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に至るまで禁獄さるべしとせんか。余は同一の異存有つて存せり。何となれば余は金錢は之れを所持せざるを以つて、從つて之を拂ふこと能はず、爲めに獄中に起臥せざる可からざるなり。若し國外放逐に處せよと云はんか(恐くば之れ諸君の决定せんとする所の刑なるべし)然らば、余は生命の愛に盲せるものならざる可からず。而して思へらく、若し我同國人たる諸君にして、已に余の言論談話に堪ゆること能はず、是等の談話言語は悲しむべくも、忌むべきものたりとせば、他國人の感ずる所も亦必ず同樣なるべし。アテーナイ人諸君、余は此くの如きことを爲さゞるべし。余の如き老年を以つてして都市より都市に遍歷し、常に變化せる逐放の生活をなし、常に何處に行くも放逐さるゝが如き生活は、あゝ何たる不幸ぞや。余は確知す余は何處に行かんとも、此處に於ける如く彼處に於いても、靑年の人々は余の許に來るべし。而して若し余にして是等靑年を謝絕して逐ひ歸へす時は、彼等の年長者等は又た同じく其意に從つて余を逐ひ出だすべく、若し彼等を容受する時は其父兄及び朋友等は、其子弟及び朋友の爲めに又た余を放逐すべきなり。