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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/614

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品は人爲に成りしものにてありながら其のわざとならぬ點に於いて恰も天然に成れるが如く見ゆるところ是れ即ち其の美の存在する所なりといふに在り。是を以て美術に於いては人爲と天然とが相合せりといふことを得、而して其の美術に於ける天然の何處より來たるかを尋ぬれば、これを天才に求むる外なし。天才とは依りて以て天然が藝術に規則を與ふる生得なる天質の謂ひなり。故に天才は學習し得べき規則に從うて作する者にあらず、其の所作は獨得なると共に模範的なり、而して其の作するや如何にして自ら作爲するかを知らず、其の作爲を支配する規律等に對しては彼れは全く無意識なり。此くの如く自ら規則を意識せずして作爲し而も獨得なる又模範的なる動作をものし得る天才の心作用に於いては想像力と理性とが美想aesthetische Idee)を形づくり得るに適したる相互の關係を成すを要す。美想とは想像力によりて作りたる一想念にして而も一槪念によりて槪括し得られざるほどに多くの事柄を思ひ浮かばしむるものの謂ひなり。理性の觀念は感官上の一想念を以ては現はし得べからざるものなるが今謂ふ美想は感官上の感念にてありながら悟性の一槪念を以ては總括し得られざるものの