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『あ、さつきは濟みません、わざお茶など……、給仕がゐなかつたんですか』

 彼女は、その河上の聲に、びっくりしたやうに線を合せたが、

『あら、いゝのよ……』

 と呟くやうにいつて、俯向いた。

『どうかしたんですか』

『……』

『顏色が惡いやうだけど……』

『……』

『あ、頭が埃りだらけですよ……』

『……』

 彼女は、ものうささうに手許のメモを取ると、何事か走り書きにして寄來した。村上が引よせて見ると、

 ――執務中の私用は御遠󠄁慮下さい。(今日は特に)――

 と書いてあつた。

 途󠄁端に、一日置き出のオワイ町先生が、つい今しがた出し、自分の眞後に嚴然とゐることそして時間から時間までは、この會といふ機械の、一つの齒車であれ、といふのが先生の豫てからの說であつたことを思ひ出し、河上は、憂欝な顏をして帳簿を擴げにかゝつた。


2


『河上さん、荷物を開けたいさうですが……』

 給仕が呼びに來た。

 さつきからふさいでゐる彼女と向き合つて、失戀に似た氣持を味はつてゐた河上は、それをいゝことにして傳票を摑み、わざと勢ひよく階段を倉庫の方に駈下りて行つた。

 陽あたりの惡い倉庫には、いつものやうにパツキングや木箱から立騰る倉庫獨特の匂ひが、むーんと罩つてゐた。このは輪入が商賣なので、それらの鐵の帶で締められ、橫文󠄁字のべた書かれた木箱の匂ひこそ「異國の香」であるなどと初めは感傷的なことを思つたのである、が近󠄁頃はもうたゞむせつぽいばかりであつた。

 河上の仕事は、この送󠄁られて来た商品の開封に立合つて、傅票と商品個數とを照合し、それを