「拙者親方と申すハ。御立合の中に。御存のお方もござりませうが。お江戶を立て二十里上方。相州小田原。一しき町をおすぎなされて。靑物町を登りへお出なさるれバ。欄干橋虎屋藤右衞門。只今ハ剃髮いたして。圓齋となのりまする。元朝より大晦日まで。御手に入まする此藥ハ。昔ちんの國の唐人。うゐらうといふ人。わが朝へ來り帝へ參內の折から。此藥を深く籠置。用ゆる時は一粒づゝ。冠のすき間より取出す。依て其名を帝より。頂透香と給ハる。則文字にハいたゞきすく香と書てとうちんかうと申す。只今ハ此藥殊の外世上に弘り。ほう〴〵に似看板を出し。イヤおだハらの灰俵のさん俵の炭俵のと。いろ〳〵に申せども。平がなをもつてうゐらうと致たハ。親方ゑん齋ばかり。もしやお立合の中に。熱海か塔の沢へ