Page:Onishihakushizenshu04.djvu/634

提供:Wikisource
このページは校正済みです

は同じ樣なる思想に出立してカント哲學の眞意を發表せむとせり。以爲へらく、一觀念の眞なるか否かを知らむとするに當たりて其の觀念を其れに對する觀念ならぬものと比較すといふ通俗の思想は誤れり、盖し吾人は觀念と觀念ならぬものとを比ぶること能はざればなり。吾人は終に意識外のものを知ること能はず。知識の材質も其の形式と共に吾人の意識の根元的統一によりて造り出ださるゝものなりと。斯くして彼れは實在論的方面を除去したるものを以てカント哲學の眞意と見たり。

《カントの繼承者フリース。》〔七〕尙ほ他にカントの知識論に於ける別問題に向かひて步を進めたるは


フリース(Jakob Friedrich Fries 一七七三―一八四三)

なり。彼れ問うて曰はく、カントが吾人の先天的知識の有無を討究したる其の批評的討究其の物は先天的知識なるか將た後天的知識なるかと、而して以爲へらく、吾人の知識に先天的要素あるか否かを知る其の事は後天的に爲さるゝより外に其の道あるべからず、換言すれば、吾人の心を顧み其の內部を經驗によりて知るよ