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御所を伏し拜み、感淚をおさへることができませんでした。のち、筑後の久留米で、時勢をなげいて自害しましたが、息をひきとるまで、かたちを正して、はるかに皇居を拜んでゐたといふことです。
君平が御陵を巡拜する
君平は、下野の人で、各地の御陵を巡拜し、〈第百二十代〉仁孝天皇の御代に、山陵志といふ本をあらはして、朝廷に奉り、また幕府にも、さし出しました。山陵志が出て、今まで世に知られてゐなかつた御陵も明らかになり、荒れてゐた御陵は、のちに、だんだん御修理申
御所を伏し拜み、感淚をおさへることができませんでした。のち、筑後の久留米で、時勢をなげいて自害しましたが、息をひきとるまで、かたちを正して、はるかに皇居を拜んでゐたといふことです。
君平は、下野の人で、各地の御陵を巡拜し、〈第百二十代〉仁孝天皇の御代に、山陵志といふ本をあらはして、朝廷に奉り、また幕府にも、さし出しました。山陵志が出て、今まで世に知られてゐなかつた御陵も明らかになり、荒れてゐた御陵は、のちに、だんだん御修理申