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沿いの生垣に沿つて植えられてあるほか、やや迂回する状態で飛び石が潜り戸の近くから離座敷まで続いていた。離座敷階下の状況をみるに、同階下は八畳間の南側に接して巾約一・五メートルの縁側があり、同所にはリノリユームが張つてあつたが、その縁側の南端には四枚戸の引き戸が取り付けられ、さらにその南側はすぐ庭園に続いていた。右引き戸の構造は、いずれの戸も腰板の上に四段の八枚の硝子が二枚づつ横に嵌め込まれてあるものであつたが、上の二段は透明硝子、下の二段はすり硝子であつた。また引き戸のすぐ外側には、縦約一・二一メートル、横約〇・四二メートル、高さ約〇・三〇三メートルの踏み石が置かれてあつた。右表門わきの潜り戸は当時錠がなく、開閉は昼夜を問わず常に自由な状況であつた。

⑵ 就寝状況
  〔乙2〕の司法警察員に対する昭和二四年八月八日付および検察官に対する同月三一日付各供述調書、司法警察員作成の検死調書の各記載、原一審証人〔乙〕、原一、二審証人松永藤雄、同〔乙2〕の各供述記載、前記原一、二審検証調書の各記載によれば次の事実が認められる。
  本件犯行当夜即ち昭和二四年八月六日夜の離座敷階下八畳間における被害者〔甲〕、実母〔乙2〕および長女の就寝状況は前記第一、一、㈣に記載したとおりで、各布団の位置は、被害者と〔乙2〕の分は互に少し離して敷き、長女の子供用のそれは被害者の布団に略重なるように敷いたが、被害者の布団は右座敷とその南側の縁側との間の敷居から丁度畳の横巾(約〇・八七メートル)だけ離して敷居と平行に、また同布団の上端は西側壁から約一メートル東方に離して敷いた。そして