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るか。

クリ 然り同一なり。

ソー 是等の前提より余は本論に進みて問はんに、吾等はアテーナイ人の承諾なくして脫獄を試むべきものなるか、或は此は爲す可からざるものなるか。若し之れ明かに正理なることなりとせば、吾等脫獄を試むべしと雖、若し夫れ正理ならざるに於ては、こは思ひ止まるべき事たるなり。又た君の云へる所の、金錢に關し、性格を失ふことに關し、小兒の敎育に關したる事等は、之れたゞ衆人の言ふ所にして、其意に隨つて人を生かし、或は些少の理由を以つて人を死に處する所の俗衆の言ふ所たるのみ。此く諭し來る時は、たゞ殘れる所の疑問は、吾等脫獄し、他人をして吾等の脫獄に助力を與ふるを許るし、金錢を拂はせ、之れに謝するは果して正理なるか、將た又た不正なるかと云ふにあり。若し夫れ不正なりとせば、余が此に留まることの爲めに、或は其他の不幸降り來ると雖、是等は計算以外に置かざる可からざるなり。

クリ ソークラテースよ、君の言ふ所や正し。然らば吾等如何にせば