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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/632

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り。遊戯衝動の現はれたる最も單純なる又最も下等なる段階は動物が其の活力の溢るゝ故を以て遊び戯るゝ所に見え其の高等なる段階は人間が事物の形を其の實在より離して之れを樂しむことに現はる。美術的製作は即ち此の遊戯的衝動に淵源したるものなり。美術は實在より離れたる假象其の物を樂しむことによりて起こるものにして此の假象を作る所以のもの即ち美術なり。美術は實在を示さむの目的を有せざるものなるゆゑを以て虛僞にはあらず又實在に結ばるゝ一切の利益の關係より離れたるものにして唯だ其の形其のものを樂しむ吾人の心に訴ふるものなりと(カントが形式說のこゝに如何に變化されたるかを見よ)。かゝればシルレルに取りてはカントが爲したる如く自立美と依他美とを區別する必要なし。彼れ曰はく、暗愚は吾人をして實在を出でて其の以上に上らしめず悟性は吾人をして眞理以下に止まらざらしめず、實在と眞理とを超脫して假象其の物を樂しみ得るは是れ即ち吾人が精神の發達を示すものなりと。故に彼れは又遊戯することに於いて吾人の性を全うすとも云へり。

《カントの繼承者マイモン及びベック。》〔六〕ラインホルドはカントの智識論に統一的根柢を與へて其が實在論的方