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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/594

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德其のものの根據の失はるゝこととなるべし。一言に云へば、吾人は道德上の要求として未來の存在をも承認せざるべからず。道德法と吾人の意志との絕對的調和は是れ無條件なる境界に屬する吾人の理想にして經驗界に於ける即ち時間に於ける事相の一部分として發展する吾等の品性に於いては唯だ無窮に其の理想に接近することあるのみ、言を換ふれば、件の道德的要求は時間上の存在に於いては唯だ吾人の理想に向かふ永久の接近として實現せらるゝなり。

《德福の調和、神の存在。》〔三七〕吾人は我が意志を道德の法則に合せしむる即ち德を修むるのみならず又其の如く德の修まれる狀態にはおのづから幸福てふものの伴ふべきものなりといふことを承認せざるを得ず、吾人は德と福とを全く相離して考ふること能はず。德は吾人に取りて善きものの最上(bonum supremum)なれども尙ほ完滿なる善きもの(summum bonum consummatum)を成さむには其の外に之れに應ずる福といふものの加はらざるべからず。吾人は善人は終に福を享け惡人は終に禍を受くべきものなりといふことを信ぜざるを得ず、是れ亦道德上に於ける一の信念として吾人の抛擲し得ざるものなり。然るに幸福てふものは自然界に於ける出來事に懸