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加へるなど、いろいろ政治の工夫をしました。しかも、つねに士民をいたはり、京都の北野で盛大な茶の湯を催して、人々と喜びをともにしたこともあります。國民の心は、おのづからのびのびとして、元氣が國に滿ちあふれました。かうして、信長が御代のしづめになるやうにとまいた種は、秀吉によつて、みごとな花と咲いたのであります。
三 扇面の地圖
秀吉は、海内平定の軍を進めながら、早くも、その次のことを考へてゐました。それは、朝鮮・支那はもちろん、フィリピンやインドまでも從へて、日本を中心とする大東亞を建設しようといふ、大きな望