣の儀御仕置とて、日本の萬民可服哉、不服時四海掌に御治被遊候と申ものにては無御座候、第一御大切の御家人を纔の事にて御責被遊候へば、況下萬民の事において御憐愍の無ところ、乍恐下下の奉察事に御座候、御家人の難儀は御鉾先のなまりにて御座候へば、此一條に至りて御爲重き御事に御座候、御厚恩を蒙り奉る家人衆、心は附ながら御諫も不申上、其無甲斐とや、無本意とや可申上、下々了簡におち不申候事