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の腕を以てしては、到底、大がかりなものは出来ないに定つてゐるが、手を染める前に、まづその材料調達に困惑した。私は、ふと、復生病院で見たルヽドの洞窟を思ひ出した。それは二間程の高さの岩窟の内部に、等身大の見事なクリストの立像が、いかにも厳かに生彩をはなつてゐた。それに較べると、いま私の脳裡に描かれてゐるわれわれのルヽドは、余りに貧しくさゝやかである。私は義弟と相談した結果、岩窟はそのほんの内部だけを石でつくり、その周囲を四五尺の高さに土と柴で築くことにした。それで洞窟は一応出来ることになつたが、(さ)て、困つたのはクリストの御像である。肝心の像がなくては物にならんし、といつてわれわれの力ではどうにも出来さうがない。

 ひと思案の後、御像はK神父から戴いた八寸程の十字架を以て充てることにした。これは茶褐色の台に、銀製のクリストの裸像が、かつてのゴルゴダのイエスのごとく釘付にされてゐる。

 柴は直ぐ前の山に在るし、石も手頃の物が三個はど附近の草むらの中から見付け出した。何かの土台物に使用したらしく、半面にところどころセメントが附着してゐる。私はこころみにその一つを持上げてみた。七八貫もあらうか、ずつしりとかなりの重さである。私はその重量の裡にふつと幼い頃の事を思つた。それはまだ六七才頃の事であったやうに記憶する。どんな小さな石にも、石自体の生命があつて、石は生きてゐるのだといふことを信じてゐた。従つて、石は絶えず成長してゐるといふことも信じてゐた。河原などに遊んで、ふと小石を手にしたりすると、こんな小つぽけな石ころでも、やがて自分が年を取つて、お爺さんになる頃には、この石も苔むしたお爺さん石になるんだな、などと考へる、すると、急にてのひらの小石がむくむくと動き出すやうに思はれて、ひどく気味わるがつたりしたものである。門柱に鏤めた玉石や、或ひは土台石などの類ひを見てもこれがやがて大きくなつて、門柱からぬけ落ちたり、家をひつくり返すやうになるかも知れない、と途方もないことを考へたものだ。石に対するこの考へは、小学校を卒へる頃まで、私の脳裡に棲んでゐた。今でも何かのはづみに当時の事をふつと思ひ出したりする。私には娯しい思ひ出の一つだ。

 この生きてゐる? 石をうまく利用して、恰好なルヽドの洞窟をつくる喜びを前に、私はまた眠られぬ夜の中で、小さな庭師の頭脳を動員して、その設計をせねばならない。 (五月五日)