Page:Onishihakushizenshu04.djvu/631

提供:Wikisource
このページは校正済みです

績を遺せり。カントは理性と感性とを相對せしめ後者を以て全く前者に隸屬すべきものと說きしがシルレルは此の點を改めて吾人に於ける此の人生の兩方面を以て對等のものとなし其の互に相和したるを人間の理想として之れを美心schöne Seele)と名づけたり。カントに從へば、美の範圍は理性と感性との調和の標幟にして其の現實なる客觀的調和にあらず唯だ觀美的狀態に於いて主觀の見樣に其の調和の存するのみなり。シルレルは以爲へらく、美に於ける調和其のものは現實なるもの客觀的なるものなり。即ち觀美的活動は吾人に取りての最高なる活動にして此の活動は或他のものの標幟にあらず。此の兩者の調和に成れるものは主觀に於いては美的人間を成し、客觀に於いては美術的製作を成す。美的人間を造るは是れ即ち美育にして人間歷史の進步は此の美育を進めて吾人の氣品を高うすべきものなり。而して此の氣品は感性に屬する材質的衝動(Stofftrieb)と理性に屬する形式的衝動(Formtrieb)との優美なる調和に在りと。此の點に於いてシルレルはカントが倫理說の偏嚴なるを非とせり。

シルレル以爲へらく、右云ふ兩衝動の相和合したるもの是れ遊戯衝動Spieltrieb)な