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柿 の 木

―癩者︀の療養生活より―

東條 耿一

 こないだじんからもらつて庭󠄁にはすみゑていたかきなへが、今朝けさみるともう五分󠄁程󠄁ほどにやはらかな芽︀をつけてゐる。わたしづいたことたしかめておもはずほつとした。一ぼくさう類︀たぐひにも神︀かみあたへられた生命せいめいがある。それをらしてしまふのはすまなくしまれる。

 このかきじんたんせいしてつぎしたもので、まだわたし丈󠄁󠄁たけにもらぬが、成︀せいちやうしたあかつきにはごとむすんでくれることであらう。これをゑるとき、このがなつたところをにたいわね、とつまがいつた。もとみづをやつてゐたいもうとは、――ほんとね、せつかくゑたんだからわたしひとぐらゐあぢをみなくちやつまんないわ、とあひづちをうつた。

 ――まあかきがなるころにはきみ達󠄁たちはう納󠄁骨堂なふこつだう納󠄁をさまつてゐるよ。そのときにはおれがさんざん食󠄁つてからのこつたのを そなへてやるよ、まあそれをたのしみにしてるんだね。とちやうあはせてゐた友人いうじんわらひながらつた。