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は、彼等直に其の言ひし所の誤謬なりしことを看破さるべく、彼等若し雄辯の力なる語は、眞理の力なることを意味するに非ざるよりは、彼等の行爲は最も耻づべきものと云はざるべからざるなり。而して若し雄辯の力とは眞理の力なることを意味するものならんには、余は自ら其雄辯なるを許容するものなり。然りと雖其雄辯の性質の、彼等の所謂雄辯とは如何に異るものなるかを見よ。實に余の言ひし如く、彼等眞理に關して一語たりとも之れを語ることなきに反して、諸君は余の口より全般の眞理を聽くことを得ん。されども余の之れを語るに當つてや、決して彼等の爲すが如く、美辭麗句を以つて其言を裝飾し、以つて雄辯の演舌として之れを語るに非ざるなり。たゞ余は其瞬間に想ひ起こせし言語と議論とを以つてせんとせり、何となれば之れ最も正當なることなりと信じ、且つ余の如き年齡の者にして、嗚呼アテーナイ人諸君、余は靑年演舌家として諸君の前に現はるべきに非ざればなり、諸君幸に余に望むに演舌家を以つてすること勿れ。又た一事余の諸君に願はざる可からざることは、余は從來、或は市塲に於て、或は兩換店に於て或は其他に於て使用するが如