Page:TōjōKōichi-JapanesePersimmon.djvu/2

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 ――さうかもしれん。しかしそれでもいゝよ。とわたしわらながこたへた。すると友人いうじん又󠄂またいつた。

 ――だがなんだつてかきなんかゑるになつたんだい。そんなさきながものよりトマトや西すゐくわでもつくつたはうが、勝󠄁しようはやくていゝぢやないか。

 ――いや勝󠄁しようおそくつても勝󠄁つたほうがいゝよ。いまこれをゑてけば、おれ達󠄁たち食󠄁へなくても、つぎひと達󠄁たち食󠄁へるからね。

 しかしこのともには、このちひつぽけななへと、もうかげもなく繃帶ほうたい󠄁包󠄁つゝまれてゐるわたしつま姿すがた較󠄁くらべて、あはれなことともつまらぬしよくじゆともうつるのであらう。のふまでどくしよして者︀ものが、今日けふははや眼帶がんたいをして暗󠄁黑あんこくかい呻吟しんぎんしなければならない。かとおもへば夕方ゆふがたまでげんはたらいてゐた者︀ものが一しつくわんあし切斷せつだんし、咽頭のど切開せつかいしなければならない。まことにらい者︀しやびやうじやう今日けふあつて明日あすらぬはげしいかはやうしめすが、それかといつてたゞ目前󠄁もくぜんことのみを追󠄁求ついきうせつせつきるのはあまりにもざつでありすぎる。

 明日あす生命せいめいだれらぬ。目前󠄁もくぜん迫󠄁せまつてゐるすらかんすること出來できぬ。それゆゑにこそかへつてきることたふとたのしいのである。遠󠄁大ゑんだいけいくわくてられ、望󠄅はうてるのである。明日あす望󠄅󠄂のぞないなら、なほのこと今日けふきることはむづかしい。十ねん二十ねんさきかんがへられぬなら、目前󠄁もくぜん分󠄁間ふんかんことかんがへられぬはずである。 五分󠄁間ふんかんも十ねん二十ねん歲月さいげつ所󠄁しよせんは五十である。明日あす生命せいめいらずとも、明日あすのために今日けふそなへてきるのは、ひとむべき道󠄁みちであり、たゞしいこゝろであつて明日あすおもわづらこゝろではけつしてない。

 明日あすためおもわづらふことなかれ、明日あす明日あす自己じこためおもわづらはん、そのはそのろうにてれり。

 わたしかきをあかずながめた。このひとひとつがあいこゝろあらはれである。わたし飽󠄁󠄁あかずにながめるのもまたあいこゝろからである。このひとときわたしせいを、わたしはしみたふとおもふ。