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に又金を以てしたのであつたが、彼れは復た更に予が婦を索めた。婦時に姙娠方に九月であつて、地に死伏して起たなかつた。予紿いて曰く婦は臨月に近く、加ふるに昨屋に上りて跌き落ち、孕之が爲に壞れて萬々生くる能はないので安んぞ起來することが出來やうぞと、紅衣者之を信じない。因て腹を啓いて之をしめし、兼て驗するに先に塗りたる血の袴を以てしたりければ遂に顧みずして去つた。之にとらへられしもの一少婦、一幼兒、一小兒であつたが小兒は母を呼んで食を索めたるに、卒怒つて一擊しければ腦碎けて立ろに死んだ。仍て少婦と幼女との二人を拉し來つた。

 予謂へらく此地の人逕は已に熟し〈人皆此路を熟知せるの意〉て身を存することが不可能であるゆへ當さに善地を易へて之に處るべしと。而も婦は堅く自盡せむと欲するので、予も亦惶迫して自から主たることなく、〈心常軌を逸せるの意〉兩人共に遂に出でて並びに梁に縊れたのであつたが、忽ち項下うなじのしたの兩繩一時に斷ちて俱に共に地に跌き倒れたのであつた。而も足未だ起つに及ばずして而も兵又た門に盈ち々々し、直ちに堂上に趨り未だ兩廊を過ぐる