した。また、工夫をこらした催しを、次から次へとお目にかけて、お慰め申しあげました。
そののちも、秀吉は皇居を御增築申しあげ、都の町なみをもよく整へましたので、朝廷の御有樣も、京都のやうすも、見違へるほど、りつぱになりました。
やがて天正十八年、軍を關東へ進めて北條氏を平げ、奧羽の伊達氏らも、秀吉の威風になびいて、こころよく從ひました。ここに、全