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と欲することあるなり。何ぞや、曰く、諸君は余を以つて言語の不十分なるより、此の死の决心を爲したるものなり――即ち、若し余にして何事も爲さゞるなく、何事も言はざるなく、爲し殘したる事、言ひ殘こしたることなき時は、余は無罪放免たるを得べしと思ふものなりとせん。されども全く然らざるなり。余が死の决心を爲したるは决して言語の不十分なるに由るものに非ざるは確實なり。たゞ余は諸君の望むが如く、或は泣き或は悲しみ、或は歎き、或は種々の事を爲し、種々の事を言ふこと、諸君が多くの死刑の人の塲合に實知せるが如きことは、余は之れを爲すの勇氣と大膽と、又た其意志とを有せざるなり。此くの如きは余の卑しとなす所なり。思ふに、危難の時に際し、余は决して他人の爲すが如き卑しむべき一般の動作を爲すべきに非ずと。且つ余は今ま爲したる所の辯解の方法に就いて、毫も後悔せる所なく、寧ろ自己の方法を以つて辯論して死することあるとも、諸君等の方法に從つて辯論して生きんことを欲せざるなり。凡そ人は或は戰塲に在つて、或は法庭に在つて、有らゆる方法を盡くしても死を遁れんことを唯一の目的とすべきものに非ず。人戰塲に