Page:TōjōKōichi-The New Garden-Shinkyō-2009.djvu/8

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性の私には、眠られぬ夜になってしまふ。翌朝、夜の明けるのを待っママて庭に飛出し、昨夜の設計に従つて、こつこつと庭の装幀に取掛る。これは私の最も娯しいものゝ一つである。

 しかし、時折、私は庭つくりの手をやすめて考へることがある。亡くなつた北條君は庭つくりなど、これに類したことには凡そ手出さぬ男であつた。彼の生前、私はかつて彼のそのやうな姿を見たことがなかつた。そういへば、Bもやらない、CもDも嫌ひのやうである。北條君にせよ、現在の友の誰彼にせよ、彼等は、私が庭つくりや小鳥とたはむれてゐる間にも、こつこつとその第一義的な、創作や読書や思索に耽つてゐる。それなのに私はこれで良かつたのだらうか、と。

 しかし、それがたとへどのやうな生活態度にせよ、不断に娯しむことが出来たらそれで充分である。喜びに大小はあつてもその本質には何の変りもないであらう。さう思つては、また小さな庭師になり、花と土とにたはむれてゐる自分である。


 小堤に包まれた庭には、ほどよい自然木の間に、恰好な築山がある。私はこれを男体山と称んでゐる。故郷の山になぞらへて作つたからだ、築山に添へて、粗末な禽舎と、小さな花圃がある。花圃にはグラヂオラスが一寸ほどに芽ぶき、築山には枯れかゝつた小松と、北條君の形見の沈丁花が、緑の色褪せた幾枚かの固い葉をつけて、頂きを占めてゐる。禽舎には白文鳥がつがひで棲んで居り、雌はいま卵を抱いてゐる。雄はその雌の態度が、気に掛るやうな、掛らぬやうな、ひどく手持無沙汰の態に見える。これが私のところの庭の全風物である。


 しかし、これらの貧しい眺めも、私には恒にまあたらしく愉しい景観なのだ。それら物自体の匂ひや、色や、形やは、それらの醸し出す気分と相挨つて、不思議なほど、私の五官ママに妖しい働きを示すのである。殊に、その色彩が添へるところの趣きと味はひとには、また格別なものがある。色そのものを美学的に云々することは私には出来さうにもないが、色の持つ本質的な美しさ、と云つた風なものを、最近、私は眼を悪くしてからいつそうしみじみ感じるやうになつた。おぼろげな視野のなかに入つて来る、平凡な木の肌の色、名もない一茎の草の色、一握の芥のはなつ地味な色、水の色、空の色、土の色を、私は心しみじみ美しいと思ふ。いつまで娯しんでも足りぬ思ひだ有難いと思ふ。この私の気持には、あゝまだ物の色が判る、といふ眼病者のみの持つ一種の、喜びから来るものも手つだつてゐようがしかし、決してそればかりではない。

 色彩の有難さを、人は案外忘れがちなのではあるまいか。若し、距離といふものが無かつたら、風景はあり得ない、とアランは云つてゐるが、色彩がなくても、風景は存在しないであらう。われわれは色彩を創造した神に感謝すべきだ。


 庭の一隅にルゝドの洞窟をつくっては、といふ義弟の言葉に、それは良からう、と私もすぐに賛意を表し、早速、その材料を揃へることにした。小さな庭の事であるし、それに怪しげな庭師