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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 2.pdf/39

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諸外國との交りを深めようとしたのも、まつたくその現れであります。

また家康は、もと秀吉に從つてゐた弱味があるので、大名の取りしまりには、ずゐぶん苦心しました。大名の中には、德川氏の一族(親藩)や、三河以來の家臣(譜代)もありますが、もと德川氏と同列だつた大藩(外樣)がたくさんあります。そこで家康は、大名の配慮に工夫をこらし、更にこれを、おきてできびしくしばるやうにしました。參勤交代といふ制度も、大名取りしまりの、たくみな方法でありました。

參勤交代とは、諸大名に命じて、妻や子を江戸にとどめさせ、大名には、時期を定めて、ある期間、江戸に住まはす制度であります。これで、幕府の大名に對する監督は行き屆くし、また大名に道中その